初めての沖縄でした。みやらび句碑には、沢木先生に初めて御目文字した思いでした。逆巻く波が砕け、岸壁を霧状の飛沫がさかのぼっていた辺戸岬の絶景。とりどりの南国の花が彩る風景と、迷い込んだら出られないのではないかと思うほどの甘蔗畑。一樹を離れずにゴマダラ蝶が群れ飛ぶ御嶽の森。豊かな自然の里山の多くをを占めている広大な基地。ひめゆりの塔、アブチラガマなど、悲しく凄惨な史実を目の当たりにして、決して風化させてはならないことが、沖縄にあると胸に刻んだ旅でもありました。この感動を一七音に何とか託せたら、と思っているところです。(伊藤範子)
澤地久枝の著書「琉球布紀行」には、喜如嘉の芭蕉布について書かれています。その中の主人公である、人間国宝の平良敏子さんにお会いすることが出来ました。午後は病院へ行かれて、たぶん会えないと聞いていましたので、芭蕉布会館でビデオでの説明を見ていましたら、知らない間に 後ろに立っておられた時は驚きました。今もあの光景を思い出すだけでも、ジーンとして来ます。 大正9年生まれですから、相当な年齢ですが、話をされる間も指がしなやかに動いていていました。優しい声と小柄な姿からは、戦後の過酷な条件の下で芭蕉布を復興された人物であることと結びつきませんでした。
喜如嘉の村は、芭蕉の畑を家々が囲むような形になっていて、その中を福木の垣根の細い道が続いていました。 敏子さんは、会館の周りの染色の材料になる植物である 福木、紅の花 相思樹 等々を案内しながら 名前を教えて下さいました。 自ら「芭蕉屋(ばーさーやー)」と名乗っておられるそうですが、いつまでも、元気で芭蕉布を織り続けていただきたいと、願うばかりです。 裏山では、南方への渡りから落ちこぼれた鷹(落鷹)が鳴いていました。(矢野孝子)
初めての沖縄で楽しい3日間でした。栗田主宰と親しく?お話が出来ましたこと、静岡、名古屋の方達との交流は更に伊吹嶺への思いが強まったように思いました。俳句ばかりかたくさんのことを学ばせて頂いた3日間でした。できばえは惨憺たるものでしたがそれにもまして学ぶことの多い沖縄吟行旅行でした。有り難う御座いました。(三井あきを)
アブチラガマに入ったのは2度目でしたが、やはり感極まって涙ぐんでしまいました。
平良敏子さんのやさしい笑顔は忘れられません。長年、お会いしたいと思い続けていましたので、本当に嬉しかったです。奇跡的な「やすし晴れ」に恵まれ、行く先々で鳴き声を聞かせてくれた「シロガシラ」(野鳥)、磯ヒヨドリ、オオゴマダラ蝶、大きな虹、美しい花等々、そして御一緒できたステキな伊吹嶺の仲間の方々との出会いは私にとって宝です。
皆様、本当に有難うございました。それにしても皆で呑んだ泡盛、おいしかった〜!!(牧野一古)
沖縄吟行会お世話になりました。静岡からは9名が参加、出発時間の関係で前泊を那覇でしたため3泊4日の旅でした。最高83歳、平均75.3歳でしたがみんな元気に吟行を楽しめたのがなによりでした。
辺戸岬では句碑に近づくにつれ、澤木先生が「よくきた」と待っていてくれたような気がして思わず足が速まりました。吹きすさぶ風の中で懸命にたばこの火をつけ供えました。みやらび句碑の前方には祖国復帰の碑が、そのはるか沖には与論島が・・・沖縄の歴史を感じました。
芭蕉布の平良敏子さんはその淡々とした語り、達者な指の動きに確かな仕事をされてきた生活感が感じられ真っ赤な花芭蕉にその情熱を思いました。
この旅の前「ひめゆり部隊の最後」という一冊を読んで出かけたのですが、あの糸数壕の闇の深さに、首里城から望む慶良間諸島に、きび畑の風に、摩文仁の断崖に戦うことの無意味さを想い胸が痛みました。受水走水、斎場御嶽など歴史にも触れ自然と共に生きてきた沖縄の原点に触れた思いでした。砂川紀子さんにはホテルの部屋が一緒だったり、最後まで首里城を案内していただいたり親しくしていただきました。
