この度、伊吹嶺副主宰河原地英武氏による『平成秀句』が邑書林社より出版されました。
主にこれまでの「伊吹嶺」誌に掲載した「現代俳句評」や角川の『俳句』に連載された「河原地英武が読む今月の10句」からの抜粋から構成されています。
本書は全223俳人を新年、春、夏、秋、冬、新年、無季、連作に分類した計399句が収録されています。まさに選りすぐりの俳句鑑賞です。
本書は「伊吹嶺」誌に掲載されているいわゆる同人、会員句の鑑賞でなく、奥深く考察されています。例えば鑑賞句に対して関連する俳句などを紹介して、その関連を読み解いたり、俳句以外の日本文学、外国文学、さらに哲学など広いジャンルを引用している博学の広さには驚かされます。
また本書は私達が掲載句をどのように鑑賞すればよいか戸惑っているうちに、次第に英武流の解釈に引きずり込まれていきます。
そのような鑑賞の視点を楽しんでいただきたいと思います。
皆さんも購入されて読むうちにきっと鑑賞の勉強になりますし、鑑賞の奥深さに気づきます。そのような鑑賞を是非味わっていただきたいと思います。
購入にあたっては書店に申し込むのでなく、直接著者である河原地さんに申し込んで下さい。(隆生)
以下に栗田主宰句を鑑賞したうちの1句を紹介します。
とほき日の鵜河原の石白かりき 栗田やすし
自分の師に氏をつけるのはへんだから呼び捨てで書く。
荻原朔太郎が蕪村をそう呼んだようにやすしもまた郷愁の詩人である。すなわちその心は、しばしば現世に安居することを拒み、懐かしい日々と場所へ立ち戻ることを欲するのだ。この句もそのような望郷の思いの美しい結晶である。だが「とほき日」は失われ、二度と戻ってはこない。それゆえ「白かりき」のように回想のかたちをとるほかはないのだ。この喪失感にやすし俳句の抒情のみなもとがあるように思われる。また、他の句の中にも「白エプロン」や「白き鼻緒」として現れる「白」は儚くも清らかな母郷の記憶を象徴するいろなのではあるまいか。
あとがき抜粋より
自己分析するとわたしは消極的な性格で、傍観者的に物事を見がちである。子供のころから不平を言わないかわりに、積極的にどうしたいと意思表示することもなかった。要するに情熱家の反対で、心に小さな穴でも空いているのか、空気洩れするでもするように熱が逃げてしまうのだ。
「伊吹嶺」主宰の栗田やすし先生は、本書の鑑賞文の元になっている「現代俳句評」を「伊吹嶺」誌に連載する機会を与えて下さった。そしてこのような形で本にまとめることを一番喜んで下さった。その温情を何より嬉しく、また有り難く感じている。いくつかの文章は「俳句」誌に掲載したものである。再録を快諾して下さった角川「俳句」編集部に感謝する。
ここに載せた秀句の数々は、時代を映す鏡にもなっているはずである。これらの作品が、わたしと同時代を生きる読者の琴線にも触れることを願っている。
河原地英武
発行所:邑書林
発行者:島田牙城
B6変上製カバー装
199頁 399句
定価:本体1900円+税 |
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