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2023年12月号 俳日和(71)

   書道雑感
                            
河原地英武

 書道教室に通い始めて数年になるが、なかなか上達しない。それもそのはずで、稽古日の前日か前々日にお手本を開いて少々練習し、先生に丸をもらったり直されたりしたあとは、また1週間以上筆をとらない。書道教室は月に3回あるけれど、勤務先の仕事が入ったり、怠け心が出たりして、実際に通うのは月に1、2度程度。これでうまくなるほうが不思議である。

 ところが最近、心境の変化が生じ、毎日、それも日に何度か筆で文字を書いている。テーブルに書道具を出しっ放しにし、朝の起き抜けや夕食のあと、そして夜眠くてものを読む気にならないときなど、先生に書いていただいたお手本の臨書をするのである。

 前々から縦にまっすぐ線を書くことが苦手で、どうしても震えたり曲がったりしてしまう。曲がるまえに素早く書こうとすれば、必ずひょろひょろとした線になってしまうし、ゆっくりと慎重に書けば、ペンキ用の刷毛で引いたような平べったい線になる。たまにうまくゆくこともあるけれど、それは偶然で、結局は運任せのようにして筆を運んでいるので、その頼りない感じがさらにわたしの怠け心を助長していた。

 この苦手としていた直線が、ごく自然に書けるようになった。緩急自在にきれいな線が引けるようになったのだ。コツをつかんだといえばそれまでだが、わたしなりの開眼があったのである。すなわち力任せに筆を動かしてもよい線は書けない。筆先を受け止める半紙の感触を意識することが肝要だ。われわれが歩くとき、大地がしっかり足の裏を支えているように、文字を書くとき、紙が筆先を支えていてくれる。そう考えたら、力みが消え、紙の助力に委ねようという心が生まれたのである。他力を借りるという点では、書道も俳句と通ずるところがあるように思われる。


2023年11月号 俳日和(70)

   永観、おそし
                            
河原地英武

 JR東海恒例のキャンペーン「そうだ京都、行こう。」の初夏編は仏像がテーマだった。テレビCMには、口から6体の阿弥陀如来が出ている空也上人の像が使われ、公式ウェブサイトでは「あなたはどの仏像から入りますか?」と問いかけていた。

 皆さんは、京都の仏像のなかでどれが好みだろうか。わたしは断然、永観堂(禅林寺)の阿弥陀如来像である。通称「みかえり阿弥陀」として知られている。うしろを振り返った姿が珍しいうえに、どこか人間的で、親しみを感じるのだ。だが、この仏像に心惹かれる一番の理由は、その説話にある。永観堂のホームページに載っている解説を引用するかたちで、この阿弥陀像の由来を少々語ってみたい。

 2月半ばの明け方、底冷えのするお堂で、永観が一心不乱に念仏を唱え、阿弥陀像の回りを歩く行道という修行をしていたところ、突然、須弥壇に安置されていたその像が壇を下り、永観を先導し行道を始めたのである。永観はただただ驚き、呆然として立ちつくした。すると阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけたのである。「何をぼんやりしているのだ。早くついてきなさい」と促したのだろう。

 説話はそれでおしまいである。そのあと永観が阿弥陀から特別の法力を授かったとか、神通力を得たとかいった後日譚もない。阿弥陀はただ永観と一緒に歩いただけである。拍子抜けするほど単純で、物足りないくらいだが、そこがいい。

 この説話を一般化すればどうなるか。指導者は、人に寄り添い、励ましの言葉をかけるだけで十分だということだ。第一、それ以上のことはできないのである。道を切り開こうとする者は、結局のところ、自分自身で歩まなくてはならないのだから。句会の指導者と会員の関係もまた同じなのではあるまいか。


2023年10月号 俳日和(69)

   清流句会
                            
河原地英武

 伊吹嶺に入会して2年くらい経ったころだったと思うが、名古屋の会員に誘われて、当時、栗田やすし先生が栄の中日ビルで開いていた「中日俳句教室」に参加した。伊吹嶺会員ならだれにも門戸が開かれ、主宰から直接俳句の基本が学べるというので、滋賀県草津市在住のわたしにとってはすこし遠いなというためらいはあったものの、ためしに出掛けてみることにしたのだ。

 会場は知らない人ばかりだったけれど、盛況で活気にあふれ、和やかな雰囲気にみちていた。先生が最初に30分ほど俳句の講義をされ(レジュメも配付された)、そのあとに句会と先生による懇切な講評が行われた。これはわたしが体験する初めての本格的な句会だったが、そのおもしろさに心をつかまれ、それから毎月1回、通いつづけた。わたしの俳句の骨格は、この修練によって形作られたと信じている。先生は現在も、「伊吹嶺俳句教室」と名前を改めて毎月指導をされている。ホームページの「伊吹嶺落書」8月25日に案内が載っているので、ご都合がつく方(特に句歴の浅い会員)は、ぜひ参加してみてほしい。俳句の基本が身につくはずだ。

 わたしも主宰として、このような広く会員に開かれた句会を持ちたいと願っているが、「現役世代」として日々の勤めがあるため、思うに任せずにいる。定期的に各支部をまわり、できるだけ多くの会員と直接顔を合せ、句会や吟行もしたいと望んでいるけれど、その実現は6年後の定年までお預けとなりそうだ。その代わり、ネットを活用した句会を行おうと思い立ち、その最初の試みとして「清流句会」を発足することにした。規模的な制約があるため、今回は参加条件を設けざるを得なかったが、興味のある方は、本誌71ページの案内をご覧のうえ、お申込みいただければ幸いである。



2023年9月号 俳日和(68)

   冬 の 象
                            
河原地英武

 時折読み返したくなる作家が何人かいるけれど、その1人が武田百合子さんだ。一読者のわたしが、没後30年も経つ人を「さん」付で呼ぶのも変なものだが、特別の思い入れがあって、自分の「伯母さん」のように感じてしまうのである。ついでにいえば、わたしの文学上の「伯父さん」は、長谷川四郎と安岡章太郎である。安岡氏は今もそれなりに読み継がれているのに対し、長谷川氏がすっかり忘却されているのはかなしい……。

 もう20数年まえのことだが、あるネット友達と、百合子さんの文章はなぜあんなにすごいのだろうと話したのがきっかけで、「武田百合子研究会」みたいなことを始め、『富士日記』のなかから好きな一節を抜き出しては、その表現の魅力について、あれこれとメールで意見交換していた。雑誌掲載のままになっている文章は、図書館でコピーして集め、いつか自分たちで本にまとめようと意気込んだ。古書店のサイトで直筆の書簡を見つけると、購入したりもした。この手紙文は、わたし以上の百合子さんファンである友人が今も持っているはずだ。もし百合子さんが俳句をやっていたら、どんな句を作っていただろうと、われわれは想像をふくらませた。

 つい最近、書店で武田百合子著、武田花編『絵葉書のように』(中公文庫、2023年)を買って一気に読んだ(これは『あの頃 単行本未収録エッセイ集』中央公論新社、2017年のダイジェスト版で、こちらも持ってはいたが、ツンドク状態だったのだ)。そのなかの「冬の象」というエッセイに驚いた。百合子さんの俳句鑑賞文なのである。表題は、のちに夫となる武田泰淳氏が25歳のときに詠んだ〈菓子喰ひてやや喜びし冬の象〉からとったもの。回想のあとの「やや喜びし冬の象。――うんとは喜ばなかったのだな、と思う」という締め括りの一文にほろりとした。

 


2023年8月号 俳日和(67)

   ダイバーシティ
                            
河原地英武

 わたしが受け持つ大学のゼミ生の卒論テーマが、年々変わってきている。たとえば昨年度と今年度は「軍隊とLGBT」、「世界の同性婚」、「韓国における女性徴兵制論議」、「自衛隊と女性」といったテーマが並んだ。わたしは安全保障が専門の教員だから、学生が軍事問題を取り上げるのは毎年のことである。しかし近年は、それに性の問題を結びつける学生が増えてきたのである。世相の反映というだけでなく、若い世代はこれをかなり切実な問題として捉えているようである。