「いちゃればちょーでー」(沖縄語で会えばみな兄弟)そのものでした。(磯田なつえ)
昨年は20年ぶり3度目の沖縄でしたが、「旧海軍司令部壕」に驚き、「ひめゆり部隊」の語り部に胸を打たれ、過去2回の観光旅行が申し訳ない気持ちで帰って参りました。
今年は「糸数壕」、想像を絶する現場を体験、言葉などに言い表せない思いでした。
今年も平良敏子さんの元気なお姿が、清々しい気分と勇気をくださいました。
機会がありましたら、また手を合わせに訪れたいとしみじみ感じた旅でした。
皆様ありがとうございました。(佐藤とみお)
沖縄は、初めてだったので見るものすべてが新鮮でした。特に心に残ったのは、「アブチラガマ」でした。
実は、沖縄は戦争の激戦地だと知ってから、なかなか行く気がせず、その反面、父から子どもの頃の戦争体験を聞いても「ピン」ときませんでした。
ところが、観光バスで「アブチラガマ」に着くと、鳥肌が立ち、怖くてガマに入るどころか、近づくこともできず、バスの中から出ることができませんでした。
ほんとうに、戦争という悲惨な出来事があったことを心で痛いほど感じ、今こうして生きられることに感謝しました。
自分の足で歩き、自分の目で見て、自分で感じることの大切さを知り、そして、自分の俳句はさっぱりでしたが、皆さんの俳句に対する姿勢からたくさんのパワーをいただいた充実した3日間でした。やさしく、皆様にお声をかけてくださいまして、どうもありがとうございました。(太田滋子)
先日の沖縄吟行は、なんとかお天気にも恵まれ有意義な三日間でした。
辺戸岬 アブチラガマ 斎場御嶽 など 沖縄に住んでいても なかなか訪れることはありません。特にアブチラガマは、私の友人でも殆どの人が、訪れようともしません。 辺戸岬もそうですが、句友以外の人と、訪れたことがないと 今回気かついた事です。 いつも明るい 空と海ですが少々重い 辺戸岬の 祖国復帰闘争碑 糸数のアブチラガマ です。 みやらび句碑 のお陰で辺戸岬を訪れる人があり、沢木先生に感謝です。(砂川紀子)
楽しい3日間の沖縄吟行の旅もアツと間に過ぎてしまいました。昨年は美しい海と木々の緑に圧倒されて、俳句を作る事が出来ませんでした。今年こそは何かつくりたいと、思って出かけましたがメモとるだけで勢一杯。車中で披講される俳句の数々にただただ驚くばかりでした。一番印象に残ったのは、やはり糸数壕(アブチラガマ)の悲惨さでした。軍手とヘルメットを借りて懐中電灯の明りを頼りに、すり足でソロソロ進むガマの底は、今でも悲惨な最期をとげた幾万の人々の霊気が漂っているようで、ガイドさんの説明を聞きながら、幾度も涙を拭いました。この事は終生忘れてはならない事、後世にもつたえて行かなければない事。と肝に銘じております。何時の日かまた、ゆっくりと沖縄を訪れて見たいと思ってます。栗田主宰はじめお世話して下さった皆様ありがとうございました。(横森今日子)
昨年に続き二回目の沖縄の旅でしたが、参加するたびに新たな感動があります。今年は何と言ってもアブチラガマが印象に残りました。ヘルメットに懐中電灯、軍手でそろそろと進む暗闇の中、ガイドさんの「ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりでいいですよ」の言葉に励まされながらの行進でした。ガイドさんの説明に、このまっ暗闇の中で置き去りにされ、命を失った沢山の人々、また奇跡的に生還した方の話などを伺いながら、涙が止まりませんでした。熊澤和代さんの<手袋で涙をぬぐふ洞窟の底>の句が心に沁み入りました。
毎年教会の祈祷会で、8月に平和の話をしますが、今年もまた去年に続いて、沖縄の話を語り継いでいきたいと思います。(鈴木みすず)