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過去の俳日和
(2018年2月号以降)

2019年10月号 俳日和(21)

  句会を持とう
                            
河原地英武

 現在の勤務先で教鞭をとるようになって来年で二十年、伊吹嶺で俳句指導を受け持つようになってからも結構歳月が経つ。どうやら自分は教えることが天職なのだろうと思うようになっている。

 ところでこれは教師や指導者になるとわかることだが、いちばん多くを学んでいるのは教える側であって、教わる側ではない。別に詭弁を弄しているわけではなく、考えてみれば、それは当然のことなのである。教えるためには入念な準備が必要だし、想定される質問にも答えられるようにしておかなくてはならない。また、難しいことをいかに易しく説明したらよいか知恵をしぼるようにもなる。そのようなことをしているうちに、知識は知恵となり、自ずと身に付くのである。わたしは教えることを通じて実にさまざまなことを学び得たと実感している。

 教える側のもう一つの利点は、自分なりの創意工夫を教室において実践できることである。句会を例にとれば、みなで選をし、選評を述べておしまいというのでは味気ない。句会の前後に勉強会の時間をとり、『実作への手引き』を教科書として文法のおさらいをするとか、伊吹嶺誌のなかから好きな句を選んで鑑賞し合うとか、あるいは持ち寄り句による句会に加えて、席題句会もしてみるとか、年に一度か二度は、泊りがけの鍛錬句会を計画するとか、いろいろなアイデアが浮かんでくる。句会の仲間と毎年一つずつ、歳時記に載っている行事を見に出かけるというプランはどうだろう。

 同人になったら指導される側でなく、指導する側に立ってほしいと思う。上述したように、そのメリットは大きいはずだ。三人いれば句会は成り立つ。同人一人に対し会員二人。まずはそのくらいからスタートしてみてはいかがか。

  


2019年9月号 俳日和(20)

  松の会
                            
河原地英武

 毎月「主宰日録」に出てくる「松の会」とは何ぞやと興味をお持ちの向きもあるかと思うので、すこし説明しておきたい。

 一昨年の春だったか、「円座」主宰の武藤紀子さんが「松の会」の吟行に来ませんかとお誘いの手紙を下さった。ご自身は名古屋にご在住だが、毎月第四日曜日に、関西の俳人と吟行句会をしているとか。吟行場所はたいがい京都、滋賀、大阪、兵庫のどこからしい。せっかくのお誘いでもあり、近場でもあるので参加してみることにした。

 メンバーは武藤さんのほか、浅井陽子さん(「鳳」主宰)、大島雄作さん(「青垣」代表)、柴田多鶴子さん(「鳰の子」主宰)、曾根毅さん(「LOTUS」同人)、花谷清さん(「藍」主宰)、ふけとしこさん(「椋」所属、「草を知る会」代表)、宮谷昌代さん(「天塚」主宰)、山口昭男さん(「秋草」主宰)である。全員初対面だし(実は武藤さんともこのとき初めてお会いした)、俳壇でよくお名前を拝見する方ばかりなので少々気を呑まれたが、皆さんびっくりするほど気さくで、たちまち打ち解けることができた。

 句会はこんなやり方で行われる。十時から二時間ほど吟行し、昼食後、午後一時に句会場に集合。それから二時半まで推敲タイム。出句数は吟行句で十句、席題で二句の計十二句。出句後、短冊をシャッフルして清記し、清記用紙を回しながら選句するのは伊吹嶺の句会と一緒だ。十二句選、内二句を特選とする。名乗りはいちばん最後にとっておき、まずは各人が自分の選と選後評を述べるところがミソだ。特選にした句であっても、遠慮なく注文を付ける。この自由な空気が慣れるとまことに心地よい。

  


2019年8月号 俳日和(19)

  漢字文化圏
                            
河原地英武

 先日、わたしが勤務する京都産業大学に中国・華東師範大学の代表団6名をお招きし、ささやかな意見交換会を行った。日中間にはいろいろと難しい政治問題があるけれど、教育や文化などの分野でもっと交流を深める必要がある。そのためにわれわれ大学人も協力を推し進めようという話になった。

 両国の共通概念を「東アジア文化圏」で括るのはいささか大雑把だが、「儒教文化圏」では窮屈である。ここは一つ「漢字文化圏」として共同研究ができないだろうかと問題提起したのは、わたしの同僚である森哲郎教授だった。森氏は哲学が専門だが、目下、古代漢字研究の泰斗、白川静(故人)の諸作を読み進めている由。立命館大学の教授であった白川氏は、漢字の成り立ちを甲骨文字にまで遡って探究したことで知られる。その研究によれば、漢字の一つ一つに呪術的な意味合いや独自の思想が凝縮されているそうだ。

 今日の日本や中国では漢字が簡略化され、その古代的な世界観が忘れ去られている。それを再発見し、「漢字文化圏」発の世界思想として現代文明に役立てようではないかという森氏の壮大なビジョンに一同気を呑まれたが、たしかに国家が覇を競い合うより、よほど建設的な提案だと感じ入った。


