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 環境と俳句
  この度、「伊吹嶺」において「環境と俳句」と題して、環境問題を俳句の側面から会員皆さんの思いを書いて頂くコーナーを設けました。
 地球環境については気候変動の悪化、生態系の破壊などいろいろな問題を抱えています。一方私達俳人は豊かな気候、生物多様性のおかげで日本の豊かな四季に恵まれ、俳句の材料にもこと欠きません。
 また俳人協会にても「環境委員会」を立ち上げて、俳人の立場で環境問題に取り組んでいます。
 このような状況から「伊吹嶺」でも環境問題を取り組んできました。
 これまで「伊吹嶺」誌に「環境と俳句」として掲載し、
HP以外でも環境問題を考えて句作の実践を行う「自然と親しむ吟行会」も実施して来ました。
 
この度、平成30年よりさらに「伊吹嶺」誌の「環境と俳句」をさらに充実させていきたいと思います。合わせて隔年に行ってきている「自然と親しむ吟行会」も企画していきたいと思います。

なお2017年までの「環境と俳句」は【こちら】をクリックして下さい。
 
是非皆さんもこのコーナーに訪れて頂きたいと思います。
                       「伊吹嶺」環境担当  国枝 隆生
令和6年10月
 川島 和子
 




鉾粽
       
写真 川島和子


 今年は猛暑のせいで庭の草抜きの手を抜いたら、いつの間にか庭のそこここに茅が出始めた。公園や道端や空き地などで青々と伸び放題の 茅がやたらと目に付く。
 茅は、大量の白い穂絮と、強靭な地下茎であっという間に広がる厄介な雑草として管理者泣かせだという。駆除するためには手で一本ずつ 根っこから抜くか、又は根まで届く強烈な除草剤を使わなければいけない程の生命力をもっている。
 ただ、この茅、その生命力から古来より霊性を持つとされている。思えば、端午の節句の「粽」は、もともと茅で餅などを巻いたもので、 子供の健やかな成長を祈って食べられるようになった。「夏越の祓」では、茅で作った輪をくぐり心身を清めて厄災を払い、無病息災を祈願 する。祇園祭の茅で作られた「鉾粽」は厄難消除の護符として玄関の外側にかざられる等々である。
 茅は、私たちの生活と深く結びついている大切な草で、あだやおろそかにはできない草なのだ。公園や道端などの茅は係の人にしっかり管 理してもらい、庭の茅は一本ずつ丁寧に抜こう。

   匂ひ濃し大路で受くる鉾粽   和子 

(了)





令和6年9月
目高
 渡辺 慢房
 




目高のボール
       
写真 渡辺慢房 


 目高は夏の季語となっていますが、かつては季節を問わず、身近な小川や用水路などで普通に見られたものです。あまりにどこにでもいるの で、私が子供の頃は、目高は魚扱いしておらず、魚掬いに行って網に入っても、家に持って帰ったりはせず、その場で逃がしていました。
 私が、目高がいなくなっていることに気づいたのは、私が十代後半だった、1970年代の終わり頃でした。ふと目高を飼ってみたくなって、 かつて魚掬いをした用水路などを巡ってみましたが、一匹も姿が見えず驚いたことを覚えています。
 その後、1999年には目高は絶滅危惧Ⅱ類となり、2003年には絶滅危惧種に指定されました。  目高が減った原因は、農薬や生活排水等による水質汚染、繁殖力の強い外来種の魚の影響などが挙げられていますが、一番影響が大きいのは、 小川や用水路の護岸工事や用排水分離により、繁殖期の目高が用水路と田んぼを行き来できなくなってしまったことだと思います。
 それでも、家の周りで探してみると、まだ目高が棲んでいる小川や用水路が、数は多くありませんが、何箇所か見つかりました。20年ほど 前に、そこから掬ってきた目高を、現在までずっと飼っています。

 
 目高はたいへん丈夫で飼い易く、屋外の雨水の入るところにちょっと深めの容器を置いておくと、何も世話をしなくても生きています。冬に 氷が張っても、底まで凍らなければ大丈夫ですが、夏に水温が風呂の温度位にまでなると、煮魚になる危険があるので、蓋のようなもので日除 けをしてやります。
 飼っている個体数が少なければ、餌は特に与えなくても、水面に落ちた虫やプランクトンを食べて生きていますが、うちは勝手に殖えて一つ の容器にたくさんの個体がいるため、夏の間は百均で売っている餌を与えています。
 また、目高は繁殖も旺盛で、水草や産卵床を入れておくと、たくさんの卵を産み付けます。そのままにしておくと、卵や稚魚を親目高が食べ てしまうので、卵の付いた産卵床は別の容器に移して孵化させます。慣れるといくらでも殖やせるので、殖え過ぎないようにコントロールする のに苦労します。
 現在は、捕ってきた野生の目高の他に、知り合いから貰ったカラフルな目高なども飼っているので、外で飼うばかりでなく、歳時記に載って いるように、何尾かを水盤などに飼って涼味を鑑賞し、あわよくば、それで一句をものせればなどと考えています。
 
(了)


文中写真 渡辺慢房


令和6年8月の2
「後山」(うしろやま)
 大須賀 純
 




       
写真 大須賀 純


 私が現在勤務している場所は、字が「後山」というまさしく校舎の後ろ側に小高い山が控えているところです。山の湧き水が校地にも流 れ込み、その湧き水で十年ほど前までは豊かな田が耕作されていたそうです。もと田んぼの辺りや校内の池からも蛙の声がやかましいほど です。
 今年の俳句甲子園の地方大会の兼題の一つに「蝌蚪」があります。文芸部の生徒達に聞いてみると、映像以外で実際にオタマジャクシの 実物を見たことがない、という生徒がほとんどでした。また「薊」も兼題で、校内のあちこちに薊があるのですが気づいておらず、咲いて いる場所に連れて行ったところ、触れてみたりスマホで撮ったりしていました。
 数年前、開成高校が俳句甲子園で優勝した際、決勝戦を観戦なさった俳人の方が、開成高校の生徒の俳句を「言葉余りて心足らず」と評 されたと記憶しています。現在はインターネットを通して知識を得ることは可能です。ただし、薊の棘の鋭さや葉や茎の様子は実際に触れ てみてこそです。ただ知識を蓄えるだけでなく、実体験を通して、自然の風物を味わって、心豊かに俳句を詠んでほしいと校内のその時々 の季語を紹介するよう努めています。


(了)





令和6年8月の1
知ることと行動すること
 国枝 隆生
 




第1回愛知万博跡公園吟行会
       
写真 国枝隆生 


 地球環境問題が深刻な課題となってから久しい。私たちが環境問題を意識し始めたのは一九九七年のCOP3「京都議定書」による温暖化対 策がスタートし、第一約束期間の二〇一二年が近づきつつある頃ではなかろうか。合わせて希少生物の絶滅危惧問題、外来生物による生態系の 破壊などの生物多様性問題も顕在化してきた頃でもあろう。
 このような時代背景をもとに私の所属結社の「伊吹嶺」においても俳人として環境問題に関心を持って行こうとの機運が高まり、また当時の 栗田やすし主宰に背中を押して頂いたこともあって、環境問題に取り組む企画を立てた。
 手始めに環境問題を「知ること」という目的で、二〇一三年より「環境と俳句」と題して、環境問題と俳句との関連を論考や随筆などで会員 持ち回りの執筆により毎月「伊吹嶺」誌と同HPに掲載してきた。以来今年までの十年余で一三〇回を超えた。執筆内容を分析してみると、生 物多様性に触れたものが過半数を超えている。これは動植物を詠む俳人としては親和性があり、環境問題として身近なテーマとなっているから であろう。
 続いてのカテゴリーとして自然環境、地球温暖化、環境教育に関心を持つ会員が多かった。さらに時代を背景として、リサイクル、エネルギ ー問題、新型コロナ、ウクライナ侵攻までと多様なテーマの展開を見せている。これらはそれぞれ会員自身の言葉で述べていくことが重要で、 会員の真摯な態度が出ているのが成果として上げられる。

 
 もう一つの企画として「行動すること」を目的に、同時期の二〇一二年より環境問題に関連した吟行会を行うこととした。会員の参加し易さ を考慮して「自然と親しむ吟行会」と名付けて、まず愛知万博跡地公園で自然観察吟行会をスタートさせた。
 以降隔年ごとに、東京都内の野鳥観察地、三島市源兵衛川の再生されたビオトープ、幻の紫麦を復活させた岡崎市、ラムサール条約登録地の 藤前干潟、環境教育の場としての東山植物園など、現場での吟行会を継続してきた。そして各吟行会においてブリーフィングによる簡単な環境 勉強会も行っている。新型コロナの影響により中断したが、今秋、再び藤前干潟の観察吟行会を予定している。
 これまで述べた「環境と俳句」の「知ること」、「自然と親しむ吟行会」の「行動すること」を両輪として、「伊吹嶺」誌などに掲載してき た。これは今後、新たな会員にも容易に関心を持って貰えると期待している。
 本来、俳人は日本の豊かな四季、多様な生物に恵まれている面があり、これらに感謝しつつ、このような連帯を持った行動が成果につながっ ていくと確信している。
 ただ今は地球沸騰化時代とか、瀕死となりつつあるパリ協定のグローバルな動きに対して、私たちの実践活動は非力かもしれないが、環境問 題を「知ること」「行動すること」の二つが今後とも必要でないかと思っている。

(了)


文中写真 東山植物園吟行会 国枝隆生


令和6年7月
水を考える(二)
 国枝 隆生
 




上野公園の噴水
       
写真 武藤光晴 


 最近の生成AIの発展はすさまじいものがある。試しに生成AIの一つであるcopilotを使って「水と環境問題」をチャット形式で質問した ところ、四つの問題点があると答えてくれた。実際はAIがネット情報を整理して、提供しているようである。今回は視点を変えて、再度水に ついて考えてみたい。
 改めて水の環境問題を考えてみると、大別して、三つの問題が浮かび上がってくる。
 第一に、地球的規模の経済発展の拡大、人口増による深刻な水不足の問題が世界的に起きている。
 第二に、地球温暖化による気温上昇、海水温上昇により日本ではスーパー台風、線状降水帯などに代表される異常気象災害の多発が問題とな っている。
 第三に、地球温暖化により増加しているCO2が海水を酸性化させて、生物多様性減少の問題が起きている。
 これだけでも地球温暖化などが水への影響を及ぼしていることが分かる。ただ日本では四季の変化が何とか保っており、水の恩恵が大きく、 私たちも温暖化や異常気象そのものを詠むのでなく、水の恩恵を詠みたいものである。
 水をテーマとした俳句は非常に多く、手元にある『水の歳時記』から今頃の季節に合った例句を紹介したい。

 
   水入れて近江も田螺鳴くころぞ     森  澄雄

  田に水をひく分校を映すため      今瀬 剛一

  杜若水を余白としてゐたり       村上喜代子

  筍や雨粒ひとつふたつ百        藤田 湘子  

 ところで水に恵まれている都市というと、京都が思いつく。京都の水は主に地下水と琵琶湖疎水から成っている。ただ琵琶湖疎水は源流であ る琵琶湖の水質が上質とは言えなくなりつつあるが、京都の地下水は上質で琵琶湖に匹敵する豊富な水量(京都水盆)を持っていることから、 水が昔から京都の雅な文化形成に役立ってきている。その一部を紹介すると、豆腐、湯葉、生麩などの京料理、川床料理、清酒などが多く、 さらに水の恩恵による名水、茶の湯、信仰までも水による京文化が形成されている。河原地主宰が京都の水をを詠まれている句を挙げると

      水脱がす如く掬へり新豆腐      河原地英武

   大粒の雨来て川床の早仕舞        〃

 がある。「伊吹嶺」全体の会員に広げればもっと京都の水の句が多いのではないか。
 最後に「伊吹嶺」の師としての水の俳句を挙げたい。

    雪代の溢るゝごとく去りにけり       沢木 欣一

   青葉潮みちくる一期一会なる      細見 綾子

   手柄杓で遠流の島の清水飲む     栗田やすし
 
(了)


文中写真 国枝隆生


令和6年6月
ヒトツバタゴ
 酒井 とし子
 




ヒトツバタゴ
       
写真 酒井とし子 


 花といえば桜をさすくらい、桜は日本の花の代表だ。地球温暖化のこの時代に於いても毎年三月下旬から四月にかけて桜前線のニュースが 日本中に流れ、人々は桜の開花を待ちわびる。私の住んいる犬山市の「市の花」も桜である。しかしもう一つ犬山で忘れてはいけない花に 「ヒトツバタゴ」がある。犬山の入鹿池の近く、車も通らぬ山裾に七本ほど自生している。花のころには人々が美しい花を愛でに足を運ぶ。
 「ヒトツバタゴ」は別名「なんじゃもんじゃ」と呼ばれていて、日本では木曽川中流域と対馬に分布していると言う。ここ犬山の「ヒトツ バタゴ」は文政五年(1822年)に発見され、大正十二年(1923年)に天然記念物に指定されているとのこと。そんな昔から珍しい木 であったことが不思議と思えるくらい、犬山では普通に街路樹として植えているし、庭木として学校や民家に植えているのをよく見かける。 桜が散り一ヶ月程立つと四月下旬から五月上旬にかけて雪を被ったように真っ白い花をつけ、市民の目を楽しませる。この花の咲く初夏もま た日本の美しい季節の一つである。


   参観日なんじやもんじやの花盛り   とし子 

(了)





令和6年5月
生き物との共生
 髙橋 幸子
 




嫁が君戸を齧る  
       
写真 髙橋 幸子


 この冬、初めて板戸が鼠に齧られた。餅米の袋も穴が開き、白い粒が散乱。「やられた!」と思ったが、あまり腹が立たない。俳句のお陰 かも知れない。鼠は、歳時記に正月三が日の「嫁が君」という素敵な言葉があり、昔話や物語の立役者でもある。しばらく鼠の様子を見てい たら、台所の隅に隙間を見つけた。発泡スチロールで穴を塞ぎ、ネズミ捕りも仕掛けた。これから鼠との知恵比べである。
 我が家は雑木山の裾にある。山には色々な生き物が生息。空家にしていた頃に、縁の下や屋根裏に棲みついていた生き物たちは、二十年 前、家に帰った人間を避けて裏山に戻った。ところが、四、五年前から家の周囲に出没し、山と人間の住処との境が縮まっている。
 昨年、五種類の豆の芽を初めて鹿に食べられた。哀愁を帯びた鳴き声から秋の季語になった「鹿」。「春の鹿」「孕み鹿」「鹿の子」「夏 の鹿」「冬の鹿」と、四季を通じて俳句に詠まれ親しまれている鹿。鹿からしてみれば、畑を荒らすのは食事の手段で、悪気はない。山と畑 の間に柵を設けるなど、鹿との距離を保つ工夫をしたい。
 昨年の秋、全国各地に熊が出没。多くの人に被害があった。熊は臆病で積極的には人を襲わないというが、身を守る為に攻撃的になるとの こと。冬眠の前に人間が放置の柿などを食べ、人の生活圏まで入り込んできた。猛暑による山の木の実の不作が原因とも報じられている。
 今年、国はニホンシカ・イノシシに加えて、熊を「指定管理鳥獣」にした。「人の生活圏」「緩衝地帯」「奥山などの生息地」に分け、各 都道府県での捕獲・駆除を支援するという。軽井沢に「ピッキオ」というツキノワグマの保護管理団体があるが、「捕殺だけではおそらく被 害は減らない」と、生活圏分離への対策を提唱している。
 先日、小学三年教室で「人がつくった動物の道」という本を読んだ。道路造成で木を伐採され分断されたモモンガや、交通事故に遭った動 物の視点で話が展開される。気づいた人々がモモンガが渡る柱を立て、動物が餌を取りに渡る陸橋やトンネルを造る話である。人は利便性を 求めて、道路や建物を造り続けてきた。化石燃料を使い続け、温暖化も引き起こした。その結果、動物たちの生活圏が乱れ、餌を求める為に 入った道路での事故も絶えない。
 人間の周りの自然が急速に変化している。鳴かなくなった蟬、農薬あるいは温暖化のためか急に少なくなった昆虫たち、開花の時期が大幅 にずれる木々等々。地球の生物多様性への危惧もある。生き物の視座を持ち、本気で共生の対策を考えないといけないのではと思う。自然と 関わりの多い俳句に親しむ我々は特にである。 


(了)


令和6年4月
侵略的外来種ホテイアオイ
 浜野 秋麦
 




ホテイアオイ
       
写真 武藤光晴 


 彦根から近江八幡へ週に一度は通っているのですが、その途中に琵琶湖の内湖である伊庭内湖の辺縁を通ります。伊庭内湖の北端は愛知川の 河口付近で琵琶湖に繋がっています。厳冬の時期、南端の水面は広範囲に渡って茶褐色の浮遊物でびっしりと覆われています。ここ十数年来そ の面積は拡大の一途をたどっているように思われます。
 この浮遊物の正体はホテイアオイです。「布袋葵」は南米原産で明治時代中期に観賞用として日本に持ち込まれたものです。

 
 ウォーターヒヤシンスの別名どおり夏季に可憐な青い花を咲かせます。それは良いのですが、繁殖力が強く世界中に広がり、広範な水面を覆 い尽くして生態系を壊し、漁業などに甚大な悪影響を与えることから、「世界十大害草」の一つに数えられ、「青い悪魔」と呼ばれて恐れられ てもいます。日本ではそれ程大きな問題になっていないのは、低温に弱く、十度以下になると越冬出来ず枯死してしまうためです。しかし、琵 琶湖では過去に、赤野井湾(草津市)やこの伊庭内湖で大発生したことがあり、何らかの条件が揃えば越冬個体が増加し、爆発的に増殖すると 考えられています。地球温暖化・沸騰化の今日、油断ならない事態に陥っていると見なければなりません。

   万葉の海千年経て布袋草       百合山羽公 

(了)


文中写真 浜野 秋麦


令和6年3月
林檎の品種改良から思うこと
 奥山 ひろ子
 




林檎の木  
       
写真 奥山ひろ子


 知り合いから秋に林檎の「秋映」を頂いた。その方は「今年は暑さで蜜がたまる前に収穫しなければならなかったので、味は今一つだよ」 とおっしゃった。
 夏の猛暑の農産物への影響はたびたびニュースでも報道されていた。高温と強い日射し、それに雨が少ないことも影響し、林檎は実の一部 が変色する「日焼け」が起きたり、赤色の品種の林檎は色づきが悪かった。もともと長野県は昼夜の寒暖差が大きく、それがおいしい果樹栽 培に適している。しかし長野市では最高気温三〇度以上の真夏日が七月十九日から八月二十七日まで連続して続いた。長野地方気象台による と、長野市の七月の平均気温は、平年より三度高かったという。昼間の暑さのために夜も気温が下がらない日が続き、林檎の品質に響いた。
 地球温暖化が叫ばれて久しいが、危機感を抱いた長野県では五年程前、まだまだ暑い八月下旬から収穫ができ、気温が高くても色づきがい い新品種「しなのリップ」を育成した。また果実の日焼けを防ぐためポリエチレン製のネットを張ることも有効な方法として定着している。 林檎だけでなく、桃や葡萄も温暖化を見据えた対策作りが行われている。
 ここ数年、肌で感じる暑さはある程度慣れてきてしまった。熱中症への注意喚起や冷房の奨励などが毎夏の日常になっている。「災害級の 暑さ」などと、どんどん言葉がエスカレートしていくが、人間はエアコンを使って居住空間の環境をコントロールできる。しかしそれができ ない自然界の動植物の衰弱した姿が痛々しい。
 農家の方以外でも多くの人はこうした状況を危惧しており、すでに節電やゴミの減量、生ゴミの堆肥化など身近なところから取り組んでい る。勤務先では、再配達の軽減のため、個人あての宅配物を会社で受け取ることに協力を求められたり、細かいアイデアを出し合っている。 大人だけでなく「二〇五〇年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現」に向けて、自分たちでどんなことができるか取り組んでみるチャレ ンジを県内の希望する小中学校で体験するなど、教育の場でも浸透してきた。農産物の品種改良技術と同じように、市民の真摯な取り組みと 知恵によって温暖化の速度にブレーキがかかるものと信じ、私もその中の一人として取り組みたい。自然と共存していける未来を築けるよう に。

    上(かみ)の山林檎色づく乳首ほど   沢木欣一


(了)





令和6年2月
松平郷の環境保全
 野島 秀子
 




松平郷史跡観光案内図  
       
提供 豊田市商業観光課


 豊田市近郊、徳川三百年の礎となった松平八代の始まった地である松平郷は、今も鄙びた山村にある。
 三〇年ほど前、「街道をゆく」取材の司馬遼太郎氏が「ふるさと松平郷」づくりの一部の現場を見て「美しい山も渓も家々も実に清らか な地が日本からまた一つ消えた」と、批判されたことがあった。
 その批判を受け止めつつも松平郷は、当初の計画通り松平東照宮から松平氏の菩提寺である高月院までを室町塀でつなぎ渓流沿いの散策 路として整備された。春から夏、保存された氷池跡には杜若が咲き赤腹井守がのびのびと泳ぎ、湿地の象徴でもある小さな八丁蜻蛉が目を 楽しませる。秋から初冬にかけてのトンボ沼には絶滅寸前の水(な)葱(ぎ)が紫紺の花を咲かせ刈萱が絮を飛ばす景も捨てがたい。環境保全 に力点を置いた開発は、松平郷を歴史に触れ四季折々の自然に親しめる場として成功した例と考えられる。

    せせらぎの音の清かや秋の声  万歩(松平郷設計者)

  河骨の光放てり天下池     秀子


   昨今、松平東照宮の拝殿に松平郷の自然がいつまでも残るようにとの願いを込めて漆芸家が描いた草花の天井画が松平郷の魅力に花を添え ている。
(了)