 わたしの勤務先でも、皆が性別、国籍、年齢、障碍の有無などにかかわらず個性と能力を十分に発揮できる社会、すなわちダイバーシティ(多様性)を認める社会の実現にむけて取り組んでいる。性的指向(Sexual Orientation)や性自認(Gender Identity)といった性のあり方は多様であって、これらを理由とした偏見等を解消すべきことも教員の重要な責務である。実際、教室では性の決めつけを排し、全員を「さん」付けで呼んでいる。正直なところ、わたしは男子学生を「さん」付けで呼ぶことにまだ慣れないが、意外なことに、学生たちはごく自然にそれを実践している。いまの20前後の人たちにとって、それは普通のことになりつつあるのだろう。

 俳句の世界もこの問題を避けては通れない。いくら伝統的表現であっても、今日の観点からすれば不適当な言葉は使うべきではあるまい。これは言葉狩りなどとは次元の異なる話である。かつては使いづらかった「保育士」や「看護師」も、現在ではすっかり俳句に溶け込んでいる。われわれが適応したのだ。いまの若い世代は父母の代と比べても格段に高い人権意識をもっている。それはわたしの実感である。若い会員を増やすうえで、意識改革もまた「伊吹嶺」の課題の一つとなりそうである。


2023年7月号 俳日和(66)

   サステイナビリティ
                            
河原地英武

 わが国でもSDGs(持続可能な開発目標)という言葉はすっかり定着し、いろいろな場面で「持続可能な」(サステイナブル)という形容語が登場する。その名詞形は「持続可能性」(サステイナビリティ)。かみ砕いていえば「組織やシステムが、この先もずっと機能を失わず、続いていけること」である。本来は環境や開発をめぐる議論のなかで使われる用語であるけれど、そこから少し離れ、俳句そのものの「サステイナビリティ」ということを考えてみた。

 俳句界における高齢化の問題は、もう何度も論じられ、今更の感なきにしもあらずだが、それに高齢者が俳句に打ち込むこと自体は、人生百年時代といわれる今日、大変歓迎すべきことと思うが、問題は年齢バランスである。俳人協会の平均年齢は77・5歳とか。たぶん多くの結社も似たり寄ったりであろう。しかも会員数は減少の一途を辿っている。「伊吹嶺」も例外ではない。俳句を過去の文化遺産などにしてはなるまい。われわれにはこれを若い世代に引き渡してゆく使命がある。

 「伊吹嶺」は今年1月号をもって満25周年を迎えた。この達成は大いに胸を張ってよい。しかし一方で、25年の経過は、建物と同じく「伊吹嶺」にも大がかりな修繕を必要とさせている。今後数年をかけ、運営や組織など様々な面における自己点検を行い、立て直しを推し進め、盤石の体制を固めたうえで30周年を迎えたい。

 まずは会員名簿の整備という基礎的なところから着手する予定である。本誌の8月号に趣旨説明を折り込み、会員諸氏のご協力を仰ぐこととなるが、この誌面をお借りしてすこし予告させていただく。これからわたしが主宰として取り組むべき課題は山積しているが、皆さんのお力添えを支えに、明日の「伊吹嶺」のために邁進する所存である。


2023年6月号 俳日和(65)

   戦争と俳句
                            
河原地英武

 ロシアにおける俳句人口は、おそらく英語圏に次いで多い。ロシアは世界有数の「俳句大国」なのである。俳句とはいっても、五七五の定型や季語の約束があるわけではない。3行に分かち書きされたロシア語の短詩を「俳句」と称するのである。

 ウクライナ戦争の開始は、ロシアの俳句作家にいかなる影響を与えたのだろうか。それを紹介した書物が出された。馬場朝子編訳『俳句が伝える戦時下のロシア――ロシアの市民、8人へのインタビュー』(現代書館 2023年3月刊)である。

 馬場氏はモスクワ大学留学後、長年NHKのディレクターとして番組制作に携わり、現在は著述家として活躍されている。彼女が対話したロシア人は、さまざまな職業につきながら、俳句を創作している人々である。これは反戦の本ではない。戦争の是非を論じているのでもない。この戦争が彼らの心に何をもたらしたか、内面の葛藤を浮かび上がらせた本だ。インタビューのなかでロシア人が口にする言葉の数々は箴言のようである。「俳句は調和について詠むものです。物と物のつながりに気づいて、最も素朴なものの中にあるこの世界の美しさについて詠むものです(アレクセイ)。」「時間がたつにつれて、俳句が私を作るようになったのです(ニコライ)。」「俳人は自分自身を主体として提示していません。読み手自身が主体となるのです(レフ)」といった具合である。

 特に感銘を受けた作品を1つだけ紹介したい。
  〈母は息子のもとへ/ウクライナの地に/頭垂れ  オレク〉
 ウクライナに侵攻し、戦死したロシア兵の母親を詠んだ作品である。この母にとってウクライナは敵地だ。だが、息子の遺体はその大地の一部になった。だからウクライナの地に頭を垂れるほかない。ここには敵・味方の発想を乗り越えるものがある。


2023年5月号 俳日和(64)

   俳句の総合性
                            
河原地英武

 俳句とは途轍もない知の集積から成り立つ文芸なのではあるまいか。第一に、日本語の知識である。歳時記が日本語の美の宝庫であることは事新しく言うまでもなかろう。

 細見綾子先生は第4句集『和語』の「あとがき」に、「自分が俳句を作って来たことは日本の言葉に出会うためであったのかも知れない」「私は今自分の言葉を洗いたい。そして日本の言葉との新しい出会を求めてゆきたいと考えている」と記しておられるが、これは季語だけにとどまることではなさそうである。

 たとえば文語や古語。われわれは万葉の時代から、鎌倉、室町、江戸時代に至るまでの語法を巧みに取り入れ、現代語と融合させつつオリジナリティーのある表現を探求している。この道を究めようとすれば、いくら日本語の素養があっても足りないほどだ。

 季語に話を戻せば、ここには実にさまざまな伝統行事が載っている。春の項だけでも「曲水」「十三詣」「義士祭」「どんたく」「御燈祭」「えんぶり」「犬山祭」「高山祭」「鎮花祭」「涅槃会」「修二会」「比良八講」「開帳」「仏生会」「御身拭」「壬生念仏」「峰入」等々きりがない。どんな民俗学者とてこれほどの行事に精通するのは不可能だろう。

 俳句を深く理解するためには、茶の湯や生け花や着物の着付けや書道など、日本文化を構成する幅広い教養をもつことも求められる。そして数多くの動植物に親しむことも必須だ。さらには俳句の世界を支えている死生観や思想的背景についても自覚的でありたい。仏教、神道、キリスト教、あるいはアニミズムなどに対する一通りの知識なくしては、俳句の深い領域に分け入ることはできないように思われる。

 俳句をとことん学ぶことは、すなわち大教養人あるいは知の巨人を目指すことに等しい。そう考えると空恐ろしくもあるが、何だか壮大な気分にもなってくる。

 

2023年3月号 俳日和(62)

   同人蘭の再編
                            
河原地英武

 創刊40周年を迎えた『俳句四季』がその記念企画として、今年1月号と2月号の2号連続で「俳句の未来予想」と題する特集を組み、様々な論者の見解を載せている。「伊吹嶺」編集長の荒川英之さんも2月号に文章を寄せているが、長年の沢木欣一研究により培われた揺るぎない視点と奥行きをもった卓論で、わたしはこれを伊吹嶺俳句の「未来予測」と受け止めながら読んだ。

 東日本大震災、新型コロナウイルス禍、ロシアによるウクライナ侵攻などを契機に、多くの俳人が社会的事象を句材として取り上げるようになったが、「十年後は『自然』及び『人間(生活)』に加え、世の中に対する問題意識が重要なテーマの一つとして実作の場に定着しているだろう」と荒川さんは予測する。そのうえで、沢木先生が鋭く俳句本来の「芸術性」や「文芸性」が衰弱することがあってはならないと述べ、「俳句の文芸性を守りつつ、多様性を認めてゆく清新な試みが、十年後の俳句に豊かな実りをもたらすことを期待したい」と結んでいる。

 「伊吹嶺」も創刊25周年を機に、皆が切磋琢磨できる環境を今後さらに整えてゆくことが重要だと感じている。その試みの一環として、栗田先生のご助言を踏まえつつ、本誌の4月号より全同人の作品の選をわたしが1人で担うこととしたい。まことに身の引き締まる思いだ。皆様のご了解を乞う次第である。