 新元号の令和は、わが国史上初めて国書を出典とし、中国古典からの自立を印す画期的なものだと喧伝されているが、森先生の話のまえでは小さなことに思われる。そもそも万葉集自体、平仮名や片仮名が案出される平安時代の初期以前に成立し、漢字ばかりで書かれていたのだし、令和の語源も、万葉集より600年古い張衡著の『帰田賦』にあることは専門家が指摘するところだ。令和もまた、漢字文化圏のなかで育まれた元号なのだと大らかに考えたほうがいいのではあるまいか。

  


2019年7月号 俳日和(18)

  沖縄のこと
                            
河原地英武

 6月23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた沖縄全戦没者追悼式で、玉城知事が辺野古沖の埋立問題に関して「民意を尊重」しない政府を厳しく批判した。そのあと安倍首相が演壇に立ち、沖縄の基地負担軽減に向けて全力を尽くすとスピーチすると、「うそばかり」「恥を知れ」「帰れ」という怒号が飛び交ったという。本来ならば皆が心を一つにして戦没者の犠牲に思いを致し、二度と戦争はしないことを誓うべき場所で、このような対立があらわにならざるを得ない現実をみるにつけ、やるせない気持ちになる。

 数年前、大学の教員10名ほどで沖縄の基地問題を考えるプロジェクトを立ち上げ、2年間、本腰を入れて勉強したことがある。政府代表者から琉球独立論者まで様々な立場の人をゲストに招いて意見交換し、実際に沖縄へ赴き、米軍基地のなかを視察し、翁長知事(当時)や沖縄担当特命全権大使とも会見し、辺野古で座り込みを続ける人々の意見も聞いてきた。その総仕上げとして、京都市民に公開するかたちでシンポジウムを開催し、ステージ上で学生と教師の討論会も行った。この活動を通じて痛感したのは、これは沖縄だけでなく、日本国民全体が向き合わなくてはならない課題だということである。

 このところ栗田先生の最新句集『半寿』を手元に置き、しばし時を忘れて読みふけっている。たった今も沖縄の句を改めて通読したところだ。ここには先生の沖縄への思いが凝縮されている。これらの作品のまえでは、辺野古埋立の賛成派も反対派も争いをとめ、沈黙せざるを得まい。われわれ生者がもっとしっかりしなくては、それこそ幾万の霊がいつまで経っても浮かばれないではないか。

   さわさわと風に青甘蔗嘆き合ふ   やすし
  


2019年6月号 俳日和(17)

  京都嫌い!?
                            
河原地英武

 井上章一氏の著書『京都ぎらい』(朝日新書、2015五年)は発売当初から大変な評判を呼び、「新書大賞2016」の第1位にも選ばれた。丸善京都本店では今でも平積みにされているが、けっこう地元民の購買率も高そうである。京都人のいけずな物言いと、千年の都に暮らすことへの優越感を俎上に載せ、エスプリの効いた文体でその深層心理をあぶり出す小気味よさに我が意を得たりと思った人も少なくないはずだ。わたしも京都の大学に奉職して30年近くになるが、信州に生れ、学生時代を東京で過ごしたせいか、いまだにヨソモノ意識が抜けず、なんとなく疎外感をおぼえることがある。

 ところで今年1月19日付『京都新聞』に「信長は京都ぎらい?」という見出しの面白い記事が載っていた。奈良大学の河内将芳教授の研究を紹介したもので、それによれば、信長は室町幕府を滅ぼし天下統一が近づいたのに、特別の用向きがなければ京都に滞在しなかった。いったん屋敷を構えたものの、じきに手放し、妙覚寺や本能寺に寄宿する形を好んだそうで、訪ねてきた公家たちとも対面しなかったとのことである。さすがの天下人も京都の礼儀作法や慣例にあまり通じていないことに気後れを感じていたようで、さらには享楽的な生活に明け暮れていた公家への嫌悪感もあったとみられる。

 これはわたしの仮説だが、芭蕉も京都ぎらいだったのではあるまいか。京都で詠んだ句にはあまりいいものがないのも理由の一つ。〈京にても京なつかしやほととぎす〉も変な句で、まるで今いる京には親しみが湧かないと言っているようではないか。彼は弟子の去来がいる嵯峨野の落柿舎を好んで訪ねたが、当時そこは洛外の村だった。芭蕉は木曾義仲を敬愛したが、まさに義仲こそ京都人に蔑まれ、忌み嫌われて非業の死を遂げた武将であった。そんなことからも芭蕉は京都がきらいだったのではないかと思うのだがいかがだろう。

  


2019年5月号 俳日和(16)

  学びの場
                            
河原地英武

 昨今の大学教育では、文科省の指示に従い、シラバスの精緻化とその遵守が義務付けられている。シラバスとは、新学期前に学生に示される授業計画書のことである。そこには個々の講義や授業に関し、毎回教科書の何ページから何ページまで進むのか、予復習の内容は何かといったことが事細かに記されている。これは教員と学生の契約書のようなものだから、必ずそのとおりに進行しなくてはならない。極端な話をすれば、もし教員が病気で休職することになっても、シラバスさえ見れば、別の誰かが支障なく代講できるわけである。