令和6年1月
井堀の棚田―稲作
 伊藤 範子
 




稲刈り  
       
写真 伊藤 範子


 猪高緑地の北東部に位置する井堀の棚田は井堀上池と下池の水を排水溝で引いている。二つの溜池は傾斜のある場所のため、水漏れを防 ぐ土嚢を積み上げてある。

   土嚢積む棚田の小径木の芽風   範子 

 棚田の米作りを名東生涯学習センターが参加者を募集して、毎年名東自然倶楽部の田んぼグループを中心に体験会を開催している。稲作 は無農薬、有機農法で、稲は天日干しをする。
 田植は参加者の子どもや家族が畦に沿って一列になり、すべて手植えだ。参加者が多いと割合早く植え終わる。田植後に様子を見に行く と、軽鴨の親と割と大きくなった子の群れが田んぼを泳いでは餌を探していた。近づくと、すーっと反対側へ逃げていく。夫がまだ軽鴨の 子が小さい時に調べた数よりも少なくなっていた。小さくて弱い子はカラスやヘビなど外敵に食べられてしまったのだろう。
 秋、トンボが棚田の空を縦横無尽に飛び、畦を跳ぶバッタも自由自在の別天地である。今年の稲は暑さのせいか、生育があまり良くない と聞いている。稲刈にも大勢が参加してくれて、市が募集した近隣の学生ボランティアも手伝いに来てくれる。  
 稲架を組むのは慣れたベテランが行ってくれるが、稲刈の日が決まっているので、雨の後だと泥濘が多くて案外大変だ。私も長靴で入っ て刈ったことがあるが、五、六歩進んで鎌で刈り取り、出るに出られず長靴を脱いで放り投げ靴下の両足を泥まみれで畦に戻った。稲刈の達 人は腰に藁の束を提げて、そこから藁を抜いて刈ったその場で束に括っていく。体験参加者や子どもには、切り分けた麻紐で括ってもらうの だが、結び方が緩い束もあると稲架棒に掛ける時、また後日点検の折に結び直して掛け直す。

   稲括る腰に提げたる藁を抜き   範子   

 脱穀は農家から譲り受けた千歯扱き、唐箕を使って籾米にする。精米後、収穫祭と餅搗きをして一年の行事が終わる。この時は畑グループ が育てた野菜を使い、豚汁を作り、おにぎりと搗き立ての餅も食べ、白米も一家につき一キロの土産がある。米は虫食いもあり粒も小さく見 栄えはあまり良くないものもあるが、無農薬の貴重な米である。
 この体験を通して若い人や子ども達が稲作の大切さ、大変さを知り、農業に関心を持ってくれることを願っている。
(了)


文中写真も伊藤範子


令和5年12月
迫りくる地球沸騰
 安藤 一紀
 




海上の森 案内板  
       
写真 国枝隆生


 「地球沸騰」「森林火災」「乾燥や強風被害助長、日本も無縁でない」今年九月二日付の中日新聞朝刊一面のトップ記事の見出しだ。同 紙は、「米国ハワイ・マウイ島やカナダ等、世界の各地で気候変動の影響とみられる大規模な森林火災が相次いでいる。七月の世界の平均 気温は史上最高を記録、日本でも今夏の気温が統計開始以降の一二五年で最も高くなった。国連が『地球沸騰の時代』と警告するなど、緊 急の対応が求められている。」と報じた。地球規模の温暖化対策が叫ばれて久しいが現状は遅々として進んでいない。温暖化により沈みゆ く島の太平洋マーシャル諸島のキリ島では、海面上昇により島民の海外移住が現実視されている。
 日本では台風が接近するたび、国土の随所で線状降水帯が頻発し、河川氾濫、大規模土砂崩れの大災害が発生している。温暖化により高 温の夏の期間が増加、春と秋が縮小しており、早く地球温暖化対策の成果が待たれる。
 この夏、海上の森を散策した。森は愛知万博計画地であったが、自然観察グループ等の「貴重な自然保護」を巡り論議の結果、そのまま 残された都市近郊の里山林である。

    父はたも子は箱を持ち蜥蜴採る   一紀

 地球の自然を保護し、一刻も速い温暖化対策が待たれる。
(了)





令和5年11月
AI環境と俳句
 松原 和嗣
 




NHK囲碁トーナメント11月12日より  
       
写真提供 国枝隆生さん


 AI(人工知能)の一つの発展形である自動応答ソフト「CHAT GPT」が、メディアで話題となっている。このソフトはキーワード を入力するだけで、プロの写真家や画家に匹敵する程の画像を生成したり、適切な文章で質問に答える機能を持っている。一方、ネット上 では「AⅠもクリエイティブな仕事が出来、多くの人間の仕事が単純作業に置き換わるのではないか」といった危機感も広がっている。ま たオリジナリティを感じないといった批判もあるが、AⅠはこれまで難しいとされてきた課題を克服している側面もある。
 人間の専門家も先人の作品を学びながら独自のスタイルを見つける過程を経てきたと同様に、AⅠもそのような進化を遂げていくのでは ないか。そんな環境の中、俳句とAⅠの現状は如何であろうか。
 京都大学の研究チームの実験では、人間はAⅠが作った俳句と人間が作った俳句とを見分けられず、AⅠが作成した中から人間の目を通 して選んだ句を高く評価する傾向があるとし、「人間とAⅠの協力で、より創造的なアートを生み出せる可能性が示唆された」としてい る。
 実験内容は次の通りで、①AⅠが生成した俳句から無作為に選んだ二十句、②AⅠが生成した俳句を人間が選出した二十句、③俳人小林 一茶や高浜虚子らの俳句二十句からそれぞれ男女計三八五人が評価した。 (使用AⅠ俳句ソフトは北海道大学が開発した「AⅠ一茶くん」 である。)
 評価は七段階(最高七点)で行い、人間が選んだAⅠ俳句②が最も美しいと評価された。一方、俳人の作品③と、無作為に選んだAⅠ俳 句①は、ほぼ同等の評価であった。
 実験結果の評価点順の一例として、
一位 ②夜の鐘一つ鳴きけり秋の風 (四.五六点)
二位 ③淋しさに飯を喰ふなり秋の風(四.一五点)一茶
三位 ①目に高き身を考へて秋の風 (四.一四点)
 さらに令和四年十一月に行われた実験俳句会では、「AⅠ一茶くん」の生成した俳句の品質が、俳句の専門家でも人間作品とAⅠ作品を区 別するのが困難になってきている。AⅠの選句能力はまだ人間には及ばないものの、今後精度や深みがさらに向上し、批評能力も備えれば、 俳句の楽しみ方が変わる可能性がある。また、今後の課題としては著作権の問題があると指摘している。
 将棋や囲碁ソフトが今ではプロが研究の材料に使うほどの進化を遂げたように、俳句作成ソフトや俳句添削ソフトも市場のニーズが高けれ ば急速に進化するだろうが、AⅠ環境における俳句が進化したら、結社や句会はどうなるのだろうか?CHAT GPTに聞いてみますか。
(了)





令和5年10月
アサギマダラがやってきた
 川島 和子
 




アサギマダラ  
       
写真 国枝隆生


 一昨年、友人から藤袴を一株分けてもらった。藤袴はアサギマダラの好きな花である。アサギマダラは渡り蝶とも呼ばれ、千キロ以上も 旅をする大きく美しい蝶である。
 数年前、東海市の藤袴の植えられた加木屋緑地を吟行した。アサギマダラが飴の汁を付けた句友の指にじっと止まっていて、なんと人懐 っこい蝶かと驚いた覚えがある。
 友人に貰った藤袴は去年一メートル程の草丈になった。株が大きくなったら、ひょっとしたらアサギマダラに見つけてもらえるかも、と 思っていたら、何と、アサギマダラが一頭飛んできたのである。長旅のせいか翅が傷んでいる。その翅でよくぞ我が家の小さな庭の藤袴を 見つけてくれた、と感激してしまった。美しい蝶は、暫く藤袴の周りを飛び回り、蜜を吸って飛び去っていった。
 今年の春、大きくなった藤袴を株分けして公園の隅に植えた。この夏は暑い日が続いたが、水遣りをしたおかげでしっかり根付いた。
 町の公園のあちこちにアサギマダラが飛び交う光景を想像するだけでワクワクする今日この頃である。

    秋の蝶小さき庭に翅休め      和子 
(了)





令和5年9月
草光る
 渡辺 慢房
 




夏雲の湧く那珂台地  
       
写真 渡辺慢房 


 私の住む茨城県ひたちなか市(旧勝田市)は、那珂台地と呼ばれる海抜30mほどの台地にある。台地の高台には市街地が形成され、また名産 の干芋の原料となるさつま芋畑が広がっている。大昔、海に浸食されたと思われる低地には、中小の川が何本か流れ、その周辺は田圃となって いる。高台から低地に下る斜面はほとんど利用されず、木が生い茂った森のようになっている。
 私の家は、高台から低地に下る坂の途中にある。家を買った約三十年前は、家の下には中丸川沿いに田圃が広がり、初夏には蛍を見ることが できた。その後、この低地を中丸川の治水を兼ねた公園として整備する計画ができ、田圃は次々と市に買収されて、長い間耕作放棄地となって いた。蛍を見ることもなくなった。
 そして、ある時不意に工事が始まり、斜面の森が伐採されて、低地に下りる折り返しのスロープが設けられた。そして数年後、「親水性中央 公園」という名前の、中丸川に沿った広大な広場ができた。そこには、周囲の斜面から出る湧き水を利用した大きなビオトープも作られ、水鳥 たちの憩いの場となっている。今は、中丸川の少し下流側にダムを造る工事が行われており、増水時には広場全体を水溜めとして、下流のエリ アを守るそうである。
 
 木を伐り、斜面を崩して、人工的に治水を行うことの環境への影響はよくわからないが、ともあれ、用事の無い休日、私は缶チューハイを二 本持って、この広場に下る。南向きの斜面の下は、夏は木陰となって涼しく、冬は木の葉が落ちて日当たりが良い、絶好のピクニックポイント となる。斜面の藪を背にして座っていると、時折すぐ後ろで雉の母衣打ちが聞こえ、驚かされる。
 のんびりしながら作句でもしようと、いつも季寄せを持って行くのだが、木漏れ日のダンスを見たり、鳥の声を聞いたり、ぼんやり雲を眺め たり、向かいの斜面の木々が風で巨人のように体を揺するのを見ていたり、草を渡ってくる風の匂いを感じたりしていると、いつの間にか時間 が経ってしまう。
 広場は時折、市の職員が草を刈っているが、初夏は刈っても刈ってもすぐに草は伸びて来る。私は、伸びた草が日を浴びて、キラキラと輝い ているのを見るのが大好きである。特に、カモジグサなどのイネ科の雑草は、良く日を弾く。風が吹くと、広場を光の波が渡って行くように見 える。そんな光景を見ていたら、「風光る」ならぬ「草光る」という季語があっても良いのではないかという気がしてきた。

   草光る五月の野辺となりにけり     慢房 

(了)


文中写真も 渡辺慢房


令和5年8月
私の小さなSDGs
 市川あづき
 




ダンボールコンポスト  
       
写真 市川あづき


 蒲郡市では、平成九年より一日六十五トンのゴミを焼却できる炉型式の焼却炉が二炉稼働している。年々増え続ける可燃ごみの減量と再 資源化促進事業の取り組みにより、最近の五年間の可燃ごみの量は、年間平均二万六千トンで推移しており、現在稼働中の焼却炉で何とか 賄っている状態である。平成五年より資源物の分別回収が始まり、十五年かけて全市において資源物の朝出し事業が徹底されてきた。平成 二十二年からはプラスチック製容器包装の分別を全市において実施している。
 過去に、蒲郡市では可燃ごみを減らす取り組みとして、平成十一年に家庭の生ごみ処理機(電動・手動)及びボカシ密封発酵容器の補助 金制度があった。その頃の私には、地球環境などという壮大なテーマにはさほど興味はなかった。しかし、近年のSDGsの影響もあって 「自分でも何かできることはないか」を考えていた頃、ちょうど広報に「ダンボールコンポスト」のことが掲載され興味を持った。
家庭からでる生ごみを少しでも減らし、土に返すことで地球にやさしい環境をつくるお手伝いができればと思っている。 
(了)





令和5年7月
戦争は最大の環境破壊
 国枝 隆生
 




ウクライナの国花 ひまわり  
       
写真 国枝隆生


 ロシアのウクライナ侵攻は既に14か月が過ぎ、戦闘は長期的な様相を見せている。この侵攻の影響はあらゆる面に及び、最も痛ましいの は多数の死者が出ていることである。また食糧、エネルギー危機も深刻である。これらとともに多くの環境破壊が進行しつつある。
 これまでのニュースなどから環境問題を考えてみたい。まず食糧危機では、ウクライナは世界有数の穀倉地帯であり、各国への食糧危機 へと発展している。戦火による穀倉地帯の土壌汚染も深刻である。
 エネルギー問題としては、戦争による膨大なエネルギーを消費するとともに、化石燃料への逆行的依存によりCO2削減目標を大きく狂わせ ている。
 もともと戦争はおびただしいインフラ破壊を伴う。いずれインフラの復旧、復興には膨大なエネルギー消費が予想されるとともに、これも CO2排出による温暖化が加速されるだろう。
 またウクライナ国土破壊による土壌汚染、永久凍土の急激な減少により温室効果ガスであるメタンガスの放出は予想以上の温暖化傾向とな っている。
 一方、ロシア側からの見た侵攻の原因について、経済思想家の斎藤幸平氏によれば、この侵攻はロシアによる気候危機の懸念から侵攻に至 ったとの論点の発言もある。
 ではウクライナ侵攻による環境影響への具体的数値はどうかと言うと、終焉時期が不明であるため、予測できないが、22年秋時点で、欧州 議会の「環境公衆衛生食品安全委員会」では、内訳は省略するが、ウクライナ国内での環境被害は総額360億ユーロ(約53兆円)と試算され ており、土壌汚染、大気汚染などにも言及している。また侵攻後の国内インフラ復興によるCO2排出量増加にも言及している。さらに水資源損 失、灌漑、排水などの施設復旧などに使用するエネルギー消費にも触れている。
 この環境破壊の実情に対し、日本での反応は芳しくない。
 一方、私たち俳人にとってこの侵攻をどのように詠まれてきたか、また今後詠んでいくべきかが問われているのではないか。以下これまで私 が鑑賞してきた俳句を披露して、皆さんも考えていただければ幸いである。

   ヒト争ひ極地の氷溶けつづく       矢島 渚男
  侵攻や音たて氷水くづれ        今瀬 剛一
  鰻焼くプロパガンダと砲撃と       河原地英武
  うすらひや楽器を鳴らせ武器捨てよ     鳥居真理子
  ピアノ弾き終へて瞑目冴返る       矢野 孝子


 特に音楽に重ねてウクライナを詠むことからウクライナへの哀悼の意と心の安らぎを求める句に共感する。 
(了)





令和5年6月
入鹿切れの話
 酒井とし子
 




入鹿池  
       
写真は、とし子さんのご友人から拝借


 最近の異常気象の表現として「数十年に一度の大雨」等のニュースをよく耳にするし、実際に怖いくらいの大雨を経験することが多く なった。
 しかし、江戸時代にも大雨による大災害があった。愛知県犬山市には江戸時代に新田開発を目的として日本で二番目に大きいため池の入 鹿池が築造されている。木曽川の恩恵にあずからない小牧台地、犬山の北東の台地を潤している。この築造のために、人々は村ごとの移転 を強いられ、大勢の村人の犠牲を伴って、寛永九年(一六三二年)入鹿池は完成している。そして築造から二三五年後の慶応四年(一八六 八年)の大雨で五月十三日に堰が決壊し、「入鹿切れ」と呼ばれる大災害が起きた。大量の濁流は一帯の村々を襲い九百余名の死者を出し たと言う。
 犬山羽黒の興禅寺には「入鹿切れ流石」といわれる大きな岩があり洪水により興禅寺まで流れて来たと伝わっている。
 現在の入鹿湖畔には博物館明治村があり、沢木先生ゆかりの金沢第四高等学校も移築されている。吟行を楽しむにも良い入鹿湖畔だが、 この「入鹿切れ」と呼ばれている大災害の記憶は忘れていけない歴史のひとつとして人々に語り継がれている。

    群青に暮るる湖ねむの花    酒井とし子 
(了)





令和5年5月
「雪霏霏と」に思う
 高橋 幸子
 




佐久の雪景色  
       
写真 高橋幸子 


 春先、「南岸低気圧」が太平洋側に大雪を降らせることが多くなった。温暖化の影響も言われている。我が家は長野県東信地方の中山間地に あるが、今年二月半ばの雪の降り方は尋常でなく、一日で五十センチ近く積もった。降雪の様子に、新潟県上越市に住んでいた頃を思った。
 上越市高田に『高田の四季』という歌がある。その四番は、「高田の冬は霏々として」と歌い出す。〈霏々として〉は雪の降り方である。雪 は一晩で五十センチ超えも多く、生活者は大変である。屋根の雪が二メートルを超すと柱が危ないので、雪下ろしとなる。
 今年、冬の北陸の大雪は全国報道され、「屋根の雪下ろしなど安全に。」と何度も呼び掛けていた。しかし、私が上越市に暮らした頃は、雪 の死亡事故も全国ニュースにはならなかった。今から二十年前は、太平洋側に雪が降っても、北陸地方のような大雪になることはほとんど無か ったのだ。
 
 沢木欣一先生の句集『雪白』に、〈雪霏々と真昼の電車灯し来る〉(昭和十五年作)がある。高田の生活経験から、この雪は、北陸地方特有 の降り方だと心に刻み付けられていた。昨年出版された荒川英之著『沢木欣一~十七文字の燃焼』の中に、元句がある。〈雪霏々と昼の電車の 灯がかなし〉。荒川氏は、〈学生時代の欣一の実作態度が、内面の表出に貫かれていたということを作品に即して眺めたい〉と述べているが、 『雪白』の句は、〈かなし〉が即物具象表現となり、〈雪霏々と〉に、雪国の生活者の心の奥底にある哀しみや諦念が内包されていると強く思 った。昭和十五年の沢木先生は、〈大雪〉を〈巨雪〉と表記され、〈葬ると鍬巨雪に沈めたり〉や、〈巨き雪死にゆく人のひそかなり〉などが あり、雪国に暮らす人々への思いが実直に表出されていると思う。
 長く暗い雪の冬を過ごす高田の人々は、春の訪れを心から喜び、我慢強く人情も厚い。比べて現在私の住む東信地方の人々は、合理的でさっ ぱりしている。東信の冬は晴天続きで、朝晩は厳寒だが昼間は布団が干せ、北陸地方特有の湿った重い雪は無い。環境が人の心根に影響を与え、 作句や句の鑑賞、句への共感にも影響があるのだと思う。
 数年前のネット句会で、牡丹雪が降る様子を〈霏々と〉と表す俳句に出合った。大きく淡い牡丹雪に〈霏々〉の表現は合わないと思った。しか し、今年二月の東信の雪は絶え間なく降り続き、春の雪でも霏々と降る有様であった。気候変動が環境や風土に変化をもたらすことを実感した。
 ネット句会は全国区である。実生活のない風土の俳句への共感が私の課題でもある。その環境に身を置く経験の大切さを「雪霏々と」から思っ た。旅人の視線となるが、吟行は、今の環境や風土に触れるよい機会になるとも思った。

(了)


文中写真 高田一斉雪下ろしは「上越妙高タウン情報」(2021年1月30日)より拝借しました。

令和5年4月
改正される省エネルギー法
 橋本 ジュン
 




春の海  
       
写真 橋本 ジュン


 「エネルギーの使用の合理化等に関する法律(省エネ法)」は、石油危機を契機として一九七九年に制定されました。二〇二三年四月か らは、排出される二酸化炭素を減らすために改正され、「改正省エネ法」として施行されます。
 改正前の省エネ法は、主に『工場で使用するエネルギー使用の合理化(いわゆる省エネ)』および『電気の需要の平準化(いわゆるピー クを抑える)』が中心の内容でした。
 改正省エネ法では、従来のいわゆる省エネに加え、『化石エネルギー(石油・石炭・天然ガスなどのエネルギー)から再生可能エネルギ ー(例えば太陽光、風力など)及び原子力)への転換』を求めるとともに、「電気の需要の平準化」を「電気の需要の最適化(ピークを抑 えるのみならず、再生可能エネルギーによる発電に余りが生ずる際に使用や蓄電を増やすなど)」が追加されました。
 国内に工場をもつ企業には、このように法律で厳しい義務が生じました。地球温暖化に寄与するはずです。将来も春らしい気候と自然が 残されますように。

   とろ箱を蛸が這ひ出す春の海   ナルミ
  旅カバン軽し花野にひとしきり   やすし
  春の雪ひかりの雨となりにけり   英武
 
(了)





令和5年3月
手持ちの衣料で重ね着を
 奥山ひろ子
 




 長野県の木曽地域では、「ねこ」という袖のないはんてんのような形の伝統的な防寒着が見直されている。「ねこ」は、着物をほどいた古布 に綿を入れて作られ、一着の着物から六~七着作ることができ、リサイクルの視点で優等生である。かつて多くの家庭で冬の防寒着を備える習 慣があった。歳時記の秋の季語である「夜なべ」は冬を迎えるための準備をすることから生まれ、冬の「毛糸編む」はさらに寒さが増し家の中 での時間が増え、セーターなど編むことからできた季語であろう。手仕事、針仕事を行い、再生や手作りに励みながら暖房に頼らず寒さをしの いできた先人たちの生活がうかがえる。
 令和四年十二月の長野市市報には、冬支度を促す記事が掲載されていた。今年は地球温暖化防止、原油価格の高騰、ロシアのウクライナ侵攻 の影響での電力の不足や価格高騰となっているため、省エネの呼びかけも具体的であった。エアコンの使用を毎日一時間短縮すると、エアコン を二〇度に設定した場合五・五カ月で約二十キロのCO2が削減され、一二六〇円の節約になるらしい。また設定温度を一度下げると、一日九 時間使用した場合五・五か月で約二六キログラムCO2削減、一六五〇円の節約。要するに、暖房器具の使用を控えよとのことだ。ここで注目 されるのが、「ねこ」のような防寒着の「重ね着」である。
  「重ね着」は「着ぶくれ」「厚着」などと同じ冬の季語だが、寒さに備えるためより保温性の高い洋服を新たに購入するのではなく、今持っ ている物で工夫するという点がポイントだ。実は衣料が環境に厳しい負荷をかけているという。日本の衣料品の約九八パーセントは海外からの 輸入品で、綿花の栽培や化学繊維の原材料の製造、紡績、染色、裁断、縫製などのプロセスで発生する二酸化炭素は一着の服を作るのに二五・ 五キログラム、消費する水の量は二三〇〇リットルという算出結果がある。さらに製造工程で生地が余るなどゴミも多い。そんな経緯で一方消 費者の手に渡り活用された衣類も、役目が終わると六八パーセントがゴミとして処分され、リサイクル、リユースに回るのは三二パーセント(環 境省発表による)。安くて短いサイクルで買い換える傾向があるため、廃棄の割合は増えるばかり、これは考え直さねばらない案件だ。
 まずは自分の手持ちの衣料を見直してみることが肝心だ。「ねこ」のように今ある物に手を加えたり手直しをして、一年でも長く着られるよ うに大切にして物に「愛着」をもてば、きっと心も温かくなるだろう。先人の生活を見習い、手先と時間を有効に使って寒さを乗り切りたい。