 わたし1人の選となるため、従来の「秀峰集」と「遠峰集」という区分を取り払い、両者を併合して、「風光集」という名の単一の同人蘭に再編する方向で考えている。風光明媚の「風光」である。麗しい句が揃うことを期しての命名だが、「風」の精神を皆で引き継いでゆきたいとの願いも込めている。

 


2023年2月号 俳日和(61)

   類句雑感
                            
河原地英武

 類句とは「すでに詠まれている句に似ている句のこと。等類ともいう。類句には類想句と類型句がある。句の発想(心)が似ているのが類想句であり、表現(風体)が似ているのが類型句である。特にこの類型句を類句と呼ぶこともある。」以上は『現代俳句大事典』(三省堂、2005年)の「類句」の項からの引用で、執筆者は長谷川櫂氏。以下、両者を合わせて類句という語を用いたい。

 現代俳句は類句との闘いではないかと感じている。インターネットが普及し、われわれは膨大な数の俳句にアクセス可能となったし、俳人協会のウェブサイト1つをとってみても、検索機能の充実が著しい。季語等の言葉を検索欄に入力しクリックするだけで、その語彙が使われている過去の作品がたちどころに表示される。こうした俳句のデータベースをいくつも調べてゆけば、自作に似た句が2つか3つは必ず検出されるのではないか。そもそも俳句は3分の1が季語で、他の句と同じなのだから、もう1つ句材が重なれば、類句となるのは必定だろうなどと考えてしまうのである。

 そんな折、わたしが敬愛するフランス文学者の鹿島茂氏のインタビュー記事を読んで啓蒙された。鹿島氏曰く「重要なのはパスカルが言うところの『配置の仕方』、つまりアレンジメント。古いものをアレンジすることで無限に新しいものをつくり出すことができます」「スープ缶を並べて新しい芸術を生んだウォーホルのように、オリジナリティーとは既存のもののアレンジに過ぎない」(『京都新聞』2022年12月5日付「文化欄」)。とすれば、類句問題を悲観しすぎることはないのかもしれない。日の下に新しきものなし、とも言うではないか。肝心なのは句材の新旧ではなく、既存の言葉のアレンジなのだろう。だが、そのアレンジは表現の型とどう違うのか、という疑問もわいてくる。

 


2023年1月号 俳日和(60)

   感謝の気持ち
                            
河原地英武

 創刊25周年記念号となる本誌は、通常の約2.5倍となる227ページ。このずしりと持ち重りのする「伊吹嶺」誌を無事皆さんの御手許に届けることができ、たいへん嬉しく思っている。

 企画の段階を含めればほぼ1年、原稿依頼から数えても半年以上の月日を費やし、編集部一丸となって本誌の完成のために尽力してきた。まずは原稿をお寄せ下さった多くの方々(ご投句下さったすべての会員も入れてのことである)に深く感謝したい。本誌の重みは、皆さんの伊吹嶺に寄せる思いであると受け止めている。

 わたし自身、編集にかかわる者の一員として、日頃は編集や校正に携わる仲間たちのことを褒めそやすことは控えているが、煩瑣な作業に対する彼らの無償の献身には文字通り頭が下がる思いだ。特に全ページに目を通すだけでなく、自らも対談や講演の録音を文字に起こし、力のこもった論考を執筆されている荒川編集長の超人的な働きには驚くほかない。全体の構成や割付など、本誌の隅々に至るまで荒川さんの心配りがゆきわたっていることを皆さんにお伝えしておきたい。

 ついでながら、編集長に代わって一言。昨今、原稿の依頼をすると、さまざまな理由から執筆を断る会員が増えてきた由。めったに愚痴をこぼさぬ荒川さんがこの点だけは頭を抱えていた。「伊吹嶺」はみなが力を結集して作っている結社誌である。よほどの事情がないかぎり、ぜひお力添えをお願いしたい。

 最後になったが、イシグロ高速印刷さんが本号を最後に、印刷業務そのものから離れることになった。石黒智子社長と中西知枝子さんには言葉に表せないほどの恩義を感じている。ほんとうにありがとうございました。

 


2022年12月号 俳日和(59)

   主宰として
                            
河原地英武

 5年前、「主宰就任のことば」(本誌2018年1月号)のなかでわたしは「…気負うことはよそう。それでは苦しくなる。わたしが苦しそうにしていては、周囲の人々も心から俳句を楽しめまい。まずはわたしが率先して俳句の楽しさを示してゆきたい」と記したけれど、この姿勢はいまも変わらない。主宰として会員の手本になる句を示さねばならないなどと気負ったら、作品自体が窮屈で萎縮したものになってしまうだろう。

 俳句は文芸すなわち言葉による芸術である。芸術とは創造性の発露であって、それが萎縮することがあってはなるまい。自らの作品をさらに新しくし、思い切った作風を切り開く努力を示すことが主宰としての役割だと心得ている。コロナ対策では「安全・安心」が肝心だが、芸術においてそれは敵である。安全で無難な状態を惰性と呼ぶ。

 栗田先生が「伊吹嶺」発刊のことばのなかで「幸い『伊吹嶺』への参加者の中には惰性がない。これから新しい一歩を踏み出そうとする意欲が充ち満ちている」と述べておられることを会員の皆さんとともに思い起こしたい。わたしも創刊25周年を機に、「新しい一歩」を踏み出す決意を新たにしている。

 そして第二に。これも発刊のことばからの引用になるが、「日本の伝統詩としての俳句を若い世代に正しく伝える」ことも主宰として成し遂げたいことだ。わたしはこの部分を拡大解釈し、まずは還暦未満、それから伊吹嶺入会3年未満(若くなくても)の会員を中心とした句会の発足を準備している(句会名も若々しく「清流句会」と決めた)。現在は試行錯誤の段階だが、来年早々にも軌道に乗せたいと考えている。そして句会指導者である同人の皆さんとは、即物具象による、俳句固有の表現を極めるために、さらに真剣に切磋琢磨したい。そんなことを思いながら、今年を締めくくろうとしている。

 


2022年11月号 俳日和(58)

   句会一代
                            
河原地英武

 今春、わたしが指導者を務めていたカリンカ句会を閉鎖した。十数年もまえに遡るが、わたしが月1回、滋賀県から名古屋の句会に通っていたころ、そのまま帰宅するのはもったいないからと言って、句友たちが晩にもう1つ、句会を設けてくれたのだった。わたしがロシア研究者ということもあって、名古屋駅前の「ロゴスキー」というロシアレストランを会場にし、そこで夕食をとったあと1時間ほど句会をしたのである。ロシア民謡の「カリンカ」を句会名とさせていただいた。

 いわばわたしの古巣のような句会で、愛着もあったから、別の指導者を立てて継続してはどうかとの仲間の提案をありがたく受け止めたが、日程の都合上、指導者としての責務が果たせなくなった以上、続けるべきではないと判断した。新たな指導者には、自分自身のまっさらな句会をもってもらい、それを手塩にかけて育ててほしいとの思いもあった。やや不遜な言い方に聞こえるかもしれないが、句会は指導者のものだというくらいの気概をもっていいのではないか。そして同人はみな師範クラスの人たちなのだから、それぞれ自分の句会をもつ資格があるし、むしろ持たなくてはならない。それが伊吹嶺の伝統である。ところが近年、そのへんの事情が曖昧になり、なかには成員の大部分が同人になってしまい、ミニ同人句会化しているところもある。上級者同士で切磋琢磨することの意義は大きいけれど、その反面、閉鎖的になりがちで、外部から新しい人が入りづらくなっているきらいがありはしないだろうか。

 一部の句会では、指導者の新旧交代も進められているようだが、句会一代と割り切って、新しい指導者は句会名も改め、新句会を発足させるのも一法だと思う。わたしが恐れるのは惰性である。句会にも清新の気を漲らせたい。
 


2022年10月号 俳日和(57)

   英訳やすし百句
                            
河原地英武

 本誌の2004年6月号から2014年12月号まで、栗田先生の俳句の英訳を連載していた。足掛け11年、毎号4句ずつ載せていたので、合計すると508句になる。そのなかから先生ご自身が100句を選び、さらにわたしが先生の近作の英訳を数句付け加え、英訳『栗田やすし百句』を豊文選書の第Ⅷ篇として刊行する予定である。

