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添削コーナー

いぶきネット句会、兼題俳句会に入会されると、以下のような添削指導を受けることができます。





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 いぶきネット句会(10月分より)





      兼題俳句会(9月分より)




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いぶきネット句会(9月分より)


原句  真向かひは活断層や曼珠沙華
できている句と思いますが、活断層がどうであったかを写生することで「真向かひ」は省略できると思います。
(添削1) 露なる活断層や曼珠沙華
(添削2) 剥き出しの活断層や曼珠沙華

原句 大花野険しき径を登り来て
「険しき径」や「登り来て」の表現を工夫し、大花野の広がりをさらに強調されるとよいのでは、と思います。
(添削) 岨道を来て一面の大花野

原句 全身を痛みの襲ふ酷暑かな
<全身を痛みの襲ふ>を、読み手は、「どうして痛いのだろう」と、先ず考えるのではないでしょうか。
(添削)起き抜けに全身痛む酷暑かなの方が、イメージし易いのではないでしょうか。

原句 手をつなぐ園児の散歩赤のまま
この句でも出来ていて、良い句と思いますが、<手をつなぐ>が一番の、感動ではないでしょうか。
(添削) 赤のまま散歩の園児手をつなぎ

原句 銀河四つ合体の記事胡瓜揉む
大胆な句材に挑戦! 銀河と胡瓜揉むの妙。記事、テレヴィ、、、など間接体験を読者はさらに間接体験する句なので感動が薄くなる。
(添削)大銀河四つ合体胡瓜揉む  と言い切った方がいいのかも知れない。

原句  色初めし林檎園にて待ち合はす
(添削) 人を待つ色づき初めし林檎園

原句 翡翠の一閃水面に影走る
翡翠の特徴をよくとらえた句だと思います。格調も高いですね。「一閃水面に」が中八の字余りになっていますので、できれば七音にしたいですね。とりあえず「水面に」を「水に」としてみます。
(添削1)翡翠の一閃水に影走る
さらに「水」を平仮名にすると少し見た感じが明るくなるかもしれません。
(添削2)翡翠の一閃みづに影走る

原句 水槽の身を持て余し鯱泳ぐ
類想の見当たらない面白い句ですね。作者自身の鬱屈した気持ちが伝わってきます。ただ、これでは季語がありませんので、ご自身の気持ちに即した季語を補ってみてください。この時期なら「秋暑し」や「秋思」などがいいかもしれませんね。(添削)水槽の鯱の行き来や秋暑し

原句 鳥の名を問ふ妻とゐる秋の朝
気持ちのよく表れているよい句だと思いました。ただ「問ふ」の主語が分かりづらく感じました。終止形も連体形も同じ「問ふ」ですから、聞いているのは作者でしょうか。妻でしょうか。しかし意味的には妻が鳥の名前を聞いているとした方が分かりやすいでしょうね。私は、自分が妻に聞いているとして、ここで切れても面白いと思いました。「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ 虚子」と三句切れで、すべて終止形で止めている句があります。私はこの句が好きで、こういう句もあるので、「問ふ」を終止形にして自分が妻に聞いている情景も面白いと感じました。

原句 宿坊の夕餉は早し虫の闇
選句一覧を見ると評判のよかった句でしたね。ただ2点気にかかりました。「夕餉は」と「は」と入れるとどうしても理屈ぽっく感じます。夕餉は早いが、ほかはどうだという疑問につながってしまします。「夕餉の早し」で素直に事実だけを言えばよいと思いました。2点目は「虫の闇」です。夕餉は早いのにもう闇ですかという疑問です。虫の声、虫すだく、虫時雨など、音だけに絞った方が余情があると思いました。「宿坊の夕餉の早し虫すだく」、「宿坊の早き夕餉や虫すだく」など。

原句 眠りゐる犬の目動く秋の風
(添削) 眠っている犬の目が動くというのが不思議でなりません。まさか、犬が目を開けて寝るものかどうか、動物が身近にいませんので、私には分りません。耳が動くのはあり得ることです。「秋風や眠れる犬の耳動く

原句 海峡を越えてくる声運動会
(添削)海峡というと、その間はかなりの距離があり、そんな離れた所から声が届くものかと思います。これが、川の向こうからというなら皆納得します。 川風に乗つて来る声運動会