 その結果、教員は授業中に余談や脱線をしているひまがない。シラバスのノルマを果たさなくてはならないからだ。学生もこのシラバス方式に馴染んでいるので、余談の多い教師には手厳しい。学期末に実施される授業アンケートで「〇〇先生は雑談が多すぎる。教科書通りに進めてほしい」などと書くのだ。われわれにしてみれば、教科書など自分で読めば済むことで、本当に伝えたいのはその「雑談」のほうなのだが……。

 ところで本誌2012年1月号所載の座談会「伊吹嶺のこれからを語る」のなかで、加藤孝男先生が次のように語っておられる。「……結社の果たす役割は非常に大きいと思うのです。例えば短歌の世界ですと、かつて『アララギ』という集団がありまして……本当に長いあいだ日本の歌壇を背負ってきたような結社でした。そこでは歌会をやりますが、それ以外にもお酒を飲んだりしながら、いろいろなことが教えられ、ある意味では大学よりすごい教養が授けられたのです。そういうことが現代でも大切ではないでしょうか。」

 全く同感である。われわれの句会もまた学びの場として、大いに活用できるのではあるまいか。そこでは日本語の語彙や文法だけでなく、歳時記に出てくる行事を通じて日本の伝統文化を学ぶことができるし、現代の環境問題に対する認識を深めることも可能なのだ。
  


2019年4月号 俳日和(15)

  清新の気
                            
河原地英武

 手元に『中日新聞』平成10年4月11日付夕刊の切抜のコピーがある。「平成俳句事情」というシリーズ物の第5回目の記事で、この年1月に創刊されたばかりの伊吹嶺のことが取り上げられている。俳誌創刊と同時にウェブサイトを開設したことが当時はまことに新鮮で、記者の関心をひいたようだ。「他と同じような雑誌を作ってもあまり意味がないと思いまして」という栗田先生の言葉が引用されている。

 現在はホームページをもつ結社も少なくないが、それでも大方は、雑誌の発行に合わせて月に1回更新するかどうかといった状態のように見受けられる。ほぼ毎日新しい記事がアップされる伊吹嶺は圧倒的な少数派だろう。

 そんなことから京都・東本願寺が発行する月刊誌『同朋』(京都では書店で市販されている結構有力な雑誌)が伊吹嶺に注目し、一昨年の2月号に国枝隆生さんと矢野孝子さんへのインタビューを掲載し、ネット句会やチャットのことなどを紹介している。わたしもネットにかかわってきた者の一人として誇らしい気持ちだが、今後はこれをどう発展させていったらいいのか、みなで考えてゆくことも必要だと認識している。若い世代や海外で暮らす日本人を俳句の世界へいざなうことも重要な目標としたいが、そのためのツールとしてネットは大きな潜在能力をもっているように思われる。

 今月号は通巻第250号を記念して、栗田先生をはじめ編集に携わってこられた4名の方々に貴重な文章をお寄せいただいた。これを大きな励ましと受け止め、これからも惰性を排し、停滞することなく、伊吹嶺は歩まなくてはならない。本誌の表紙には「インターネットホームページ併設誌」と記されているが、その表示にたがわぬよう、雑誌とネットの両面に清新の気をみなぎらせたいものだと念願している。

  


2019年3月号 俳日和(14)

  師 系
                            
河原地英武

 栗田やすし先生から主宰を引き継いで以来、師系に思いをめぐらすことが多くなった。先生が本誌一月号の「新春に思う」のなかで記しておられるように、伊吹嶺は他の僚誌とともに「『風』で学んだ仲間が『風』の精神を受け継ぐべく立ち上げた結社誌」である。わたし自身は「風」の会員であったことがなく、したがって沢木欣一先生の謦咳に接することなく伊吹嶺同人となった最初の世代に属する。それゆえ一層自覚的に「風」の理念を学ぶことの必要性を痛感している。

 そんな思いから昨年以来、沢木先生が書き残されたものをあれこれ読み直しているところである。『俳句の基本』(東京新聞出版局、一九九五年)もその一冊だが、このたび再読して、沢木先生が現代俳句に非常な危機感を抱いておられたことに強く胸を打たれた。その箇所を少し引用しよう。「最大公約数的な常識で句を仕立て、一応の技巧でつじつまを合わせた句が今日いかに多いことか。」「私は数年前、現代の俳句は再び月並時代に逆行していると書いたことがある。そして理屈で割り切れるような句は皆月並句であるとも述べた。」「今の時代ほど写生ということがおろそかになっているときはないようだ。幕末の月並俳句の現象が今や量的に拡大しているといっても過言ではない。」「この頃いろいろな大会の選句を頼まれることが多いが、集まった句を見ると残念ながら八割ぐらいは月並句である。」