 7月に初校が上がってきていたので、本来ならばそろそろ完成の時期なのだが、1ヶ月近く校正に時間を費やしてしまい、現在は再校ゲラ待ちの段階である。初校の校正に手間取ったのは、次々直したい箇所が出てきて、結局ほぼすべての英訳に手を入れることになったせいである。いくつかは新訳に差し替えた。

 わたしの翻訳の腕が上がったわけではないけれども、拙訳の掲載終了後も折に触れ英語俳句に親しんできたので、いろいろ気づくことはあった。今回、旧稿を改めるにあたり、次の点に留意した。第一に、形だけは3行に分かち書きしていても、一文になってしまうような訳は極力避けた。英訳でも切れは大切なのである。第二に、文法にとらわれないことだ。いわゆる学校英語では、文法のミスが厳しく咎められ、試験で容赦なく減点される。その影響で、文法問題は強迫観念のようにいつまでもわたしに付きまとってきた。今頃になって、ようやくそこから解放された気がする。定冠詞や不定冠詞にこだわらない。できるだけ主語を省く。動詞、殊にbe動詞も省略する。前置詞も律義に置かない(そのまえにダッシュ「—」を入れ、切ってしまえばいいのだ)。

 原句と英訳では趣が異なる。英語という言語に移し替えることにより、日本語では見過ごしがちな点がクローズアップされるのだ。しかしそれも先生の句に内在する魅力なのである。拙訳がそれを少しでも引き出し得たとすれば訳者冥利に尽きる。

 


2022年9月号 俳日和(56)

   投句の原則
                            
河原地英武

 ある会員の1句が2ヶ月連続で本誌の投句欄に掲載されているとのご指摘を読者のお1人からいただいた。「いかにご多用とはいえ、選者の御選考の安直さにいささかの失望の感を否めません」とのご叱声には気持ちが凹んだ。また、その句に対しても「さして詩となる作品とはわたくしには到底思えません」と批判されているが、一意見として受け止めておきたい。匿名でのお便りで、ご本人が「誌上でのコメントをお願い」したいと希望しておられるので、投句の件について少々述べておくことにする。

 わたしが選を担当している「遠峰集」と「伊吹集」では、同じ句の再投句を禁じているわけではない。それゆえ入選を取り消すという措置はとらない。この点が市販の俳句総合誌や各種大会の投句ルールとは異なるところだ。結社誌の投句欄(「山彦集」は別)は、いわば貯金箱のようなもので、会員が将来の句集出版を見据え(たとえばコンビニのコピー機を上手に使えば、お金をかけなくても見栄えのよい句集を数10部作ることは難しくない)、自作の句を活字にして溜めてゆく場所である。選者の役目は、句集に残し得るよい句を作者のために篩にかけることだと心得ている。同じ句を再投句しても自分の句が増えることはない。そんなことを好き好んでする人はいない。それは投句者のケアレスミスなのだから、気づいた人が本人に教えてあげれば済むことだ。それ以上の問題ではない。

 ただし、「伊吹嶺」に投じた句を、同時に他の雑誌に出したり、懸賞応募作としたりしてはいけない。「伊吹嶺」のほうは取り消しとならないが、先方は失格とするだろう。伊吹嶺賞や全国俳句大会などの事前投句の場合も同様。「遠峰集」や「伊吹集」に送った句が、各種の応募作として出されていたときは、二重投句となり、その応募は無効となるので十分に気をつけてほしい。

 


2022年8月号 俳日和(55)

   書巻の気
                            
河原地英武

 幽霊や心霊現象のたぐいに遭遇したこともなければ、それを信じる気持ちもないのに、怪談実話などが妙に好きで、面白そうな本が出るとつい買ってしまうし、ネットでその種の動画や映画をちょくちょく見てもいる。夜中にトイレに行けなくなるくらいに、あるいは後ろを振り向くことすらできないほど怖がらせてほしいと思うのだが、このごろ何を読んだり視聴したりしてみても、さっぱり恐怖をおぼえない。作り手のマンネリズムを見透かしているせいか、わたし自身の感覚が鈍磨してきているためか。

 ウクライナにおける悲惨な戦禍をみれば、おぞましいのは生身の人間であって、それに比べたら、恨めし気にたたずんでいる幽霊のほうが人情味もあるし、孤独を癒してくれる優しい存在なのではあるまいか。佐藤愛子さんの『冥途のお客』(文春文庫)を読了し、ますますその思いを強くしているところである。ここに書かれていることは紛れもない心霊体験だが、「この世よりあの世の友達の方が多くなってしまった」(大正12年生まれの98歳)というだけに、霊たちへの接し方が思いやりに満ち、何とも心地よい。「向うさん(霊魂の方)にしてみれば、威嚇するつもりも怖がらせてやろうとも思っていない。」浄化出来ないのでここにいるのですと訴えているだけなのに、「勝手に仰天して腰を抜かしたり、興奮して塩を撒いたりされたのでは、ただただ哀しいばかりであろう」との言葉に少々しんみりしてしまった。

 思えばわたしの部屋にも何百という霊がひしめき合っているのではないか。棚に押し込まれ、床に積み上げられている本たちが、書巻の気を立ち昇らせているのに、いつの間にかそれにさえ気づかなくなっていたようだ。これらの書物は、ページを開かれることもなく長年忘れ去られ、さぞ恨めしい気持ちでいることだろう。

 


2022年7月号 俳日和(54)

   虚 心
                            
河原地英武

 勤務先である京産大のバスケットボール部の部長をしている。選手指導をしているのかと早合点する人もいるけれど、それは監督の役目である。わたしは各種書類に押印する程度のことしかしていない。

 わが大学のバスケ部は全国でも屈指の強豪チームで、昨年は関西学生リーグで無敗の優勝、全国大学選手権でもベストエイトに入った。監督は大学の教職員ではなく、プロリーグでの経験もある方で、練習指導だけでなく、強豪校と呼ばれる全国の高校を回って優秀な選手のリクルートにも努めている。わたしとは十年来の付合いになるが、「大学はプロリーグではないから、勝利至上主義はよくない。人間形成も大事だ」という持論から、選手達の勉学状況や生活も把握し、わたしともよく意見交換している。

 その監督から最近、相談を受けた。一部の部員が指導方針に反発し、練習をボイコットするようになった。彼らの言い分にも耳を傾けたものの、練習方法については譲れない一線がある。部員がそれを受け入れないのであれば出処進退を考えたいというのだ。

 実際、高校時代にはレギュラー選手として活躍し、将来を嘱目されていたのに、本学では他の選手の後塵を拝し、試合に出るチャンスのない部員が少なくない。そうした失意が今回、監督への不信につながってしまったらしい。

 部長として近々、部員達の意見を聴取しなくてはならない。わたしからは何を語ればいいのか悩みどころだ。一度気持ちをリセットし、虚心に監督の言葉を受け入れてみないか。それが案外、自分の隠れた能力を引き出す端緒になるかもしれない、と言って納得してもらえるかどうか。句会でも同種の問題がありそうに思われる。ともかく指導者のアドバイスを虚心に聞く姿勢を大事にしたい。

 


2022年6月号 俳日和(53)

   吟 行
                            
河原地英武

 ウクライナへの侵略を続けるプーチン政権と、それをとめることができないロシア国民に失望を深めているが、ロシア正教の司祭が抗議の声をあげ、「『汝殺すなかれ』という聖書の戒めは、わたしにとって無条件のもの」と語っているのをネットで読み、すこし慰められた。「汝殺すなかれ」の一語があるだけでも、やはり聖書は偉大である。これはモーセの十戒の一つだが、「マタイ伝福音書」にも出てくる。永遠の命を得るために何をすべきかと問うた人に対し、イエスはモーセの戒めを守れと諭すのだが、その人は実行していると答える。では、持てる財産を貧者に施し、自分に付き従えと促すのだが、彼はそれを拒み立ち去ったのである。そのあとイエスが弟子たちに「富める者の神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を通るかた反つて易し」と述べるくだりは有名だ。

