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いぶきネットの四季


 いつも伊吹嶺HPを閲覧していただきありがとうございます。
 以前のこのコーナーは、わたしたち「伊吹嶺」の師である沢木欣一先生と細見綾子先生、そして「伊吹嶺」の顧問である栗田やすし先生の3名の俳句をテーマに、随筆風に書いた記事を掲載していました。

 令和3年1月からはその内容を改め、インターネット部員が行った吟行を俳句と写真を添えて紹介していきます。
 吟行は非日常のことです。そのために心が新たな気持ちになり、普段見慣れている物でも新鮮に感じられて句作につながります。このコーナーが皆様の良き吟行ガイドになり、吟行への誘いとなれば幸いです。

 沢木欣一先生と細見綾子先生、栗田やすし先生の俳句にちなんだ記事は、
下記の案内をクリックしてください。平成24年から29年の間連載され、俳句の鑑賞、思い出、あるいは季語にまつわる体験談などを俳句にちなむ写真を添えて書いてあります。

                       インターネット部長  新井酔雪

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令和4年5月

    水郷潮来のあやめまつり

 
私は現在千葉県に住んでいる。千葉は(ふさ)の国であり、潮来は常陸国であり常州である。北利根川を挟んで南は佐原であり総の国と向かい合っている。
 潮来の位置関係が判らない人もいると思うが、場所はともかく、橋幸夫が歌った「潮来笠」はご存じだろう。

   潮来の伊太郎 ちょっと見なれば
   薄情そうな 渡り鳥
   それでいいのさ あの移り気な・・・

 利根川河口に近い農村であるが、古来より、伊勢、鹿島、香取の三神宮とされてた中の二神宮を近くに置き、江戸、上方とも船便が便利であったため宿場としても栄えていたようである。
 現在は素朴な艪漕ぎの小舟と穏やかな気候のもと、のんびりとした風情を楽しむ観光地として賑わっている。
 コロナ禍で中止していた、「潮来水郷あやめまつり」も今年は再開される。予定では5月20日から6月19日までだそうだ。あやめ(厳密には花菖蒲が大半だが)も運河のある景色と相俟って素晴らしい。
 コロナ以前の吟行ではあるが、その時の句で伊吹嶺遠峰集に掲載された句とその背景を記して見たい。

   
水郷の風むらさきに花菖蒲  光晴

 あまり混合う中は嫌だったので、平日に行ってみた。初夏の日差しは強かったが、時に吹き抜ける風は色彩を感じた。


   八橋に独りたたずむ白日傘  光晴

 呼び物の1つである、花嫁舟は運航されない日であったが、それでも観光客は艪舟に乗って楽しんでいたが1人女性が菖蒲田の八橋に佇んでいた。近くの蓮池の白睡蓮の精とも思えた。

   
川風に睦み合ひたり花あやめ 光晴 

 風が来れば、花びらが小さく揺れ、ささやき合っているようでもあった。

   
夏雲や灼け染み多き船頭笠  光晴

 
艪漕ぎの遊覧船に乗せてもらった。千葉県側の佐原、加藤洲十二橋の水郷めぐりは女船頭さんがエンジン船で操縦する舟であったが、ここは男の船頭さんばかりのようであった。
 笠は激務でシミだらけであった。何回出港するのか、手漕ぎ艪では女性では手に負えないだろうと思った。
 私は、この後香取神宮を参拝して帰った。神宮では夏越しの茅の輪を打っている最中であった。
 鹿島神宮と凸凹で対となる、要石という物が祀られているが、地震を起こす大鯰を押さえているとのこと。小さく見えるので心配ではあるが、今後の大地震の無いように、しっかりと押さえて欲しいものである。
 吟行に行かれるのであれば、鹿島、香取両神宮。佐原の水郷と古い街並。銚子の屏風ヶ浦や漁港など、それ程遠くない場所にも良い吟行地があるので機会を作ってお出でいただければと思います。                   (吟行日 平成30.6.5 
武藤光晴記)


  


令和4年4月

    関鍛冶伝承館~関善光寺吟行(下見)

 私の所属するたんぽぽ句会は、25周年記念行事の1つ「沢木欣一先生の足跡」で、岐阜県関市(関の孫六家)が担当場所となり、4月上旬桜の季節に全員で吟行会を催すこととなりました。
 その下見の様子を記載します。
 我々は愛知県春日井市の句会で、公共交通機関を使って関に行くには非常に不便な立地であるため、地図アプリ、乗り換えアプリ、その他検索あぷりでコース案を作成しました。

 また、句会場に公共施設の会議室を借用するには、事前に現地で使用許可申請が必要なため、下見の折に申請することにしました。申請時に会議室が確保できればここを使用しての句会となりますが、取れなかった場合のために句会場を数カ所ピックアップしました。「食堂のデータ」は、営業時間や営業日が不確かな部分が多いことや、句会開催可否の確認のために電話での問い合わせが必要でした。

 そんな準備をして、本番の「刀の鍛錬見学」→「桜の関善光寺」→「食事も可能な句会場(関文化会館 会議室)」コースが確定した次第です。

 行程は下記のとおりです。
   1013(せきてらす前駅 着)--- 1020(関鍛冶伝承館 着)
   ---10:30 古式日本刀鍛錬場 & 関鍛冶伝承館 見学)
   --- 12
00(関鍛冶伝承館 発)--- 1220 関善光寺 着---(見学)
   --- 1300(関善光寺 出)--- 1310(関市文化会館 着)
   ---
会場設営・食事・作句と投句)--- 1400(句会開始→1520終了)
   --- 15
40(関市文化会館 出)--- 1553(関駅 発)