 この沢木先生の危機意識を真摯に受け止めたい。そして伊吹嶺が月並句とは無縁で、生き生きと躍動する即物具象句で満たされることを目指したい。今月号から「雪嶺集」の欄をなくしたが、本誌を作品本意の俳誌に刷新するための試みだとご理解いただきたい。「遠峰集」「伊吹集」についても厳選を旨とすることとした。伊吹嶺の仲間を信じ、ともに真の俳句の道を歩みたいものと念願している。

  


2019年2月号 俳日和(13)

  俳句と民芸
                            河原地英武

 最近、柳宗悦(1889~1961)への関心を強めている。年末には初読の本にしようと『柳宗悦 民藝紀行』(岩波文庫)も買ってきた。

 学生時代にも彼のことは教科書で習ったし、いくつかの文章を読んだ記憶もある。しかし自分にはさほど縁のある思想家だとは感じていなかった。それが俳句をやるようになって、あちこち吟行に出かけると、よくその名前に行きあたるのである。たとえば瀬戸の窯場を歩いたときも、昨年11月に日田の小鹿田焼の里を訪ねた折にも、宗悦のことを記したパネルを目にした。

 人物事典の記すところによれば、彼は早くから朝鮮李朝期の陶磁器に魅了され、たびたび朝鮮へ赴き、大正13年にはソウルに朝鮮民族美術館を創設した。日本政府の朝鮮に対する抑圧政策を厳しく批判する反骨の言論人でもあった。大正14年ころから「民芸」という言葉を用い、名もなき工人が日々作っている日用雑器に価値を見出し、「民芸運動」の先頭に立って日本全国の窯場を歩いては、郷土色豊かな工芸品に見られる「用の美」を称え、広く紹介したのである。

 わたしには俳句が宗悦の言う民芸に似ているように思われる。俳句もまた生活の場から生まれる詩である。数百万を数える俳句実作者たちの大部分は、総合月刊誌に名を連ねる専門俳人ではないし、俳壇的にはほとんど無名だろう。だが、その無名の俳句作家が作る作品は、それぞれに価値がある。名工の生み出す珠玉の作だって少なくない。

 そう考えると、俳句結社は各地にある窯場のようなものかもしれない。そのなかで伊吹嶺が、全国に名を馳せる一大工房になることができたらすばらしい。そんなことを思いながら、2019年も伊吹嶺の仲間と切磋琢磨してゆきたい。

  


2019年1月号 俳日和(12)

  初 夢
                            河原地英武

 1月号の表紙裏には日の出の写真を載せるのが通例であるが、今年は趣向を変え、わたしの句の墨筆を掲載したいと荒川編集長が提案した。他の編集委員も賛同したため断るわけにもゆかず、お引き受けしたものの、いざ探してみると、自分でもあきれるほど新年の句が少ないことに気づいた。

 それでも本誌の2016年3月号に割と晴れがましい一句を見つけたので、その字句を少々直したもので責めを塞ぐこととした。日頃お世話になっている書道教室の先生(北野攝山先生という斯道の大家)に何通りか異なる書体でお手本を書いていただき、そのなかから自分に合った(というより、書けそうな)一つを選んで何度も練習し、ようやく仕上げたのがここに掲載した作品である。決して胸を張ってお見せできる出来栄えではないが、いまの自分にはこれが精いっぱいといったところだろう。

 わたしの夢は大概色彩ゆたかなのだが、この句の光景もそうであった。真っ青な空を背景に、ハリー・ポッターの映画に出て来そうな幻想的な白亜の城が現れたのである。目覚めてからもしばらくは余韻に浸り、陶然としていたことを覚えている。初夢に見ると縁起がいいものを順に並べ「一富士二鷹三茄子」と言い習わしているが、巨大な白亜の城は雪を戴いた富士山の変形と見なすこともできよう。吉兆と解したい。

 今年わたしは還暦を迎える。亥年の生まれだから年男でもある。気持ちも新たに人生の再スタートを切りたいと思っている。とはいえ職場の定年まではまだ10年ある。俳句と大学の仕事とどちらが主なのかと訊かれることがあるが、わたしの答えは決まっている。どちらも一生懸命にやるということである。俳句とは違う分野を仕事として持つことは、自分の俳句生活によい刺激を与えてくれると信じているからだ。
 



2018年12月号 俳日和(11)
 
  吟 行
                             河原地英武

 句会には大別して三つのやり方があるようだ。第一は、各人が家から三句か五句持ち寄って行う方式で、最もポピュラーなもの。第二は席題。誰かがその場で題を出し(普通は季語)、例えば二十分後に三句提出させるといった方法。そして第三が吟行である。

 このうち、わたしは長らく席題と吟行が苦手だった。特に吟行の場合は、当日まったく句が思い浮かばなかったらどうしようという不安が先立ち、事前にネットで行き先の情報を集め、一、二句、作っておくなどということをしたこともあった。