 信仰の道はまことに難しだが、詩歌にも通じるところがあるかもしれない。若くして出家遁世した西行しかり、その西行を慕い生涯の多くを旅に過ごした芭蕉しかり、近代では種田山頭火や尾崎放哉などもその系譜に連なるだろうか。それにならうのは至難だが、宗教には巡礼や遍路がある。あれはすこしでも聖者に近づこうとして行われるのではなかろうか。それならば常人にもできなくはない……などと考えているうちに、沢木先生も数えで六十のとき、四国遍路の旅に出られたことを思い出した。句集『遍歴』にその折の三十句が収められているけれど、なかの一句〈野に出でて鈴振るばかり偽遍路〉が味わい深い。わたしは「偽遍路」にすらなる勇気のない者だが、遍路をさらに卑俗化したものが吟行なのだと牽強付会し、しばし野に出ることを試みたい。吟行のあいだは俗世を離れ、「本来無一物」の境地にあやかれるのではあるまいか。昨今、戦争のニュースを追うことにいささか疲れ、そんな思いを強くしている
 
 
 


2022年5月号 俳日和(52)

   記念事業に向けて
                            
河原地英武

 ここ最近、句会の皆さんから沢木先生の足跡を辿る吟行会に出かけてきますとか、数名で下見に行ってきましたという話を聞くようになり、たいへん頼もしく感じている。コロナ禍以前には、このような行動力やフットワークの軽さが伊吹嶺の身上だったが、それがまた戻ってきたようでうれしい。句会ごとに行き先の割り当てがあるものの、これを義務的に受け止めると楽しさも減じてしまう。句会の仲間との親交を深め、自然を満喫するためのよい機会だというくらいの気持ちで企画していただけたら幸いである。わたしも時間が許すかぎり、飛び入り参加したいと考えている。

 本誌の裏表紙に掲載されている記念事業への果敢な参加も期待している。今回は「伊吹嶺」創刊25周年という節目にあたるので、「俳句」と「文章」の2本立てで、目下多くの皆さんの投稿を募っている最中である。締切まで、まだ3ヶ月の余裕がある。全会員が応募できる。長年伊吹嶺で学んでいる人はもちろんのこと、つい先日入会したばかりの方も大歓迎である。俳句の部について少々説明すれば、四季折々の吟行をとりまとめたものもいいし、懐かしい出来事の回想や、思い出深い1日のことを集中的に詠んだものも結構である。気負わず、伸び伸びとした心でご投句いただきたい。

 文章の部についていえば、本格的な俳句論や評論ばかりでなく、ご自身の回想記やゆったりとしたエッセイも対象としている。内容に関しても、俳句そのものを話題にしなくてはならないということではない。文章に俳諧味があれば、立派な応募作たり得る。すなわち俳文もお待ちしている。一度は文章に残しておきたいという事柄があれば、これを機にぜひまとめられてはいかがだろうか。「賞」ということにとらわれず、自分自身の楽しみとして、気軽に参加してくださることを切望している。

 
 


2022年4月号 俳日和(51)

  俳諧精神
                            
河原地英武

 
ロシア軍のウクライナ侵攻によって私の生活も一変した。ロシア政治の専門家ということで各方面から取材を受けたり、コメンテーターとして関西のテレビやラジオの生放送に出たり、講演や対談の依頼が来たり、文章を求められたりと、とにかく忙しくなった。情報収集のためロシア国内のメディアをフォローしてきたが、そのうち制限がかかりアクセスできなくなったので、親ロシア国のベラルーシーやカザフスタンのサイトにつないでニュースを視聴している。ロシア側の報道が信用できないことは百も承知しているが、偏向した情報からでも得られることは多々あるのだ。たとえばウクライナ政府軍のドンバス地方における動向などは日本では報じられない。

 戦争のことばかり考えているので、よく変な夢を見る。モスクワのクレムリンに潜入したりとか(ロシアの専門家ならプーチン大統領をとめてくださいよと学生に言われたせいか)、両親と廃墟のなかから戦闘機を見上げていたりとか、今朝もなにか禍々しい夢を見たが内容は忘れてしまった。

 そんな折、ある方が沢木先生の講演録をコピーしてくださった。平成5年5月、詩歌文学館で行なわれた「俳句と現代」と題するご講演の書き起こしである。先生は現代世界が乱世であり、動乱の時代であると断じ、このような時代こそ俳句は真価を発揮するのだと語っておられる。俳句を「お上品」な風流韻事などとあまくみてはならない。「現実の利害、利得というものを一切切り捨て」、無用に徹する強靭さこそが新の俳諧精神である。俳句には「毒がある」。その毒まで食らおうというのが俳諧の精神だというのだ。この言葉はわたしの心を奮い立たせる。来るべき苛烈な時代を生き延びるための精神の支柱として、俳句をとらえなおしたい。

 
 


2022年3月号 俳日和(50)

  勇 気
                            
河原地英武

 
若き日の沢木先生が中村草田男から多大な影響を受けたことは『塩田』「あとがき」に「俳句の詩としての在り方を強く中村草田男氏から開眼され……」と述べているとおりだが、わたしも遅まきながらその作品のすごさがわかりかけてきた気がする。草田男の句には気持ちを奮い立たせる力があるのだ。

 あえて1句を選べと言われたら、ためらわず〈勇気こそ地の塩なれや梅真白〉を挙げるだろう。自解によれば、「19年の春-13歳と14歳との頃から手がけた教え児達が30名『学徒』の名に呼ばれるまでに育って、いよいよ時代の火のルツボの如きものの中へ躍り出ていこうとする、『かどで』に際して、無言裡に書き示したもの」だという。

 この「勇気」に草田男はいかなる思いを込めたのか。そして彼の教え子たちは、この語の意味をどう解したのか。すこぶる興味がある。句に出てくる「地の塩」は、『新約聖書』「マタイ伝福音書 第5章」のなかのイエスの言葉「汝らは地の塩なり」に由来する。思えば戦時下に、敵国の主要宗教の教えを根幹に据えた俳句を詠むこと自体、勇気を要することだったにちがいない。

 もし座右の銘を問われることがあれば、「勇気」と答えることにしようと思う。いま一番ほしいものだからだ。といっても、反骨心のような社会的・思想的方面ではなく、もっとパーソナルな、生き方にかかわる問題なのだが……。年齢や日々の多忙を理由にしたくはないけれど、近年大きな目標に立ち向かおうという気構えが減退していることを痛感している。今年の目標をいくつか立ててはみたものの、着手するまえから早くも弱腰になっている始末だ。「マタイ伝」の第7章にも「門を叩け、さらば開かれん」とあるではないか。夢に向って門を叩く勇気を持たなくてはと、自らを鼓舞しているところだ。

 
 


2022年2月号 俳日和(49)

  多作多捨
                            
河原地英武

 
伊吹嶺に入会して5,6年経ったころ、ふと思い立ち、俳句を1日に10句ずつ作ることにきめた。藤田湘子が入門書のなかで、それを実行していると書いているのを読み、影響を受けたのではないかと思う。怠けた日もあったけれど、1年半ほどつづいた。そのうちに作品がマンネリ化し、だんだん粗製濫造の気味が出てきたので、今度はもっと丁寧に、心をこめて作ろうと若干考えを改め、ペースを落としはしたものの、基本的には多作多捨を自分の信条としている。

 さて、その「1日10句」の件だが、昨年10月から再開している。もう3ヶ月になるが、いまのところ1日も休んでいない。少なくとも今後1年は継続するつもりでいる。特にわたしの創作意欲が高まったからでなく、半ば以上は必要に迫られてのことである。本誌には毎月15句掲載しているけれども、それに加え、今年は1年間『俳壇』誌の「俳句と随想12か月」というコーナーを任され、毎回新作を7句載せることになったのだ。『俳壇』への発表作を本誌に転載することは一向に差し支えないのだが(むしろ記録として総合誌に載せたものを結社誌に再録するほうが一般的だろう)、あえてわたしは重複を避けようという少し片意地な目標を立てたのである。