 自宅最寄り駅からだと、乗り換え2回を含め、朝8:41勝川駅(発)、17:48勝川駅(着)の1日コースとなりました。

 また、下見の時点では、会議室(関市文化会館)の使用許可がないので、句会は第2案の関善光寺境内にあるカフェ茶房「宗休」で、食事(喫茶メニュー)をしながら句会を催しました。ここは、事前にお願いすれば10名程の句会は可能であり、少人数の吟行会ならばお勧めです。

◆吟行地関鍛冶伝承館)

 日本刀鍛錬場にて午前1030分からの日本刀の鍛錬の実演を見学。実演終了後に、道具に触れることも刀匠らが質問に答えてくれることも納得できる所です。
 鍛錬の内容は、鎌倉時代より伝わる関鍛冶の技。見せ場は、むこう鎚の廻し打ち。脇座に立つ刀工の大鎚と、横座に座る刀匠の小鎚がトントンカントントンカンと小気味のよいリズムを奏でています。火の音、鉄の匂い。打っては折り、折っては打って不純物を叩きだし、鋼の硬さを強化させる作業です。鋼を打つ大槌で飛び散る火花と弾ける音は迫力満点です。

    
紙垂揺るる土場の鞴に春の塵 和嗣

 その後、隣接の関鍛冶伝承館で、研磨外装技能を見学しました。
 白銀(しろがね)師、柄巻(つかまき)師、鞘(さや)師、研(とぎ)師の手により、精密で優美な輝きの刀剣が仕上がっていく過程が見学できます。ここも質問に対して気軽に対応してくれ、写真撮影も可能です。

    
梅東風や桶に水張り刀研ぐ  和嗣
    霾るや黒御影なる刃物塚   和嗣


 関鍛冶伝承館の後は、次の地、関善光寺に徒歩(所要時間15分程)で移動しました。
 歩くのが苦手な方は、タクシー利用が良いでしょう。(迎車料金含め、800円程 4人相乗りで一人200円)

◆吟行地(関善光寺)
 関善光寺は正式名称「妙祐山宗休寺」で、美濃四国第21番札所。
 寛政10年(1798)に創建され、この寺で長野の善光寺の出開帳が行われたことから、本堂は、信州善光寺堂を模して文政10年(1827年)に建立されました。
 この本堂は、「信州善光寺」の約4分の1のサイズで、『ミニ善光寺』と呼ばれています。

 戒壇巡り(胎内巡り)は全国に54ヵ所あるといわれていますが、関善光寺の戒壇巡りは、日本で唯一の「卍字型」をしています。
 人が亡くなってから成仏するまでの49日になぞらえ、縄だけを頼りに49mもの暗所の道を辿ることで穢れが祓われ必ず極楽へ往生することが出来ると言われています。真っ暗で何も見えないが、一見の価値あります。

    
綱湿る戒壇廻り涅槃の日   和嗣
    春日浴ぶ卍戒壇廻り来て   和嗣


 境内の宝冠大日如来堂には、手の組み方がめずらしい宝冠大日如来像(約500年前に鋳造され、高さ3㍍、台座には千十三体の仏像が刻まれている)が祀られています。絵天井もあります。

 本堂から石段を登った先には重さ2.6トン岐阜県下最大の大梵鐘(1540年)があり、梵鐘を打つこともできます。そこからさらに進むと、頂上付近には木造三階建ての展望台があり、関市内が一望でき遠くは御嶽山や伊吹山、そして岐阜城なども見ることができます。(吟行日 令和4.3.6. 松原和嗣記)



刀鍛冶 
 
刀鍛冶
 
柄巻き

関善光寺へ

関善光寺
 
大仏殿

大仏

大日堂

十王

善光寺境内
 
釣鐘

句会


令和4年3月

    知多四国霊場

知多四国とは愛知県知多半島を巡る八十八ヶ所参りです。南端の沖にある篠島を含めて半島を一周する霊場です。

 私は2017年の春、「伊吹嶺20周年記念賞」応募のために第1番曹源寺(豊明市)から第17番観音寺(知多郡阿久比町)まで3回に分けて歩きました。

 13年前に妻と初めて訪れた折は、やはり初めての御夫婦と追い越したり追い抜かれたりののんびりとしたお遍路でしたが、古い町並みの旧道あり、路地裏あり、大型車の往来する県道あり、かと思うと田園風景の道ありと、あちこち迷いながらのお遍路です。

 今回最後の観音寺の桜は、それは見事なものでした。

 俳句は別として肝心のお遍路はどこまで進んでいるかと言えば、武豊の第24番徳正寺で止まっています。

 最南端のの篠島が一番の楽しみなのですが、途中交通の不便なところもあり、いつ到達できるのか覚束ない限りであります。
 (吟行日 平成29.4.3 松井徒歩記)

   
東風吹くや縁はたはたと遍路地図  *徒歩6句
   丁石を辿る路地裏猫の恋
   立ち並ぶ卍の幟桜東風
   花浴びて一本足せるお線香
   人去つて人のまた来る桜かな
   弘法の一本道やかぎろへる


     

令和4年2月

    鶴 を 見 に

コロナが沈静化し、マスクを着けるのを忘れるくらいコロナからの解放感に浸り出した頃、「鶴を見に行きませんか。」と誘われた。以前にコウノトリの保護活動をしている豊岡市の田んぼで餌を獲ったり疑似の電柱の天辺に大きな巣を見たりしたときの感動がよみがえり、もう一度その体験ができるのならと参加させていただいた。