 現在はといえば、一番好きなのは吟行で、次が席題だろうか。そうなった理由は二つある。一つ目は単純な話で、このごろ日常生活が多忙になったせいである。家で句作の時間を捻出できなくても、吟行に出かければ必ず何句か作れる。句帳と筆記用具さえ持って行けば、出句までの一時間ないし二時間で、何句かものにすることができるのだ。今まで数多くの吟行に参加したが、規定数の句を揃えられなかったことは一度もなかった。たとえ心身の調子が万全でなくても、作句は可能だという自信が持てるようになった。そうなれば、予め準備のいらない吟行ほど気軽なものはない。

 二つ目の理由は、吟行で様々な事物と出会うことによって、思わぬ佳句が授かることを知ったからである。まさに授かるとしか言いようのない会心の作ができるのは、わたしの場合、きまって吟行時である。名所旧跡を訪ねても、別に国宝級の仏像や建造物を詠む必要はない。それよりも、そこに植えられている草木や、地べたを這っている虫などを凝視していると、何かひらめくものがある。その一瞬を句にすることが楽しい。

 自分らしい句を作っているうちはまだまだだと思う。偶然の力を借り、自分らしくない句、自分の殻を破る句、自分で自分の作に驚くような句を吟行で得たいと願っている。



 
2018年11月号 俳日和(10)

  自然詠
                            河原地英武

 「俳句」十月号の「大特集」は「実作に役立つ!俳句基礎用語集」である。四十ページ近くを割き、百ほどの用語が収められている。「一物仕立て」と「取り合わせ」、「一句一章」と「二句一章」、「兼題」と「席題」、「類句」と「類想」、「直喩」と「暗喩」など、知っているつもりでも意外と説明しづらい語が分かりやすく解説されている。ここに書かれていることが皆の共有知識となれば、句会での意見交換もだいぶスムーズになるはずである。ぜひ活用してほしい。

 伊藤伊那男氏が担当しているページでは、俳句がいくつかに分類されている。すなわち人事句、境涯俳句、時事俳句、吾子俳句、心象俳句、写生俳句、忌日俳句である。わたしは教師をしているせいか、学生たちを対象にした人事句を作ることが割と多い気がする。伊藤氏によれば、人事句とは「人間と人間社会に現れる事柄を詠む」もので、「具体的には、自然詠とは反対に、親子関係、友人関係、兄弟関係、夫婦関係、作者自身、生老病死、生活、世相などに係る」俳句が皆これに当てはまる。

 最近のわたしは、この人事句とは対極にある自然詠に強く惹かれている。つまり人事句とは逆に、「人」が一切出てこない句、専ら自然に材を取った句である。むろんこれは、人事句よりも自然詠のほうが格が高いと思うからではない。優劣はまったく関係ない。ひとえにわたしの現在の心境によるものである。

 せめて句作のなかでは諸々の人間関係から解放され、一人の人間として虚心無心に自然と向き合いたい。さらに言えば、自分を空っぽにして、人間であることすら忘れてしまうような境地に至れないものかと夢想するのだ。路傍の小さな生き物や植物を凝視し、それらと心を通わせることができたらどんなに快感だろう。



2018年10月号 俳日和(9)

  選 句

                            河原地英武

 選句はいつも真剣勝負という気構えで行っているので、緊張感はあるが、怖いという意識はない。しかし初学のころは、結構びくびくしていた。自分一人だけとっている句があったらいやだなあとか、句会の指導者の句をとり損なったらまずいなあとか、つい他人の目を気にし、雑念にとらわれていたのである。

 だが、選は読み手に与えられた自由である。遠慮や忖度はいらない。どの句を選ぼうが世の中に迷惑をかけるわけではないし、かりにそれが一点句だったとすれば、自分が入れた一票のおかげで作者も名乗ることができ、あまり暗い気分にならず家路につけるわけだ。その作者のためによいことをしたのである。要するに、自分の気持ちに正直に、堂々と選をすることが大事だと思う。

 もちろん作句と同様に、選句にも上達はある。それは読む俳句の数にある程度比例するだろう。たくさん句を見てくると、パターン化された表現や類想に関する知識が増えてくる。そこで既視感のある作品はだんだんとれなくなるのである。そういう句は初心者の目には新鮮でも、ベテランにとっては古臭く思われてしまうのだ。

 とはいえ、ベテラン同士でも選は異なる。そこが俳句の面白いところだと感じる。新聞の俳句欄や大きな大会で、選者が推す句が一致することはめったにない。一見、不思議なことに思われるが、このごろわたしは、その謎がとけた気がする。たとえば千句のなかから佳い句を二百選べと言われたら、選者たちがとる句はかなり重なるだろう。すなわち、ある水準に達しているか否かを見極める目をもっているのが選者である。しかし、そこからさらに十句にしぼる段になると、それはもう優劣の問題ではない。選者の資質、個性、境地、そのときの心情といった極めて個人的な要素が大きく作用するのである


2018年9月号 俳日和(8)

