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2021年2月号 俳日和(37)
 
  肯定的関係

                             河原地英武

 パソコン作業中の息抜きによくユーチューブで音楽を視聴しているが、最近のお気に入りは鬼束ちひろの「月光」だ。テレビドラマの主題歌にもなったから知っている人も多いはず。サビの部分で英語の歌詞を交えつつ「この腐敗した世界に堕とされた」「こんなもののために生まれたんじゃない」「どこにも居場所なんて無い」というフレーズを繰り返すとき、ちひろの顔が般若面のように見え、自分が生きる世界を全否定するほかない人間の心の痛みが突き刺さるように伝わってくるのである。自己と世界との関係を、たとえ絶望的なものにせよ、とことん突き詰めてゆくのが真のアートなのだろう。

 俳句もまた同じだと思う。自分と句材である対象との関係を、季語を軸に突き詰めてゆき、極限に至ったとき一句が成立するのだ。ただし俳句におけるその関係は、あくまでも肯定的なものでなくてはならないとわたしは信じている。

 師走のある日、京都府立植物園を一人吟行した。無残なくらい枯れ果てたカンナの一群があった。夏に来たとき、あれほど誇らしげに咲いていた花の変貌ぶりに気が滅入った。俳句をやっていなければ、一瞥して通り過ぎてしまうところだが、あえてこれを詠んでみようと思い立った。

 だらしなく垂れ下がった葉に触れたり、萎れて生気のない花弁をちぎって指でしごいたりしているうちに、ふと土色の葉が艶を帯び、光沢を放っていることに気づいたのである。それは我が家のリビングのワックスがけしたフローリングを想起させた。リビングはわたしにとって心地よい場所だ。それが枯れたカンナと結びつき、〈床板の艶にカンナの枯れてをり〉という句ができた。このとき、自分とカンナとのあいだに肯定的な関係が生まれたように感じ、何だか晴れ晴れとした気持ちになった。