 鹿児島県出水市荒崎地方が鶴の越冬地となったのは、島津藩による干拓以降、元禄8年(1695年)頃と言われている。最初他にも渡来地があったようであるが、現在は出水市だけになっている。昭和27年3月に特別天然記念物の指定区域(約245ha)を受けている。その出水市の荒崎地方に入ると、窓外は村落など見当たらないくらい一面の刈田や穭田が広がり、干拓地であったことがうかがえる。鶴はどんな様子で過ごしているのだろう・・・車窓から外を見ていると四羽の鶴が田に降り立っていた。突然の光景に一瞬車内は歓声に包まれた。聞くところによると、鶴は家族単位で行動することが多く、番は一生添い遂げるという。鶴は人に慣れているのであろう車が通ったり、人が降りたりしても無心に何かを啄んでいる。

 「出水ツル観察センター」で下車し、鶴の展示を見たり、ガイドを受けたりしてから屋上の展望室で暫く観察。コウコウと鳴き合う鶴の1万以上の群れに圧倒され続けた。

    しなやかに鶴首伸ばし落穂啄む   *秀子2句
    万の鶴一かたまりに鳴き交はす

 説明によると、鶴は雑食性であり、植物質では、稲の落穂、二番穂、麦の実等。動物質では、いなご、やご、どじょう、タニシ、ミミズ、小魚などを捕食している。(豊岡のコウノトリの里では保護のため、稲作に農薬を使うことを規制していたが出水でも同様であろう。)

 鶴の1日は、夜明け前に始まり、塒から餌場に出ていく。餌場から家族単位で近くの農耕地や干拓地などで思い思いに採餌して過ごす。行動を妨げるものもなく、飢えることもなく、カメラの放列を気にすることもなくのどかに過ごしている。

 鶴を保護するために様々な活動をしている。麦の実を撒いたり(餌付け)、田に水を張って塒を作ったりして、鶴を指定内に居つかせて、鶴との共生に努めている。また、鶴の被害が広がらないように、指定区域の出入り口には車のタイヤの消毒箇所を設け、鳥インフルエンザから守るようにしている。

    餌づけして万超ゆる鶴共生す   *秀子2句
    きらめける鶴の塒の水張田


 鶴は、繁殖地のロシア共和国のシベリア地方から中国を南下して韓国に渡り、更に南下して壱岐を通り、長崎半島から八代海を通って出水に渡来してくると言われている。鶴サミットでも開いて、鶴の仲の良さと美しい舞姿を見れば、たくさんの案件が平和裏に解決できるのではと、ふと夢に見入った。ツルの越冬期間は10月中旬から3月下旬で、私たちが訪れた12月21日のツルの総数は、16840羽。内訳は、マナヅル1314羽、ナベヅル15511羽、カナダズル4羽、クロズル8羽、ソデクロヅル1羽、ナベクロズル(雑種)が2羽であった。昭和2年の約440羽の記録からみて、いかに保護活動が功を奏しているかが分かる。 (野島秀子記 写真:国枝隆生)


令和4年1月

    久多の松上げ

 夏の行事として、『五山の送り火』は広く知られていますが、京都の北部(北部から若狭にかけて広がる丹波山地)には、あまり知られていない『松上げ』と呼ばれる火祭りが何ケ所かで伝承されています。送り火が、死者の霊をあの世へ送り届ける仏教的行事である一方で、松上げはお盆の時期(概ね824日の地蔵盆)に行われるものの、「松上げ祭り」とも呼ばれる神事です。火災除け、五穀豊穣、無病息災を祈念し、愛宕大明神への献灯行事として、室町時代以前から各町内で行われて来ました。山里に暮らす人たちにとって、「火の用心」は特に心掛けることであり、それが、根強く伝わる一因にもなっているのでしょう。

 祭の進行を要約しますと、巨大な
松明に見立てた「柱松(御柱)」という長い棒の上部に笠と呼ばれる受け籠を取り付け、それを目掛けて松明を投げ入れ、最後に柱を倒して終わります。細かくは、柱の周囲に「地松」という松明を灯して結界としたり、受け籠に最初に火を点ける「一番点火」を競い合ったり、柱が倒れた後のをお守りとしてもらい受けたりします。松上げは地域によって伝承されていることが微妙に異なっていることなど、観光化されていない分土着性を感じ、とても魅力的でした


   今年酒提げて宮へと法被衆
   十袋の菓子売るテント村祭
   松上げ祭電灯覆ふ米袋
   葛の根を濡らし火上げの柱結ふ
   松上げ祭をみな火伏せの護符作り
   松上げ祭始むる宵に北斗かな
   松上げの焔ゆらめく秋の川
   螻蛄鳴くや松上げ果てし闇の中     哲半8句

        (吟行日 令和3.12.2 貫名哲半記)