   着ぶくれの人の手拍子アンコール    ひろ子 


   

(了)


写真撮影 奥山ひろ子


令和5年2月
自然との共生を引き継ぐジブリパークに!
 野島 秀子
 




ジブリのランドマーク エレンベータ塔  
       
写真 野島 秀子


 伊吹嶺の第一回「自然と親しむ吟行会」(2012・5)は「愛・地球博(愛知万博)記念公園」でスタートした。「自然との共生」をテー マに森と人を一段と近づけたと評価された万博の地での吟行は、新緑に包まれた森の中で様々な自然との触れ合いが詠まれ好評であった。

    赤松の芯のさみどり風渡る    岡野敦子(やすし特選)
    万緑に開けり森のエレベーター  利行小波(最高得点)
   その記念公園に今年、十一月一日ジブリパークが加わった。明治の治山事業で戻った緑の森が、他所のテーマパークの様に切り崩されている のではないか?園内で自然観察会や環境学習に携わっている友人とかつての吟行地を歩いてみた。
 
 緑の森が広がる林床花園や展望塔は、ジブリで開園した「サツキとメイの家」へと続く(どんどこの森)のエリア(有料)に入っていた。緑 の森はこれまで通り保護され、黄葉した令法(りょうぶ)や赤い実をつけた冬(そよ)青(ご)などの木漏れ日を浴び心身共にリフレッシュできた。
 山道はジブリの施設をめざす親子連れでにぎわっていた。できればもう少しのびりと紅葉に触れたりどんぐりを拾ったり森を楽しんでほしい と思った。ジブリパークの不思議な森も(自然との共生)を引き継ぎがれるよう願う。
 

(了)


文中写真 サツキとメイの家に続く橋 撮影 野島 秀子


令和5年1月
竹炭作りの講座
 伊藤 範子
 




竹炭の窯  
       
写真 伊藤範子 


 2021年1月、なごや環境大学連携講座の「森づくり講座」~竹の炭焼きを体験しよう in 猪高緑地~ の参加者を募集していることを知り、 竹伐りも体験したことから申し込んだ。コロナの関係で屋外での講座に参加希望者が多く、抽選の結果私も参加出来ることになった。
 前日の雪で天候が心配されたが、運良く晴れてきた。雪が解け始めていたのでぬかるみを滑らないよう、気を付けて歩いて行った。途中、遥 かに御嶽山が見える堤に寄った。早朝は見えたそうだが十時には雲に隠れて見えなかった。先へ進むと、樹齢八十年の枝垂れ桜が太い枝を雪晴 れの青空へ向けて広げていた。枝垂れ桜は地盤の関係で少し傾いてきたことが心配だとのこと。
 枝垂れ桜近くの畑の水溜りに、絶滅危惧種のニホンアカガエルが産卵をする。冬に産み付けられた卵はしばらく眠っているそうだ。盛り上 がっていて大きな塊のような卵だった。
 
 さらに細い道を進み、炭焼き窯の広場の隣、「こもれび池」には、朝はカワセミが鳴いていたそうだ。早朝静かなうちに散策する人はカワセ ミに出会えるのだろう。
 炭焼き窯の仕組みの説明を聞いて、焼いたばかりの竹炭を見せてもらった。竹炭は整然と窯の中で焼かれていた。手作りの窯なので、炭の出 来には差があるそうだ。私たちの体験は、伐採した孟宗竹を炭焼き窯の寸法に合わせて鋸で切断し、竹を鉈で割る作業だった。切断は専用の細 かな目の鋸を用いること、また鉈の用い方と注意も教わりながら行った。鉈で竹を割る作業は案外楽しいものだった。猪高緑地では、孟宗竹を、 年間五、六千本を伐採するそうだ。体験ののち、参加者に竹炭、子どもは各自が切った青竹のカップやペン立ても貰い解散した。
この時は猪高緑地の北西部を歩いたが、他に散策路がいくつもある。親鸞山と呼ばれる小高い丘に御嶽社(末社)がある。峠に見晴台があり、 そこからも御嶽が見える。
 コロナ感染拡大の時期で猪高緑地を散策する人が増えた。私もニホンアカガエルの卵の様子はどうだろうか、カワセミや枝垂れ桜は?と、季 節を体感しに出かけたいと思う。

   鉈で割る竹の響きや春隣    範子 


 炭焼き講座については下記のサイトをご覧ください。
 http://sizen.ciao.jp/chacoal/report210130.pdf  

(了)


文中写真 ニホンアカガエルの卵 撮影 伊藤範子


令和4年12月
夏から秋へ雑感
 安藤 一紀
 




いわし雲  
       
写真 HP「ころころの毎日が俳句・ハイク」より転載


 日本は、ユーラシア大陸の東端、太平洋北西の沿海部で東経一二二度から一五四度の間、北緯二〇度から四六度にまたがる弧状の列島。 背骨状の稜線には火山が点在し起伏に富み、丘陵を含む山地の面積は国土の七五%を占めている。山地は谷によって細かく刻まれ、風光明 媚な四季の移ろいが顕著で鮮明な景を見せる。ことしも季節は巡り、夏から赤とんぼが飛び交う秋へ移った。

 椰子の実の流れつく浜夕焼けて
 トンネルを抜くれば伊那やいわし雲   一紀 
 
 渥美半島、伊良湖岬の恋路ヶ浜から夕焼けが映え、濃尾平野を北上しトンネルを抜ければ伊那谷のウクライナを思わす青空に鰯雲が映る。 無秩序な開発や破壊的な人間活動によって、弱い立場の人々や美しい自然環境が壊されるのを甘受できない。過日、信州大学の中村名誉教授 のグループが、中央アルプスから姿を消した雷鳥の生息地復活に取組む長期の記録をNHKが放映した。地球温暖化によると思われる野生猿 の高所への出現など雷鳥にとって様々な環境の悪化に、弱い立場の生物が地上から抹殺されることが危惧される中、長期に及ぶ献身的な取り 組みで一八羽の生息が確認された。胸が空く思いだ。

 

(了)


文中写真 「雷鳥」環境省HPより転載


令和4年11月
地曳網
 武藤 光晴
 




曳き網の舟突き上ぐる盆の波  
       
写真 武藤 光晴 


 私の住んでいる一宮町(尾張一宮と紛らわしいので、上総一宮と呼ばせて頂きます)は、外房九十九里の南端に位置する町であり、 以前この欄で海亀の産卵北限地として紹介させて頂いた。(令和二年六月号)
 今回は九十九里の伝統漁法である、地曳網について述べさせて頂く。
 上総一宮には、一宮町地曳網保存会があり、地曳網は町の指定文化財ともなっている。今では六月から八月に主として土日に観光地 曳網を中心に漁法の伝統を繋いでいる。しかし、保存会の方々も高齢者が多く、沖合への舟出しや漁獲した網の引揚げは地形の変化も あり、大変な労働となっている。
 
 九十九里の地曳網は昔から鰯などの雑魚中心であり、近隣の農家向けの肥料として需要が多かったようだ。今では勿論網元も無いわ けだが、当時は大変景気が良かったようで、個人住宅としてはかなり立派な日本家屋が元網元の家としてこの町にも残っている。
 この地曳網が廃れたのは、一番は安価な化学肥料の普及で採算が取れなくなったことであろうが、海の変化にも注目せねばならない。
 上総一宮の海岸も砂浜が激減して、曳き舟などの備品を置く小屋との間は、二,三㍍の崖となっている。舟の出し入れはここを通らね ばならない。獲物を運ぶのにもフォークリフトの力無しには無理となっている。
 この砂浜の浸食は人為的なものが大きい。津波除けの堤防や広大な九十九里に幾つかある漁港の護岸工事などが影響して、なだらかな 砂浜がどんどん減ってしまったようだ。海亀の産卵地もなだらかな砂浜が必要条件であるが年々産卵に訪れる亀が減少している。さらに は特産の蛤にも影響は出てくるのではないだろうか。
 この他にも地球全体の問題である温暖化による生態系の変化もある。南方系の魚や鮫などが多く掛り始めている。
 
 私が参加させて頂いた日にも結構大きな鮫が掛っていた。スナメリや海亀が掛ることもあるそうだが、これらは海に返している。
 便利に安全に暮すべく行われた政策がこのように大切な自然の遺産を食い潰しているのだ。人命を思えば一概に非難することは出来な いが、楽を求めて行って来た事が、次世代に大きな、やっかいな付けを負わせる事になっている。
 俳句を通し、微力ではあっても自然の恩恵の偉大さ大切さを広められればと思っている。




  春未だ舟屋の鎖鳴らす風   


  夏雲や子の声揃ふ地曳網


  峰雲や小鯵輝く網を曳く   光晴
 
俳句はいずれも遠峰集より引用

 

(了)


文中写真 武藤光晴


令和4年10月
共に生きる
 市川 あづき
 




西尾いきものふれあいの里  
       
写真 市川 あづき 


 蒲郡から車で二十分ほどのところに「西尾いきものふれあいの里」がある。人と昆虫と動植物の生活共有空間である。四季折々の景色 を楽しみながら、様々な生き物に出会うことができる昔ながらの里山である。
 五月に訪れた時は、柳絮が舞うところを見ることができた。ふわふわと雪が舞うように美しい風景であった。植物の美しい生き方をぜ ひ見習いたいものである。

  柳絮舞ふ空の青さにふれながら   あづき

   田植の終った田んぼには、小さな生き物が蠢いていた。おたまじゃくし、蛙、ザリガニ、タガメ、ゲンゴロウ等々。「みんな生きている んだ」と実感する。「人間だけの地球ではないんだ」と改めて思った。
 池の水面すれすれに飛ぶ翡翠に出会えた時、その美しい姿を間近に見られることに感謝であった。

  翡翠の掠め水面の深緑      あづき  

 エゴノキが大きく茂り、花を咲かせていた。鈴生りの白い花が根方にも散り初めていて、とてもきれいだった。
 今年はすでに散り終えてしまった山藤を来年はぜひ、見てみたいものである。
(了)




令和4年9月
水を考える
 国枝 隆生
 




平湯の大滝  
       
写真 藤田 岳人 


 私達俳句を作る時何気なく「水」を詠んでいるが、実は漢字の中で、偏がサンズイで水を表す漢字が最も多いことを初めて知った。 氷、河、池、湖、海など数え切れない。
 「日本人は水と安全はタダだと思っている。」とはイザヤ・ベンダサンだったが、改めて水は何かを考えると、その恩恵、問題点な ど幅広い課題を持っている。まず「水の地球」と言われているように地球上の水は実に97%が海水、淡水は3%弱で、氷河などを除け ば利用可能な淡水はわずか0.7%である。また人間の身体も水でできており、赤児で80%、私達老人でも50%以上の水でできている。 その人間が一日に必要な水の摂取量は約2.5Lで、そのうち飲料として1.2Lを摂取する必要がある。
 次に水を世界的に考えればSDGs目標6に「安全な水とトイレを世界中に」とあるように世界は飲料水やトイレの水にも危機に瀕し た国が多く、この世界的な課題に対して日本は安全な水も多く、下水処理もかなり進んでいる。
 また日本が水の恩恵を受けている最も大きな要因は降水量の多い温帯気候のおかげである。
 
 近年、地球温暖化による影響により水の問題が多く起きている。日本は元来四季が豊かで季節ごとの降雨も恵まれている。しかしこの 温暖化が日本でもスーパー台風、線状降水帯、寒波などの用語が顕著になる。一方異常高温、熱帯夜、干ばつなど異常気象の極端化が発 生しているが、長期的に見れば日本の降水量は減少傾向にあり、水不足の方向に進んでいる。
 このような現状において、日本では水道の品質改善を目指しているものの水不足のトレンドは避けられない。
 私達は水の恩恵を受けるとともに水には癒し効果がある。最も顕著なのは海である。海の景観、レジャーなどが該当するし、陸上では 豊かな生態系の川、滝などの景観からも癒し効果が見られる。これらが私達の生活に潤いを与えるとともに、様々な水の生態系が俳句を 作る者にとって恵まれているのが水である。これら数多くの水の様相が多くの俳句につながり、秀句も多い。例えば神事となっている鵜 飼なども水の恩恵からの慰めの一つであろう。これら水の恩恵からなる俳句は多く、以下栗田顧問の例句から改めて水の恩恵に感謝した い。

  母残し来て束の間の磯遊び   (海) 栗田やすし
  底の石見えて舟着く水の秋   (川)   〃  
  滝凍てて全山音を失へり    (滝)   〃  
  ハリヨ棲む水に影濃き石蕗の花 (清流)  〃  
  鵜篝は太初の火色闇こがす   (鵜飼)  〃  
 

(了)


文中写真 醒ヶ井の宿の地蔵川 国枝隆生


令和4年8月
オオキンケイギク
 熊澤 和代
 




オオキンケイギク  
       
写真 国枝 隆生 


 五月の句会の折、川沿いを覆う様に咲く「オオキンケイギク」を詠んだ句が出ていた。北アメリカ原産のこの花はかつて法面緑化や観 賞に用いられていたが、環境を一変するほど強く、生態系に被害を与えることから平成十八年に「特定外来生物」に指定され、生きたま まの運搬、栽培、販売、野外に放つ等は原則禁止となった。見つけたら駆除しょうということであるが色々制約があり、違反すると多額 の罰金を科せられることもあるので注意が必要である。
 自宅の敷地内であれば、根こそぎにしてその場で二、三日日にさらして枯死させ、ビニール袋に密閉して燃えるゴミとして出す。種を 拡散しない様に土の移動も禁止である。
 
 自治体や団体で大量に処分する場合、種が無い時期には刈り取って花や茎のみの移動は可能である。
 駆除で生きたまま運ぶ場合は、特定外来生物の防除確認・認定を受ける必要があるので環境事務所に問い合わせる。日、場所を事前に 告知して、計画書に従って行う。
 持ち込んで不都合が生じたら駆除ではなく、リスクのあるものは入れない・捨てない・広げないを徹底する事が重要であると思う。

 梅雨寒や駆除の花にも花ことば    和代   

(了)


文中写真 国枝隆生氏による三重県北西部の道路


令和4年7月
温暖化により沈みゆく国
 松原 和嗣
 




マスクをした鬼滅の刃の案山子  
       
国枝隆生さん撮影


 キリバス共和国(人口約十二万人 首都タラワ)は太平洋中部の赤道に浮かぶ三十三の島々で構成される小国である。国土は長崎県の 対馬(約七百十k㎡)ほどだが、散らばっている島の東西は三千二百㎞と広いため、排他的経済水域は世界第三位である。
 広大な領域の為、日付変更線をまたいでしまい島によって日付が違うと言う不便を解消する為に、一九九五年に日付変更線を領域の東 端に移動させた。故に日付変更線はキリバスの辺りでコの字に曲がっている。変更線を東端に移した関係で、世界で一番早く朝を迎える 国でもある。なおキリバスの国旗は波打つ海に太陽が昇っている図柄となっている。ラグーンと白い砂浜のある島々の多くは無人島でダ イビングや釣り、バードウォッチングなどが楽しめる。
 キリバスの抱える深刻な問題は地球温暖化問題です。
 地球温暖化は人間の活動によって二酸化炭素をはじめ他の温室効果ガスを増加させ気温が上昇することを言うがその結果、気温上昇に より海水の膨張や氷河が融けるなどして海面水位は二〇世紀の間に一九㎝上昇したといわれ、サンゴ礁の島で成り立っている平均海抜約 二m(バナバ島を除く)のキルバスは水没の危機が叫ばれている。
 もちろん数年のうちに水没するわけではないが、最悪の場合、二〇五〇年度には国土の八〇%が海に沈むと言われている。
 また、キリバスの西約千六百㎞には、キリバスよりも先に水没してしまうと言われるツバル(人口約百二十万人面積約二十六k㎡)も ある。
 気候変動という、自分達だけではどうすることもできない外部環境によって、長年住み慣れた土地が水の中に沈んでしまうという危機 にさらされている国が世界には存在するのです。
 この恐ろしい状況に対し、世界はもっと関心を高め、改善努力をし、手を差し伸べていく必要がある。
  【二酸化炭素排出量比較】
 一位 中国 約九十億t ・二位 米国  約五十億t
 三位 インド約二三億t ・四位 ロシア 約十六億t
 五位 日本 約十 億t ・六位 ドイツ 約 七億t
 キリバス共和国 世界一九七ヶ国中一九六位

 ロシアのウクライナへの侵攻に対し、『戦争はダメだよ』と思っていると同様に、人類のエゴで尚且つ他国の要因により国がなくなる としたら、『環境破壊はダメだよ』と叫びたい。
 誰もが皆健康で文化的な生活を営むために。
 環境関連の新たなスローガンが出るたび、本気でやろうよこのスローガンと感じる。


  出征旗まきつけ案山子立ち腐れ   沢木欣一

(了)





令和4年6月
 橋本 ジュン
 




IPCCレポートの写真で、温度上昇の世界地図  
       
21世紀末の地球温度が4,8度上昇との予測


 パリ協定では、従来どおりの温暖化対策の場合、産業革命前に比べて平均気温が少なくとも4.8度上昇すると言っているが、2度 未満を目標、1.5度以内を努力目標としている。二〇一七年までに既に1度上昇しているので、許される上昇の許容範囲はほんの僅 か。そもそも温室効果ガスが全くなければ地球の平均気温は氷点下19度となるが、温室効果ガスのおかげで平均気温が摂氏14度で、 生命が存在できる。ただ温室効果ガスの僅かな増加を受け、平均気温が僅かな上昇でも、一部の種の生物の絶滅、海面上昇や巨大台 風の発生など、地球の様子が一変してしまう。このように地球と生命は微妙なバランスの上に成立している。
 温暖化の効果は、5割が水蒸気、2割がCO2。大気中の水蒸気濃度は、0%から4%まで変化し平均で0.4%。CO2濃度に至っては 実に0.04%と非常に僅かにもかかわらずである。
 この危うい地球と生命とは奇跡的に成立している。それを踏まえて俳句に接し句作に励めば、水蒸気の変化した雲も海も雪も愛お しい。

      お花畑いつもどこかに雲走る    都合ナルミ
      透きとほる珊瑚の海や雲の峰    栗田やすし
      春の雪光の雨となりにけり     河原地英武

 
(了)





令和4年5月
太陽光発電のジレンマ
 高橋 幸子
 




山間のソーラーパネル  
       
高橋幸子さん撮影


 十三年前、長野県合唱連盟の企画〈オーストリアのウィーンで合唱を〉に参加しました。終了後、伝統的な建物の街並みや、森やドナ ウ川のほとりを散策。歴史的な景観や自然を守る国民性を肌で感じました。
 帰路は、ドイツのミュンヘン空港までバスで国境越え。とたんに景観が変わり、点在するドイツの農家の屋根には、太陽光発電のパネ ルが輝いていました。家々も機能的で、装飾的なウィーンとの大きな差に目を奪われました。
 それから二年後の東日本大震災。ドイツは原発0へ舵を切り、太陽光や風力発電などの再生可能エネルギー政策を、自然保護との両立 で推進。日本でも、太陽光発電が脚光を浴び、屋根に太陽光のパネルを載せる家が多くなりました。我が家も「クリーンなエネルギー」 に惹かれ、大屋根にパネルを載せました。長野県東部は、年間を通じて晴れ間が多く、太陽光発電の適地なのです。
 それから十年余。近隣の遊休農地に太陽光パネルが設置され、新聞の折り込みチラシに「荒地・山林、貸して下さい、買い取ります」 の文字が踊るようになりました。いつの間にか山の斜面が無機質なパネルに覆われ、ヘクタール単位の山林や荒地が、大規模太陽光発電 所(メガソーラー)化した地域も出てきました。我が家にも太陽光発電仲介業者がやって来て、裏山を太陽光にどうかと持ち掛けます。 太陽光発電と電気自動車の組合せで、ゼロカーボンにも寄与できると言います。
 
 裏山は戦国時代からの先祖の歴史を秘めた山。遺構もあり、色々な動植物も生息しています。私の脳裏に十三年前のドイツとウィーン の強烈な印象が蘇ってきました。開発と保護とのジレンマ。今は野放図に開発が進んでいるように思え、どんな地域にしたいのか、何を 大切にするのか、大きな視野で取り組む必要があると考えさせられました。
 メガソーラーは、上田市の地域住民が反対の声を上げ、全国的にも、山林での施工に危惧が唱えられるようになりました。政府は20 20年に、環境影響評価(アセスメント)を太陽光発電にも運用することとし、2022年一月、埼玉県の或るメガソーラー計画に、見 直し要求を提出。大規模な森林伐採や盛り土造成を問題視し、動植物への影響など生態系破壊への懸念を示しました。
 豊かな森林を育てることは、生態系の多様性や水の循環を大事にすること。自然の奥深さを言葉で表す俳句には欠かせない要素です。 地元に在る〈山路来て何やらゆかしすみれ草〉の芭蕉句碑。この句を選んで建立した、明治時代の俳人達の思いが偲ばれます。 俳句が生まれる自然環境を育み、大切にしなければと、思いを強くしました。
 

(了)


