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2019年5月号 俳日和(16)
 
  学びの場

                             河原地英武

 昨今の大学教育では、文科省の指示に従い、シラバスの精緻化とその遵守が義務付けられている。シラバスとは、新学期前に学生に示される授業計画書のことである。そこには個々の講義や授業に関し、毎回教科書の何ページから何ページまで進むのか、予復習の内容は何かといったことが事細かに記されている。これは教員と学生の契約書のようなものだから、必ずそのとおりに進行しなくてはならない。極端な話をすれば、もし教員が病気で休職することになっても、シラバスさえ見れば、別の誰かが支障なく代講できるわけである。

 その結果、教員は授業中に余談や脱線をしているひまがない。シラバスのノルマを果たさなくてはならないからだ。学生もこのシラバス方式に馴染んでいるので、余談の多い教師には手厳しい。学期末に実施される授業アンケートで「〇〇先生は雑談が多すぎる。教科書通りに進めてほしい」などと書くのだ。われわれにしてみれば、教科書など自分で読めば済むことで、本当に伝えたいのはその「雑談」のほうなのだが……。

 ところで本誌2012年1月号所載の座談会「伊吹嶺のこれからを語る」のなかで、加藤孝男先生が次のように語っておられる。「……結社の果たす役割は非常に大きいと思うのです。例えば短歌の世界ですと、かつて『アララギ』という集団がありまして……本当に長いあいだ日本の歌壇を背負ってきたような結社でした。そこでは歌会をやりますが、それ以外にもお酒を飲んだりしながら、いろいろなことが教えられ、ある意味では大学よりすごい教養が授けられたのです。そういうことが現代でも大切ではないでしょうか。」

 全く同感である。われわれの句会もまた学びの場として、大いに活用できるのではあるまいか。そこでは日本語の語彙や文法だけでなく、歳時記に出てくる行事を通じて日本の伝統文化を学ぶことができるし、現代の環境問題に対する認識を深めることも可能なのだ。