令和3年12月

    鳳来寺山

 鳳来寺山は修験の山でした。開基は利修仙人、開山は1300年ほど前になります。学生時代、1425段の石段を登って、山頂まで行った記憶がありますが、翌日はへとへとでした。最近、休みの日には近くの山に登ったりすることが増え、また鳳来寺山に挑戦してみようと思い始めた頃、奇しくも中日新聞の県内版、「あいちの民話を訪ねて」に鳳来寺参道の「腹切り地蔵」が紹介され、石段600段目あたりにあるとのこと。行ってみよう!
 ・・鳳来寺山は『殺生禁断』の地とされ、多くの逃亡者が潜んでいた。その中の男が人々を怖がらせている怪物がいると聞き、自分も罪滅ぼしにこの怪物を退治しようとしたところ、腹を切られたお地蔵さんが倒れていた。このお地蔵さんは悪い人の心を正すために怪物に化けていたのだといわれ、人の心を正すお地蔵さんとして祭られている。・・
 最高峰684メートルの鳳来寺山は紅葉が美しいことでも知られており、紅葉真っ盛りのときを狙って出かけました。門前通りを抜け歩いていくと、2軒の鳳来寺硯のお店がありますが、実演は行われていませんでした。硯屋さんの前では1袋100円の柿がたくさん並べてあり、人が集まっていました。少し行くと源頼朝寄進といわれる石段のところに出ましたが、そこからは老杉が空を覆い、空気が変わったように思えました。しばらく登ると、「こがらしに岩吹きとがる杉間かな 芭蕉」の句碑があり、その先には立派な朱の仁王門がありました。その門を潜り進むと私にとっては馴染みのある、蒲郡市三谷町生まれの俳人岡田耿陽(こうよう)の句碑「霧深し大傘杉はどれならむ 岡田耿陽」があり、驚きました。
 岡田耿陽はホトトギスの俳人で「日本に蒲郡あり、蒲郡に耿陽あり」と名を高め、50余年にわたって東三河のホトトギス系を支え、蒲郡の竹島には「漂へるもののかたちや夜光虫」の句碑が残っています。
 そのすぐ先に耿陽が「どれならん」と探した大きな傘杉がありましたが、その当時は注連縄がなかったのでしょうか?この傘杉は京都の花脊の三本杉に抜かれるまでは、日本一高い杉と言われていたようです。

 少し進むと目的の腹切り地蔵が石垣に背中を預けた状態で鎮座していました。薄日が差してほほ笑んでいるように見えましたので、私の心も正していただけたかもしれません。

   磴下る園児かろやか紅葉晴   マユミ3句
   参道の硯屋しづか柿売れり

   ほほゑめる腹切り地蔵冬日濃し

                       
(吟行日 令和3年11月18日 長崎マユミ記)

          


令和3年11月

    ハリヨの池

 日常生活からも俳句は生まれますが、吟行は手っ取り早い作句方法だということは、俳句をたしなむ人の共通認識だと思います。

 俳句作りに行き詰り困ったとき私が行く吟行地は、近鉄養老線「美濃津屋」駅から歩いて行ける「ハリヨの池」です。春夏秋冬いつ行っても心と視界を満たしてくれる取って置きの場所です。
 きれいな水にしか棲めないという天然記念物の「ハリヨ」が棲む湧水池や「中日本製糖」の管理する梅園もあります。
 秋篠宮殿下が視察されたときに整備されてきれいな公園に生まれ変わりました。


 ハリヨは、滋賀県北東部と岐阜県西南濃地方にのみに棲むという希少種で、環境省により絶滅危惧に選定されています。
 ハリヨには、背鰭の前に3本、腹鰭に一対、尻鰭に1本の棘があり、全長は5~7センチほどで、オスは婚姻色が生じ腹側が朱色に染まり、体側は光沢のある青色できれいな小魚です。

   足音に聡きハリヨや秋澄めり  *洋子6句
   湧水の波紋に宿る秋の翳
   松茸の弁当開く輪中晴
   溝蕎麦の花陰に散るハリヨの子
   入れ替はり蜻蛉の来たる澪標
   水神の祠の裏へ穴惑ひ


 池のあちらこちらから湧き水の泡と波紋が広がり本流へ流れ込む水音も気持ちよく何時まで眺めていても飽きることはありません。
 コロナ禍の折、久しぶりの外出は心を満たすのに充分の小半日でした。
(吟行日:令和3年10月15日 坪野洋子記)



令和3年10月

    熊本 「江津湖」と「細川家四つ御廟」

 実家へ帰省した折に熊本駅で途中下車してスーツケースをロッカーに入れ、市内をひとり吟行する。 電車がすぐ側を通りながら「水の都熊本」を実感できる場所「江津湖」には何度か行った。
 ここは、昭和期を代表する女流俳人中村汀女がこよなく愛したところでもある。江津湖は一日の湧水量が約40万トンもありその豊かな水に貴重な植物や野鳥が育まれ、江戸時代に細川藩から幕府への献上品として使われていた(現在は絶滅危惧種に指定されている)「スイゼンジノリ」のほか、江津湖だけに分布する希少な水草「ヒメバイカモ」が生育している。また、かいつぶりは、湧水に潜ってエサを捕獲するが、湖岸に沿っておよぐ時は姿がはっきり見えるので、嬉しくなってついつい追いかけてしまう。