文中写真  高橋幸子さん撮影


令和4年4月
スキー場閉鎖に思う
 奥山 ひろ子
 




木島平スキー場  
       
写真 奥山 ひろ子 


 一昨年のシーズンを最後に、長野市の飯綱高原スキー場が閉鎖になった。市街地から車で三十分で行かれ、一九九八年の長野冬季五輪 では、モーグルの競技会場ともなり人気があったが、経営難でその幕を閉じた。大きな要因となったのは雪不足である。
 スキー場のオープンは十二月二十五日から三月十五日。観光協会のブログを見ると、正月前の時期に十分な積雪がなく、雪を待ち望む 内容の年もあれば、開業しても継続的な降雪がないためコンディションが悪く、期間を切り上げて営業を打ち切った年もあった。
 
 気象庁のデータによると、一月の長野市の降雪量は、今年は寒波襲来で七十二センチあったものの、昨年は二十九センチ、一昨年は十 四センチであった。また一日の最高気温が零度以下となる真冬日の減少により、降った雪が解けやすくなっている。雪の減少で雪かきの 重労働は減り、車の運転もしやすい。
 子供たちはスノーブーツは履かずに、真冬でも軽快なスニーカーで登校する。「寒さ」と引き換えに暮らしやすくなった。しかしその 先の問題意識が希薄になってはならない。地球温暖化が問題提起されて久しい。十年後、長野県でスキーができるのか、切実な問題である。

  山頂の熱き珈琲朝スキー  ひろ子  

(了)


文中写真 国枝隆生氏による「ジャンプ競技の行われた白馬岳」


令和4年3月
すり鉢池の池干し
 伊藤 範子
 




捕獲されたブルーギル  
       
写真は「なごや生物多様性センター」のホームページから 


 猪高緑地を拠点として、自然観察会、竹林整備、炭焼、棚田での米作りなどの活動を行っている団体が多くある。毎週の活動の他に 近隣に住む若い親子を対象に、「自然観察会」「竹伐り体験」「稲刈り体験」「炭焼き体験」が毎年行われている。昨年の十一月に名 古屋緑成土木局の主催による「池干し」が行われた。
 猪高緑地には棚田やいくつもの溜池がある。中でも市街地に近く、市民の身近な憩いの場にもなっているのが「すり鉢池」である。 私が転居してきた三十年ほど前に木橋が掛けられ整備され、当時は水もきれいで、春になれば子ども達がザリガニ釣りをして賑わいも あったのだが、近頃は沢山の葦が池を覆い尽くし、水面の面積が激減してしまい、以前遊んでいた番の鴨の姿も見られなくなっていた。
 
 昨秋の池干しはポンプで水を抜き、底のヘドロに空気を当て、微生物による分解を促し池の水質浄化を図るものである。外来生物を駆 除し本来の生態系を守る大切な作業だ。参加者は百人、見学者も百人で大盛況であった。池に入る人は胴長、長靴での参加で、ポンプの 水抜き後、泥の底に残った魚を捕獲する。私は所用があり見学できなかったのだが、すり鉢池の池干しに、テレビ局のカメラも入り、夕 方のニュースで放映された。大変な賑わいで子ども達も貴重な体験が出来たことだと思う。
 捕獲された魚の数の第一位はブルーギルで三三八六匹、スジエビが一二四四匹、モツゴが一二三八匹だったそうだ。他に、ナマズ、コ イ、ザリガニなども捕獲された。それぞれ分類して水槽にいったん集めて展示し、係が魚の説明をした。その後外来種は駆除し、在来種 のモツゴ、スジエビなどは水位が戻るのを待ち、二月下旬に池に戻すことになっている。すり鉢池は現在水位が少しずつ上昇し、静けさ の中に時折散歩の人が通るくらいである。

 ひとすぢの草を咥へて池凍る   範子

 日本固有の在来生物を脅かす存在となっている外来生物はほとんど人の手によって運び込まれたものである。今残っている自然を守る ためにも一人ひとりが外生物を持ち込まないように気を付けたい。
 

(了)


文中写真 なごや生物多様性センターの活動風景 同hPより 


令和4年2月
学習の場としての植物園
 野島 秀子
 




東山植物園 ビオトープ  
       
写真  国枝隆生


 最近小学校から植物園へSDGsの取り組みや環境教育の一環としても児童への自然学習の依頼が増えている。そのねらいは「①自然 に親しみ、自然を愛する心情を育てる。②植物の葉や実などを観察することによって科学的な見方や考え方を養う。」とあり、園として はねらいにそえるよう観察に相応しい自然林の残る「東山の森」を学習の場として受け入れている。ガイドボランティアは園のアドバイ ザーと共に児童が楽しんで学習できるよう工夫に努めている。
 十一月の三年生の学習の様子を一部述べてみる、

     声上げて落葉時雨に手を広ぐ     秀子


 子どたちと拾った落葉を仲間分けした後、楠の落葉に焦点を合わせ葉の特徴で気付いたことを発表させると、「・・・葉脈が少ない (三本)、緑の葉がこんなに赤くなるとは、艶々して葉を揉むといい匂いがする等どんどんと発見していく。
 最後に楠は名古屋市の木であり、防虫効果があり、熱田神宮には千年を超す大樹や蛇の住んでる木もあることを付け足すと歓声が上がった。 感想に、いろいろな形の葉や団栗の名まえが分かって嬉しかった。また植物園に来たい等書かれていた・・・」植物園には美しい植物の 展示のほかに植物を学び保護する場としての役目がある。

(了)


文中写真 同園のビオトープ 国枝隆生撮影


令和4年1月
生物多様性条約COP15へ
 新井 酔雪
 




COP10の会議が行われた名古屋国際会議場  
       
写真  国枝隆生


 自然と人間との共生を話し合う国連の「生物多様性条約第十五回締約国会議」、通称「生物多様性条約COP15」が昨年の十月十一 日、中国の雲南省昆明で開催された。このCOP15では、二〇一〇年の名古屋市「COP10」で採択された二〇年までの長期計画「愛 知目標」を引き継ぐ新目標の策定を目指している。
 ここで、COP10を振り返ってみる。COP10の一番の成果は、採択は難しいだろうと言われていた締約国一九七か国が取り組んで いく長期目標を策定したことであった。議長国日本は、ぎりぎりまで折衝を粘り強く繰り返し、やっとのことで採択にこぎ着けた。ま さに議長国の面目躍如といったところであった。そして、その長期目標は「愛知目標」と名付けられた。
 この十年間、締約国それぞれが愛知目標達成に取り組んできたが、残念なことに二〇項目ある目標は、ひとつも達成できなかった。 しかしながら、次の六項目には改善が見られた。それをここに記す。「外来種侵入ルート把握、保護地域の拡充、遺伝資源利用の利益 配分の仕組み構築、国家戦略の策定、科学技術の推進、資源の倍増」である。日本のトキの復活もその成果のひとつなのである。
 
 それにしてもどうしてこんなにも目標が未達成となってしまったのだろうか。それを私なりに考えてみた。一つ目、そもそも十年で 達成できるような目標ではなかった。二つ目、目標がスローガン的で具体的な取り組みが明確でなかった。そのため各国の受け取り方 や取り組みがばらばらになってしまった。三つ目、国力に差があるので止むを得ないところもあるが、先進国と発展途上国の取り組み に温度差があった。四つ目、大国のリーダーシップが十分でなく各国の協調関係を築けなかった。アメリカにいたっては締約すらして いないのである。
 この原稿を書いているときには、COP15の第一部が閉幕して、愛知目標に替わる新たな目標を必ず採択すると力強く宣言されてい た。愛知目標の達成度は、一割程度という厳しい状況ではあるが、未達成項目からも、達成項目からも、今後の取り組む内容が明らか になった。この反省点を生かして、是非ともCOP15では、長期目標を策定・採択してもらいたいものである。
 これまで人間は、多くの生き物の種を絶滅に追い込んできた。季節の動植物を詠む俳人にとって、これは自分の首を絞めるようなも のである。俳人のバイブルである歳時記の季語の「動物・植物」を一つでも失ってはならない。我々は、生物の多様性を維持しつつ、ま たそのための努力をしつつ、豊かな自然の中、句を詠んでいきたいものである。

(了)


文中写真 伊賀のオオサンショウウオを守る会での等身大のオオサンショウウオ 国枝隆生


令和3年12月
棚田
 安藤 一紀
 




冬荒れの能登白米千枚田 十一月  
       
写真  武藤光晴


 島国日本の地形は、火山や丘陵を含む山地の面積が国土の七五パーセントを占めている。山地は谷によって細かく刻まれ、斜面は 急勾配でいきなり海に接し平野が狭く主に森林である。江戸時代藩の石高を増やすため急斜面にも石垣構築の技術を生かして耕作地 を増やす棚田が作られた。

     稲熟れて一枚となる千枚田     一紀

 今日その国土に線状降水帯情報がたびたび発せられるようになって、各地で大規模な浸水や土砂崩落が発生している。
 
 先日も静岡県熱海市で大勢の方が土砂崩落の犠牲となられた。この種事案は自然の営みである降雨がもたらすものであるが、その強 度、規模、多発化などに人類の活動に伴う地球温暖化が影響しているとされ、全世界に地球規模の対策が求められている。熱海の現場 では崩落の最上部に、人工物の盛り土が長期にわたり安全措置を講ずることなく放置されていたことが確認された。何れにしても人の 活動の副産物が甚大な被害を引き起こす要因となっている。
 日本は、山と海岸線が近接し入り組んでおり、四季の織り成す風光明媚な景勝地がいたるところにある。そのような場所は自然発生 的な山崩れの危険を内在しており、常に人の手による保全が必要となる場所でもある。

(了)


文中写真 上と同じアングルの夏の白米千枚田 国枝隆生撮影


令和3年11月
子供のための環境学習
 国枝 隆生
 




自転車発電証明書
       
写真提供  国枝 隆生


 二〇一五年頃まで第二の仕事として続けてきたISO品質、環境審査員を高齢のこともあって引退した。そのあともっと楽しく環境問 題に取り組んで行きたいと思い、三重県北勢地区にある「環境学習サークルみえ」に入会した。
 このサークルは主に小学生を対象に遊びを通じて環境問題を学んで貰おうというものである。その母体は三重県環境学習情報センター 主催の環境をテーマとした環境実態、課題を受講したメンバーの卒業生を中心としている。また活動の場としては、小学校への環境出前 授業、市のこども活動支援センター、県や各種団体主催の環境イベントへの参加活動を行っている。具体的なメニューとしては、
 ①遊びを取り入れた省エネルギー教室
 ②各種環境イベントに協賛した自転車発電の体験
 ③牛乳パック利用による望遠鏡工作
 ④手作りの風力発電機工作
 ⑤手回し発電体験による電力消費の知識習得
など数種類に亘っている。 
 ①には②や⑤も含めた授業としている。②の自転車発電には発電証明書を発行して子供達などへのインセンティブとしている。
 
 また私がもっぱら担当している⑤の手回し発電について説明すると、モーターを手で回して起こす簡易発電機により白熱電球、蛍光灯、 LED電球の三つの電球を灯す体験から、この時の発電に必要な力の入れ具合の違いを体感的に考えて貰い、最終的にどの電球に省エネ効 率があるかを知るまでを体験して貰う。その過程を子供達との対話から自ずと省エネ知識を養って貰う。このような遊びの中から子供達の 環境を考える素地になればと思っている。
 またサークルでは毎月の例会で最近の環境問題の現状を討論したり、各自テーマを持ち寄って発表したりして互いの知識を高めるように している。
 私自身としてはここでの発表なども含めて、地元の文化センターで「日本の四季から考える環境問題」として5回ほど講演している。 テーマは、地球温暖化、生物多様性、異常気象、プラスチックごみ、光害であったが、いずれも俳句と環境問題をリンクさせて発表した。
 他に三重県温暖化防止推進員として三重県と契約して環境活動を行っており、ここへは私の環境活動結果を随時報告している。
 このようにして環境活動を数年間続けてきたが、あと何年、子供達と学んでゆけるか見通せないが、少しでも楽しみながら環境問題の啓 蒙に貢献していきたい。  


     マスクして子らと折紙原爆忌    隆生
(了)



文中写真 サークルみえの学習風景 国枝隆生


令和3年10月
オリンピックの表彰台
 熊澤 和代
 




オリンピックの表彰台  
       
写真提供  東京五輪組織委員会


 連日の日本選手の活躍ですっかり馴染となったオリンピックの表彰台は、SDGs(持続可能な開発目標)に貢献する事を目指し、 P&G社協賛のもとに集められた使用済プラスチック容器二十四・五トンと海洋プラスチック〇・五トンを使い、日本の最先端の加 工技術と3Dプリント技術を活用して作られた大会史上初の市民参画型のリサイクル表彰台で、「多様性と調和」のメッセージが込 められたエンブレムの「組市松紋」を立体化したデザインと藍染めの色が日本らしい。
 この様に不用品に手を加え価値を高めるアップサイクルは多方面に渡っていて、脱プラスチックを目指す食器等は、紙パックに玉 蜀黍の澱粉を加えた植物由来九割の新素材で耐熱、耐久性に優れ三~五年で土に返るなど環境にやさしい取り組みが進んでいる。
 オリンピックでもエスコート役のボランティアの衣装にリサイクル繊維を、メダルトレイにはリサイクル可能な再生ABSを使用 して細部まで環境に気を配った大会であったが、大量の弁当が廃棄された事は本当に残念で、問題提訴してパラリンピックには改善 される事を祈っている。

       コロナ五波オリンピックの夏了る         和代
 
(了)





令和3年9月
 松原 和嗣
 




ゲンジボタル
       
写真 松原 和嗣


     川ばかり闇はながれて蛍かな    加賀千代女
     かたまるや散るや蛍の川の上     夏目漱石


 昔から日本人は、四季を通じて繰り返される自然の移り変わりを感性豊かにくみ取り、生活の中に取り入れ、夏の夜の闇に怪しげに 光る蛍の光景も多くの人に詠まれてきた。
 子供の頃、蛍狩りと言うと砂糖水を手に、「ホーホーホタルこい、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と歌ったが、蛍は甘 い水を好んで集まるわけではない。
 成虫蛍の寿命は一~二週間で、成虫時は水を飲むだけで餌は食べず、この間に交尾をし、産卵をし子孫を残す。
 そんな蛍の火。切なくなるような光に、燃え尽きる命のはかなさを感じる蛍火。
 蛍の生息には、水環境・水際周辺環境が重要である。 今回の蛍の観察場所の春日井市廻間町地内は、大谷川が新第三紀鮮新世の丘陵を開析して南西に流れ、その氾濫原に沿って集落や水田 が広がり、里山らしい日本の原風景が残されている。丘陵部は愛知高原国定公園に指定され、谷間には湧水湿地が分布し、その一画に は春日井市の天然記念物に指定されている「築水池のシデコブシ自生地」がある。
  この地域の新第三紀鮮新世の丘陵は粘土層と砂礫層で形成されており、粘土層が不透水層となり、砂礫層はろ過層の役割をはたし、 幾つかの湧水が大谷川に注いでいる。そのため、蛍の棲みやすいきれいな水が、一年を通し保持される恵まれた水環境の地域である。

 水際周辺環境条件には、餌となるカワニナが棲めること。
 幼虫が上陸し孵化するのに適した岸辺があること。
 成虫が飛翔し、休息できる木や草があること。
 産卵場所となる水路周りに植物や苔などがあること。
 などが必要であるが、この様な環境は、都市化の進む中でますます確保できにくくなっている。
 しかし護岸壁を一㍍近く登り、土のある所まで移動する幼虫の本能行動にはただ感心させられる。
 蛍を保全するために岸から一㍍幅は綱を張ったり、草刈りの時期を調節したり、看板を立て啓発を行ったり、カワニナの保護育成を したりして、少しづつではあるが蛍の個体は増加している。蛍の生息地は市内に六か所ほどあるが、この地区が最大の蛍の生息地である。
 コロナ禍で観察会は中止となったが、蛍は過酷な環境の中を生き抜き今夜も怪しい光を放っている。
       蛍火の明滅滅の深かりき   細見綾子
 この蛍火は、ピカーピカーとゆっくり強く光るゲンジボタルであろうと思う。


(了)



文中写真 カワニナの育成 松原 和嗣


令和3年8月
森の再生
 玉井美智子
 




玉井美智子氏の自然観察会  
       
写真  玉井美智子


 瀬戸市は言わずと知れた焼き物の町。山林は尾張藩の御料林として、また藩の重要な産業である瀬戸焼の燃料の供給地として、広 く松が植林されていたが、明治時代中期には幾度となく乱伐され、禿山が広がっていた。  ホフマンによる治山事業に加えて、明治末期から大正にかけて窯業界が石炭・石油等への転換を進めたこともあり、ソヨゴやアラ カシなどの常緑樹、コナラやリョウブなどの落葉広葉樹の森に再生したが、放置された里山の木々は大木に成長し、人手が入らなく なり、林内への陽光を遮り暗い森となった。
 二〇〇四年から、「猿投の森づくりの会」という山を愛するボランティアグループが林内の間伐、除伐、また林道・遊歩道の整備 を通じて自然災害に強い生物多様性豊かな森を目指して活動を開始した。チェンソーなどの道具を抱えての上り下りは足腰に負担が かかり大変であったと思われるが、幹回り一・五メートルの枯死木二本の伐倒作業なども行われた。そのお陰で現在、野鳥の囀りや 蔓竜胆などの山野草を観察しながら遊歩道を散策出来るようになった。
 「猿投の森づくりの会」の皆さんに感謝したい。

       尾を垂らし三光鳥の抱卵期         美智子
 
(了)





令和3年7月
SDGsと俳句
 国枝 隆生
 




再びSDGsのポスター
       
 最近、新聞等のマスコミでSDGsという言葉をよく聞く。「持続可能な開発目標」と言い、国連発足から70年目の2015年に「未来 あるべき姿」として定められた。具体的には17の目標に分けられている。これらは多岐に亘っているが、どれも世界全体にとって重要な 課題ばかりで、2030年を達成期限としている。
 例えば最初に挙げられている貧困①、飢餓問題②は、
  短夜の飢ゑそのまゝに寝てしまふ   沢木欣一②
と詠まれたように、飢えは終戦直後の日本にとって切実な問題であった。しかし今でも世界は貧困、食糧危機に陥っている国は多く、 特に昨年からの新型コロナウイルスにより国単位の格差が大きくなり、深刻な問題となっている。
 とりわけ環境問題においては多くの目標を掲げている。安全な水⑥、クリーンなエネルギー⑦、気候変動対策⑬、海の豊かさ⑭、生物 の多様性⑮などである。


     ハリヨ棲む水に影濃き石蕗の花   栗田やすし⑥

     靴履きてリビング歩く溽暑かな    朝妻  力⑬

     海を断つコンクリートに寒鴉     栗田やすし⑭

     螢飛ぶ闇の底なる千枚田     栗田やすし⑮



 などこれらの句はSDGsに繋がっている。ということはこれは産業界、業務分野だけでなく、私たち日常生活においても密接に関わり を持っている。その目標達成には、意識を持った行動が必要となる。
 例えばプラスチックごみの削減は生物多様性の維持、気候変動対策、海の安全に寄与することが出来る。また外来生物対策は絶滅危機に 瀕している生物の保護につながり、この貴重な生物が私たちの生活に潤いを与えている。
 環境問題は日本としてもこれまで取り組んできたが、さらにSDGsのグローバルな目標として一段の取り組みが必要となる。日本とし ても2050年までの脱炭素社会に舵を切った以上、その中間年である2030年までがSDGsの達成年であることに思いやれば、これ までのようにのんびりとした考えでは地球はますます危機に瀕する。
 そして究極的には何と言っても、平和への希求⑯が最も重要な課題で、まだまだ世界はテロにまみれている。

     松過ぎの運河にテロの紙面浮く   栗田やすし⑯

 これまで紹介してきた掲句などはほんの一握りのつぶやきかもしれないが、いずれも日本全体の意志として前面に出すべき課題である。 SDGsはまだ端緒についたばかりであるが、2030年まであと9年の余裕しかないことを念頭に俳人としても意識を持って行動するこ とが大事ではなかろうか。

 各項目や俳句の下段にある数字は以下の
  「SDGsと俳句」における該当目標のカテゴリー

目標 1 あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ
目標 2 飢餓をゼロに
目標 6 すべての人々に水と衛生へのアクセスを確保する
目標 7 手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセスを確保する
目標 13 気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る
目標 14 海洋と海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する
目標 15 森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、なら びに生物多様性損失の阻止を図る
目標 16 公正、平和かつ包摂的な社会を推進する

 
(了)





令和3年6月
真闇とLED
 高橋 幸子
 




  
       
写真提供 所 卓男氏


 私の住む山里には、二十年程前まで「真闇」がありました。月明かりがない夜は足元も見えないほど深い闇。ところが今はコンビ ニができLEDの外灯も増えて、うっすらとした闇に変わりました。そして沢山出ていた蛍も少なくなり、光も鮮明でなくなりまし た。LEDの外灯の明かりが直接目に入ると、眩しすぎて蛍どころではありません。特に姫蛍が紡ぐ繊細な光は、LEDの外灯の光 を遮けて、ようやく朧に見ることができます。

     螢火の今宵の闇の美しき   高濱虚子

     螢火の明滅滅の深かりき   細見綾子


 「闇」は、自然界の命の営みのはかなさや尊さ、神秘さを教えてくれる背景として、大切なものだと思います。
 急速に普及したLEDは省エネ・長寿命が取り柄。紫外線がほとんど無く、紫外線に集まる虫が寄ってこないなど人間の生活には とても便利です。半面、直接目に入ると眩しく、特に青色光は、長時間見つめると目や生体リズム、睡眠などへの影響が懸念される という話も聞きます。
 穂高嶺の真闇に著き天の川…「伊吹嶺」同人の一紀さんの御句ですが、人工的な明かりの全くない底深い闇だからこそ、天 の川の輝きが著しく、胸に迫ってきます。
 
(了)