原句 訃の報せ電話の奥の蝉しぐれ
(添削)心情的な句で惹かれました。上五を「報す」として中七に繋げると一句の姿が整うように思います。
訃を報す電話の奥の蝉しぐれ

原句 港まで青田の中をつつ切れり
(添削)気分の高揚を感じる佳句ですが、「つつ切れり」は漢字で「突つ切れり」又「青田の中」も「青田の道」としたほうが
イメージしやすいでしょう。「港まで青田の道を突つ切れり


兼題俳句会(8月分より)


卒塔婆に印字戒名白木槿
<に印字戒名>の<印字>が、詩的でしょうか?五感を働かせて「白木槿塔婆に墨の文字匂ふ」


汐入川濁りてはやし木槿咲く
あまり多くを語ると焦点がぼやけることがあります。ポイントを汐入川の速さに絞ってみます。
 「汐入の流れのはやし花木槿」

落ちたるは醜き骸花槿
「醜き」は言い過ぎでは無いかと思いました。また助詞の「は」は説明になりやすく、注意が必要な助詞です。
「花木槿骸のごとく錆び落つる」

木槿咲く子の家訪はむ赤子見に
[咲く][訪ふ][見る]と一句の中に動詞を三つも使うのは考えものです。句をすっかりひっくり返して、動詞を一つ減らしました。「赤子見に子の家訪はむ花木槿」


いぶきネット句会(8月より)

(原句)黒南風の土塀を超へて竹林へ
 黒南風は梅雨の最中の南風で、雨を伴っていると歳時記にはあります。この句の黒南風はなにか優しくて、春の微風のようにも見えます。黒南風らしさをはっきりと出しましょう。なお、原句の「超へて」は誤りです。文語の「超ゆ」はヤ行下二段活用の動詞ですので、「超えて」とすべきです。文語を意識し過ぎた誤りとでも言いましょうか、非常によく見かける誤りです。
(添削)黒南風の大きく揺らす竹林


(原句)北陸の旅終る夏伊吹山
「北陸」と「伊吹山」と場所が二つも入っているのは良くありません。それに、「旅終る夏」と、季語の「夏」を無理矢理押し込んだという感じがします。季語の無理な使い方はいけません。伊吹の方を活かして次のようにしてみました。
(添削)「伊吹嶺を仰ぎて終る夏の旅


(原句)草取りの男張り付く城の石
この句出来ていますが、「城の石」は「城垣」とはっきり断定されたほうがイメージしやすいと思います。
城垣に草取る男貼りつけり」「城壁に貼りつき男草を取る」など。


 (原句)日本海ひとりじめなる夏の出湯
安易に夏をつけて季語とすることは考え物です。この句で考えると「夏の海」は歳時記に載っていますが「夏の出湯」はありません。そういう意味で、この夏は「日本海」に付くのが自然だと思います。「露天湯に独り占めなる夏の海


(原句) 咲き切って黄落せしや夏薔薇
「薔薇」は夏の季語なので、あえて「夏薔薇」という必要はないと思います。また「黄落」は木の葉が黄色くなって落ちることで、薔薇には馴染みません。「咲き切つて」を省略しもっと深く写生されては如何でしょうか。
(添削) 「散り敷きて錆色なすや白薔薇


(原句)富良野行くラベンダーの波麦の波
語調を考えると「ラベンダーの波麦の波富良野行く」かと思いますが「ラベンダー」を季語としている歳時記もあり、明らかに季節を感じさせる同種の句材を二つならべるのも少し気になります。一句を二つに分けてみます。
(添削1) 「ラベンダーの風紫や富良野行く
(添削2) ラベンダーの風 匂ひくる富良野かな
(添削1) 落日の北の大地や麦の波
(添削2) 「風騒ぐ北の大地や麦の波

(原句 ) 夏雲や古き農家の門構へ
  <夏雲と門構へ>で、迫力のある大きな景色が出て良いと思いますが、
もう少し景色を鮮明に出した方が、、読み手は、想像し易く、感動が伝わりす。<古き農家>を、<造り酒屋><庄屋>のように断定された方が、奥行きのある
情景が出るのではないでしょうか。
(添削)「
夏雲や庄屋の古き門構へ



兼題俳句会(7月より)