   日を散らし阿蘇湧水に鳰潜る  美智子

 次に行ったのは、立田山麓にある、熊本藩主・細川家の菩提寺泰勝寺(たいしょうじ)跡である。細川家初代藤孝夫妻と二代目忠興とガラシャ夫人の墓「四つ御廟」がある。同じ造りの平屋が、平等に同じ高さで4つ、横並びになっているのが、この四つ御廟の最大の特徴となっている。細川護煕元首相夫人佳代子さんは、「戦国大名で夫婦ならんで墓を建てるのは珍しい。夫人を大事にしている証だろう」と言っておられる。また、武人でありながら茶道にかけては国内随一といわれた細川忠興の原図に基づいて復元された茶室「仰松軒(こうしょうけん)」もある。茶室「仰松軒」にある手水鉢は、京都で細川忠興が愛用したもので、豊臣秀吉や茶の師・千利休 も使用したと伝えられている。歴代の藩主は、この手水鉢を参勤交代の道中にも持参してその風情をめでたそうだ。
 それから近辺には大人3人が両手をまわしたほどの大きな石
「武蔵の引導石」がある。宮本武蔵は、62歳でなくなるまでの       
5年間を熊本で過ごした葬儀の途中で、この引導石の上に棺
をおき、泰勝寺の春山和尚が引導を渡したと言われている。武   あきつ来る武蔵の大き引導石   美智子
蔵の墓は全国に5ケ所あるといわれているが、その一つが泰勝寺跡にある。
 熊本には阿蘇初め熊本城、天草など自然豊かな観光地が沢山ある。コロナが収束したら是非熊本の旅をおすすめしたい。   (2021.10.1 玉井美智子記)


   
       四つ御廟入口                   四つ御廟
  廟門の苔むす屋根や秋の声  美智子       深閑と四つ御廟や蚯蚓鳴く  美智子

  
    ガラシャ夫人の墓               ガラシャ夫人の手水鉢
格子より秋日やはらかガラシャ廟  美智子    秋風や涸ぶガラシャの手水鉢  美智子


令和3年9月

 
  浅間山

 芭蕉は「野晒紀行」で、<霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き>と詠んでいますが、今年は長雨続きで、我が家から見る遠浅間も雲に隠れ見えない日が多いです。しかし、雨雲の中の浅間嶺や煙の様子をいろいろ想像するのは、面白いです。

 有史以前から噴火を続けている浅間山は、現在の姿になるまで長い歴史があります。5万年前に噴火していた黒斑山、そして大きな水蒸気爆発での山体崩壊。その内側に更なる噴火で前掛山が形成され、天明の大噴火で現在の釜山が大きく盛り上がったという山容を持ちます。天明の大噴火は被害が関東地方にも及び、村々がマグマに飲み込まれ、農作物の被害も甚大で飢きんが人々を苦しめました。

 我が家から見る浅間山は、なだらかで、麓には小諸の街が遠望できます。しかし、近づくにつれ荒々しい山容が迫り、まさに活火山の様相です。今から60余年前、小諸で夜空を焦がす噴火を見たことがありますが、今でも目に焼き付いて離れません。最近では6年前に小噴火があり、警戒レベルが3に。その後も火山性地震が多く、警戒レベル2が続きましたが、今年の夏以来レベル1となり、落ち着いています。

 3年前の3月、浅間山の麓にある小諸市の虚子記念館に、しなの句会が立ち上がりました。長野県内会員3人、関東支部からゲスト9人、総勢12人の句会。 残雪の浅間山が神々しく、句会の立ち上がりを祝福しているように感じました。

  
残雪の浅間嶺仰ぎ句会立つ      ひろ子
  残雪の浅間山(あさま)輝く初句会  眞人


 しなの句会1年目は、句会前に皆で小諸を吟行しました。季節ごとに変化する浅間山を目の当たりにして、多くの句が生まれました。

  
春雪の白磁光りや浅間山       一灯
  浅間山櫛目のごとく残る雪      とみお
  朝桜浅間嶺に立つうす煙             
  青麦の畝浅間嶺に向かひ伸ぶ     幸子
  浅間嶺の煙ひとすじ鍬始       あきを


 昨年から今年にかけてのしなの句会は、コロナ感染防止のため、郵便やメールを利用した通信句会がほとんど。長野県内の会員は5名となり、関東支部のゲスト参加もいただいて休みなく続いています。吟行が無くても実際に見えなくても、浅間山を詠んだ句が投句され、それぞれの心に浅間山が存在しているのだなあと感慨深いです。
2021.8.24 高橋幸子記)


  


令和3年8月

    テレ吟行


 関東支部はコロナ禍で句会を開くことが出来ず、今年3月からはzoomを使ったリモート句会をおこなっています。もちろん吟行句会も出来ないので、その代替として欅句会(指導者は橋本ジュンさん)では、テレ吟行もおこなっています。

 テレ吟行とはジュンさん曰く「テレワークならぬ、銘々が仲間と一緒にいるつもりで、自宅の近くで吟行して」投句、選句をし、リモート句会で合評会をするというものです。

 私の場合、昼間は自宅よりも仕事をしている墨田区にいる時間の方が長いので、専ら事務所から半径1キロメートル以内での下町吟行です。

 昼休み、徒歩3分のスカイツリーへ。見慣れているので特に感動もなく、初めて写真を撮ってみるとやはり634メートルは高いと感激。足下を流れる北十間川には遊歩道が整備され、合流する隅田川を渡って浅草まで続いています。途中、某ビール会社の巨大モニュメント(通称ウ○コ)が異様な景観を作っています。隅田川沿いの区役所広場には遙か外洋を指さす勝海舟の銅像が。勝海舟はここ墨田区本所の生まれだそうです。

 隅田川に架かる吾妻橋や言問橋、隅田川沿いの牛島神社や水戸徳川家下屋敷跡が江戸の雰囲気を残していますが、その全てを首都高速6号線が貫いて台無しにしています。残念なことです。ここで昼休みも残り少ないことに気づき、慌てて帰路へ。45分のテレ吟行でした。


   
海を指す勝海舟像夏の雲      切子

   下駄鳴らしスカイツリーへ生身魂  切子


(2021.7.26 関根切子記)