 となると、少なくとも毎月、新作を22句発表しなくてはならない。その質を確保するためには10倍の数の句を書き留めておくことが必須である。1日10句作れば、月に300句になる。だが正直なところ、そのなかで自信作といえるのは3句あるかどうかだ。ほんとうに残したいと思える句は100句に1句もない。活字にしてよいと自ら許せる句は10句に1句といったところか。俳句が面白く、そして厄介なのは、会心の1句を得るためにはその10倍、100倍作らなくてはならない点ではないかと常日頃感じている。
 
 


2022年1月号 俳日和(48)

  「風」の精神
                            
河原地英武

 今年は「伊吹嶺」創刊25周年の記念事業がひかえている。わたしも気力を充実させ、その実現に向けて精一杯取り組んでゆきたい。皆さんのご協力とお力添えを切に願う次第である。記念事業のあらましは本誌の84~85ページに記されているとおりで、5つの目標が掲げられている。そのうちの2つに沢木欣一先生の名前が出てくる。最近入会された皆さんは、この名前にあまり馴染みがないだろう。そこで少々、沢木先生のことを記しておきたい。ちなみに本誌の題字も先生が書かれたものである。

 戦後復員した沢木先生(1919・10・6~2001・11・5)は、1946年に俳誌「風」を創刊された。「伊吹嶺」はもともと「風」の愛知県支部だったのだが、支部発足25周年を期して、栗田やすし先生が「風」同人・会員および有志によってスタートさせたのである。それゆえ、支部時代の前史を含めれば、「伊吹嶺」の歴史は50年ということになる。「伊吹嶺」は「風」の精神を受け継ぐ結社誌であることを今一度確認したい。われわれは先師が示された俳句のあるべき姿を「伊吹嶺」の原点として学び直し、これを自らの創作のための糧として役立てることが肝要だろう。25周年記念事業の趣旨もまさにそこにある。

 折好く先日、本誌編集長の荒川英之さんが『沢木欣一の百句』(ふらんす堂)を出版された。沢木先生の作品や俳句観を知るための最良のテキストとして本書を推奨する。できればここに出てくる百句を暗唱してほしい。巻末の論文「思想詩としての俳句」も卓論で、そのよどみのない文章はまるで沢木先生の魂が荒川さんに乗り移ったのではないかと思われるほど明快に先生の俳句観を浮き彫りにしている。わたしはこの本を読み、自分が「風」の精神につらなる俳人の1人であることに改めて誇りをもった。

 
 


2021年12月号 俳日和(47)

  句集出版
                            
河原地英武

 先日(10月16日)の「伊吹嶺」全国俳句大会では、次の方々の句集出版をお祝いした。藤田岳人さん(『藤田岳人集』)、奧山比呂美さん(『婚の鐘』)、櫻井勝子さん(『櫻井勝子集』)、櫻井幹郎さん(『菊月夜』)、中村たかさん(『雪解富士』)、伊藤範子さん(『蓮ひらく』)、そして鈴木英子さん(『京泊り』)の七名である(以上、出版順)。まことにめでたいことで、改めて祝意を表する。

 他の皆さんもぜひ続いてほしい。これは同人、会員を問わない。先輩がまだなのに、自分が出すのは時期尚早だなどという気遣いは無用である。1冊にまとめるには句数が足りないのではないかと危ぶむ人もいるだろう。一般に句集の収録数は250から350ほど(ちなみにわたしの『憂国』は300句ちょうど)。とりあえず、活字にした句が500もあれば句集は作れる。「伊吹嶺」誌に掲載されたものを中心に、俳句総合誌や新聞の投句欄に載ったもの、各種大会の入選句などを合算してくれたらけっこうだ。

 よし、来年は句集を出そうと決意することによって、作句意欲は一段と高まるだろう。また、句集を編むべく自分の作品を整理することで、あれこれと過去の記憶を新たにすることもできる。それはきっと楽しい時間をもたらしてくれるはずだ。特に奨めたいのは自註句集である。岳人さんと勝子さんの句集を開いてほしい。俳句とは自分が生きて来たことの証であり、自分史そのものだということが納得できるのではないか。それを1冊にまとめれば、家族や親族への唯一無二のプレゼントにもなるだろう。

 句集を編むための準備、選句、出版方法、費用など、わからないことは句会の指導者に尋ねるか、直接わたしに問い合わせてほしい。投句用紙の通信欄などに、句集出版を考えている旨書き添えて下されば、できるかぎりのサポートをするつもりでいる。

 
 


2021年11月号 俳日和(46)

  解釈以前
                            
河原地英武

 
鴇田智哉氏が句集『エレメンツ』(素粒社)の「あとがき」に「生えている句を作りたい、と思ってきた」と述べているのを読み、あの素朴にして摩訶不思議な句の数々はまさに「生えている」という形容がぴったりだなと合点した。たとえば〈壜にさすすすき電気のとほる家〉。表現は古風なくらい端正なのに、不可解である。大概の俳句は読んだとたんに意味がわかり、解釈が成り立つ。だが、鴇田氏の作品はこの解釈をできるだけ先延ばしさせるように作られている。だから不可解さが残像のようにいつまでも脳裏を離れず、わたしの意識下に根を張ろうとするのだ。

 この不可解さをさらに推し進めると怪異になる。佐藤春夫の「歩上異象」という短編小説は、むしろ怪談実話といった趣の小品だが(『たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集』平凡社所収)、夕暮れ時の野川の近くに、大人の背丈よりも高く、直径30センチほどの円筒形の空気の塊が、ものすごい速さで自転しているのを目撃した話である。それは蚊柱に似ているが、人に危害を加えるわけでも、追いかけてくるのでもない。ただ、不気味な生気を放ちつつ、そこに立っているだけなのだが、そのイメージが鴇田氏の言う「生えている句」と重なるのである。

 そこからわたしの連想は、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』におよぶ。ベンチの下あたりの大地に、マロニエの根が深く突き刺さっている。それが、木の根という意味を剥奪されると、黒々と節くれだった、奇怪でぶよぶよとした、恐ろしい、淫らな裸身に変貌するのだ。合理的な解釈以前の、まだ名前のない、存在そのものが立ち現れたのである。哲学者はそのまえで嘔吐を催したのだが、もし彼が俳句をしていたら、そこで実存的一句を物したかもしれない。
 



2021年10月号 俳日和(45)

  俳句と異化
                            
河原地英武

 
文学理論の用語に「異化」とよばれるものがある。日頃見慣れた事物を非日常的なものとして表現する方法のことである。われわれはひとたび事物を概念化し、それに名前を与えると、自動的にそれを何々であると認識し、もはや見向きもしなくなる。事物を概念の枠から外し、それが何々であると了解する以前の、プロセスそのものに焦点を合せるのが文学の役目だというのである。20世紀初頭、ソ連の文学者ヴィクトル・シクロフスキーが提唱し、のちの構造主義や記号論に多大な影響をおよぼしたという。

 異化という言葉を知ったのは大学生のころである。当時、大江健三郎に傾倒し、彼の著作を片端から読んでいたのだが、そのなかの一冊『小説の方法』(岩波現代選書、1978年刊)に「異化」を説いた箇所があって、強く印象に残った。ほぼ40年ぶりにその本を取り出し、拾い読みしてみた。第1章が「文学表現の言葉と『異化』」で、シクロフスキーの次の一文が引用されている。「芸術は、ものが作られる過程を体験する方法であって、作られてしまったものは芸術では重要な意義をもたないのである。」そして大江は「知覚の自動化作用からのものの解放、その行為」こそが「異化」だと要約している。わたしはこれを俳句に引きつけて解釈し、改めて得心した。

 われわれが信条とする即物具象も異化と同義なのではあるまいか。すなわち事物を観念としてではなく、手触りのある生き生きとした実体として知覚し、描写することがその要諦であろう。見方によっては、季語とは観念である。特に古典から引き継がれた雅な言葉(季題)は様式美の結晶だといえる。その季語を使って俳句を作るとはどういうことか。それは、季語をその都度異化し、それに命を吹き込む営為にほかなるまい。少々哲学的に、そんなことを考えている昨今である。
 


2021年9月号 俳日和(44)

  汚さずに
                            
河原地英武

 
教師という職業にはジレンマがともなう。情熱を込め、知識以上のものを伝授しなくてはならないが、特定の主義・信条を押しつけることは厳に慎まなくてはならない。わたしが大学で講じている「安全保障論」は殊に気骨が折れる。日本の防衛政策や、憲法論議、領土問題や歴史認識問題など、センシティブな話題を避けては通れないからである。課外における個別の質問には割とざっくばらんに答えるが、授業時には極力中立を保ち、「反日」や「愛国」へ傾かぬよう自分なりにバランスをとっている。