夕虹や猿棲む山を跨ぎたり
 
<猿棲む山>は、一読して鮮明に情景が浮かんで来ません。「猿の声響く裏山夕の虹


麦茶据う櫓作りの男衆
出来ている句とは思いますが、<麦茶 据う>を、もう一歩鮮明にされて、麦茶のある景色を写生されると良いと思います。「櫓組む麦茶の薬缶脇に置き


サービスの麦茶薬缶や道の駅
「サービスの」という言葉は少し詩情が乏しいように思います。「もてなしの麦茶の薬缶道の駅」だと思いますが、さらに写生を深めて例えば「道の駅薬缶に麦茶冷えてをり」としますと「冷えてをり」で、もてなしの心が感じられるのではないでしょうか。

鷺草の幽かにゆれて見せにけり
 「ゆれて」はやゝ説明調、また「見せにけり」は省略できると思われます。その場の情景を詳しく詠まれますと句がさらに具体化するのではないでしょうか。例えば「 鷺草のかすかに揺るる朝の茶事鷺草のかすかな揺れや夕間暮れ

犬死んで虹の大橋渡りけり
<渡りけり>が主観的ではないでしょうか?もう少し客観的に捉えて「犬逝きてよりの大きな虹の橋」あるいは「犬逝きし空に全し虹の橋


稜線に手を振る朝の虹の中
大きな景で好感を持ちました。「稜線に」は「稜線へ」とすると視点が決まるのでは、、、。 「稜線へ手を振る朝の虹の中」この句、虹の中に居て、稜線へ手を振っているのですが、稜線の虹へ手を振っているほうがイメージしやすいように思いました。誰が手を振っているのかもはっきりさせて例えば「稜線の虹へ手を振る登校児

海浜の清掃麦茶で終はりけり
 掃除を終えて麦茶を飲んだというだけでは、事実の報告で、句としては面白くもなんともありません。少し語順を替えて仕立て直してみましょう。 打上げは冷えたる麦茶浜掃除


朝稽古麦茶の満てる大薬缶
 上五と座五がともに五音の名詞というのは大変に堅苦しい感じがします。避けた方がよいでしょう。 朝稽古麦茶薬缶に溢れをり


微風に群飛ぶが如連鷺草
 「ごと」は使い方が難しく避けた方が無難です。「連鷺草」も余り見かけない表現でして、無理な言い方は読者に理解して貰えません。「鷺草の群れを飛ばす、立たす」くらいでどうでしょうか。あるいは、「放つ」でも良いかもしれません。 鷺草の群れを立たせて風過ぎぬ


上京の子に会ふ車窓虹立てり
 
普通に読めば〈上京の〉は子にかかるのでしょう。でも、作者が名古屋の方ですから〈車窓〉にかかるとも読めますね。「子に会うための上京虹立てり」という意味かも知れませんね。


鷺草のそよぎて白き風を呼ぶ
 鷺草の花の色から連想されたのでしょうが、〈白き風〉は秋の季語になります。「鷺草のそよぎて庭に風呼べり


伊吹嶺に片虹かけて雨去りぬ
 この作者の三句は何れも写生がしっかりできていました。この句のように新鮮な写生にこれからも心掛けてください。

いぶきネット句会(7月より)


(原句)夕焼や遠き国より友来る

出来ておりますが、季語の「夕焼け」が充分に効いていないように思います。湧き上がる峰雲に思いを託して
(添削)峰雲や遠き国より友来る


(原句)ささやきの秘密深める扇子かな
面白い場面です。只「秘密深める」とまで言わなくてもと思いました。
(添削)囁きの秘密めきたる扇子かな


(原句)烏賊釣のとぎれし沖に月昇る
この句「烏賊釣」と「月」で季重なりになっています。どちらかに焦点を定めて
(添削)烏賊釣火消え潮騒の高まれり
あるいは漁り火の消えたる沖や月涼し


(原句) 尾を上げて浮葉に止まる川蜻蛉
 「浮葉」と「川蜻蛉」は季重なりとなりますので、「浮葉」を水辺の「草」と替えましょう。「止まる」のところの切れがあいまいですので、「止まれり」としたいのですが、「川蜻蛉」の動きをもっとはっきりさせるために「縋れり」としてはどうでしょうか。
(添削尾を上げて草に縋れり川蜻蛉