令和3年7月

     犬山城下

 犬山市においては、毎年月第1土曜日・日曜日の2日間の犬山まつりがある。
犬山まつりの前日には例年、犬山文化協会文芸部主催で内藤丈草を偲ぶ俳句大会が催される。しかし今年度と昨年度はコロナ禍において俳句大会は中止となり、2年続きの誌上大会となった。

 大会当日に城下を吟行した後、選者の先生方々に選をして頂くことを心待ちに参加している人たちには残念なことであった。
大会当日の吟行はほとんどの人が会場の場所柄、犬山城より本町通りを南下、もしくは犬山駅から本町通を北上して吟行される人が多い。

コロナ後には催会されるであろう俳句大会のために大まかなルート案内をすることにする。


  
犬山城 → 三光神社城とまちミュージアム・犬山からくりミュージアム

  ④内藤丈草生誕地(丈草産井跡)西連寺先聖寺

     
  丈草句碑(犬山城正門前)   三光神社          先聖寺・唐門

    
涼しさを見せてやうごく城の松  丈草  (犬山城正門前)
    ながれ木や篝火の空のほととぎす 丈草  (先聖寺)


◆平成31年度第24回内藤丈草を偲ぶ俳句大会当日吟行句

    
格子戸を拭きこみて待つ春祭   千賀子
    花散らす風や丈草座禅石     隆生
    軒低き城下の路地や燕来る    勝子
    紋白蝶出を待つ山車を祝いをり  妙好
    つばめ来る城下に古き写真館   とし子

                      2021.4.6.18 酒井とし子 記)



令和3年6月

     徳川園・名古屋城

 2010年11月6日土曜日、俳人協会愛知支部の俳句大会が名古屋城近くのウイルあいちで開催され、当日講演された小澤實先生の案内係の栗田先生に矢野さんと熊澤がお供をしました。

 朝、ホテルへお迎えに行きタクシーで徳川園へ、庭を散策後園内のレストランで昼食。その後名古屋城を案内して会場までお送りするというスケジュールでした。レストランからは鯉が泳ぐ庭や松の手入れの様子等も見られ、気さくにお話して下さる小澤先生と話が弾みました。

   
鯉泳ぐ池に乗り出し松手入    和代

 小澤先生が宇佐美魚目先生を尊敬しておられる事や、栗田先生から小澤先生は季題の名手であるということも教えて頂き、貴重な体験でした。

 名古屋城では清正石、隅櫓、乃木倉庫等を案内致しましたが、当日は北西の隅櫓や乃木倉庫が開放中で、櫓から堀を泳ぐ鴨を眺めたり、倉庫の中をじっくりと見て頂けてよかったです。 

   
隅櫓より見下ろしに鴨の陣    和代

 俳句大会では矢野さんの句が大会賞となり忘れられない大会となりました。

   
一本の茶杓観に行く神の留守   孝子

 先日写真を撮る為に名古屋城へ出かけましたが、緊急事態宣言の為人出は数える程で、緑滴る中ひっそりとたたずむ隅櫓や乃木倉庫は風情があって良かったです。

   
鯱の無き天守に鳴けり梅雨鴉   和代
    
(吟行日 H22.11.6)(熊澤和代記)



       

令和3年5月

     小さな庭の四季

 我が家の小さな庭には華やかな園芸種でなく、地味な野草を好んで植えている。

 春になると、草花の芽吹きを屈み込んでは眺めて楽しんでいる。真っ先に咲くのは二輪草で、これは10年ほど前に東京の句友Kさんから頂いたもので、毎年花の数をふやし、楽しませて頂いている。

  朝の日に傾ぎてひらく二輪草       洋子

 また娘が植えた破れ傘も白い生毛をつけた芽生えから緑が濃くなって、傘が広がっていくのを見るのも嬉しい。

  やぶれ傘雫まとひて立ち上がる     洋子

 春の庭には他に二人静、狐の提灯、立浪草、えびね欄、アマドコロ、チゴユリ、ヒメイズイ、菫など狭いところにひしめき合っている。また低木のしどみの花(草木瓜の花)は母が好んでいたこともあり、大切にしている。

 夏には蛍袋、河原撫子、ゆすら梅の実、紫陽花が梅雨空を明るくしてくれる。

  ゆすらの実摘むや夕日に手を伸ばし    洋子

  長続きせぬ青空や額の花         洋子

 夏から秋にかけては、女郎花が長い間、咲き継ぎ、この花にいつも蟷螂が来て獲物を待っているのを見るのも楽しい。

 秋にはアサギマダラが好むという藤袴を植えてみたら、本当に飛んできたのは嬉しい。あとで町のアサギマダラを守る会の方に聞いたら、ここはアサギマダラの渡りの通過点だそうだ。

 さらに吾亦紅や釣鐘人参等、丈の長い草花が小さな庭に賑わっている。

  吾亦紅ひとつ紅濃き綾子の忌       洋子

 冬になると、植えた覚えのない檀の実、万両、実南天等が庭を明るくしてくれる。

 何の手入れもせず自然に任せている小さな庭も四季を通して息づき、癒やされている日々である。

                        (2021.5.1 国枝洋子記)

 
二輪草
 
二人静
 
梅にメジロ
 
しどみの花(草木瓜)
 
破れ傘
 
 
紫陽花(下は山紫陽花)
 
狐の提灯(宝鐸草)
 