  自然雑感

                             河原地英武

 6月は大阪府北部を震源とする大地震に肝をつぶしたが、7月は西日本に甚大な被害をもたらした豪雨に茫然とした。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に、4年11ヶ月と2日雨が降り続ける話が出てくるが、この災厄がわが国にも降りかかる予兆ではないかなどとあらぬ妄想をしてしまった。

 そしてこの猛暑である。38度から40度を越える気温はもはや災害レベルだ。今年あまり蚊を見ないのは、35度以上になると活動を停止するせいだという説明をネットで読んで納得した。わたし自身もあちこちでへんな現象を目にしている。蟬の幼虫が殻から抜け出せず死んでいるのを二度三度目撃したが、この暑さに力尽きたのか。炎天下の地面に蟻がいないのでいぶかしく思ったら、ちゃんと日陰を歩いていた。彼らも生命の危険を感じているのだろう。自転車を止めて信号待ちしていたところ、わたしの影に雀が入ってきたのにも驚いた。よほど憔悴していたのにちがいない。

 筆者の名前は失念したが、昔、日欧の自然観を比較した評論を読んだことがある。欧州では自然は人間と敵対する存在であり、それを征服した証として、左右対称の人工的な庭園が造営される。それに対し、日本では自然は友のように親しい存在である。それゆえ庭園も極力自然との調和を図るように設計されるのだ、というのである。

 だが、欧米からの観光客はもとより、日本以上に気温が高いはずの東南アジアやアフリカから来た人々が、わが国の暑さに辟易している様子がテレビなどで紹介されているのを見ると、どうも先の説は疑わしくなってくる。四季折々の美しさは太鼓判を押していいが、住みやすさの点では、日本の自然はかなり厳しい部類に入るのではないか。その自然と何とか折合を見出そうと奮闘しているのが昨今の俳人かもしれない。




2018年8月号 俳日和(7)
 
   カナリア俳壇

                            河原地英武  

 長年京都で在宅医療の普及に努め、どこへでもさっと往診に出かける気さくな人柄から「わらじ医者」として親しまれてきた早川一光氏が、6月2日、94歳でお亡くなりになった。「自分の身体は自分で守る」をモットーに、地域住民と細やかに交流した姿は、1982年にNHKでドラマ化されている。

 早川氏は毎週土曜、KBS京都ラジオの「早川一光のばんざい人間」という番組をもち、わたしも準レギュラーとして定期的に出演し、時事問題のコーナーで対談していた。どんな深刻なテーマであっても必ず笑いでしめくくるユーモアセンス抜群の方であった。早川氏の志を引き継ごうと、このラジオ番組にかかわった者たち数名で「カナリア倶楽部」という組織を創設した。「自ら炭鉱のカナリアとなりて社会に警鐘を鳴らさん」との意気込からの命名である。喫茶店を借り切っての勉強会や、インターネットによる情報発信を主な活動内容としている。

 ネットの検索サイトに「カナリア倶楽部」と入力すれば、我々のウェブサイトはすぐ見つかるので、ぜひ訪問してほしい。高齢化社会の問題、防災対策、さらには日本内外の政治情勢など様々なメッセージをほぼ毎日更新して載せている。わたしも「かわらじ先生の国際講座」と題し、毎週火曜の夜、Q&A形式で時事解説をアップしている。

 近ごろ、それに加えて「カナリア俳壇」のコーナーを併設した。「カナリア倶楽部」のホームページを開くと、その左に「河原地英武のページ」と書かれた欄がある。そこをクリックすれば、「『カナリア俳壇』開設のご案内」という記事が出てくるのでご覧いただきたい。そこに投句要領が記されている。だれでも自由に参加できる。目下、一人でも多くの方のご投句を待っているところである。伊吹嶺の皆さんもどうぞ。




2018年7月号 俳日和(6)
 
   まず3ヶ月

                            河原地英武  

 石の上にも三年などというけれど、三年の辛抱はけっこうきつい。わたしは何でも三ヶ月単位で考えている。三ヶ月がんばれば、目に見えて変化が現れる。これはわたしの経験に裏打ちされた持論である。

 たとえば外国語の勉強。わたしは学生時代、外国語(ロシア語)を専攻したので、人一倍語学の習得に時間を費やし、いろいろな勉強法を試みたが、やはりいちばん難しいのはリスニングである。ネイティブスピーカーの話す音声教材やニュースなど、最初のうちはさっぱり聞き取れない。自分にはつくづく才能がないのだと絶望的な気分に陥ることはしょっちゅうだった。しかし結論をいえば、語学に才能は関係ない。ただ慣れの問題である。外国語のニュースにしても、無理に聞き取ろうなどと欲は出さず、シャワーを浴びるように、毎日三十分でよいから聞き続ける。すると三ヶ月も経つ頃には、だいぶ言っていることが理解できるようになる。耳が慣れてくるのである。