(原句) もち古りし母の扇子の匂ひかな
「もち古りし」は漢字を使って「持ち古りし」とした方が誤解されなくて良いでしょう。それともう一つ、「母の扇子の匂ひ」よりは、「母の匂ひの扇子」とした方が、母への想いが深くなると考えますがどうでしょうか。
(添削持ち古りし母の匂ひの扇子かな


(原句)引き水にサイダー浸す宿場町
 すっと流れていますので、句を切ってみましょう。
(添削)「引き水に浸すサイダー宿場町」


(原句)夏空を背に焼岳の薄煙
 佳い句ですが「背に」が必要ないように感じます。
(添削)「夏空や真直ぐに焼岳(やけ)の薄煙」


兼題俳句会(6月より)
十薬の蔓延ると言う花哀れ
 <言う>は、<言ふ>ですね。 <花哀れ>と言うような観念の言葉で、思いを全部を述べてしまわないで、<哀れ>を、眼前の情景の中の何で感じられたのか、それを写生する様に詠まれると、良いと思います。「はびこつて花十薬の白さかな

カーテンのレール重たき梅雨入かな
 言わんとされる事は、わかりますが・・・「 カーテンを引けば重たき梅雨入かな

しずけさや水脈かすみけり梅の雨
 「や」と「けり」の切れ字二つが内容を二分しています。切れ字を一つにすれば焦点がはっきりすると思います。「しずけさや水脈かすませて梅の雨


屋根に音あるは久や梅雨に入る
「屋根に音」で雨音を表現するのは少し苦しいですね。はっきり雨音と言い切るほうが良いと思います。「屋根叩く雨音久し梅雨の入り」または「屋根を打つ雨音久や梅雨に入る


人知れず十薬群るる宮の裏
 「人知れず」が少し気になります。語順を変え表現を少し工夫してみてください。「十薬のいつしか盛り宮の裏」または句意が少し違ってくるかもしれませんが「十薬の群るる小暗き宮の裏


ソフアーにだれゐる猫もついりかな
「も」は句が曖昧になるので、使い方が難しい助詞です。中七を「猫のだれゐる」と断定して「ソフアーに猫のだれゐる入梅かな


深川の茅の輪に向こふ忠敬像
 この句の場合、深川の地名が効いていないように思います。また忠敬像は元々そこにあったのだから、向かうのは茅の輪なのでは、、、「茅の輪組む忠敬像に真向かひて」または「大茅の輪忠敬像に向かひ立つ


掛け時計時々とまりついりかな
「掛け時計時々とまり」の「時々」は、句をひどくあいまいなものにしてしまって、作者の感動が伝わってきません。断定的に「動き止めたる」くらいでどうでしょうか。この断定に共感をする人としない人とがあるでしょうが、「時々」とするよりは良いでしょう。「掛け時計動き止めたるついりかな


十薬や露座仏の鼻欠けてゐし
 気になるのは「ゐし」です。「ゐし」は過去のことになります。この句の場合は現在の場景を詠んでいるわけですので、「をり」を使った方がよいでしょう。「十薬や露座仏の鼻欠けてをり


缶詰に缶の味して梅雨に入る
 この感覚は鋭いと思います。しかし、具体性に欠けているような感じもします。読者は、ブリキ製の缶詰だからブリキの味がするのは当然のことと思うでしょう。作者はその中味に缶の味が染みついていたと言いたいのでしょうが、そのように取って貰えるかどうか。このあたりのことをもう一度考え直されてはいかがかと思います。


笑い来て茅の輪を潜る真顔かな
 今回この作者の三句とも季語のよく効いた分かりやすい句で感心しました。この句は添削する必要はないのですが、やや句意が理屈ぽいのが気になるくらいです。


十薬の古家に染みる帰郷かな
 読み手には「染みる」が分かりません。どのような状況を述べているのか詠み手は読み手になったつもりで推敲してみると良いでしょう。「十薬の匂ひにまみれ帰郷かな」「十薬のはびこる家に帰郷せり


美容師の赤いパンプス入梅かな
 面白い句材で入梅を捉えたところはお手柄ですね。ただ、下五が固く置かれていますので、もう少しリズム良くしてみましょう。「美容師の赤きパンプス梅雨に入る



いぶきネット句会(6月より)