令和3年5月
庭の雑草に思う
 武藤 光晴
 




意外と綺麗な桔梗草
       
写真  武藤 光晴


 外房に引っ越して七年を経た。この決断はそれまでの住居の周りに草木が少なくなり、ごみごみとした都会的環境に少し飽きてきたの も原因の一つであった。
 ただ寄る年波を考えれば、駅やスーパーなどにあまりに遠く不便なのも困る。家はともかく、海山が近く、少し広い庭が欲しいと現住 所に落ち着いた。二年近く空き家となっていた庭は雑草の天国であった。
 鳥が運んできたのであろうが実生の色々な草木が芽を出してをり、どんな花を咲かすかと日々楽しんでいた。しかし、時を重ねるに付 けそれら草木の勢いに気圧される事となった。
 一番の困りものは茅萱である。茅花吹く等と人様の敷地にあるものは、風情も感じ近辺の句材の一つにしていたが、土の固いところや 庭樹の根元など掘りにくい所に所構わず生える。根っこから始末しないと、直ぐに鋭い危険な芽が出て剣山のようになるのだ。
 また、引っ越した当初はお隣に古家と竹の防風垣などもあり、我家の槇の生垣には烏瓜、薮枯らし、灸花、サルトリイバラ、忍冬など 蔓性の植物も絡んでいた。これらも最初の一,二年は自分の家でこんなにも色々な花が見られると楽しんでいたが、困りものとなってき た。
 名前を知っている雑草で我家に生えている物を列挙すれば、烏の豌豆、仏の座、姫踊子草、垣通し、万年草、三つ葉土栗、タカトウダ イ、桔梗草、雀の帷子、かもじ草、カヤツリグサ、姫小判草、春女苑、姫女苑、ゐのこづち、猫じゃらし、赤まんま、ヤブジラミ、母子 草、父子草、すかんぽ、ギシギシ、禊萩、茨、カタバミ、オオバコ、蒲公英、ノゲシ、それに忘れていけないのが、杉菜いわゆるツクシ ンボだ。
 その他名前の解らない草や折角だから大事にしている捩花や彼岸花もある。また、ユスラウメかと育てたらコムラサキで、こんな楽し い発見もあるのだがブツブツ言いながら庭仕事をこなしている。
 これら雑草も全国的に見れば大分減ってしまっているだろう。少しは残し、俳句にも詠んで昔からの環境を大事にしたい物でもある。 雑草との格闘の日々ではあるが、これらの生命も無くしてしまうには余りにもむごいことであろう。自然環境の変化を感じつつ、万物の 命を有難く感じつつ、ゴミ屋敷にはならぬよう手入れも怠らずして暮し、折に触れ庭も詠んでゆきたいと思っている。
 


     椎の花終の棲まひの庭に散る     光晴
     吾が庭に突如一本ねぢればな    光晴
     仏壇の供花に添へ足す草の花    光晴
遠峰集より3句
(了)



文中写真 姫小判草 武藤 光晴


令和3年4月
海を越えるアサギマダラ
 野島 秀子
 




  
       
写真  国枝隆生


 俳句を始めた頃、渥美半島へ鷹の渡りを見に出かけた。渡りには合えなかったが、おびただしいアサギマダラの群れが人影に逃げ ようともせずひたすらに鵯花を吸蜜する姿が印象に残った。今思うに渡る直前の群れであったに違いない。アサギマダラが海を越え る「渡り蝶」であることは本州の各地からマーキングして放した蝶が喜界島や沖縄などで再捕獲されたことによって証明されている。

    秋空へ手のひら蹴つて蝶発てり     斉藤 洋子

 身近な例では、愛知池の端にこの蝶のために意図的に植栽された藤袴ガーデンを訪れた昨年、ここでマーキングした蝶が屋久島で 再捕獲されたと話題になっていた。この蝶の移動の一例として、早春の喜界島や沖縄等の島々→新緑の本州→夏は高原→秋は中部地 方や四国→晩秋は暖かい九州の南から沖縄等の島々へ戻ると推定されている。
 世界にもまれな世代交代をしながらの蝶の渡りが成り立つのは、日本列島には①この蝶の食草(鬼女蘭、桜蘭等)と吸蜜植物(鵯 花、白の栴檀草等)が途切れなくある。②この蝶に必要な体を休め眠れる森があるからと言える。
 豊かな自然のある証しともいえるアサギマダラがいつまでも見られるような環境の保全に心を寄せていきたい。
 
(了)





令和3年3月
竹伐り
 伊藤 範子
 




名東自然倶楽部の活動
       
写真  伊藤 範子
 家の近くに全体で六十六ヘクタールの広大な猪高緑地があり「名東自然倶楽部」が里山保全の活動をしている。毎年十一月には「竹林 管理体験会」が行われる。今年は検温、マスク着用などの対策を行い開催された。スタッフを含め九十八名、参加者には親子連れも多く、 自然倶楽部会員指導のもと、竹伐りが行われた。春の「筍掘り体験」が新型コロナによる自粛で開催できなかったため、猪高緑地の孟宗 竹の生育も著しく、竹林はいっそう鬱蒼としていた。平成三十一年三月号で「竹害」について国枝さんが記述しておられたように、竹を 伐採しなければ里山の自然が竹林と化してしまう。

 先ず伐り方の指導があった。伐採の竹は「傘を差して歩ける程度に間引きする」ように選ぶ。密になっている竹のうち、伐りやすい太 さの竹を探し、水が溜って蚊が発生しないよう節の直ぐ上で伐る。倒れた時に人や障害物がないことを確認することも大切だ。次に倒し た竹を定尺棒で寸法切りと枝払い(枝打ち)をする。剣道の上段の構えのように、払い棒を頭上の後ろから大きく振りおろすようにと教 わった。
 枝分れしている付け根に焦点を定めているつもりでも集中しないと空振りし、竹そのものに打ち付けてしまったりもした。しかし集積 場に積み上げた伐採竹を見上げて少しは役に立ったのだと思えば充足感のある疲れだった。

    竹伐つて日向日陰の生まれたる      範子

 親子連れのグループは安全第一に体験してもらうため、一家族につき一本程度の竹伐りと枝打ちをしていた。竹伐りのあと、家族連れ は、昆虫の幼虫が育っている落葉の堆積場を見学。一時間半ほどの体験でも里山の自然に親しむ良い機会になったことだろう。
 猪高緑地には蘭をはじめとして希少な植物や生物が生息しているとのこと。自然倶楽部では里山の環境保全のため、竹伐採の他、棚田 の田植、稲刈り、ヌートリアの罠の仕掛けと巡回などを行っている。会員は、六、七十代が多く、皆さん頑張っておられるが、将来も活 動を継続できるよう、会員の増員が課題である。
 主催の「名東自然倶楽部」  ホームページはこちら
http://sizen.ciao.jp/
 なお、今回の体験会には名古屋市の「e-ねっとなごや」という生涯学習のコンテンツ制作のため、市職員の参加があった。竹伐りの紹 介を三十秒程度の動画とともに、令和三年三月頃アップするとのこと。「e-ねっとなごや」で検索していただければと思う。

 
(了)



文中写真 伊藤範子


令和3年2月
吾亦紅
 国枝 洋子
 




洋子さんの吾亦紅  
       
写真  国枝隆生


 十数年も前の春、近所の草地の道端で、吾亦紅の新芽が出ているのを見つけ、根をつけて少しばかり取ってきたのを庭の隅に植え てみた。それが我が家の土に馴染み、秋にはポツポツと花を咲かせ、少しずつ殖えていき、毎年綾子忌を待つかのように満開になる のが楽しみになっていた。
 それが二年続きの猛暑のせいか花芽が出てきたかと思ったら、ことごとく枯れてしまい、はだけは元気なので、枯れた花芽だけ摘 み取ったら、その脇の方から新しい芽が伸び、涼しくなってきた十月頃やっと少しだけ咲き出した。
 本来吾亦紅は涼しい高原の野にふさわしい花で、子供の頃遊んだ野や道端でもよく見受けられた。
 それが今ではなかなか出会うことも出来ず、たまたま住宅地の荒れ地で見つけたのは幸いで、今はそこも駐車場となり、自然がど んどん失われ、地球温暖化による気象の凶暴化で植物も動物も生きづらい時なのかもしれない。草も木も手入れをしないと荒れ放題 となり、また貴重な草木は刈り取られ、私には何一つ環境を守るようなことは出来ないが、せめて庭の吾亦紅に落ち葉の布団でも掛 けて、来年こそ沢山咲かせたい。

    野の花にまじるさびしさ吾亦紅      細見 綾子
 
(了)





令和3年1月
鵜の山
 新井 酔雪
 




鵜の糞で白くなった木々
       
写真  国枝 隆生


     苗代の水ひゞかせて鵜の鋭声     沢木欣一
     烏瓜の花よ鵜の巣の三番子     細見綾子
     見張鵜のはばたきしのみ山眠る    栗田やすし


 掲句は、先生方が知多半島のほぼ中央に位置する知多郡美浜町の「鵜の山」で詠まれた句である。「鵜の山」は、古くから川鵜の群生 地として知られているが、近年のその川鵜に大きな変化が起きている。
 「鵜の山」の川鵜と地元民とのかかわりは古い。江戸後期の天保年間には、川鵜の糞を肥料として利用するため、地元民が「鵜の山」 に出入りしていた。そして、明治時代には、糞の採取を入札制にし、収益を災害復興費や困窮者への救済金として活用していた。また、 大正時代の初めには収益で小学校が建てられた。このようなかかわりの中で「鵜の山」の川鵜は、法律で手厚く保護され、昭和九年に国 から天然記念物に指定された。しかし、昭和三十五年頃から川鵜は、「鵜の山」から次第に隣接の丘陵地へ移動し始め、昭和四十五年頃 には全く姿を消してしまった。

 そこで「鵜の山」やその周辺の環境を見直した。すると日本が高度成長期に入った頃から、大きな環境の変化が二つあった。一つは、 水質汚染により餌の魚が減ったこと。もう一つは、川鵜の糞を肥料として利用しなくなり、その糞によって「鵜の山」の樹木が枯れたこ とである。つまり餌と住処がなくなったので、川鵜が減ったのである。
 長年共生の関係にあった川鵜の絶滅を憂慮した地元民は、水域環境を改善し、荒れた森に植林し、営巣台を設け、川鵜が「鵜の山」に 戻ってくるのを辛抱強く待った。その努力が実り、昭和五十五年頃から再び川鵜が営巣し始めた。その後順調に数は増え、平成に入ると 「鵜の山」は、愛知県内に生息する川鵜の総数の半数、約一万羽が暮らすコロニーとして見事に復活を果たした。
 しかし、その後川鵜は再び減少して、やがて姿を消してしまった。「鵜の山」の樹木がまた枯れ始めたのである。今我々には二つの選 択の道がある。一つは自然の循環に任せること。糞を肥料として利用する前はその循環があった。しかし、森林全体が減った今、川鵜が 戻ってくる保証はない。もう一つは「鵜の山」の土壌改良と植林を行い、再び川鵜が戻ってくるようにすることである。今がその分かれ 道なのである。
 現在、川鵜をわずかに見ることができるのは、「鵜の山」の近くの「鵜の池」である。「伊吹嶺」の会員で吟行された方もおられると 思うが、池の周辺で細々と営巣している。そして、その池の片隅に碧梧桐の句碑「鵜の音雛(もろ)とも巣立つがもろ音」がひっそりと 建っている。


(了)



文中写真 壁の句碑 国枝 隆生


令和2年12月
環境のために出来ること
 熊澤 和代
 




中国蘇州の汚れた運河  塵の浮かないところを撮ったつもりが・・・
       
写真  武藤光晴


 新型コロナウイルスの蔓延で、世界のあちこちでロックダウンが実施され、全ての活動が厳しく制限された結果、中国やインドの 大都会には青空が戻り、ベネチアの運河の水は泳ぐ魚が見える程に浄化された。無人の町を野生の動物がのんびりと歩く姿も見られ て、たかが数ヶ月の活動停止によって自然環境がこんなにも改善された事に驚いた。
 技術の進歩により生活は見違えるほど豊かになったが、その為に起こる環境破壊は計り知れない。地球温暖化に伴う異常気象の起 こす災害等を少しでも防ぐために今、私たち一人一人が取り組める事を考え、それを実行して行くことが大事だと思う。
 例えば海洋汚染の主な原因は処理されずに流出したプラスチックゴミで、国内で回収される量は年間3万トンにもなるとの事。美 しい海を守る為に便利なものだけでなく環境に配慮したものを選ぶ事や、エコバックの利用、使い捨ての容器を止める、料理は必要 な量を作って残さない、また資源ゴミはきちんと分別してリサイクルすること等で大幅なゴミの削減になり、この積み重ねが海洋汚 染ばかりでなく温暖化の防止や、生物多様性を守る事にも繋がって行くのではと思う。

    流れ寄るブイにハングル能登の秋          和代
 
(了)





令和2年11月
新型コロナウイルスから環境を考える
 国枝 隆生
 




センザンコウ
       
写真  「NATIONAL GEOGRAPHIC」 2020.6.23号」より引用


     けふもまた籠もりてをれば百千鳥    河原地英武
     夏に入る自粛つづきの無精髭    栗田やすし


 世界中を恐怖に陥れたと言っても過言でない新型コロナウイルス(以下新型コロナ)の止む気配はない。武漢の野生動物を扱う市場から 端を発した動物から人への感染がウイルスへ発展した。
 どのような経路で人間の感染に拡大したかはまだよく分かっていないが、一般的に言われていることを紹介すると、人口増、社会の都 市化に伴い、自然破壊が進み、野生動物のすむ場所がなくなってしまった。その野生動物が人間社会に近づいてきたためである。いわば 新型コロナの蔓延は環境破壊が生みだした産物と言える。
 それは人間が野生動物をブッシュミートとして市場に流通させたからである。今回は野生コウモリが持ってきたコロナウイルスが別の 中間宿主のセンザンコウに感染し、これが市場で取引されて、新型コロナとなったという。

 ところで今回の新型コロナでは医療面、経済面で大きな打撃を受けたが、環境面では新型コロナをどのように捉えたらよいのだろうか。
 今年の春、世界中がロックダウンなどで経済がストップしたとき、世界各地でCO2排出減に伴う環境改善が見られた。世界中から大気汚 染がなくなり、各地で驚くほど、遠くまで景色が見えたという。これをデータ的に見ると、イギリスの「Nature Climate Change」の発 表論文では、今年一月から四月までのCo2排出量が実に17%減となり、2006年の排出量と同等程度まで急激に減少した。
 即ち人類は生命の危機感があればCo2を削減出来ることを学んだが、逆に日本での第二波のように、我慢が必要であるものの長続きしな いことも学んだ。
 今後ポストコロナに向けて我慢せずに経済を復活させ、日常活動の中でCo2排出増加を抑えることが必要であり、そのためには生活スタ イルの改良によって環境改善を行う。即ちグリーンリカバリー対策が必要となる。
 私たち俳人としては今後ウイズコロナの中で俳句とつき合うことになるが、作句面においてどう向き合えばよいのだろう。一例として栗 田顧問の「これを機に日常吟に挑戦してみてはどうか」の発言が一つの指針となろう。冒頭の主宰、顧問の句がウイズコロナの日常吟であ り、大いに参考になる。さらにウイズコロナにおいても私たちは環境と大事にし、自然を大切にすることが基本であり、この自然を詠むこ とがグリーンリカバリー活動の一つであろう。

     コロナ禍の街のしづけさ燕とぶ     下里美恵子
 
(了)



文中図表 「Quere et at Nature Climate Change」より引用


令和2年10月
生きた化石「オオサンショウウオ」の保護
 玉井 美智子
 




瀬戸の山椒魚
       
写真  国枝 隆生


 オオサンショウウオは、世界最大の両生類で三千万年も前から大きくその姿を変化させることなく生き延びており特別天然記念物 に指定されている。毎年開催されている「観察会」に登場する全長一メートル弱のオオサンショウウオは、初めて見る者には驚きの 大きさと容姿であり、成熟年齢や寿命も、性別も分からない謎だらけの生きものである。
 瀬戸市は、分布の東南限となっており、マイクロチップによる個体識別で追跡調査を行っているが、現在八十二個体が確認されて いる。人工巣穴での産卵が確認されているものの幼生や体長五十センチ未満のものはほとんど見つかっていない。以前、産廃業者が 上流にフェルシルトを大量投棄して大問題になったことがあり、オオサンショウウオをとりまく状況もここ十年変化しつつある。生 態解明のための調査、研究は行なわれているが、異常気象や温暖化現象が原因の極端な出水により巣穴が流失したり、生息環境の破 壊等により大きなダメージも受けている。
 現在、瀬戸市では地元の有志による積極的な保護活動で人工巣穴や川の上流、側溝の清掃や草刈りなどを行い貴重な「生きた化石」 の種の保存を図っている。

    はんざきの脱皮はらりと水に透く          美智子
 
(了)





令和2年9月
瀬戸川沿いのウォーキング
 矢野 孝子
 




陶土の採掘場
       
写真  国枝 隆生
 今年の三月初旬から毎日、家のすぐ近くの瀬戸川の遊歩道を歩いています。新型コロナウイルスの蔓延で、日常の生活に諸々の制限が 出始めた頃から、運動不足の解消の為にと五千歩程のウオーキングを始めました。


     つばくらめ陶土にごりの白き川    沢木 欣一

 沢木欣一先生が、昭和五十三年に「風」の連衆と瀬戸市を訪れて、詠まれたのがこの瀬戸川です。その当時は、陶器工場が流す陶土混 じりの水で濁っていました。その後、排水にも工夫がなされ、陶器工場の減少とも相まって、小魚や川底を歩く亀も確認出来るほど澄ん だ水になりました。
 歩き始めた頃は、土手の並木の桜はまだ蕾も固く、その辺りも枯れ色でした。桜が咲き初める頃には、土手には虎杖の芽が赤茶の色を 加え、岸辺には葦の芽が出揃い、まさに「春の息吹」を実感しました。我々人間は、大きめのマスクをして、新型ウイルスのニュースに 神経を尖らせる日々が始まっていました。
 やがて桜が散り、初夏の日差しを感じる様になった頃には、葉桜の濃い影が出来ました。涼しく心地よい風が通い始めたのです。外出 自粛要請の出ている中でしたが、人々が木陰に憩い、ボール遊びに興じ、中には段ボール箱を机に宿題に取り組む親子までも・・・。川 岸では葦の茂みを踏み倒して、子供達の川遊びへの通い道が現れました。

 六月に入ると、増水で中洲の草が薙ぎ倒されている景も目にします。日が差せば昼顔が咲き、午後には葦や蓬が何も無かったように起 き上がっているのです。
 七月頃には、主役交代のように岸辺や土手の茂りを葛や藪からしの蔓が覆い始め、夏本番です。
 我々は、マスクの蒸し暑さに閉口しながらも、木々の緑や川音に癒やされる日々です。生物は「季節の今」を受け入れて、粛々と生き ているようです。
 俳句界では、コロナ禍に直面した途惑いやマスク等を題材に詠んだ俳句を目にするようになりました。「伊吹嶺」のインターネット部 では十年以上前から俳句を通して、「環境問題」に取り組んでいますが、私はと言えば、かなり漠然とした知識しかありませんでした。
 しかし、川沿いを歩く事により、生物の営みがより身近になり、人間もその中のほんの一部に過ぎない事を実感したのです。動物や植 物がせめぎ合い、共存し合い、時には助け合っている中で、人間の都合のみでは解決出来ないものであると。コロナ禍の中でのウオーキ ングは、改めて「自然とは、環境とは」を考える機会を与えられたように思えてきました。
 
(了)



文中写真 瀬戸川 国枝隆生


令和2年8月
再度ほととぎす
 国枝 洋子
 




大神神社の大鳥居と耳成山
       
写真  国枝 隆生

 子供の頃家の近くでよく聞こえていたほととぎすの声は淋しげであまり好きになれなかったし、関心も持てなかった。それが俳句に親 しむようになり郷愁を感じたのか気になる存在になってきた。この地に住んで初夏になると、朝な夕なに聞こえてくるほととぎすの声に どれ程癒されてきたことか、しかし今では森がなくなり、小鳥の数も減り、ほととぎすの声も聞かれなくなってしまった。

 そこでこの季節になると、夫と「ほととぎす吟行」と勝手に決めて、明日香や山の辺まで出かけることにしていたが、今年はコロナ禍 で遠出が出来なくなり諦めていた。たまたま郊外の自然豊かな公園へ気分転換に出かけたら、思いがけずほととぎすの声を聞くことが出 来た。


     ほととぎす一つところに幾度も     細見綾子

     ほととぎす耳新しくなりにけり      沢木欣一


 まさにこの句のとおりで同じところで何度も聞いたり、聞くにつれ気持ちも新しく感じることが出来た。
 地球温暖化による異常気象や自然災害の多発している昨今、私たちがこれ以上環境破壊に手をかさないで、一人一人が自然を大切に思 って行動することが最低限必要ではないかと思っている。
 
(了)



文中写真 二上山 国枝隆生


令和2年7月
新型コロナウイルス
 松原 和嗣
 




疫病祓え(上総一宮 玉前神社の夏越し)
       
写真  武藤 光晴


 新型コロナウイルス対策で、ゴールデンウイークがステイホーム週間と呼び変えられ、今迄と環境が一変した。
 以前ならば風土病で片付けられた新型コロナウイルスが、グローバル化された社会により、歯止めが利かなくなり、「経験したこ とのない危機」に人類が陥った。
 コロナ感染症のパンデミックは、途上国も先進国も、国内外もあなたと私の区別なく、ありとあらゆる国・地域と個人が当事者と して、「目に見えないコロナウイルス」との戦いである。
 どれほどのものか、アメリカは九年間のベトナム戦争の自国兵士の死者数は五万八千人超であったが、新型コロナウイルスは、三 カ月で六万二千人の命を奪った。恐るべき猛威である。
 日本においては、五月四日現在五一〇人が新型コロナウイルスで亡くなっているが、死者数を類似の病気で比較すると、インフル エンザ一万人、肺炎十一万人が年間に亡くなられている。これからの動きは予測できないが、コロナウイルスの死亡者は少ない。冷 静に対処し感染しないよう、させないよう取り組めば、必要以上に怯える心配はない。
 シンプルに、大切な人、大切なものそして自身を今まで以上に大切にすることを考えればおのずと各自の対処方法が決まって来る かと思う。
 感染拡大の防止と社会経済活動の維持との狭間で一悶着ありながら、新しい生活様式で爆発的拡大は抑えられ、時間の経過と共に 皆に集団免疫ができ、ワクチンも開発され終息を迎える事だろう。しかし早い時期に終了してほしいものである。
 ただ、今回の経験を生かし危機に対して強い社会環境を確立し、各自の自粛方法が笑い話となる日が来ることを願うばかりである。
 発病から数日で亡くなる等の報道で、新型コロナウイルス感染症に対する関心は高まったが、より以上に影響度が大きい地球環境 問題は、結果が見え難く、また各自の努力が速やかに反映し難い所為か、もう一つ盛り上がらないが残念である。
 自粛の中での楽しみ
  裏庭に小屋作り(DIY)を始めた事。
  孫と、夏野菜の植付けなど畑仕事。
  ラインでのビデオ飲み会の開催。