 だが、ときには学生の思考にゆさぶりをかけるべく、挑発的な議論を仕掛けてみることもある。領土問題を取り上げた際には、大略次のように述べた。「われわれが領土問題で熱くなるのは、国家と自己を同一視し、日本という国家を亀の甲羅のように背負っているからだ。その甲羅を脱いで、自分を地球市民(コスモポリタン)だと思えば、領土をめぐる争いなどどうでもよくならないか。人間はたまたまこの地球に生れ落ち、束の間生きて死んでゆくのであって、だれもこの地球を所有できない。生あるあいだ、借りているだけである。そしてできるだけ汚さずに、これを次の世代に引き渡すのが現代人の役目ではないのか。個々の国家はその領土の所有者ではなく、管理者にすぎないと考えたらどうだろう。」授業後に回収したコメントシートには賛否両論書かれていたが、「コスモポリタン」という言葉に反応してくれた学生がいたのは少々嬉しかった。

 じつは「汚さずに」と語ったとき、わたしの念頭にあったのは細見綾子先生の〈蕗の薹喰べる空気を汚さずに〉という句だった。俳句的発想をすれば、この地球は人間のものですらない。生きとし生けるものが共存する場所なのである。わたしが「人間」という枠を取り払ったところで世界を認識するようになったのも、俳句の影響かもしれない。
 


2021年8月号 俳日和(43)

  電子辞書
                            
河原地英武

 
知のディレッタンティズムを気取るわけではないが、わたしの読書はジャンルを問わず、興のおもむくまま手当たり次第に読む流儀で、そのなかには相当数のマンガも含まれる。相性がよさそうだと思えば、その作家の本を片っ端から入手し、全集が出ていればそれも買ってしまう。そんなことを繰り返してきたので、自宅の二部屋が本に占拠され、巣立った子供の部屋も危うい状況だ。

 家内からは「とにかく本を始末して」と言われつづけてきたのだが、四年前に原因不明の頭痛に襲われ、一週間の入院を余儀なくされて以来、なぜだか読書欲が消え失せ、本の蒐集癖もぴたりと止んでしまった。本を買わなくなり、図書館を利用するようになった。だが、借りてきた歴史書や小説を開いても、数ページで気力がなくなるのだ。仕事に必要な文献を除けば、過去四年間に最後まで読み通した本がどれほどあったか、ほとんど記憶がない。あったとしても軽めのハウツー物くらいのものだろう。肩が凝りやすくなり、視力が悪化したことも一因にはちがいないが、つまりはこれが老化ということなのだなと、自分に言い聞かせていた。

 ところが最近、読書への欲求が戻ってきた。それも無性に長い物が読みたくてならないのだ。滞っている仕事からの現実逃避という面もありそうだが、それだけでもない気がする。まずは村上春樹の『騎士団長殺し』(文庫本四冊分)を読了し、現在は中国のSF作家・劉慈欣の『三体』シリーズ全五巻中の三巻目に入ったところ。ただし、紙の本ではない。いずれも電子書籍である。わたしが購入した掌サイズの電子書籍リーダー「Kindle」は重さが二〇〇グラム足らず。ここに数千冊分の本を収めることができる。わたしはいま、魔法のランプを手に入れたアラジンの気分で読書に勤しんでいる。

 


2021年7月号 俳日和(42)

  噺の枕
                            
河原地英武

 
落語家が前置きにする話を枕と呼ぶけれど、あれは聴衆の意識を自分に引きつけるためばかりでなく、本題の演目に出てくる難解なことばの解説も兼ねているのだそうで、けっこう重要な役割があるらしい。六代目三遊亭圓生はこのような「解説の枕」の達人として知られ、話術の巧みさと蘊蓄の深さは古今無双だったとか。その選りすぐりの六十五篇が『噺のまくら』という一書になっているが(朝日文庫、小学館文庫など)、わたしは文章読本としてこれを愛読したものだ。

 噺家の話芸と同列に論じるのはおこがましいが、われわれ大学の教師も授業に入るまえに枕をふることがある。わたしが学生のころは、枕だけで講義が終わってしまう豪快な先生もいた。だが、こんにちの教育現場では、シラバスどおりに授業を進行することが求められ(シラバスは教師と学生の契約なのだから、それをきちんと履行すべしという考え方が浸透してきたのだ)、枕や余談などの「話術」は不要なことと見なされるようになってきている。大学にかつてのおおらかさがなくなったと嘆く向きもあるが、わたし自身はこの趨勢に順応し、このごろは始業のベルが鳴り終わると、ちょっと事務連絡をしたあと(それが枕がわり)、さっさと本題に入ることにしている。

 ところで、俳句にも枕にあたる部分があるような気がする。前書のことではない。たとえば「見下ろせば」とか「車窓より」とかいった、自分の動作の解説や居場所の説明である。それは本当に必要なものなのか。自己と事物の出会いによって起こる感動だけを言語化すれば十分で、それを仮に「純粋俳句」と名付けてみたい。枕抜きの本題のみの俳句である。しかし、それを突き詰めてゆくと、俳句は結局、季語さえあればよいということになりかねない。それではオチにならないようだ。

 


2021年6月号 俳日和(41)

  ロートル
                            
河原地英武

 
現在務めている大学の教員になったのは1990年、31歳のときである。まだソ連も崩壊していなかったし、インターネットは専門家だけのものだった。ただわたしは新し物好きだったので、学生時代から電話回線を使ったパソコン通信に熱中しており、研究室にも自費でパソコンを入れ、流行の先端を追いかけていた。

 そうこうするうちに学内にも現代化の波が押し寄せ、全教室・研究室にパソコンが取り付けられ、事務連絡もメールでのやり取りが主流となり、授業でもすこしずつAIが活用されるようになっていった。同じ学科の還暦過ぎの教授は「僕はロートルだから、もうついていけない」が口癖だった。われわれ若手の教員は、仲間内でその口癖を真似してはおかしがっていたものだ。

 その先生はとっくに定年退職し、いつのまにか、わたし自身が還暦を越えてしまった。そして今、教室に行くことが不安でしかたない。授業自体はお手の物だ。いざとなれば何の準備がなくても、廊下を歩いている数分で話す内容を組み立て、90分間、何も見ずに講義することも平気である。何しろ30年も教壇に立ち続けているのだから。

 問題は教卓に設置された機器である。コロナ禍対策のため、この4月から教員は、全担当科目を自分でビデオ録画し、学内のネットで配信することが義務づけられた。授業を始めるまえに、あちこちのスイッチを押してその準備をするのだが、毎回手順を間違え、学生たちを待たせながら一人あたふたする始末。

 それをどこかから聞きつけたのか、同じ学科の若い先生が授業まえにわたしの教室にやって来て、手助けしてくれるようになった。こんなふうに労ってもらい、有難いやら申し訳ないやら。つくづく自分はロートルだと思うことしきりである

 


2021年5月号 俳日和(40)

  日本語の音
                            
河原地英武

 今春からロシア語の勉強を再開している。とはいっても方法は簡単で、学生時代に使った中級レベルの読本を毎日十ページずつ、時間にして三十分ほど音読するだけである。暗記しようなどという無理はしない。しかし同じテキストを何度も繰り返し読んでいるせいで、目が文字を追うまえに声が出てくる。対話文なら声色を使い、ニュース記事であればアナウンサーになったつもりで読み上げるのだ。

 このやり方はロシア語学科の学生だったころ、飯田規和先生に教えてもらった。ネイティブスピーカーと同じ速さか、それより少し早口で、テキストを読む。途中でつかえたら最初に戻って読み直す。それを繰り返し、一度のミスもなく終わりまで行けたらその課はクリアしたことになる。こんなふうに声を張り上げて外国語の文章を読んでいると、頭のなかの靄が晴れるように気分が明るくなる。