 今年から書道教室に通っている。まず道具一式を購入し、正しい姿勢と筆の持ち方からレッスンが始まった。そして先生が書いてくださった千文字(王羲之の文字を集めたとされる教材)をお手本にひたすら模写するのだ。お手本をコピーに取り、その上に半紙を重ねてなぞるのだが、最初は線一本からして思うように引けない。自分が書くと、ぶよぶよとして骨のない字になってしまうのだ。筆がこんなにやっかいなものだとは知らなかった。力の加減も何もまったくコントロールできない。それでも先生のアドバイスを受けながらひらすら書き続けているうちに、いつの間にか筆づかいの感触がわかってきたのである。その心地よさが身の内にしみ込んできたとでもいえばいいのか。それがやはり三ヶ月ほど経ったときのことだった。




2018年6月号 俳日和(5)
 
   俳句の研究

                            河原地英武  

 初心のころは気楽な気持ちでインターネットに投句していた。俳句は気分転換のようなもので、趣味はと問われたら躊躇なく「俳句です」と答えられたものだ。しかし年数を重ね、同人になり、人に俳句を指導する立場になったころから、意識が変わってきた。趣味を料理にたとえれば、デザートのようなもの。だが、わたしにとっての俳句はメイン料理の一つになってきたのである。それは趣味よりももっと大きな何かだ。人生の事業、では大袈裟すぎるなら、ライフワークといっておこうか。実際、いつも俳句のことを考えている。俳句とは何か。諸説を読み、つきつめて考えようとするのだが、逃げ水のようにその正体がつかめない。それでも何とか自分なりの俳句観を確立したいと願っている。

 学生時代に外国語を専攻したこともあって、俳句の国際化に関心があり、いままで何本か論文を書いてきた。この方面は今後も掘り下げてゆくつもりだ。主宰として伊吹嶺を預かる立場になってからは、師系に対する意識を強めている。伊吹嶺がめざす即物具象の俳句は、俳句表現史のなかでどのように位置付けられるのか。われわれの即物具象は子規が唱えた写生とどう重なり、どう異なるのか。これは単なる技法の問題ではなく、俳句の根幹にかかわるテーマではなかろうか。

 二年前、『平成秀句』(邑書林)という小著をまとめたとき、その原稿のすべてに目を通してくださった島田牙城社長が、わたしの文章に頻出する「写生」に疑問を投げかけた。。実は俳句における写生については、まだ誰もきちんとした定義付けを行っていないのだそうだ。そのあいまいな言葉を不用意に用いるべきでないとのご指摘であった。このことがずっとわたしの心に残っている。まずは従来の写生論を整理し、即物具象との関係を探ってみたい。こんなところから自分の研究を推し進めようと考えている。




2018年5月号 俳日和(4)
 
   締切が大事

                            河原地英武

 ある作家が「創作の原動力は何ですか」と問われて「締切日です」と答えていたのがおかしかった。この人一流のユーモアもあるにせよ、半分以上は本音ではあるまいか。実際、いくら立派な目標を立てても、締切がなければずるずると仕事を先延ばしし、ついに仕上げずじまいということになりかねない。

 同じことは俳句にもいえそうである。今日はなんの感興もわかないから作句は休みにしようなどといっていると、いつまで経っても作るタイミングはやってこない。結局のところ、いついつまでに何句提出しなくてはならないと決められているからこそ、猛然と創作に向かうのである。

 この頃わたしは、締切までの期間が短ければ短いほどありがたいと思うようになっている。一ヶ月後に出せば大丈夫だと考えていると、そのうち三週間くらいはだらだらと無為に過ごしてしまいそうな気がする。

 その点、吟行句会は都合がいい。何より事前に句を持って行かなくてもよいから気が楽だ。吟行をして二時間後に五句提出と決まれば、その二時間のうちに必ず五句は作ることが出来る。初学のころは本当に作れるかどうか心配だったが、案ずるより産むが易しで、ちゃんと作れるものだ。

 もっといいのは席題である。これは句会のメンバーが席につき、その場で誰かがいくつかの題(ふつうは季語)を出す。で、たとえば十五分と時間を区切り、そのあいだに与えられた題で二句か三句作るのである。これは慣れないとかなり焦るし、締切十秒前に最後の一句を絞り出すなどということもあるが、その破れかぶれに作った一句が残すに値する佳句であったりするのだ。俳句はおもしろい。




2018年4月号 俳日和(3)
 
   ささやかな挑戦

                            河原地英武

 自分の俳句の作りぐせは、なかなか自分ではわからないい。だれかに指摘され、初めて合点することが間々ある。たとえばわたしの場合、戸外よりも室内で作る句がかなり多いらしい。これは生活習慣の問題でもあるのだろうが、もっと外に出なくてはと考え、このごろでは、句を作ろうと思い立ったら、昼夜を問わず、とにかく外出し、パトロールを兼ねて(というのは冗談だが)家の近所を一人吟行することにしている。

