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2021年1月号 俳日和(36)
 
  ささやかな決意

                             河原地英武

 この一年を振り返るにつけ、なんと主体性のない怠慢な時間を過ごしてしまったことかと慚愧に堪えない。前半は新型コロナウイルス禍に翻弄され、日常生活のペースがめちゃくちゃになった。勤務先の授業はオンラインに切り替わったが、そのノウハウがわからず、ひたすらパソコンに向かい悪戦苦闘する毎日。月に数回出かけていた句会も軒並み中止となりメール方式になったが、これもパソコン画面上でのやり取りで、「座の文芸」ならではの温もりが今一つ実感できない索漠たる思いを禁じ得なかった。

 後半は徐々にペースをつかみ、政府の専門家会議が提唱する「新しい生活様式」にも慣れてはきたが、やる事なす事がルーティンワークと化し、毎日ノルマをこなすだけでくたびれてしまうのだった。夜更かしの常態化もいけなかった。それが一因で気持ちの張りを失ってしまったように思われる。新型コロナウイルスとの闘いは長期化の様相を呈している。となれば腹をくくり、自分自身で工夫してメリハリのあるライフスタイルを作らねばなるまい。消耗するだけの暮らしからは何も生まれない。

 まずは俳句の実作。一昨年来わたしは吟行のおもしろさに目覚め、戸外で出会う事物や動植物とじっくり向き合うようになった。すると芭蕉が「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」、「物の見えたる光、いまだ消えざる中に言ひとむべし」(『三冊子』「あかさうし」)と説いた意味がおぼろげながらにわかってきた気がしたのである。これをさらに突き詰めてゆけば、自分が希求する俳句の姿がはっきりと見えてくるのではないか。外出自粛を口実に、つい机上であれこれ言葉をやりくりするだけの句作に陥りがちだったが、俳句を頭のなかだけで作ることを脱却しなくてはならない。俳句は「自分の外側」にある。今こそこの考えを徹底化しようと意を決している。