 じつは日本語の文章を読むときも、心のなかでいつも声を出している。あるいはむしろ、筆者の想像上の声を聞きながら読んでいるというべきか。そんなだから一字一句もとばすことができず、読書にはかなり時間がかかる。ものを書く場合は、ほんとうに小声を出す。先に書いたところを音読しながらでないと次の文が思い浮かばないのだ。妻に「何ぶつぶつ言っているの」と笑われたこともある。

 作句や選句の際にも、知らず識らず声を出している。俳句は短いし、漢字の視覚的効果は絶大だから、ぱっと見ただけで意味はわかる。だがわたしには、意味と同じくらいに語調やリズムが重要なのである。もっと正直にいえば、自分の呼吸に合わない句はなんだかなじめず、心地よくないのだ。わたしは俳句に対しても、音読による快感を求めているらしい。ほかの人はどうなのだろう。

 


2021年4月号 俳日和(39)

  音 読
                            
河原地英武

 今春からロシア語の勉強を再開している。とはいっても方法は簡単で、学生時代に使った中級レベルの読本を毎日十ページずつ、時間にして三十分ほど音読するだけである。暗記しようなどという無理はしない。しかし同じテキストを何度も繰り返し読んでいるせいで、目が文字を追うまえに声が出てくる。対話文なら声色を使い、ニュース記事であればアナウンサーになったつもりで読み上げるのだ。

 このやり方はロシア語学科の学生だったころ、飯田規和先生に教えてもらった。ネイティブスピーカーと同じ速さか、それより少し早口で、テキストを読む。途中でつかえたら最初に戻って読み直す。それを繰り返し、一度のミスもなく終わりまで行けたらその課はクリアしたことになる。こんなふうに声を張り上げて外国語の文章を読んでいると、頭のなかの靄が晴れるように気分が明るくなる。

 じつは日本語の文章を読むときも、心のなかでいつも声を出している。あるいはむしろ、筆者の想像上の声を聞きながら読んでいるというべきか。そんなだから一字一句もとばすことができず、読書にはかなり時間がかかる。ものを書く場合は、ほんとうに小声を出す。先に書いたところを音読しながらでないと次の文が思い浮かばないのだ。妻に「何ぶつぶつ言っているの」と笑われたこともある。

 作句や選句の際にも、知らず識らず声を出している。俳句は短いし、漢字の視覚的効果は絶大だから、ぱっと見ただけで意味はわかる。だがわたしには、意味と同じくらいに語調やリズムが重要なのである。もっと正直にいえば、自分の呼吸に合わない句はなんだかなじめず、心地よくないのだ。わたしは俳句に対しても、音読による快感を求めているらしい。ほかの人はどうなのだろう。

 


2021年3月号 俳日和(38)

  連作の効用
                            
河原地英武

 伊吹嶺に入会するすこし前のことだが、俳句が気になり出し、小西甚一著『俳句の世界』(講談社学術文庫)を読んだ。そのなかに「生存する作家を史的叙述のなかに採りいれることは、たいへん困難であり無理でさえある。(中略)しかし、山口誓子だけは例外とする。昭和俳人のなかで、確実に数百年後の俳句史にも残ると、いまから断言できるのは、かれ一人である」という記述を見出し、俄然誓子に興味をもった。さっそく『自選自解 山口誓子句集』(白鳳社)を入手し、熟読した。

 誓子の作品の哲学に通じる深い洞察と言葉遣いの精緻さにすっかり魅了され、俳句に対するそれまでの認識が一変した。自分でも無性に句が作りたくなり、インターネットで見つけた伊吹嶺のサイトに投句をし始めたのである。栗田先生が『山口誓子』(おうふう)の著者であることもネットで知り、不思議な縁を感じた。

 誓子の句のなかでは〈夏の河赤き鉄鎖のはし浸る〉に圧倒された。ここに込められた独自の時間感覚と鉄鎖の存在感に驚かされたのである。その印象はいまも変わらない。この句は第三句集『炎昼』に収められている。「夏の河」と題された連作五句の冒頭にある。当時の誓子は連作と呼ばれる作句方法を実践し、一つのテーマで数句、ときには十句以上を発表していた。連作「夏の河」の他の四句についてはめったに言及されることがないし、記憶している人もほとんどいないだろう。だが、それらなくしては「鉄鎖」の句も生まれなかったのではあるまいか。

 一対象に一句では、意識は静止したままである。連作とはこの意識を「動」の状態にし、その運動から生じる勢いのなかで句を作る方法なのだろう。連作として公表するか否かは別として、一つのテーマ、一つの句材でたくさん詠む効用は大きいと思われる。



2021年2月号 俳日和(37)

  肯定的関係
                            
河原地英武

 パソコン作業中の息抜きによくユーチューブで音楽を視聴しているが、最近のお気に入りは鬼束ちひろの「月光」だ。テレビドラマの主題歌にもなったから知っている人も多いはず。サビの部分で英語の歌詞を交えつつ「この腐敗した世界に堕とされた」「こんなもののために生まれたんじゃない」「どこにも居場所なんて無い」というフレーズを繰り返すとき、ちひろの顔が般若面のように見え、自分が生きる世界を全否定するほかない人間の心の痛みが突き刺さるように伝わってくるのである。自己と世界との関係を、たとえ絶望的なものにせよ、とことん突き詰めてゆくのが真のアートなのだろう。

 俳句もまた同じだと思う。自分と句材である対象との関係を、季語を軸に突き詰めてゆき、極限に至ったとき一句が成立するのだ。ただし俳句におけるその関係は、あくまでも肯定的なものでなくてはならないとわたしは信じている。

 師走のある日、京都府立植物園を一人吟行した。無残なくらい枯れ果てたカンナの一群があった。夏に来たとき、あれほど誇らしげに咲いていた花の変貌ぶりに気が滅入った。俳句をやっていなければ、一瞥して通り過ぎてしまうところだが、あえてこれを詠んでみようと思い立った。

 だらしなく垂れ下がった葉に触れたり、萎れて生気のない花弁をちぎって指でしごいたりしているうちに、ふと土色の葉が艶を帯び、光沢を放っていることに気づいたのである。それは我が家のリビングのワックスがけしたフローリングを想起させた。リビングはわたしにとって心地よい場所だ。それが枯れたカンナと結びつき、〈床板の艶にカンナの枯れてをり〉という句ができた。このとき、自分とカンナとのあいだに肯定的な関係が生まれたように感じ、何だか晴れ晴れとした気持ちになった。



2021年1月号 俳日和(36)

  ささやかな決意
                            
河原地英武

  この一年を振り返るにつけ、なんと主体性のない怠慢な時間を過ごしてしまったことかと慚愧に堪えない。前半は新型コロナウイルス禍に翻弄され、日常生活のペースがめちゃくちゃになった。勤務先の授業はオンラインに切り替わったが、そのノウハウがわからず、ひたすらパソコンに向かい悪戦苦闘する毎日。月に数回出かけていた句会も軒並み中止となりメール方式になったが、これもパソコン画面上でのやり取りで、「座の文芸」ならではの温もりが今一つ実感できない索漠たる思いを禁じ得なかった。

 後半は徐々にペースをつかみ、政府の専門家会議が提唱する「新しい生活様式」にも慣れてはきたが、やる事なす事がルーティンワークと化し、毎日ノルマをこなすだけでくたびれてしまうのだった。夜更かしの常態化もいけなかった。それが一因で気持ちの張りを失ってしまったように思われる。新型コロナウイルスとの闘いは長期化の様相を呈している。となれば腹をくくり、自分自身で工夫してメリハリのあるライフスタイルを作らねばなるまい。消耗するだけの暮らしからは何も生まれない。

 まずは俳句の実作。一昨年来わたしは吟行のおもしろさに目覚め、戸外で出会う事物や動植物とじっくり向き合うようになった。すると芭蕉が「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」、「物の見えたる光、いまだ消えざる中に言ひとむべし」(『三冊子』「あかさうし」)と説いた意味がおぼろげながらにわかってきた気がしたのである。これをさらに突き詰めてゆけば、自分が希求する俳句の姿がはっきりと見えてくるのではないか。外出自粛を口実に、つい机上であれこれ言葉をやりくりするだけの句作に陥りがちだったが、俳句を頭のなかだけで作ることを脱却しなくてはならない。俳句は「自分の外側」にある。今こそこの考えを徹底化しようと意を決している。



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