(原句)改修の仁王門開く新樹風
 この句は改修した仁王門を開いたら、新樹の風が吹き抜けたという句ですか。一寸材料が多い感じがしました。読者はどれに焦点が当たっているか分かりませんね。例えば、門を改修したこととと風だけの組み合わせ、又は仁王門と風だけの組み合わせに絞ってその時の情景を思い出して作ってみて下さい。私は後者の方が焦点を絞りやすいと思いました。(添削)「新樹風吹き抜けてゆく仁王門」「仁王門開き新樹の風通す」など。
(原句)花一つ宙に止めし蜘蛛の糸
 花一つが宙に止まっているのをよく見ると、蜘蛛の糸のせいだったという観察のよく効いた句だと思いました。ただ花一つでなく単に花びらの方が桜らしいと思いました。また「宙に止めし」を具体的に述べた方が分かりやすいと思いました。
(添削)「蜘蛛の囲に花びら一つ留まれり」など。

(原句)軽鴨の子の列乱れたる小岩かな
 この句は「小岩かな」とあるので小岩に主点があるように思います。軽鴨(かる)の親子に着眼を置き
(添削)大岩に軽鴨の親子の列乱る

(原句)瀬戸の海車窓に光りあなご飯
 大きな景色で惹かれる句ですが、三句切れ気味なのが気になります。
(添削)瀬戸の海光る車窓やあなご飯


(原句)山裾に隠るる藁屋柚の花
 「山裾に隠るる」が少し広過ぎて曖昧になってませんでしょうか。「山窪に」の方が隠るるとの繋がりが分り易いです。
(添削山窪に隠るる藁屋柚子の花

(原句)行く春や繋がれしままの連絡船
 中八になって調べを崩しています。中七は調べ、リズムを整える重要なフレーズですから、よほどのことでない限り中七を厳守いたしましょう。
(添削)行く春や舫ひしままの連絡船

(原句)麦の風新しき下駄鳴らしけり
 さわやかな句ですが「下駄鳴らしけり」の「けり」が少しわかり難いように思いました。
(添削)新しき下駄鳴らしゆく麦の風


(原句)山峡や鉄塔映す代田水
 代田水の「水」はいらないと思います。もう少し情景が伝わるように工夫されては如何でしょうか。
(添削)鉄塔を映す代田や峡の晴


(原句)喪の家のカーテン揺れる梅雨晴れ間
 素直に詠んだ写生句だと思います。梅雨晴間は明るい季語ですので、どうせなら喪明けの近いことを言外に示してみてはいかがでしょうか。
(添削)喪の家のカーテン開く梅雨晴間


(原句)仲見世へ繰り出す神輿うねりつつ
 よく景が見えてきますよ。「うねりつつ」が取ってつけたような印象を与えますので、少し語順を変えてみましょう。
(添削)仲見世へ神輿うねりて繰り出せり



兼題俳句会(5月より)

夏めくや庭に揺れゐる影増えて
 出来ていて、良い句と思いますが、何かの影に断定された方が、より初夏らしい感じが出ませんでしょうか? 例えば「夏めきて庭の草木の影濃かり


石垣の苔生す棚田鯉幟
  苔生す>が十分働いていないので、鯉幟の在りようが浮かんで来ないと思います。「鯉幟棚田の高き石垣に


川の上に千の幟や尾を跳ねる
 歳時記によっては「鯉幟」の副季語に「幟」は載っていますがこの場合、やはり「鯉幟」とされたほうがよいのではないでしょうか。       川の上に千の尾を跳ぬ鯉幟


夏めくや犬小屋空っぽ苔育つ
 夏めくや/犬小屋/空っぽ/苔育つ、と切れ切れですね。順序を入れ替えてみたらどうでしょうか。また、「空っぽ」は「空つぽ」と表記します。「空つぽの犬小屋に苔夏めける


古伊万里に並ぶぶつ切り初鰹
 中7と下5の調べがよくないように思います。「並ぶ」とするより「盛る」のほうが美味しそうに感じられないでしょうか。「古伊万里に盛るぶつ切りの初鰹


