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2020年5月号 俳日和(28)
 
  令和の闇

                             河原地英武

 新型コロナウイルスがこれほど猛威を振るうとは、1ヶ月ほど前まで誰も予想していなかったのではあるまいか。3月半ばには、政府もまだオリンピックを予定通り開催する意向を示していたくらいである。それが現在は、緊急事態宣言が全国に発令され、国民は極力外出を控えつつ危機感を募らせている。勤務先の大学も新学期の開始を5月11日まで延期した。但しその後も学生は原則として構内への立入りを禁じられ、少なくとも8月まで授業はすべてインターネットを使って行われる。まことに前代未聞の事態で、われわれ現場の教員も、目下可能な教授方法をあれこれと模索しているところである。

 元号が平成から令和に改まり、わが国が祝賀ムードに沸いたのは昨年5月のことだが、今ではそれが夢のようだ。その五月の愛知同人句会で、栗田先生が〈初鵜飼令和の闇を焦がし過ぐ〉という句を出され、櫻井さんが特選にとられたことをよく覚えている。〈令和の闇〉という異様な言葉にぎょっとしたのだ。先生は何か禍々しいことが起こると直感されていたのだろう。それが新型コロナだとこじつけるつもりはない。今にしてわたしは、その「闇」の正体の一端がわかりかけてきた気がするのだ。それは人心の荒廃、偏狭と不寛容さの蔓延である。

 軽率な行動から、若者が感染を拡大させたことは責められて当然だ。だが、彼らを罵倒し、「テロリスト」や「殺人鬼」と呼んで憚らない風潮は異常である。感染者が多い都市部の人間を露骨に嫌悪し、差別的言辞を弄する地方自治体の長たちにも違和感をおぼえる。社会のあちこちに目に見えない壁が築かれ、利己主義にかられた人間が互いを排除しようとしているのだ。この時代に俳句の社会的役割があるとすれば、「俳」の精神を発揮し、こうした偏狭と不寛容の「壁」に風穴を開けることかもしれない。