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2021年9月号 俳日和(44)
 
  汚さずに

                             河原地英武

 
教師という職業にはジレンマがともなう。情熱を込め、知識以上のものを伝授しなくてはならないが、特定の主義・信条を押しつけることは厳に慎まなくてはならない。わたしが大学で講じている「安全保障論」は殊に気骨が折れる。日本の防衛政策や、憲法論議、領土問題や歴史認識問題など、センシティブな話題を避けては通れないからである。課外における個別の質問には割とざっくばらんに答えるが、授業時には極力中立を保ち、「反日」や「愛国」へ傾かぬよう自分なりにバランスをとっている。

 だが、ときには学生の思考にゆさぶりをかけるべく、挑発的な議論を仕掛けてみることもある。領土問題を取り上げた際には、大略次のように述べた。「われわれが領土問題で熱くなるのは、国家と自己を同一視し、日本という国家を亀の甲羅のように背負っているからだ。その甲羅を脱いで、自分を地球市民(コスモポリタン)だと思えば、領土をめぐる争いなどどうでもよくならないか。人間はたまたまこの地球に生れ落ち、束の間生きて死んでゆくのであって、だれもこの地球を所有できない。生あるあいだ、借りているだけである。そしてできるだけ汚さずに、これを次の世代に引き渡すのが現代人の役目ではないのか。個々の国家はその領土の所有者ではなく、管理者にすぎないと考えたらどうだろう。」授業後に回収したコメントシートには賛否両論書かれていたが、「コスモポリタン」という言葉に反応してくれた学生がいたのは少々嬉しかった。

 じつは「汚さずに」と語ったとき、わたしの念頭にあったのは細見綾子先生の〈蕗の薹喰べる空気を汚さずに〉という句だった。俳句的発想をすれば、この地球は人間のものですらない。生きとし生けるものが共存する場所なのである。わたしが「人間」という枠を取り払ったところで世界を認識するようになったのも、俳句の影響かもしれない。