明日香村オフ句会吟行記
5月6日(日)の今日は、インターネット部のオフ句会、河原地主宰をお招きしての明日香村吟行だ。橿原神宮前駅から臨時増発の明日香村周遊バスに乗って、飛鳥寺にやってきた。バスを降りて周りを見渡すと、明日香は輝く新緑の中にあった。吟行のコースや入鹿の首塚、甘樫丘の説明を一通り終わると、大和句会の方に話しかけられた。
「明日香はいい所でしょ。また来てくださいね」
「ええ是非。今度来るときは、レンタル自転車で回りますよ」
歴史好きのわたしにとっては、憧れの地である明日香。あれこれ見るのに懸命で、作句が留守になりがちだ。ここは心しなければと気を引き締めた。
皆さんと飛鳥大仏を参拝した。大仏の頭、頬、唇、顎、掌には傷があった。痛ましいと思うと同時に、1400年の長い時を見守ってきた仏の強い意志を感じた。
吟行の連衆は二手に分かれた。本道を通って石舞台古墳へ、野中の小道を通って石舞台古墳へ。わたしは、本道のコースを選んだ。
7分も歩くと万葉文化館に着いた。万葉時代から現代までの女性の着物が、あでやかで美しい。女の子が万葉時代の着物を試着し、満面の笑顔で写真を撮ってもらっていた。
さらに10分ほど歩くと、亀形石造物と酒船石があった。それにしても不思議だ。なぜ明日香には、このような石造物がいくつもあるのだろう。案内板には書いてなかった。
野中のコースが気になり、そちらへ向かった。板蓋宮跡に河原地主宰をはじめ10人ほどの人がいた。彼らは甘樫丘を右にして、田園風景の中をやってきたのだ。宮跡は、夏草の中に方形に囲われていた。井戸の遺構は大きな石が敷き詰めてあり、重量感があった。
田園を抜け、古い路地を10分ほど行くと、石舞台古墳のある公園の前に出た。
「飛鳥川はどこなの。見たいわね」
「それならこっち。小さな普通の川だからあまり期待しないで」
国枝(隆)さんの案内で、古墳公園の外周に沿って飛鳥川へ向かった。確かに普通の川だ。しかし、玉藻橋から見る堰は、軽快な水音を立て、新緑が覆いかぶさっていた。
公園に入り石舞台古墳の前に立った。巨石に圧倒された。石に触れるとひんやりと冷たかった。吟行の連衆はベンチに座し、作句にいそしんでいた。記念写真を撮ろうと、皆さんに声をかけ、古墳の前に集まり写真を撮った。
句会場の和風レストラン「あすか野」で古代食御膳を食べた。古代米の赤いご飯、蘇、鮎の甘露煮、とろろ汁など、素朴で健康的な食事で美味しかった。
野島さんの名司会で句会が始まった。私、河村関西支部長、河原地主宰の挨拶のあと選句となった。ペンの音だけがする沈黙の1時間。この沈黙が、俳句の腕を上げてくれるような気がする。熊澤さんと国枝(洋)さんの披講の声が朗々と会場に響く。1回だけでいいので名乗りたい。恥ずかしい話、それが正直な気持ちである。それなのに隣の席の野島さんに肘を突っつかれた。名乗り忘れたのである。成績発表と表彰の後の講評は、急遽、前インターネット部長の国枝(隆)さんにしていただいた。短い時間であったが的確な選評と指導だった。続いて、河原地主宰の講評は、朗らかでユーモアがあり、丁寧に教えていただいた。ついに句会のすべてが終わった。溜息がひとつ出た。(新井酔雪)
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