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2021年4月号 俳日和(39)
 
  音 読

                             河原地英武

 今春からロシア語の勉強を再開している。とはいっても方法は簡単で、学生時代に使った中級レベルの読本を毎日十ページずつ、時間にして三十分ほど音読するだけである。暗記しようなどという無理はしない。しかし同じテキストを何度も繰り返し読んでいるせいで、目が文字を追うまえに声が出てくる。対話文なら声色を使い、ニュース記事であればアナウンサーになったつもりで読み上げるのだ。

 このやり方はロシア語学科の学生だったころ、飯田規和先生に教えてもらった。ネイティブスピーカーと同じ速さか、それより少し早口で、テキストを読む。途中でつかえたら最初に戻って読み直す。それを繰り返し、一度のミスもなく終わりまで行けたらその課はクリアしたことになる。こんなふうに声を張り上げて外国語の文章を読んでいると、頭のなかの靄が晴れるように気分が明るくなる。

 じつは日本語の文章を読むときも、心のなかでいつも声を出している。あるいはむしろ、筆者の想像上の声を聞きながら読んでいるというべきか。そんなだから一字一句もとばすことができず、読書にはかなり時間がかかる。ものを書く場合は、ほんとうに小声を出す。先に書いたところを音読しながらでないと次の文が思い浮かばないのだ。妻に「何ぶつぶつ言っているの」と笑われたこともある。

 作句や選句の際にも、知らず識らず声を出している。俳句は短いし、漢字の視覚的効果は絶大だから、ぱっと見ただけで意味はわかる。だがわたしには、意味と同じくらいに語調やリズムが重要なのである。もっと正直にいえば、自分の呼吸に合わない句はなんだかなじめず、心地よくないのだ。わたしは俳句に対しても、音読による快感を求めているらしい。ほかの人はどうなのだろう。