白蛍袋
 
河原撫子
 
吾亦紅
 
藤袴とアサギマダラ


令和3年4月

   春の小諸懐古園(長野県小諸市)

 2019年3月「しなの句会」発足。翌月4月13日、長野県小諸市の小諸懐古園のさくら祭へ出かけました。メンバーはしなの句会3名(当時)と関東支部からのゲスト6人。

 園内に入ると早速寄生木ののった欅がお出迎え。

   
寄生木のふはりと欅芽吹きかな    幸子

 懐古園は日本で唯一の穴城(城郭が城下町より低い)の小諸城址で、天守閣はもうないけれど野面積みの石垣は見どころの一つです。

   
春の空苔被ひたる野面積       清明

 この時期はまだ桜の開花はほんの一分ほど、当日は梅が見ごろでした。

   
見上ぐれば梅満開や懐古園      あきを

 弓道の実演や野点、ガールスカウトによる募金活動など行われ、好天の園内はなかなかの賑わい。

   
残雪の浅間へ一矢放ちけり      一灯
   声を張る募金の子らや花一分     ひろ子


 懐古園は島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり」の舞台でもあります。

   
さえずりや遊子の道の道標      眞人

 「小諸なる~古城のほーとりに~♪」と歌を口づさみつつ進んでいくと、
藤村記念館や1817年当時藩主であった牧野康長が建てた武器庫の復元された建物、
虚子の句碑や、藤村の詩碑も見つけました。

   
たんぽぽや武器庫に褪せし木の大砲  一成

 そして急に開けた景色となりました。展望台から眼下に千曲川を臨むことができます。

   
雪解水湛へて千曲川(ちくま)耀へり      とみお
   花の城青き千曲川(ちくま)を見下しに     ゆう


 雄大な景観に息をのむ一同でした。(吟行日2019.4.13)(奥山ひろ子記載)


     
       千曲川          藤村詩碑         虚子句碑


令和3年3月

  武蔵野の早春  ~深大寺と神代植物公園~

 栗田やすし先生が句集『海光』で俳人協会賞を受賞され、平成22年2月23日、京王プラザホテルで授賞式が行われた。翌日、先生ご夫妻と有志は前関東支部長の中野一灯さんと関東支部の方々の案内で20名ほど深大寺と神代植物公園を吟行した。
 調布駅前に集合し、バスに15分ほど乗り深大寺に着いた。まずせせらぎの流れている水車小屋を見学。未央柳、蕗の薹など早春の花が咲いていた。芹の清楚な緑色と小川の水とが光り合い小さな蛇が泳いでいた。蕗の薹を見たつけ時には、真先に細見綾子先生の句が浮かんだ。

   
蕗の薹食べる空気をよごさずに  綾子

 清らかで不思議な花、蕗の薹。心のきれいな人でないとこのようには詠めないのではないか、そんなことを思いながら蕗の薹を写真に収めた。皆心躍らせながら深大寺の早春を満喫した。深大寺境内には句碑がたくさんある。高浜虚子の句碑、中村草田男の句碑、石田波郷と星野麥
丘人の師弟句碑、波郷の墓など見どころも多い。

   
波郷句碑までの坂道落椿     隆生
   梅が香に声の華やぐ深大寺    洋子

 そして神代植物公園へ。広い園内をボランティアガイドの説明を受けながらの散策であった。福寿草が満開で栗田先生の受賞をお祝いしているかのように思えた。黄色の明るい輝きを見つける度に、大地にこぼれている幸せの微笑みを見つけたようで嬉しくなった。

   
福寿草かくも群れ咲く苑に来し  やすし
   武蔵野の光あふれし福寿草    一古


 ここにも、あそこにも、と福寿草を見つけ、金縷梅をはじめとする樹々の間を縫い梅林へ。当時100種、180本の梅が自然の起伏を活かした園内に伸びやかに美しく綻んでいた。
 調布の街へ戻り、一灯さんお薦めのレストラン貸し切りで食事会と句会が行われた。
 この記事の抄出句は平成22年5月号の伊吹嶺誌に掲載されている。
 そしてコロナ禍の今、沢木・細見両先生がお住まいだった武蔵野、両先生がこよなく愛した武蔵野とその一帯をまた訪ねてみたいと切に思う。(吟行日H.22.2.24)(伊藤範子記載)

   
武蔵野にひとつ見つけし蕗の薹  範子

 句碑の句  萬緑の中や吾子の歯生え初むる   草田男
       吹起る秋風鶴を歩ましむ      波郷
       草や木や十一月の深大寺      麥丘人


  


令和3年2月

瀧山寺鬼まつり

 岡崎市滝町に鎌倉時代から800年に渡り続けられている天下泰平、五穀豊穣の火祭り。岡崎に居住し「瀧山寺鬼まつり」に詳しい新井酔雪さんの案内を受けて吟行する。

 参加者は国枝隆生さん、新井酔雪さん、松原和嗣さん、それに私安藤一紀の4人。

 初めての火まつりを現地で吟行、直会付きの夜吟で何時もと違った高ぶる気持ち。
厚着して午後3時に名鉄東岡崎駅バス乗り場に集合する。同所から米河内(よなごうち)行きの名鉄路線バスに乗車、臨時バスも出るがほぼ満員のバスに約30分で瀧山寺に到着。
徒歩の3分で仁王像(運慶快慶の作)のある吉祥陀羅尼山 薬樹王院 瀧山寺(天台宗)の三門に着く。
 すでに「松明行列」の出発を待つ十二人衆、孫鬼の子役と提灯に紋付き袴で帯刀姿の名主、白法被姿の祭り衆4~50人を取り囲んで見物の人出があり祭機運が盛り上がっている。程なく和太鼓の触れを合図に境内まで1kmの街道を「松明行列」が出発する。