わたしの句には、下五が「~に」で終わる形が多いと言われたことがある。〈鯉の群春の光をもみくちやに〉〈春の風邪一番星の落ちそうに〉〈空つ風水道の水よれよれに〉といった具合に。これはまったく意識していなかったが、無意識だからこそ、くせなのだろう。そこで今では、このような形の句を作ったときには再吟味し、もうすこし推敲してみるように心がけている。(むろん、その上でよしとなれば残すけれども)。

だが、目下のところわたしの一番の課題は、使用する季語の偏りを是正することである。これは一昨年、拙句集『火酒』をまとめている最中に漠然と感じたことなのだが、そしてきちっと数えたわけでもないが、ほかの人の句集に比べ、使われている季語の種類がだいぶ少ないようなのである。この句集に対し、国枝隆生さんが「伊吹嶺」2017年3月号に、2ページにわたるたいへん親身な読後感を書いて下さったが、そのなかで「さらに幅広い季語の開拓を」との宿題をお出し下さった。

実は今、意識的に実行していることがある。本誌に毎月、15句を出しているが、それら15句の季語をみな異なるものにしていることである。そしてできればいくつかは、今まで用いたことのない季語にチャレンジすることだ。わたしなりのささやかな挑戦だが、これが闘志をかきたててくれる。




2018年3月号 俳日和(2)
 
   有言実行

                            河原地英武

  中学生のころ、担任の先生に不言実行の大切さをならったけれど、意志薄弱なわたしには有言実行くらいのほうが都合がよさそうである。周囲の人に証人としての責任を負ってもらい、自分の意志の補強にしようというもくろみである。

さっそく実行に移すことにして、関西支部と愛知支部の新年俳句大会のあいさつで「毎日、平均五句作ります」と宣言した。「平均」というところがミソで、これならたとえば三日間さぼっても、四日目に二十句作れば帳尻は合う。こんなふうにして一ヶ月に百五十句、できれば二百句ほど句帳に書き留めることができればと望んでいる。

むやみに作っても感動がなければしょうがないとの声も聞こえてきそうだが、わたしが考えるに、多作には二つの意味がある。その一つは、何事も習熟するためには反復練習が不可欠だということである。スポーツ選手が朝練をするように、あるいは画家がデッサンを欠かさないように、俳人もまた五七五の感覚をにぶらせないための努力は必要だろう。柔軟体操をするような軽い気持ちで、日頃から俳句のリズム感を忘れないように努めたい。

もう一つは、会心の作はそう簡単にできるものではないということだ。自分の経験から言っても、吟行で作る最初の一句か二句はとりとめのないものだ。しかし気分が高まってくると、あちこちに句材が見つかるようになる。下手でもいいから、それらをどんどん五七五の形にして句帳に書き付ける。そのうちに、上手いとか下手とかいったことはどうでもよくなる。雑念が取り払われてゆくのだ。そんなとき、まさに天恵のようにして、自分でも驚くような句がひょっと現れることがある。

 だが、肝心なのは雑念から解放されることである。いろいろな憂いを忘れ、あわよくば無我の境地に入れる。わたしはそんな境地を求めて俳句をやっている気がする。



2018年2月号 俳日和(1)
 
   忙中俳あり

                            河原地英武

 昨年来の仕事を抱え込んだまま年を越し、ぼやぼやしているうちに七日が過ぎてしまった。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始おさえつけていた。焦燥といおうか、嫌悪といおうか」――梶井基次郎の『檸檬』の書き出しが脳裏を横切る。

何より胸を圧迫するのが、締切の過ぎた論文原稿。「年末には仕上げますから」と出版社の担当に連絡したところ、「年明けの五日まで社が休みですから、それまでに送ってくれたら結構です」と言われ、これで気を抜いたのがいけなかった。再び催促のメールに肝を冷やしている始末。いままでこんな年末年始を何度繰り返してきたことだろう。

 手つかずの仕事をまえに、悶々としているのがいちばんよくない。立ち枯れする草木のように心は青ざめ、気力が萎えてゆく。これは精神衛生上、はなはだ有害である。

わたしは過去にもたびたびそうしたように、机上に広げたものはそのままにして、「よし、ともかく外に出よう。これから俳句を二十句作るのだ。二十句できるまで絶対に戻らないぞ」と独りで決めて、家を出たのであった。

 道々、気づいたことはどんどん句帳に書き留める。葉を落とした街路樹は瘤だらけだとか、電柱と枯木が交互に立ち並んでいるとか、河原で女の子がボールを蹴っているとか、犬が水鳥の群れに吠えかかったとか、鴨がよたよた土手を登り出したとか、そんなとりとめのないことを五七五にしていると気分は次第に高まり、二時間ばかりで二十句できた。そのうち残せるのは一つか二つだろう。だが、心のもやもやが晴れたのだから満足だった。

 よく句友には「忙しいでしょう」と言われる。たしかに忙しい。だから「忙中俳あり」である。感興がわくのを待っていては、なかなか句はできない。しかし俳句を作ろうと決意すれば、感興はわいてくるものだ。思い立ったら「俳日和」。それをモットーにしたい。

 
 


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