   上棟の宴満開の花の下       和嗣
   種蒔に畝踏み荒らす児の続く     和嗣
 
 
(了)





令和2年6月
北限の海亀産卵地上総一宮
 武藤 光晴
 




卵を産み終えて海へ戻る親亀
       
写真  一宮町広報誌から
 私の居住する上総一宮は外房九十九里浜の南端に位置する、人口一万二千人程の小さな町である。 海岸線はもちろん砂浜であるが、 人為的な環境劣化による物ばかりではないだろうが、毎年縮小しているようである。
 この砂浜には、アカウミガメが産卵に来るそうで、此処が産卵の北限に当たるそうだ。今年は五輪のサーフィン会場となる場所に産み 落とされ、保護活動の人々は昼夜テントを張って悪戯をされぬように見張っていた。


 産卵は毎年六月から八月頃、人目の付かない夜間に行われる。臆病でヘッドライトが当たっても戻ってしまうと言うことだ。砂浜が綺 麗で暗さ、水温などの条件が合わないと亀は産卵のための上陸はしないそうである。さらに孵化までは六十日を要し、砂の温度が下がる 日に子亀は海に向かうとのことである。
 海岸線の変化や汚染状況は人間だけのものでは無いかも知れぬが、ビニールやプラスチック塵が多いのも事実である。環境保全は亀の 産卵にも必要なことで、サーファーにとっても海亀に取っても貴重なこの上総の海を大事にして行きたいものである。


     赤とんぼ群る海亀の産卵場     光晴
                      (19年伊吹嶺誌12月号遠峰集)
     豊の秋海亀生まれ出し跡       光晴
                      (20年伊吹嶺誌1月号遠峰集)



 
(了)



文中写真 孵化寸前の浜辺 武藤光晴


令和2年5月
植物による放射性セシウムの浄化に向けて
 野島 秀子
 




ぎしぎし(すかんぽに似ているが、葉の付き方が違う)
       
写真  武藤 光晴
 最近「植物の環境浄化ー福島の原発事故から学ぶことー」というテーマで名古屋大学の生命農学研究科の試みを聞く機会があった。
 重金属による地下水や土壌の汚染は、これまでもカドミウムのイタイイタイ病、水銀の水俣病など様々な健康被害をこうむってきた。こ れらの汚染対策として、二〇〇三年に土壌汚染対策法が施行され「排土や客土の洗浄や熱処理、電気的回収」等の方法がとられるようにな った。

     野ざらしの除染土嚢や雪二尺   育子(母郷、岩手県)
     埋めらるる汚染土凍る神の苑   育子(岩手県・一一・三)

               しかし、この土壌汚染対策法も福島の原発事故の放射性セシウムを含む除染対策にはなすすべもなく、今も幾千万とも知れない除染土嚢 が積み重ね放置されたままになっている。その耐候性大型土嚢は写真で見る限りではさほど大きく見えないが最大容量は一立方m、最大中 詰め二トンも入る大きな物である。現在は漸くこの除染土嚢を中間貯蔵施設に移し始めたので以前よりは土嚢の数は減ってきてはいる、と は言うものの、この土嚢は更に二〇四五年までに最終処分地に移しなおす計画だという。しかし、その広大な最終処分地の受け入れ先やど の様に処分するかはまだ決まっておらず気が遠くなるような問題が山積みしている。
 そこで、そのような土壌汚染の現状を、名大の生命農学研究科では、放射性セシウムを集積する能力の高い植物を除染土上に栽培し、放 射性セシュムを集積し浄化させたら・・!。その仕組みが軌道に乗れば、最終処分場の負担は軽減されるのではないか!と考えての試みで ある。

 研究の手始めに、福島第一原子力発電所事故の年と翌年の二年にわたって(放射能の被爆に気を使いながら)現場近くの植物を採取しセ シウムの集積量を調べられた。
 その結果、セシウムの集積性が高い植物はウコギ科のコシアブラが特に高いことが分かった。他の研究機関の栽培データでも、ヒマワリ、 ギシギシ、ナズナ等が集積度の高いものとして上げられている。今後はさらに高濃度の集積植物の見極め、高濃度集積の植物の栽培、回収、 浄化施設の仕組み等様々な課題があり、研究はまだスタートラインについたばかりである。
「放射性セシウムを身近な植物によって土壌から吸収し浄化する!」それが実現したらノーベル賞も夢ではないわよと、若い研究者 を煽っていますと楽しそうに話された。
 近くの雑木林や野原でよく見かける植物が環境浄化の一役を担っているという講演に光が指したような気がした。名大のノーベル賞展示室 に掲げられている「自然に学ぶ」の言葉が実感される研究の一歩である。
 
(了)



文中写真 ひまわり 武藤光晴


令和2年4月
田園俳句・都市俳句
 八尋 樹炎
 




玄海島
       
写真提供  八尋 樹炎


 高齢に伴う免許返納、病院通い、買い物難民、やむなく街のマンションへ転居する。転居地は、駅まで三分、大型ショッピングモ ールが隣で文句なく便利であるが、護岸工事でさっぱりとした河川は、生物の生息環境を激変させている。カーテンを開ければビル の立体駐車場、以前のように窓を開ければ鴨の浮き寝などは望めない。
 ビルの隙間に玄界灘、その奥に玄界島が望めるのが救いである。足元に土筆や蓮華、踊子草など大地の呼吸は感じられない。虫・ ゴキブリや蚊・蠅等も無く、牛の声山水の音、山の端の朝日、など田園俳句の贅沢さを今更ながら痛感する。都市の環境に戸惑いを 覚えながら、先ずは身近な対象から詠むつもりでいる。


    電線の形に落ちし春の雪        河原地英武
    スカイツリー見上ぐる路地に布団干す   関根 切子
    吸殻の臭ふ駅舎や秋の雨       八尋 樹炎


 人生百年時代、医療技術やテクノロジーの進歩、AIやロボットも俳句に詠まれはじめている。
 時代と共に対象の物は変化しても、日本の季語「歳時記」に救われる事を今更ながら再認識している。  
 
(了)





令和2年3月
異常気象
 国枝 隆生
 




二年前の三重の豪雪
       
写真  国枝 隆生
 今年の冬は、世界遺産白川村の雪のないライトアップ、日本各地のスキー場が雪不足でオープン出来ない、名古屋では今冬、未だに初 雪が観測されていないなどこれまでにないくらいの暖冬でおかしい。反面つい二年前は猛烈な寒波で交通機関がマヒしたことは記憶に新 しい。
 また一昨年の夏は西日本豪雨から始まって真夏は軒並み40度を超す命に係わる猛暑の日々が続いた。そして昨年は台風15号、19号など が立て続けに日本列島を縦断して、長野県では千曲川決壊、さらに各県でも堤防決壊を起こす数十年に一回に匹敵する台風災害があった。
 とここまで述べて来た最近の日本の異常気象の原因を考えると、暖冬も猛暑も地球温暖化であることは疑いがない。
 世界中で温室効果ガス増加によって温暖化が加速されているが、この日本の台風災害は温暖化による海水温上昇によるものが主流に変 わりつつある。海水温上昇は、日本近くの太平洋沖で台風が発生したかと思えばいきなり日本に上陸して台風被害を大きくさせている。

 ここまでの説明で温暖化が暖冬、猛暑をもたらすことは容易に理解出来るが、それでは一昨年のような大寒波はどう理解したらよいの だろうか。寒波をもたらす要因の一つにラ・ニーニャ現象があることは分かっているが、他に北極振動と言って極北の気圧が高くなる (これを北極振動が負であるという)と日本に寒波をもたらすことも知られている。それが温暖化により極北の温度上昇に伴う大量の水 蒸気発生による北極振動が極端化されて、日本では時に、大寒波と豪雪をくり返す。ちなみに今冬は北極振動が正となっているため大量 の水蒸気が北極に流れ込み、それに伴い日本では暖気が流れ込み、暖冬となっている。
 このまま温暖化対策をしない場合の恐ろしい天気予報が環境省から出されている。それは、このまま温暖化対策を行わないと2100 年のある夏の天気予報によれば最高気温が名古屋で44度、札幌でも41度という笑えないジョークがある。ただこれがこのまま温暖化対策を 行わない結果の確度の高い予想である。このような天気予報は聞きたくないが、現在でも次のような俳句が作られていることに私達も真剣 に環境を考えざるを得ない。

     千曲川氾濫林檎溺れさせ      中澤 康人
                      (2019年の台風19号)
     梅雨出水闇の中より叫び声      今瀬 剛一
                (2018年西日本豪雨時に各地でも豪雨)
     靴履きてリビング歩く溽暑かな     朝妻  力
                  (2018年猛暑の中の大阪北部地震)


 
(了)



文中写真 東京湾 台風明けの雲 武藤光晴


令和2年2月
SDGs(持続可能な開発目標)
長崎 マユミ



SDGsのポスター
       
 職場で三年ほど前から、SDGsの学習会が盛んに行われるようになり、初めは硬い話と敬遠していましたが、いろんなことを知 るようになり、「自分事」と捉えて取り組まないといけないという気持ちになりました。
 SDGsとは、持続可能な開発目標という意味で、2015年9月の国連サミットで採択されたもので、「誰一人取り残さない」 持続可能で多様性と包摂性のある社会を実現するため、2030年を年限とするために掲げた目標です。そこには17の大きな目標と、 それらを達成するための具体的なターゲットで構成されています。


 具体的には、①貧困をなくそう②飢餓をゼロに③すべての人に健康と福祉を④質の高い教育をみんなに、から始まり、環境関連で は、⑥安全な水とトイレを世界中に、⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに、⑬気候変動に具体的な対策を⑭海の豊かさを守ろ う⑮陸の豊かさも守ろうと、5項目が目標に含まれています。
 コープあいちでは、SDGsを楽しく学ぶ、家族で学び、家族でできることを話し合ってもらうために、「SDGs双六」を作り ました。お正月には、少し俳句に興味を持ち始めた孫とこの双六をやってみようと思っています。

 
(了)



 文中写真 SDGs双六 長崎マユミ


令和2年1月
小堤西池のカキツバタ
 新井 酔雪
 




細見綾子師
       
写真  国枝 隆生


     天然の風吹きゐたりかきつばた     細見 綾子
     大沼に雉子の鋭声やかきつばた      栗田やすし


 上の句は、昭和六十年に行われた「風」の愛知俳句鍛錬会で、両先生が詠まれた句である。そして、この句に詠まれているカキツバタ は、今現在も刈谷市の小堤西池に自生している。
 小堤西池は、日本三大カキツバタの自生地の一つであり、刈谷市最北部の井ケ谷町にある面積二〇三三〇平方メートルの池である。か つて、この地域の池沼や湿地には、数多くのカキツバタが自生していた。しかし、その後の土地開発で姿を消していった。このままでは カキツバタが絶滅してしまうと、国が小堤西池を天然記念物に指定したのが、昭和十三年のことである。
 天然記念物に指定され、小堤西池は土地開発から免れることができた。しかし、それだけではカキツバタを守ることはできない。放っ ておくとアシやカヤツリグサの仲間でイグサに似たアンペライがはびこり、カキツバタの生育が阻害されてしまうのである。
 昭和三十六年から、地元の中学生や青年団員などにより、カキツバタを覆い隠すほど広がったアンペライの本格的な除草が始まった。 そして、その活動が発展して、昭和五十一年に、「小堤西池のカキツバタを守る会」が結成された。

 刈谷市は、昭和四十七年に小堤西池の水源としての役割を果たしている東側の丘陵約四三〇〇〇平方メートルを国・県の助成を得て買 収した。そして竹などを伐採して、水源の管理・保全を行なっている。
 さらに、昭和五十三年に小堤西池一帯が、県の自然環境保全地域に指定された。その後、専門家による「小堤西池カキツバタ群落保存 対策調査委員会」が発足し、教育委員会の小堤西池の水位計測・水質調査が始まった。近年では、地元の多くの企業、愛知教育大学、刈 谷高校などが、除草などのボランティア活動に参加している。
 土地開発を止めれば、自然環境は保持されると、考えている人は多くいるだろう。しかし、実際はそうではない。自然のままにしていて は、植物相の遷移が起きて、カキツバタの生育が阻害されてしまうのである。昔は洪水などで地表が洗い流され、植物相の遷移に歯止めが かかり、カキツバタの自生が維持されていた。つまり、自然環境の循環が起きていたのである。しかし、今ではそのようなことは起こらな い。自然のまま放っておいては、カキツバタは減少してしまうのである。適度に人が手を入れ、環境を維持して、カキツバタを守っていか なければならないのである。
 
(了)



文中写真 カキツバタも国枝隆生


令和元年12月
俳句文学館
関根 切子



俳人協会からの郵便物
       
写真 国枝隆生
 毎月送られてくる俳人協会の会報「俳句文学館」は、タブロイド版(A3サイズ)の新聞で、以前は細長く四つ折りにして、10 センチ幅の帯封で届いていた。
 帯封の郵便物は珍しく、そのレトロな包装がすごく気に入っていたのだが、一年くらい前からだろうか、会報は二つ折りにして、 送り先を書いたA4判の紙と一緒に透明な袋に入って届くようになった。 通販のカタログや旅行案内、健康食品の宣伝などと同じ ビニール袋入りの郵便物になってしまい、私はとてもがっかりした。
 折しも海洋プラスチック問題が叫ばれている今、なぜ俳人協会は環境破壊に至る資源の無駄遣いをするのだろう。わずか10×2 5センチの紙片で送れるものを、その三倍の紙と、使い捨てのビニール袋(開けづらくて必ず破ける!)を使って・・・。


    春の海終日のたりのたりかな    蕪村
    遠くより風来て夏の海となる      龍太
    荒海や佐渡に横たふ天の川     芭蕉
    海見んとひとり降り立つ冬の駅    やすし


 美しい海を守るために出来ることはないのか。打ち上げられたプラスチックごみの映像を見るたびに心が痛む。   
 
(了)



令和元年11月
クマゼミ
国枝 隆生



クマゼミ集合
       
写真 国枝隆生
 今年の夏もクマゼミがよく鳴いた。年々、温暖化を実感しているが、昨今、ますますクマゼミが元気づいている実感がする。
 蝉の季語を見ると、ハルゼミ、エゾハルゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、盛夏のクマゼミ、ミンミンゼミ、そしてヒグラシ、 ツクツクホウシが鳴くと、秋も深まってくる。
 もともとクマゼミは西日本高地に生息していた。北限は福井県、神奈川県だったと報告されている。それが西日本の盛夏には低地 でも盛んに鳴くようになっている。私の住んでいる三重県でも朝早くからクマゼミの喧噪から始まり昼過ぎにようやくアブラゼミが 鳴き出す。いわば現在はクマゼミとアブラゼミのせめぎ合いが続いている。関東の句友からの報告によれば、盛夏にはもともとミン ミンゼミがよく鳴いていたところに最近はクマゼミが盛んに鳴き出しているという。こちらはミンミンゼミとクマゼミのせめぎ合い が続いていることになろう。
 では蝉が歳時記に登場した状況を見てみると、江戸時代の栞草では蝉は油蝉、蜩、熊蝉が並列に登場している。高浜虚子編の『季 寄せ』(昭和14年)には蝉の主季語に熊蝉の副季語が見られる。以降、図説角川大歳時記(昭和39年)、明治書院(昭和〇年)、平 凡社(昭和〇年)、図説カラー大歳時記(昭和〇年)から最新の角川大歳時記(平成〇年)などでもいずれも蝉の主季語に熊蝉の副 季語が掲載されている。最も活発に鳴いていると思われる沖縄でも沖縄歳時記(昭和〇年)、南島歳時記(昭和〇年)、現代俳句協 会の沖縄歳時記(平成〇年)でも主季語が蝉、副季語に熊蝉という同じ扱いである。
 生態的には以前は高地に生息していたものが、昨今になって急速に分布が広がったのはやはり温暖化の影響がありそうである。ク マゼミの幼虫は本来冬の寒さに弱く、アブラゼミは-30℃でも越冬出来るが、クマゼミは-5℃にやっと越冬出来る。それが温暖化によ り越冬の条件に適うようになってきた。またクマゼミは枯木に産卵する性質があることから乾燥に強いことが分かる。
 これらの性質から見ると、温暖化特に地中温度の上昇と都市のヒートアイランド現象による乾燥化がクマゼミに生息にふさわしいも のとなってきている。
 クマゼミの生命表である孵化温度、乾燥耐性のデータを見ると、いずれもアブラゼミより幼虫の死亡率が低いことが分かる。
 次にクマゼミによる悪影響について見ると、騒音、食害、通信障害が考えられる。まずクマゼミによる騒音を見ていくと、クマゼミ の鳴き声を騒音計で見ると、90dbと騒々しい工場に匹敵する。またクマゼミの食害を見ると、近縁のアカクマゼミ韓国では既にリンゴ に口吻を刺して吸汁する影響がある。現在日本では食害はまだ顕著でないが、近年長野県まで分布を広げていることからリンゴへの影 響が懸念される。三番目に一番深刻なのは、通信への影響で、各家庭に引き込まれている光ケーブルに産卵することである。前述した ように枯木に産卵し、乾燥に強いことは産卵環境がよく似ている光ケーブルに産卵しても違和感はない。さらにクマゼミの産卵管は1 cmぐらいで歯のついた産卵管を持っており、あの硬い光ケーブルに容易に散乱する。NTT西日本では新たにクマゼミ対策用の光ド ロップケーブル対策済みのものにすべて取り替えた。
 このように温暖化によるクマゼミの生息拡大により俳句にも「熊蝉」の例句が多く見られる。

    熊蝉の声張る島へ赤子見に   栗田せつ子
    島すべて熊蝉領や朝より      小澤 實
    熊蝉の鳴き北面の廟乾く     加古宗也


 せつ子さんの句のように熊蝉は南国の沖縄にふさわしい。ただこれからは田の蝉と同様に普通の蝉を詠むような季節感の中で詠み継が れていくことになろう。

    熊蟬や岬に戦没慰霊の碑    栗田やすし    
 
(了)


*この原稿は「伊吹嶺」誌11月号の初稿をそのままアップしてあります。

 文中写真 アブラセミとクマゼミ 国枝 隆生


令和元年10月
植樹祭
 矢野 孝子
 




ある秋日の皇居前
       
写真  武藤 光晴


 今年の六月に「第七十回全国植樹祭」が、隣町(尾張旭市)の森林公園で開催されました。新天皇の初めての公務というニュース が先行し、私にとって「植樹祭」の内容は漠然としたものでした。半年ほど前から急に、公園や道路が整備され始めましたが、今に なって思えば植樹祭の為であったと。当日は、天皇皇后両陛下と共に十名程の小学生が芝生広場に植樹をする光景が、テレビで中継 されました。
 その後しばらくして、会場の跡地を歩きましたが、芝生広場に式典用の中央の建物のみが残っていました。今年の芝生は、特別に 手入れされたのか、緑が目に鮮やかでした。市のホームページには、「今後は、この植樹祭を一過性の行事にすること無く、皆さま の緑化意識を一層高め・・・」とあります。この日の為に多くの陰の力が費やされた事もあり、今後の市の取り組みに期待したいと ころです。
 地球規模で「環境問題」が叫ばれている昨今ですが、インターネット部では十年ほど前から、「自然環境」をテーマにして吟行会 を企画し、問題意識を高め合っています。俳句を学ぶ我々は先ず、緑の美しさやその惠を詠みたいものです。更に、俳句を通して周 りの人々と、その思いを共有して行けないものかと考えています。  
 
(了)





令和元年年9月
特定外来種「牛蛙」は駆除されるか蔓延るか?
 松原 和嗣
 




黒雲の走る水面や牛蛙  光晴(遠峰集より)
       
写真  武藤 光晴


 外来生物(外来種)とは「もともとその地域にいなかったが、人間の活動により意図的・非意図的に持ち込まれた生きもの」を言う。
 外来種の多くが放されたり逃げ出したりすることによって、在来の自然環境や野生生物に影響を及ぼしている。
 自然破壊の原因は、開発や環境汚染、地球温暖化に加え「外来種問題」もその一因である。
 外来種による捕食・競合・交雑・感染などで、在来種の生態系を脅かし、特に人の生活に悪影響を及ぼすおそれのある外来種を「特定 外来種」に指定し、国は法律で扱いを規制し、国や各自治体などが防除を行っています
 その特定外来種に牛蛙が指定されている。
 大正七年(一九一八年)、日本に食用として持ち込まれた牛蛙は、国の施策(害虫駆除と食用資源)として戦前・戦後を通じ野外に繰 返し放逐され、今では北海道南西部から沖縄県、小笠原諸島に至る広い範囲に定着した。
 在来種の蛙は、万葉集に「背を早み落ちたぎちたる白波にかはづ鳴くなり朝夕ごとに」(巻十 二一六四)と詠われ、清流の歌姫とい われる河鹿蛙が朝な夕なに鳴いていました。
 牛蛙は何時ごろから身近な存在になった(蔓延した)か、歳時記からみてみると、㈱平凡社の昭和三四年発行「俳句歳時記(全五巻) 春の部」には、蛙(春)の傍題で記載されている。この事から、昭和三四年以前に、牛蛙は日本の田園に蔓延っていた事と推測されます。 ㈱角川書店の昭和三九年発行「図説 俳句大歳時記(春)」にも、蛙(春)の傍題で記載され、㈱講談社の昭和五三年発行「新編俳句歳時 記(春)」も、蛙(春)の傍題で記載し、平成一二年発行「カラー版 新日本歳時記(夏)」では牛蛙(仲夏)(主季語)に変更された。そ して最新の平成一八年『角川俳句大歳時記』では、牛蛙(夏)(主季語)で定着している。
 同一出版社でも編者により異なり、他の歳時記が同じ内容ではない事も付け加えておく。
 蕉風以来、蛙は春、雨蛙・蟇は夏、河鹿は秋とされているが、それ以前は、雨蛙・蟇も春であった。子規も季語は実情優先という旨の話 をしており、「牛蛙」は独特の鳴き声と容姿で、夏の主季語になっていくのだろうか?
 はたまた、特別外来種の駆除が進み、何十年後にはまた歳時記から消えていくのか?駆除状況を歳時記から見るのも面白いかもしれない。

