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2024年12月号 俳日和(83)
 
  比喩の効用

                              河原地英武

 俳句は発見の詩であるともいわれる。新たな事物に出会い、感性を活性化させ、生き生きと躍動する作品世界を創造するのである、常識の殻を破り、日常感覚から非日常的な高揚感へと自らの意識を高めることが肝要で、そこに詩が生まれる。

 ではどうしたら「発見」が可能なのか。第一は旅(吟行)に出て未知の世界に触れることだろう。第二は視点を変えることである。たとえば空を舞う鳥や、地を這う昆虫の視点から周囲を見れば、われわれの日常風景はがらりと一変するはずだ。第三はあるものを別のものに置き換えて認識する方法で、これがすなわち比喩の効用である。

 凡庸な比喩や手あかのついた比喩は、たしかに俳句を陳腐化させる。誰かが最初に用いた比喩は鮮烈でインパクトがあっても、二番煎じ、三番煎じになると「発見」どころか、ただの通俗的な見方に陥ってしまうので要注意だ。「紅葉のような手」「燃えるようなカンナ」「滝のように流れる汗」など月並な比喩は枚挙にいとまがない。そのせいで「ごとく俳句」はよくないと説く人もいる。

 しかし、すぐれた比喩の句は、物の見方を一新させる力を持つ。事実、世に名句と呼ばれる句には比喩を用いたものが少なくない。沢木欣一先生の〈夕月夜乙女(みやらび)の歯の波寄する〉はまさにその代表例だろう。乙女の健康な白い歯と重ねられた波は美の象徴であると同時に、沖縄戦で追い詰められ海に身を投じた女性たちの悲劇をも髣髴とさせる。そのほか、わたしが愛唱する比喩の名句をいくつか挙げておきた い。
  
 虹飛んで来たるかといふ合歓の花     細見綾子
   古稀過ぎて蟻のごとくに砂丘攀づ     栗田やすし
   新宿ははるかなる墓碑鳥渡る       福永耕ニ
   水枕ガバリと寒い海がある        西東三鬼