→松明を運ぶ行列は境内へ 祭の幕開だ!  ほら貝、半鐘太鼓を「ほらーほい」の掛け声に合わせかき鳴らし参道を上がる 孫鬼面の子役さんから追儺飴を頂く…  → 境内での太鼓奉納 → 仏前法要 → お札振り → 鬼塚供養 → 豆まき → 庭まつり → 火まつり のスケジュール、途中で直会の精進料理を頂き、その場の庫裏で句会を行った。

 
地元消防団の放水で、本堂の屋根はもちろんずぶ濡れ、火災、延焼防止の措置“準備万端”です。
大迫力の「火まつり」は、是非とも現地で味わって下さい。
(吟行日 R.2.2.1)(安藤一紀記載)


    むつまじや孫鬼の撒く追儺飴     一紀
    本堂の床踏み鳴らす鬼やらひ     和嗣
    長刀の空を切りたる会陽かな     酔雪
    下萌に松明据ゑて祭待つ       隆生


R3年の「鬼まつり」一般観覧は中止


      


令和3年1月

  熱田神宮界隈

 初詣を兼ねて熱田神宮界隈を吟行した。メンバーは国枝隆生さん、安藤一紀さん、松井徒歩さん、松原和嗣さん、そしてわたし新井酔雪である。
 
行程は地図上で約4kmであるが、実際には13000歩強歩いているので9km近い。

   
・西高蔵駅(地下鉄)→高蔵公園→青大悲寺→段夫山古墳・白鳥古墳
     →白鳥庭園→宮の渡し公園→熱田神宮→名鉄神宮前駅


 西高蔵駅を出発し、高蔵公園を通って青大悲寺(せいだいひじ)に向かう。駅から500mほどで青大悲寺という尼寺に着く。この寺は如来教といって、この地の「きの」という女性が、享和2年(1802)に神懸かりになって開いた新興宗教である。原罪という概念を持ち、開祖の説法は御教様と呼ばれ名古屋弁である。この寺には室町時代に鋳造された鉄地蔵がある。県の指定文化財でありほぼ等身大である。
 
境内に入ると、金毘羅堂の前の盛り砂に松の枝が挿してあった。
「これは何?門松がわり?季語は松飾?」
「それは鳥総松といって、門松の後に門松の松を挿すんだ」と誰かが言った。
 まだまだ知らないことが多い。勉強になった。皆さん熱心に句帳に書き込んでいたが、わたしは1句も作れなかった。

 
次の断夫山古墳(だんぷさんこふん)は、青大悲寺のすぐ近くで熱田神宮の北側にある。柵がめぐらしてあり、一周してみる。雑木がこんもりと茂っている。東海地方最大の前方後円墳で国史跡指定である。
 250mほど南の白鳥古墳は熱田神宮の西側にある。この古墳は白鳥となってこの地に戻った日本武尊の伝説の墓である。一般には白鳥御陵とも呼ばれている。県内で最初に造られた大型前方後円墳であり、県下第3位の規模を誇る。古墳の隅のあちこちが宅地造成で削り取られていて残念に思った。

 白鳥古墳の西隣の白鳥庭園は、平成元年開催された世界デザイン博覧会のパビリオンの庭園として整備され、平成3年に完成・オープンした。 大きな池を中心に配置した池泉回遊式の日本庭園で、都市公園内の庭園としては東海地方随一の規模を誇る。
 池には錦鯉がいたが、冬なので動きは鈍い。そして、池の底は緑の絨毯を敷き詰めたように苔のような水草生えていて、そこに鯉の影がくっきりと映っていた。
「こんなに影がくっきりと。きれいだな」
「本当だ。緑に影がくっきりと。初めて見た」
徒歩さんは句帳を手に相槌を打った。
 庭園の松には雪吊がしてあった。
「名古屋はさほど雪が降らないのに、雪吊なんか必要ないのでは」
「観光用だよ。兼六園なんかの真似だね」
国枝さんがペンで雪吊の松を指した。
 ここは1年中楽しめる庭園で、吟行地としてなかなか良いと思った。休憩と句作を兼ねて汐入(しおいり)亭で抹茶を楽しんだ。

 白鳥庭園を後にし、南へ1kmほど行くと宮の渡し公園に着く。ここは「宮の渡し」「熱田の渡し」「七里の渡し」とも言って、東海道唯一の海路である。
 ここで1句と思ったが詠めなかった。吟行に来たかぎり1か所1句以上と思っているが、なかなか思うようにいかない。

 1500m歩北に進むと最後の吟行地熱田神宮に着く。人々からは、「熱田さま」「宮」と呼ばれ、日本武尊の草薙神剣が奉納されている。
 参道にはテントが張ってあり4斗入りの酒樽が山積みとなっていた。参拝客は思いのほか少ない。境内には「宮きしめん」の店があり繁盛していた。(吟行日H.31.1.14)(新井酔雪記載)

  
金毘羅に砂盛り上げて鳥総松   徒歩  青大悲寺
  寒鯉の水底の影相寄れり     酔雪  白鳥庭園
  松手入れ池に梯子をしかと立て  和嗣  白鳥庭園
  金泥の鰹木照らす冬夕焼     一紀  熱田神宮
  バラ銭を残らず投げて初詣    隆生  熱田神宮


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