     蝌蚪生れて手のひら熱く子と夕     細見 綾子
     夜の蛙子の手にふれて眠るかな      細見 綾子

 この句の蝌蚪・蛙は「牛蛙」ではそぐわないと鑑賞する。  
 
(了)





令和元年8月
帰化植物
国枝 洋子



ブタナ
       
写真 国枝隆生
 春の野を彩る蒲公英は誰にでも親しまれ、絮毛を飛ばし合ったり、水車を作ったり、とても身近な花で、絮毛も大きく顎が下を向 いている西洋たんぽぽに比べ、控えめで顎が上向きなのが日本たんぽぽということは誰もが知っており、町の中でも山村でも共存し、 どちらも見かけることができ、それに違和感もなく、同じ蒲公英として親しんでいる。

    しあはせに短かたんぽぽ昼になる      細見綾子


 この句のようにたんぽぽの野に立つと、ほっこりと幸せな気分で時間を忘れてしまいそうになる。
 しかし遠目には蒲公英と間違うような「ブタナ」(別名タンポポモドキ)が大繁殖している。ヨーロッパ原産の多年草で、昭和の 初めに北海道で見つかり、その後全国に広がったというれっきとした学名である。色は美しいが茎は長く固いので、短かたんぽぽの ようにその場でくつろぐことができない。
 帰化植物は繁殖力旺盛で日本古来の草花などは蔭をひそめてしまのでは、と心配なってくる。春紫苑や姫女苑も外来種で空き地を 埋め尽くすほどの勢いがあるので「貧乏草」とも呼ばれている。身近な所でも帰化植物の何と多いことか、数えたらきりのないほど であろう。日本固有の植物が絶えることのないよう見守っていきたい。
 
(了)



 文中写真 タンポポ 国枝 隆生


令和元年7月
東山植物園
熊澤 和代



東山動植物園エントランス
       
写真 国枝隆生
 一九三七年三月三日開園の東山植物園は、丘陵地帯の自然林を活かして整備され、市内にありながら四季折々の風景を楽しむこと が出来る。
 一九五六年には白川郷より合掌家が移築され、一九七一年日本庭園造営中に発掘された鎌倉時代の古窯跡も見る事が出来る。現在 修復中の東洋一の水晶宮と称された大温室は、二〇〇六年重要文化財に指定された。二〇〇九年には「地域の自然学習林」が完成し、 松原市長の時代に平和公園も含めた名古屋東山の森として「里山再生プラン」を設け現在も継続中である。

 再生プランの基本構想は「環境の世紀」である二十一世紀の果たすべき役割等をふまえ、基本理念や方針を定めて持続可能な地球 環境を次世代へ繋ぐことである。そのために絶滅危惧種を学ぶ催し等を通して動植物の保護に努めている。環境団体寄贈の植物保存 園には、ビオトープが設けられウンヌケ(イネ科)、サワギキョウ、ハナノキ、ヒトツパタゴ、マメナシ、サクラバハンノキ等の植 物やヒメタイコウチ、シオカラトンボ、ショウジョウトンボ、コシアキトンボ等の昆虫等も生息している。
 又、植物園はゾーンごとにテーマが設けられていて、東海地方のモデル林と景観を作り、暮らしの体験や調査の参加を通して自然 や人とのつながりを学ぶ「日本の里ゾーン」。万葉の散歩道のある「日本の植物と文化ゾーン」は、市民からの公募により選ばれた 百首の歌碑と立札が一キロ程の道の辺に点在しており、歌に詠まれた植物を楽しみながら巡る事が出来て、令和の今年は訪れる人が 増えそうである。又、花畑を含む一帯を「花と緑のふれあいゾーン」と名付けて市民や企業とのパートナーシップによる「花いっぱ いプロジェクト」も実施されている。

 千本百種の桜の回廊や椿園、梅園、石楠花の森、薔薇園、紫陽花園等が約六十ヘクタールの園内のそれぞれの植物に適した環境に 配植してあり、一年を通して何度でも訪れたい場所である。
 他に尾張の俳人横井也有を偲んで設けられた也有園の武家屋敷門や日本庭園、大きな鯉の泳ぐ奥池、合掌家近くの湿地帯ではシラ タマホシクサも見る事が出来る。
 令和元年五月二十一日(火)、第六回自然と親しむ吟行会がボランティアガイドであるガーデン句会の皆さんの協力の元に開催さ れる事となり、四月十二日下見の為、久しぶりに植物園を訪れた。万葉の道の辺の蕨やビオトープを泳ぐめだかやおたまじゃくしを 眺めながら、吟行会にはどんな佳句に出会えるのかと今から楽しみにしている。

    初わらび茹で汁流す夕厨     綾子


 
(了)



 文中写真 ショウジョウトンボ 武藤 光晴 シラタマホシクサ 国枝 隆生


令和元年年6月
竹林
八尋 樹炎



東山植物園の中国竹林
       
写真 国枝隆生
 散策に使う竹林道を通る度に、「この竹藪、何とかならないものか」と悔やんでしまう。放置竹林、薄暗く日射しもなく折り重な る様は、竹林の仏頂面を見ているようで悲しい。昔は村ごとに竹林を持ち、暮しに溶け込み生活雑貨として、無駄なく何世代にも亘 り使い込まれていた。朽ちれば自然に戻るのは時代の節理であった。

    梅を干す鵜籠に厚き板渡し       栗田やすし
    岸突いて出る竿舟やこぼれ萩      八尋樹炎


 肥後守で削る竹とんぼ、鋸で背丈に合わせた竹馬や水鉄砲、子供の玩具は、自然の感触を今でも懐かしく、郷愁のように蘇り、時 代の宝物に思える。

    竹馬の怯まず進む水溜まり       渡辺慢房
    蔵壁にもたれ竹馬の子が立てり     金子翠羽




 嵯峨野や長岡京のような、景観を保つ風雅な竹林を思う時、竹の資源利用の減少と管理放棄、高齢化による後継者不足、中でも一番 残念なことは、(竹細工)の職人を失うことだ。安価で長持ち、プラスチックの大量生産で海の汚染が心配され、日射しのない竹林が 悲鳴を上げている。
 永久に、四季に添いしなやかで美しい竹林であって欲しい。
 
(了)



 文中写真 房総の今年竹 武藤 光晴


令和元年5月
山が削られる
野島 秀子



伊吹山
       
写真 国枝隆生
 数年前、友人の案内で早春の「秩父観音霊場巡り」へ出かけた。秩父はいかにも盆地らしい地形で、山に囲まれその中にすっくと 武甲山が陣取っていた。その雄々しい存在感に私はすっかり魅了された。秩父の霊場は、武甲山への民衆の信仰を基盤にして生まれ たものという。
 しかし、霊場を巡るにつれ、武甲山が山頂から中腹まで削られ樹木のない無残な山容をさらけ出していることに気づいた。武甲山 は主に石灰石でできているため、二十世紀から二十一世紀のわずかな間にセメントの原料として採掘されているためだという。

 この現状は、周知のことで昭和四十七年に浩宮様が秩父を訪れた際、山肌がむき出しになった武甲山の姿を危惧された感想文が新 聞に掲載され、全国的に話題になったこともあったという。その後、緑化対策がされ始めたというものの、平地と違って植樹は霜の 害や種子の流出などその再生は難しいものがあるという。
 俳句ブログ「武甲山の見える薬師堂だより」にも「武甲山は子供の頃に見ていた兜の形をした山からずいぶん山容が変わってしま った。霞がかかり山襞を隠してくれる春が早くやってきてほしいものです。」とつぶやかれている。金子兜太氏は、ご自分の俳句大 会は秩父音頭で始められると聞いたことがある。その秩父の象徴でもある武甲山の変容をどのように受け止めておられたであろうか。

    春浅し削られ尖る武甲山      秀子

 春、武甲山の山裾は、片栗の花や水芭蕉の花に美しく彩られるという。さらに石灰岩植物として国指定の天然念物の秩父岩さくら、 武甲豆桜、御山透かし百合などが色を添え傷ついた山に花を添えていることであろう。
 武甲山と同様に、伊吹山も石灰岩に覆われ伊吹固有の名を付けた植物も多く植生豊かな山である。しかしながら、以前より規模こそ 縮小されているものの今も滋賀県側の山麓が削られている。環境に留意し採掘しながら緑化しているということであるが、その痕は不 自然で痛々しく一度削り採ってしまった植物の再生は不可能に近いであろう。
 栗田先生は第一句集「伊吹嶺」のあとがきに、「私の故郷鏡島村(現岐阜市)から大垣へ中山道を西にとって三里。家郷に居て長良 川の土堤から眺める雪の伊吹嶺は最も美しい。」と記されている。

    沈丁花伊吹の裾に母います     やすし

 「伊吹嶺」の連衆も折々の伊吹山を慈しみ俳句に詠まれている。伊吹山は言わば「伊吹嶺」の俳句工房と言っても過言ではなかろう。 その俳句工房が取り返しのつかないことにならないよう心して見守っていきたいものである。
 
(了)



 文中写真 晩秋の武甲山 武藤 光晴


平成31年4月
誓子の浜
 国枝 洋子



白子海岸
       
写真 国枝隆生
 誓子の浜として親しまれている伊勢湾の白子海岸は、近鉄鼓ヶ浦駅から徒歩約三十分と吟行地として便利である。駅から海岸までは、 子安観音の山口誓子の句碑と詩碑、西方寺木枯句碑、またその裏手の正因寺に新しい句碑も建っている。川沿いを伊勢型紙と鈴鹿墨の展 示がある伝統産業会館を経由して海岸に出る。海岸入口にも誓子句碑があり、何と誓子句碑が鼓ヶ浦駅から海岸までの間に五基も建って いるのである。
 誓子が療養のために住んでいたという旧居跡まで砂浜を散策し、春は桜貝を拾い、初夏には一面の浜昼顔と浜防風の花に迎えられ、波 音に心が癒やされる。

    貝殻に海鳴りの音冬はじめ       栗田やすし



 しかし近年、目ざす「誓子旧居跡」の看板は松枯れの倒木と雑草に覆われ、なかなか見つけられず、松林の枯木が放置されたままで、 ゴミも散乱しているのが悲しい。ゴミは主に観光客と地元の漁師の放置ゴミである。
 海水浴シーズン後に地区の子供達も清掃に加わっていると聞くが、誰もがマナーを守り、一日も早く松林の緑を復活させてほしいと切 に願っている。


    かつて誓子に付き来し海辺鳥渡る       栗田やすし  
 
(了)



 文中写真  国枝隆生


平成31年3月
竹害
 国枝 隆生



修善寺の竹林
       
写真 国枝隆生
    修善寺の空真青なり今年竹       栗田やすし

    竹落葉時のひとひらづつ散れり      細見綾子




 竹に関する季語は結構多い。春筍に始まり、筍、筍流し、竹の秋、若竹(今年竹)、竹落葉そして竹の春など名句も多い。栗田顧問の 句にある修善寺の竹林は実に美しい。
 そして今、竹の生態が様変わりして、竹林の荒廃が進んでいる。
 よく昔は「大きな地震が来たら、竹藪へ逃げろ。」という言い伝えがあったが、果たして本当だろうか。農林水産省によると「竹の根 は浅いところを横に横に這っているため、地中の水分などにより竹藪全体が滑るように土砂災害が発生している事例もある。」という。 現に二〇一六年の熊本地震のあと、大雨が襲った時、竹林崩落による鉄砲水の発生から死亡事故も起こっている。
 この竹林が荒廃する原因を考えてみると①建築様式の変化、生活様式の欧風化による竹林の需要減少、②安価な筍、竹製品輸入、プ ラスチック製品など竹製品の代替品の出現、③竹生産者の高齢化、後継者不足などがある。
 その結果の影響はと言うと、
 一.過密状態の竹林は周りの森林や農耕地へ地下茎を伸ばし、生育範囲を広げて周囲へ影響を及ぼしている。
 二.竹林の放置により草木は日光不足で枯れ、生物多様性が低下して来ている。
 三.熊本地震で述べたように、このような地下茎では土を抱えて留めることが出来ず、大雨では地盤がゆるみ、斜面が崩落する危険が 著しくなる。
 四.荒れた竹林は景観の悪化を招き、特に私たち俳人にとって、多様な竹の生態がなくなり、豊富な季語を使う場もなくなってくる。
 手入れさえ行き届けば景観が維持される例として、京都嵯峨野の真竹のような美林もある。
 このような竹害対策として、竹桿への農薬注入が主流であるが、竹の伐採、遮蔽板の埋め込みなどもある。
 一方ここ最近、三重県北部では竹林整備のためいろいろな試みが行われている。
 ①四日市大学によるNPO法人を巻き込んだ竹林整備、②桑名市での竹によるバイオマスプラスチックの新素材開発、③いなべ市に竹 林整備のため竹工房の建設による地産地消を目差している、などの例もある。
 竹にまつわる現状、影響、対策などを見てきたが、竹害と言っても、要は竹が悪いのではなく、人間の都合で竹林の荒廃を招いている ことを強調したい。  
 
(了)



 文中写真 放置されている竹林  国枝隆生


平成31年2月
宅地内の緑化
 加藤 ゆうや
 




宅地の柿
       
写真  武藤 光晴


 名古屋市における緑の減少傾向は激しい。平成二年から一七年までの十五年間で千六百㏊余、ほぼ中村区に相当する緑が減少。そ の後の十年間でも約九百㏊(ほぼ中区に相当)の緑が減少しており、ペースは落ちたものの止まることはなく、平成二七年の緑被率 は二二%まで下がっている。
 緑の減少の主な要因は農地や樹林地の宅地化によるものと考えられる。これに対して、これまでも生産緑地地区の指定等により、 市街地における緑の保全施策は進められてきたが、新たに近年「緑地地域制度」が導入された。
 この制度は、一定規模以上の敷地を有する建築物の新築等の場合に、建蔽率や容積率と同様に「緑化率」が義務づけられるもので、 名古屋市では平成二〇年に導入された。具体的な例を示すと、一般的な住宅地の場合では、三百㎡以上の敷地に一五%以上の緑化が 義務づけられるのである。
 この制度化により名古屋市では最近の五年間で二六四㏊の緑が確保された。同じ期間に整備された都市公園の面積二八㏊と比較す るとその効果の大きさが分かる。
 また宅地内の緑化は、そこに住む人の日常生活に直結するだけに、緑のもたらす効果も大きいと期待される。

     義父植ゑし柿ねんごろに剪定す     加藤ゆうや
  
 
(了)





平成31年1月
葦毛湿原
 新井 酔雪
 




小梅蕙草(本編と関係はありません)   八島湿原にて
       
写真  武藤光晴


     蜜溜めてまうせん苔の蕊ひかる     小笠原里子
     蜂翔つとき白玉草の撓ひけり      山下智子       

   掲句は、伊吹嶺の仲間が豊橋市岩崎町にある葦毛湿原で詠んだ句である。東海小毛氈苔は、七月頃に桜色の小さな花をつける東海 地方にしかない食虫植物である。白玉星草は、九月頃に七ミリほどの白い玉のような花をつけて群がって咲く。こちらは三河湾と伊 勢湾沿いにしかない種で、愛知県と国の絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。
 五月の三河梅蕙草、六月の朱鷺草、八月の鷺草、九月の姫耳掻草、十月の三河塩釜など、名前の通り愛知県周辺にしかない種であ ったり、県や国から絶滅危惧種に指定されたりしている。ここ葦毛湿原には、このような珍しい植物を含め二百五十種を超える湿原 植物が生息している。しかしかつてこれらの植物が絶滅する危機があったのである。
 四十年前までは、湿原の周りは木もまばらで禿山に近い状態だった。近隣の人々が、里山に入って木材燃料を得ていたのである。 しかし都市ガス等が普及し始めると、里山は放置された。そのため植生の遷移が進み、湿原が森林化して面積が縮小してしまった。 このままでは湿原が消滅してしまうと、行政が再生に取り組んだのである。
 昭和五十一年に愛知県が湿原の基礎調査を行い、その後豊橋市が受け継いだ。まず市がまとめた調査結果にもとづいて小規模な回 復実験、さらにこの実験の結果をもとに、小規模回復施策、その後の本格的な回復施策、大規模回復作業と次第に施策を発展させて きた。
 県の基礎調査に始まるこれらの様々な施策の結果をまとめた調査報告書を現在までに六冊刊行。平成四年には葦毛湿原は県の天然 記念物に指定された。以降「豊橋湿原保護の会」の結成、普及パンフレットの発行、葦毛湿原の展覧会、写真集の発刊、シンポジウ ムの開催、広報「葦毛通信」の配信、ボランティア募集などのたゆまぬ活動の結果、昨年の平成三十年に葦毛湿原の大規模植生回復 作業が日本自然保護大賞に入選した。
 わたしは、この葦毛湿原の植生回復活動に環境保護活動の一つの理想を見る。ことの始まりは、市民側であろうと、行政側であろ うとどちらでもよいのである。環境を長く良好な形で残すならば、行政間で連絡調整を行い、行政と市民が連携することである。そ して、環境保護は知ることから始まるので、取り組みを広く知らしめることである。
 かつてわたしは、この湿原を二度訪れているが、それは俳句を学ぶ前のことである。今度は作句のために出かけ、環境保護の様子 を見てこようと思っている。
 
(了)





平成30年12月
赤とんぼ
 国枝 洋子
 




赤とんぼ
       
写真  国枝 隆生


 最近、赤とんぼを見かけるのが少なくなってきた。特に今年は記録的な猛暑のせいで、ヤゴも羽化できなかったのだろうと勝手に 思っていた。
 ところが九月四日の朝日新聞夕刊に、アキアカネが一部の地域で姿を消しつつあり、山口県では今年「レッドリスト」でアキアカネ を絶滅危惧種として掲載したとあり、ショッキングなニュースであった。
 主な原因としてネオニコチノイド系の農薬で、蜜蜂や他の昆虫への影響も問題になっているという。我が家の近辺でも農薬が使わ れているのだろうか。
 生産性を高めるためにはある程度農薬は仕方ないことかも知れないが、一方で手間はかかっても無農薬の自然農法にも挑戦してい るニュースを見聞きすると拍手を送りたくなってくる。
          夕やけこやけの赤とんぼ
             負われてみたのはいつの日か

 数年前まではぶつかってくるほど沢山飛んでいる赤とんぼを見ながら口ずさんでいたこの歌もいつかは里山の原風景が失われるこ とがないよう祈る思いのこの頃である。
     雨止んで僅かの日差し赤とんぼ     細見綾子
     糸引きの女の視線赤とんぼ         同

  
 
(了)





平成30年11月
マイクロプラスチック
 国枝 隆生





残したい綺麗な海
       
写真 武藤光晴


 今年も秋刀魚がおいしい季節になった。昨年の記録的な不漁から今年は豊漁とのことで、サイズも大きそうである。ただ長期的には 漁獲量が減少のトレンドにある。
 秋刀魚と言えば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」がすぐ浮かぶが、この中の一節に〈父ならむ男にさんまの腸をくれむと言うにあらずや〉が あるせいだろうか、以前ある句会で席題に「秋刀魚」が出たときに、「亡き父が秋刀魚の腸好む」とか「腸をそのままに秋刀魚焼く」と か「腸がほろ苦し」などの句が出てきた。俳句検索しても、
   秋刀魚食ぶ苦きはらわたまでも食ぶ
 などと出てくる。一方、最近話題になっているのが、マイクロプラスチックである。プラスチックごみが海に流れ着き、海で細かく 砕かれるが、怖いのはプラスチックが微細化されても分解されないことである。一般に一ミリ以下をマイクロプラスチックと呼び、海 のプラスチックスープとも言われている。二〇五〇年までには海に流入するプラスチックごみの総量が世界の海に生息する魚の総重量 を超えるという予測も現実のものとなっている。
 魚はプランクトンとマイクロプラスチックの区別が付かずに胃袋に入れてしまう。そしてこれが食物連鎖により凝縮されていくし、 回遊魚である秋刀魚やカタクチイワシなどの内臓に蓄積されていく。例えば東京湾のカタクチイワシの八割の内蔵にマイクロプラスチッ クが含まれていることが確認されている。
 それではこれらの魚を食用としている人間に悪影響はないのだろうか。
 「このままだと、みなさん、プラスチック屑が混じった魚を食べることになります。もう食べているかも知れない。」と発言している 大学教授もいる。
 ただ現時点ではマイクロプラスチックが人間の体内に入っても微小なため、そのまま排泄されるという。しかしプラスチックにはも ともと添加剤が入っているので、汚染物質を吸着する性質を持っており、PCBや環境ホルモンが吸着し、さらに食物連鎖で濃縮され る恐れがあり、このような魚を食べることになる。
 これらの人的影響はこれからの研究課題であるが、プラスチックごみの増加現象は待ってくれない。
 

    秋刀魚焼く煙の中の妻を見に     山口誓子

    別々にもどり秋刀魚の一つ灯に    中山純子

    一合を愉しむ潤目鰯かな      山崎ひさを


 せめてこれらの句のように安心感を持って秋刀魚や鰯を食べることが出来る時代が続いてほしい。
 
(了)



