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2020年9月号 俳日和(32)
 
  「憂 国」

                             河原地英武

 わたしの句集名は伊吹嶺の仲間たちをけっこう当惑させたらしい。日ごろ温厚そうなわたしのイメージとかけ離れていてびっくりしたとか、三島事件や盾の会のことなどを連想してどうも馴染めないとか、そんな率直な意見を述べてくれた句友も何人かいた。

 たしかに「憂国」には、現在の国情を憂い心配するといった字義どおりの意味合いには収まらない独特のニュアンスがある。外国語にはうまく翻訳できない日本語ならではの言葉かもしれない。ためしにこれを手元の和英辞典で調べると「patriotism」という訳語が当てられている。「patriotism」を英和辞典で引けば「愛国心」と出ている。つまり「憂国」とは、国を愛するがゆえにその将来を案じる「国士」の心情であって、忠君愛国と同種の右派民族団体的な政治スローガンではないかと受け取る向きもあろう。それを承知のうえで句集名に選んだのであった。

 だが、なぜ「憂国」なのか。じつのところ自分でもよくわからない。ただ、元号が令和に変わる前後から、自分のなかで、国を危ぶむ気持ちが抑えがたく強まってきたのである。それは政権への批判や、日本の民主主義に対する危機感などとはまた別の、もっと漠然とした思いで、たとえていえば、すぐにも沈みそうな泥船に乗っているような不安感(それゆえ、テレビドラマ「ハケンの品格」で主人公の大前春子が口癖にしていた「日本沈没」には大いに共感した次第)、あるいは日本そのものが張りぼて国家ではないのかという疑念とでもいえばいいか。

 ところが、その憂国の情が、わたしのなかでいくぶん薄らいだ気がするのはなぜだろう。コロナ禍に翻弄されている今のほうがずっと危機的なはずなのに。何かコロナのせいで、日本が正気に返ったという感触を得たからだろうか。