この度、山本玲子さんが、伊吹嶺叢書第57篇として句集『今日の月』を上梓されました。心よりお喜び申し上げます。
玲子さんの俳句との出会いは、10年前頃、ある旅行の時、山下智子さんにお会いしたことからで、それも飛行機で隣り合わせだったそうです。
それ以来チングルマ句会、そして栗田顧問指導の朝日カルチャーセンターで俳句をスタートさせ、私(国枝隆生)は玲子さんの入会当初よりの俳句をずっと見てきています。
玲子さんはもっぱらチングルマ句会では吟行の楽しさ知るとともに、持ち前の勉強熱心さでみるみる頭角を現されました。そして「伊吹嶺」入会のわずか2年目に、次の句で第4回「伊吹嶺」秀句賞を受賞されています。その時、句会に投句されたこともよく覚えています。
蝌蚪一つ黒き紐より泳ぎ出す 平成23年
その後の集中力はすごく、チングルマ句会で皆さんの注目の的でした。そしてわずか6年目に「伊吹嶺」同人、そして10年目に句集上梓に至っています。全部で304句を栗田顧問に選んで頂いています。
玲子さんの俳句については、栗田顧問の「まえがき」に要領よくまとめられています。
まず栗田顧問は、「玲子俳句の特徴付けるものとして、黒、青、白を詠んだ句が多いこと、亡き父母、夫、兄を偲んだ句が多いことにある。」と指摘されている。
冒頭の「黒き紐」の句がそのスタート点であったことが分かる。その他に、
鵜綱綯う鵜匠の指の黒光り 平成24年
溶接の青き光や多喜二の忌 平成27年
日めくりの切り口白き立夏かな 平成27年
暮れ方の真白き雨や一葉忌 平成29年
などを栗田顧問は取り上げておられ、格別白を詠んだ句が多いのは玲子さんが大学で心理学を学んだことと深く係わっているのではないかと、指摘されている。
次にご家族の句が多いことから栗田顧問は次の句から句集の題名を『今日の月』と付けられたとある。
病む兄と昔語りや今日の月 平成29年
その他に栗田顧問は家族を詠んだ句として、
町医者の父の形見の冬帽子 平成28年
春愁や母在りし日の割烹着 平成26年
亡き夫の靴磨きゐる小春かな 平成27年
花を見ることなく兄の旅立てり 平成27年
引き揚げを語る兄亡し終戦日 平成27年
そして最後に栗田顧問の愛唱句として、
雪吊りの縄の煌めき富士真白 平成27年
水無月の雨やはらかし綾子句碑 平成27年
鮎落ちていよいよ深き淵の色 平成27年
などから『今日の月』を高く評価されていることが分かる。
栗田顧問のまえがきは、玲子さんの人となりを的確に捉えていらっしゃいます。
あとは蛇足になりますが、私の感想を述べさせて頂きます。
掲載されている304句の内訳を確認して見ると、栗田顧問もおっしゃっている玲子俳句の特徴の一つとして、家族の句に思いがとても籠もっており、父母の句、夫の句についてはまえがきに書かれたとおりですが、とりわけお兄さんの句が多いことに驚かされる。家族を詠まれた28句のうち、お兄さんの句は最も多い11句を詠まれている。今まで栗田顧問が指摘された句以外に、
病む兄の泪滲ませ初笑 平成26年
まなうらに兄の笑顔や初桜 平成27年
紙魚走る兄の形見の子規歌集 平成27年
など注目に値し、玲子さんの兄思いが痛切に感じられます。そしてそのお兄さんのお嫁さんとは現在も仲睦まじく交流されているようです。その最新の一例の句としては
月今宵語り尽くせぬ兄のこと
ベランダに椅子一つ足す良夜かな
(いずれも伊吹嶺2019年12月号)
があり、これらの句をみると、お兄さんを通じて義理のお姉さんとも心を通じられているようです。
次に圧倒的に多いのが吟行句です。数えてみたらおよそ143句もあり、句集全句の半数に近い。これは玲子さんが主に吟行を通じて俳句力を磨いてきたことに他ならない。ここには私達チングルマ句会の連衆とともに歩んだ思い出につながる。それらを振り返ってみると、
木曽谷の井桁絣の案山子かな 平成22年
師の生家柿の古木に新芽吹く 平成23年
御嶽の襞のかがやく淑気かな 平成25年
高原の空まで続く花黄菅 平成25年
安曇野の流れに浸す素足かな 平成26年
風に湧く白馬五竜の赤とんぼ 平成26年
安曇野の青き流れや夏の蝶 平成27年
信濃路の山並低し蕎麦の花 平成27年
虚子庵の日差し豊かや紫苑咲く 平成27年
夏空へ大権現の銅鑼鳴らす 平成28年
涼しかり綾子色紙の淡き色 平成28年
ペアリフト降りて花野の風甘し 平成28年
秋冷や牛方宿の箱枕 平成28年
御嶽の風に研がるるななかまど 平成28年
比良山の水の甘さよ麦の秋 平成29年
山百合に触れて一茶の池覗く 平成29年
新涼や木の間隠れに手漕ぎ舟 平成29年
ストックを手に見下せり雲の峰 平成30年
苔に頬当てて聞きたり秋の声 平成30年
と書き出せば切りがないが、チングルマ句会の連衆と吟行に出かけたことが玲子さんの鍛錬の場なっているようだ。これら一句一句が私の思い出と重なる。
もちろんこれ以外に吟行句は多いが、玲子さんの俳句工房のその一つとして京都がある。
風死して八坂に赤き夕の月 平成22年
夏落葉積もる小町の化粧の井 平成25年
哲学の道に鳴き合ふ初鴉 平成26年
竹林を抜けて嵯峨野の秋高し 平成26年
落柿舎を去るや式部の実に触れて 平成26年
道問へば山茶花越しの京ことば 平成27年
夕闇の迫る貴船や河鹿笛 平成28年
行く秋や祇王子に引く竹みくじ 平成29年
鐘の音を運ぶ比叡の雪解風 平成30年
弾痕に指を触れたる寒さかな 平成30年
奈良も含めて、最近ことに京都、奈良指向の句が多く、これらはんなりとした玲子さんにふさわしく、今後とも古都の俳句工房を柔らかな感性で詠み継いでゆくことだろう。
最後にこれ以外の特に私も好きな写生に忠実な句を紹介して、句集案内としたい。(文責 国枝隆生)
ミモザ咲くチュニジアの空持ち上げて 平成22年
ふくらみて岩越えゆけり春の水 平成24年
尺蠖の尺とりきつて茎の先 平成24年
暁の光の中の帰燕かな 平成24年
手をついて見る藁苞の寒牡丹 平成25年
水切りの光とばして夏来たる 平成25年
数え日や火花飛び散る鉄工所 平成25年
澄みわたる秋の海見に砂丘攀づ 平成26年
泣くやうに鳩吹く風や無言館 平成27年
味噌蔵の土間ほの暗き寒さかな 平成28年
海鵜翔つ潮入川の波を蹴り 平成28年
空色のインクの便り四月来る 平成29年
塩舐めて発つ暁の登山小屋 平成29年
しろがねの湖を遙かに辛夷咲く 平成30年
戸袋に冬日かすかや芭蕉庵 平成30年
2020年2月7日
発行所:豊文社出版
発行者:石黒智子
新書版 163頁
頒価1000円 |
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