 文中写真 秋刀魚 国枝隆生


平成30年10月
易きに流れる
 東口 哲半
 




花の名は?蝶の名は?   町田薬師公園万葉草花苑にて
       
写真  武藤光晴


 今回は自然環境と異なったことから記したいと思います。
 以前「風」の時代からの方に、花の名前はどうやって覚えられたかをお尋ねしたところ、写真にして家で調べていたことをお話し下 さいました。図鑑が白黒であったりして根気の要る作業だったそうです。このことを自分に当てはめてみますと、電子辞書やスマホ に頼り、おおよその見当をつけては容易に知り得ています。
 その結果、吟行先でもある程度の句になるのですが、同時に、この安易さで知ったことが自分の身に付いているだろうか、俳句を 通じて知ることへの喜びといったものを、なおざりにしてはいないだろうかという気持ちになります。
 また、指導者の方は努力を重ねて得た知識を惜しみなく(対価を求めず)伝えようとして下さいますが、「知る」という行為や「知」 を伝授して頂くことへのリスペクト(敬意・尊厳)がなければ上滑りの俳句ではないでしょうか。
 栗田先生は七月号において「言葉の密度の低い安易に流れた句を作っているのではないかと反省している。もう一度原点に戻る覚悟 をしなければならない」と述べておられます。
 いま一度、自分の置かれた環境を見直す機会かも知れないと思っています。
  
 
(了)





平成30年9月
都市と公園
 加藤 ゆうや
 




庄内緑地公園
       
写真  加藤 ゆうや


 公園は都市のオアシスである。人々の生活に潤いをもたらすし、我々俳句愛好家には様々な句材を提供してくれる。また環境の面 では、自然界の動植物の生育に役立つし、都市のヒートアイランド現象の緩和にも有効である。
 このように都市に欠かせない公園であるが、日本で最初に「公園」が定義されたのは、明治六年の太政官布達である。その概要を 今の言葉で要約すると~古来の名所旧跡等これまで大勢の人が遊観してきた所を公園とする~としている。言わば「名所公園」であ り遊観の場であった。
 名古屋で最初の公園は、この布達に基づいて設置された「浪越公園」である。場所は大須観音東隣にある富士浅間神社を含む一帯 約六千坪で、明治十年に県管理として設置された(明治四十二年廃止、一部は現那古野山公園)。また名古屋市設置の第一号公園は 「鶴舞公園」で、明治四十二年の開園である。これは翌四十三年に開催された関西府県連合共進会の会場とするため整備されたもの である。
 公園が都市施設として、街づくりの中できちんと位置づけされたのは都市計画法が制定されてからのことである。名古屋市では、 大正十五年に初めて主要な二十四の公園(約五五〇㏊)が計画決定された。これは我が国最初の計画でもある。しかし当初は整備す る方策や予算の裏付けがなく、言わば「絵に描いた餅」のようなものであった。
 その後、昭和十年代になると、民間土地区画整理事業が活発になり、その指導・助言の中で公園が相当数確保された。また、防空 ・防火・避難の面からも重要な施設であるとして国庫補助制度ができ、主要な公園緑地の整備が進められるようになった。そして戦 後は、戦災復興土地区画整理事業が進められる中で公園も整備されてきた。
 その復興事業のほぼ収束段階にあった昭和四十二年、石原裕次郎のご当地ソング「白い街」が発売され流行したが、「白い街=緑 の少ない街」と受け取る人が多かった。確かにその当時の緑は少なく、一人当たり公園面積は二・七㎡で、都市公園法の基準六㎡の 半分以下であった。
 それから五十年。今日では六・九㎡と、二・五倍に増えている。この間、庄内川水系の河川敷を活用した緑地整備により緑地不足 の解消が図られたほか「緑の総合計画」の策定等により、緑化事業が積極的に進められたのである。
 私がよく訪れている庄内緑地も、この間の昭和六十一年にオープン。庄内川の洪水時における遊水地を活用した約五十㏊の公園で、 三・五㏊の芝生広場が特長である。ここには地下鉄駅があり交通の便も良いのでお勧めである。
    翡翠の色を散らして水打てり   ゆうや
  
 
(了)





平成30年8月
河原撫子
 磯田 なつえ
 




河原撫子
       
写真 武藤光晴


 ♪河原撫子咲き匂う♪母校の校歌であり、校章でもある。一級河川の近くに住んで五十年、土手の自然に四季折々関わって暮らし てきた。園児らと草摘み花摘み、花束、草ひひな、草団子作り、魔女の宅急便ごっこ、虫取り、草滑り、凧揚げなど挙げればきりが ない。
 草丈が伸びてくる中に河原撫子を見つけると、先師欣一先生の撫子句碑(秩父市長瀞)を想い、心が和んだ。
    撫子の花野浄土となりにけり      欣一
 「風」誌に初めて三句入選したのも撫子の句であった。
    撫子の川風留めゐたりけり       なつえ
 そして、三十年余の勤務を辞した時もそうだった。
    園児らの野の花束に送らるる      なつえ
 秋になると土手の草刈が行われ、虫たちはどこへ?と心配したりした。ところが、数年前から巨大なバリカンのような機械が現れ、 削るように草が頻繁に刈られ、土手の上は舗装されてしまった。すかんぽも撫子も見当たらなくなってしまった。二十人程いた草刈人 夫は数人になり、経済効率は上がっただろうが、失ったものも計り知れないと心を痛めている昨今で、以前の風景が偲ばれる。
    老農の刈り残したり花薊        なつえ
 
(了)





平成30年7月
ホタル
 牧野 一古
 




蛍の乱舞
       
写真提供 所 卓男氏


 我が家の裏手に落合川という二級河川がある。十五年程前までは行政も定期的に手を入れてくれていて、それなりにきれいな川で あった。クレソンも生え、子供達がウナギを捕まえることもあった。稀にアユも見られ、川底のハヤの産卵も土手から眺めることが できた。夏になればカワセミの飛ぶ横で犬を水浴びさせてやったりしたものだ。
 いつの頃からだろうか、行政の「予算が付かない」の一点張りで川は荒れ放題となった。川へ下りる石段も生い茂る雑草のおかげ で全く使えなくなってしまった。水も濁り、カワセミもいつの間にか見かけなくなってしまった。もっとも上流の方に行けば、まだ 見られるかもしれないが…。中洲に溜まった土砂には蘆が茂り、そこにゴミも溜り、自然に生えた雑木が大きく枝を張っている。犬 が死んでしまったこともあり、楽しみの無くなった裏川に足を運ぶこともしなくなった。
 だが、この落合川の上流には、近隣の人々が大事に守り続けているゲンジボタルが舞う小さな流れがある。毎年の「蛍狩」を楽し ませて貰っているわけだが、昨年の六月十一日、その蛍狩の帰りに我が裏川にポツンと一つ光る物を見つけた。もしかしてと思い、 さっそく次の日の夜、嫌がる夫を用心棒代わりにして裏川を探索した。まわりが暗くなるにつれ中洲の蘆原に無数の小さい光が見え た。ゲンジボタルに比べたらほんとうに小さい。夫がヘイケボタルだと教えてくれた。

    家裏のせせらぎ平家螢飛ぶ     一古
    ほたる出て水の匂ひの闇動く     一古

 と詠んだが、今年も出るだろうか。
 ヘイケボタルをネットで調べてみた。汚染に対して耐性があり、濁った水に住むことが出来るという。なるほど、ホタルが見られ るのはうれしいが、それだけこの川が汚れていたということなのか。何とも複雑な思いである。
 最近の天候の変化に伴う想定外の大雨や地震が怖い。落合川も荒れたままなので土砂が堆積し、水流が悪くなってしまっている。 ひとたび大雨が降れば、決壊して我が家も浸水してしまいそうだ。そんな市民の不安な声が、やっと行政に届き、そんなに遠くない 将来、河川整備に着手するらしい。今のまま何事も無ければ、今年もヘイケボタルが見られそうだ。河川工事が始まり川が前のよう にきれいになれば、もうヘイケボタルは見られなくなるであろう。逆にゲンジボタルを見る可能性があるだろう。
 今年の六月には句会の仲間に声を掛けて、「最後の平家蛍狩」と洒落てみたいものである。  
 
(了)





平成30年6月
エコトークセッション
 熊澤 和代
 




野鳥コロニー
       
写真 武藤光晴


 2006年から実施されている環境学習プログラムの「エコトークセツション」が今年度、県内一三都市の三五の小学校で行われ、 終了証書が授与されたと先頃、新聞やテレビで報道された。
 この取組は、ある企業とNPOの協力のもと四年生から六年生を対象として行われる活動で、地域の人を巻き込んで児童の環境意識 を高め、普及する事を目的にしている。
 企画は企業とNPOを中心に市民や有識者も参画して学校の内外の学習活動をサポートする。
 森・水辺・くらし・産業の四つのテーマから一つ選び、一年間教室での学習と企業の見学などの校外体験を通して暮しと環境の係わ りに関心を持ち、自分たちに出来る事を考え、生活の中で実践してエコの視点を身につける。
 「エコトークセッション」は一年間かけて進めてきたプログラムの最終カリキュラムとして行うもので、今まで学んだ成果を寸劇風 にPRしたりエコ宣言をして活動の継続を誓う等、家族や地域の人達と共に環境保護やエコライフの重要性を共有する環境発表会であ る。
 400人近い参加者の学校もあるとか、私も近くで発表会があればぜひ参加したいと思っている。


 
(了)





平成30年5月
里山保全
 松原 和嗣





手入れ
       
写真 松原和嗣


 ボランティアで、シデコブシやコバノミツバツツジの群落地の保全作業をしている。作業の一環として、保全する樹々の育成を阻害 したり、景観を悪くする草木を伐採しているが、保全の名のもとに刈られる草木を、ふと不憫に思った。
 私のやっていることは許される範疇なのか不安になり、「里山保全」とはなんだろうと整理してみた。
 里山は、役所言葉的には、「中山間地」で平野部の外縁から山地を含み、国土面積の七三%を含むとか。原生的な自然と都市の中間 とみなし、里山と農地を含む一帯の事とある。
 私なりの解釈は、人の生活の場としての里と、生活するに必要な山が組み合わさった地域で、それに付随する雑木林・竹林・田畑・ ため池・用水路などを含む空間で、生活のために「人の手が入り」様々な多様性を維持してきた生態系が「里山」と思う。
 なぜ「里山保全」が浸透したのか。
 戦後の高度経済成長時に、今までの生活環境が大きく変貌し、都市近郊の里山が都市化により、地方の里山が過疎化・高齢化によって 崩壊していく中で、失われていく循環型社会の見本の様な里山への郷愁と、行き過ぎた環境破壊の反省から、自然保護・環境保全の関心 が「里山保全」を推進させた。
 では「里山」をどうしたら良いか。
 里山は、以前薪や柴などの生活に必要なエネルギーを得るための必要な場所だった。今は、ご飯を炊くのも、風呂を沸かすのも、暖房 を入れるのもスイッチ一つで出来る。以前の里山生活では、薪に火を付けることから始めなければならない。
 かつての里山生活を誰も望まないので、以前の様な里山生活には戻れない。里山をどのように活かすかは、環境保全の立場と地域社会 の活性化を行政とで考えていかなければならない。
 私の伐採作業は許容範囲か。
 人の手を入れることで、森を明るく風通しを良くし、より良い環境を維持していく為の伐採は、許容範囲と思いたい。
 明るく見晴らしの良い場所に、保全した樹々の群落が一望でき、花を咲かす景色は圧巻である。すでにその効果は表れ始めている。排 除される草木には申し訳ないが、しばらくはこの様な作業を継続させてもらう事とする。
 懐かしい里山風景は各自、それぞれ異なると思うが、私の思い浮かべる里山は、裏山があり小川が流れ水田の広がる西日本型の里山で ある。具体的には、椎の木の茂った森と、爆弾が落ちて出来たと言われた池での昆虫捕りが懐かしい。

    源五郎少年の指なまぐさし    沢木欣一

    青天のこぶしはじめは光りなり    細見綾子



 
(了)



 文中写真 ミツバツツジ 松原 和嗣


平成30年4月
湯豆腐
 大島 知津
 




榛(ハン)の木の花
       
写真 武藤光晴


 ある日突然、アレルギーになってしまった。いつものように朝食の支度をしていた時、コップ一杯の豆乳とりんごを一切れ食べて すぐに口の中に違和感を感じ、目からは涙、鼻水と鼻づまり、みるみる顔中が目も開けられないくらい腫れ上がってしまった。何が 起こったのか?
 検査の結果、口腔アレルギー症候群という花粉症の一つで、ハンノキやシラカンバの花粉と特定の食物が引き起こすアレルギー症 状だった。私の場合は大豆とりんごが原因食物だった。薬は処方されず気をつける食物のリストを渡され、花粉の飛散する時期に対 策をするようアドバイスされた。花粉が反応する要注意食物のリストの多さに驚き落胆した。好き嫌いもなく大らかに育ってきた自 分がこんな過敏な体になってしまうとは信じられない思いだった。いつの間にか自分の体の中の環境が変わってしまっていたのだ。 りんごはともかく大豆が食べられないのは辛い。豆腐や油揚げは毎日のように食べていた。少しずつ様子をみながら自分の体を馴ら していこうと思う。
 新婚当初、主人が学生時代を過ごした京都を訪れて食べた湯豆腐が懐かしく思い出されてならない。

    湯豆腐や風の大原夫と来て      知津
 
(了)





平成30年3月
絶滅が心配される植物たち
 野島 秀子
 




シデコブシ
       
写真 武藤光晴


 年末、豊橋の「牛川の渡し」を訪れた時、船頭さんに岸辺に珍しい草があると教えられた。それがなんと!一度見たいと思ってい た「レッドデータブック」に準絶滅危惧種(NT)として載っている「蛸の足」というベンケイソウ科の植物であった。放射状に延 びた果柄についた実が蛸の吸盤のようなユーモラスな姿で冬の川岸を赤く染めていた。

    牛川の渡しあかるく名草枯る    秀子

 「蛸の足」が、ここで「牛川の渡し」と共に生きているのどかな風景に去りがたい思いであった。
 前述の「レッドデータブック」というのは、野生で存在する植物の中で、放置しておくと絶滅が危惧されるものを環境省がリスト アップした出版物である。それらの植物は、絶滅の危惧の度合いの順に絶滅危惧IA類(CR)、IB類(EN)、Ⅱ類(VU)、準絶 滅危惧種(NT)に区分されている。わが国では一六九〇種の植物が急速に絶滅の危機にさらされていると報告されている。
 地球の長い歴史の中で、このように沢山の日本の生物の絶滅が加速されてきたのは、ごく最近の事であるという。それは、自然災 害的な要因もあるが、ほとんどの場合、森林や池沼、河川などの開発や環境悪化などが主たる要因といえる。他にも園芸目的の採取 も大きな脅威になっている。
 これらの絶滅危惧の植物を護るため各地で様々な(生息域内植物保全)活動が実施されている。しかし、生息地の破壊などにより生 息地だけでは守り切れない植物の緊急避難場所として各地の植物園が、(生息域外植物保全)の施設としての重要な役目を担っている。
 名古屋の植物園の主な保全の例をあげてみると、一つは、シラタマホシクサ(VU)やムラサキミミカキグサ(NT)、チョウジソ ウ(NT)、サギソウ(NT)、トキソウ(NT)等々をもともと園内にあった湧水の斜面を利用して保全している。観察しやすいよ うに湿地園として復元し、日本で最小のハッチョウトンボの生息を楽しみに来園される方も増えている。
 もう一つは、東海地方に多い固有の植物種のマメナシ(VU)、ハナノキ(VU)、ヒトツバタゴ(VU)、シデコブシ(NT)等 を「東海の植物保存園」として、水たまりを設け環境を整え整備している。その結果、小動物や昆虫も生息するようになり、ビオトー プとして子供たちの環境学習の場を提供している。
 「昔はよく見られたが、今では植物園でしか見られなくなってしまった。」・・・とならないためにも、植物園では、絶滅危惧の植 物の展示を通して、地域の自然環境保護への関心を高めるような案内を意図的に心掛ける責務があろう。



 
(了)



 文中写真 ヒトツバタゴ 撮影 武藤 光晴


 平成30年2月
藤前干潟
 新井 酔雪
 




藤前干潟
       
写真 国枝隆生


    現れし流木に寄る残り鴨    栗田やすし
    大干潟おびただしきは蟹の穴  栗田やすし


 上の句は、栗田やすし先生が藤前干潟を訪れたときの吟行句の一部である。干潟に棲息する生き物を詠んで、自然を大切にする姿 勢を率先して示されている。この句のとおり藤前干潟には、多くの鳥類と多くの底生生物(蟹、貝、ゴカイなど)が棲息している。 鳥類は百七十二種類、底生生物は百七十四種類が年間を通して確認されている。
 春と秋には、シギ・チドリ類が旅鳥として数多く飛来して、オーストラリアやニュージーランドへと渡り越冬する。中継地である 藤前干潟で、底生生物を餌とし、羽を休める。冬には、ロシア極東やアラスカ方面から多くのカモ類が飛来し越冬する。まさに藤前 干潟は、都市に残された生き物たちのオアシスである。
 藤前干潟は、愛知県と三重県に挟まれた伊勢湾の最奥部の名古屋市港区に広がる干潟である。かつて名古屋港湾一帯は広大な面積 の干潟であったが、昭和二十五年以降、港湾開発・工場用地・農業用地として、そのほとんどが埋め立てられた。つまり藤前干潟は そこにわずかに残された干潟なのである。
 こういった状況の中、昭和五十九年六月にその干潟の一部をごみ処分場にするという建設計画が名古屋市から発表された。しかし、 これでは干潟に棲む生き物が絶滅してしまう、旅鳥と渡り鳥の貴重な場所がなくなってしまうと、市民と研究者が協力して埋め立て 反対運動を起こした。
 以降 、「藤前干潟を守る会」が結成され、その活動などにより、名古屋市議会へ埋立中止請願書が提出された。その後、名古屋市 はごみ処分場の規模の縮小を考えたが、それでは干潟の生き物を守れないことが分かり、環境庁の指示もあって建設を断念した。それ が平成十一年のことである。その翌月、名古屋市は、「ごみ非常事態」を宣言し、その後徹底したごみの分別とリサイクルの取り組み が行われた。行政にとってもごみ処理の問題は切実だったのである。そして、平成十四年に藤前干潟は、ラムサール条約湿地に登録さ れた。
 このように藤前干潟は、自然環境の保全上重要な場となっただけではない。大都市が循環型社会への取組を大きく推進させる転機と なった好例としても大きな意味をもっている。
 ラムサール条約に登録して十数年たった今、もっと藤前干潟へ吟行に出かけ、ここにおける例句を多く残すことが、わたしたち俳人 の責務ではないかと思っている。



 
(了)



 


 平成30年1月
光害
 国枝 隆生
 




宇宙から見た夜の世界地図
       
写真 NASA


    天の川柱のごとく見て眠る    沢木欣一
    九頭龍の洗ふ空なる天の川   細見綾子


 いずれも星がよく見えた戦前の句である。沢木先生の句は、柱が立つように見えたところが眼目で、それは現実に見た天の川の 実感であったと思う。また細見先生の句は、「夜の九頭龍は空をも洗い、銀河のまたたきが分かるほどだった」と呟かれたのも実 感であろう。
 近年、天の川どころでなく、一等星、二等星ぐらいしか見えなくなってきているのが現実である。
 これらの原因はほとんどが光害によるものである。一般的な「公害」と区別して「光(ひかり)害」と呼んでいる。このひかり害 を定義すれば「過剰なまたは不要な光による公害のことである」とある。ひかり害の実感として最初にあげた天の川で言えば、世界 の36%、日本の70%で、天の川を見ることが出来ないとしている。
 もう一つの実態として宇宙ステーションから送られてくる地球の夜景写真を見ると顕著である。この写真では日本列島がはっきり と写し出されている。そして世界中で日本が光害の「重要被疑国」と言われている。余談だが、北朝鮮の夜景は暗黒で、陸地と海と の境界も見えない。(写真1)
 このようなひかり害を起こす原因には実に様々である。人口密集地域、工場、街灯、道路などの照明、ネオン、パチンコ店のサー チライトなどの無駄な光によるものである。果ては日本海などの烏賊釣り船の照明は宇宙からもよく見えるという。一番や分かり易 い例で言うと、不適切な形態の街灯があげられる。例えば光源をただのガラス球で覆ったような街灯は光があらゆる方向に発せられ るが、上の方向は全く無駄である。横方向の光はグレアとして運転者の目をくらませる原因となる。
 これらの原因に対して、ひかり害の影響は単に星が見えなくなるだけでなく、夜空が明るくなることから、天体観測に障害を及ぼ したり、生態系を混乱させたり、あるいはエネルギーの浪費の一因ともなっている。こうしたエネルギーの浪費が地球環境温暖化の 直接要因ともなっている。
 私たちに身近な生態系への影響を考えると、まず地球の自転や公転によって作り出される昼と夜、日の長さに対応してきた動植物 が照明によってリズムを崩されている。例えば夜に開花する花を受粉させる蛾の飛行能力を妨害しているとか、明るい街灯のそばで 夜間も長時間光を浴びて続ける街路樹に紅葉遅れの異常が起こる。稲の場合、穂が出る一ヶ月前からの期間が重要で、このとき過剰 な夜間照明によって出穂の遅れや稔実障害の発生が報告されている。
 他にエネルギー資源への影響は容易に考えられることで、過剰な照明使用や空に向けて光が漏れることなどのエネルギー浪費であ り、国際エネルギー機関の2006年発表では、現状のまま不適切な照明が続けば、2030年には照明に使われる電力は80%増加するが、 適切な照明利用を行えば、2030年でも現在と同等の消費電力に抑えることが出来るという。
 では光害対策はどうかと言えば、環境省から「公害対策ガイドライン」(平成18年改訂)による指導、啓蒙行われている。
 屋外照明設備の不適切事例で前述したが、街灯の上方光束を遮って安全を保ちつつ、下方光束に限定した街灯構造にするだけで達 成出来る。(写真2)
 また自治体事例では、岡山県美星町で「光害防止条例」制定により過剰な照明を制限している。そしてこの町は町名どおり「星降 る里」として全国の天文ファンでは有名になっている。
 以上幅広い内容をかいつまんで説明したが、俳句を作る者にとってもひかり害に興味を持って、澄みきった星空を詠む楽しさを体 験して欲しい。(「伊吹嶺」2018年1月号加筆)


 
(了)



 





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