息災と高知の友より初鰹
 この句、中八になっていることが気になります。友の息災は読み手に任せて「縞目濃し土佐より届く初鰹」あるいは「文添へて土佐より届く初鰹


鉢巻の似合うふ板前初鰹
 出来ていますが、「似合ふ」を写生されるともっとイメージしやすい句になるのでは、、、 たとえば「板前の捻り鉢巻初鰹


崎の家海風いっぱい鯉幟
 この句「海風」とあるので容易に想像できる「崎の家」は省略し、窮屈な上五中七をゆったりと詠みたいですね。「いっぱい」は「いつぱい」と表記して「海風を腹いつぱいに鯉幟


初鰹女の会話限り無し
 この句「女の会話限りなし」が説明。どんな様子だったのか写生して「初鰹女ばかりの昼の膳」切の無い女の会話が聞こえてきたでしょうか


辛口をきつく冷やして初鰹
 「冷し酒」が夏の季語ですのでそれを避けようと苦心されたのはわかります。しかし、「きつく冷やして」などは余計です。辛口の酒に焦点を当てましょう。「辛口の酒を舐めつつ初鰹」「初鰹酒はもとより辛口で


選りすぐるガラスの皿や初鰹
 「選りすぐるガラスの皿や」と「や」で切って、ここに強い切れがありますので、この句は、現在どの皿が良いのか、それを懸命に選んでいるということを強調する句になっています。これは初鰹の句ですから、それをはっきりさせましょう。「選り抜きのガラスの皿に初鰹

夏めくや猫の首筋ほつそりと
 猫の首筋と言われましても、それが初夏とどのような関わりがあるのか見えてきません。初夏らしさは猫の動きに着目するほうが良いのかもしれません。添削の域を越えてしまいますが、次のようでどうでしょうか。「軽やかに走り出す猫夏きざす


真魚板の水にぶち切る初鰹
 「真魚板の水にぶち切る」とは何でしょうか。「真魚板に水を掛け流しにして初鰹をぶち切る」ということだ思いますが、これは好意的な解釈です。真魚板は当然使うものですから省くことにして、「水を掛け流す」ことに焦点を絞ってはどうでしょう。


藁の火に素肌焼かれし初鰹
 「素肌」は考えすぎに思いました。焼かれてどうなったのかが知りたいところですね。「藁の火に焼かれ反りたる初鰹


葺きたての萱の明るし夏の色
 「夏の色」が少し唐突で効いていないように思いました。「葺きたての萱の明るし夏館


水切の伸びゆく波紋初鰹
 句材と季語「初鰹」が合っていませんね。この句材には別の季語の方が良いと思います。「水切の伸びゆく波紋夏きざす


風湧きて腹から泳ぐ鯉幟
 「腹から泳ぐ」は面白い表現ですが、「風湧きて」がやや説明的です。「川風や腹から泳ぐ鯉幟」と句を切ってみてはどうでしょうか。

いぶきネット句会(5月より)

(原句)横抱きのフランスパンや麦の秋  
 
パンへの感動より、横抱きのへの感動の方が、共感します。それに、情景はもう少しイメージ出来ると良いと思います。
(添削)麦秋やフランスパンを横抱きに


(原句)父の杖示す筍我ら掘る       
 思いは伝わりますが、全部述べてしまって、余韻がありません。
(添削)父の杖指す筍を掘りにけり


(原句) 大護摩の結界は縄蝶過ぎる  
 蝶が結界を過ぎた感動ですので大護摩は要らないではと思いました 感動簡潔にするためには大護摩が邪魔しているのではと思いました また は は要注意ですね にはで遊ぶなので遊べ との富安風生の名言がありますから
(添削) 縄張りし結界越ゆる夏の蝶


(原句) 塗りたての壁に犬の毛夏初   
 感性に共感しました 夏初は動くかなと 壁のある場所を特定する季語柿若葉とか 塗りたての壁の光を新樹光とか
(添削)塗りたての壁に犬の毛柿若葉


 (原句) 釣舟の白髪頭に光る風
 この句は切れがあいまいなので、散文の断片のような感じになっています。そこで、切れを入れて「白髪頭や」とします。そして、座五の季語を「風光る」とすれば納まりがよくなるでしょう。
 (添削)  釣舟の白髪頭や風光る


 (原句) 藤の花香る漏れ日や童話読む
 この句は材料過多とでも言いましょうか、ごちゃごちゃと詰め込み過ぎです。いらない語句を削ることを考えましょう。「漏れ日」は何かわからない言葉ですので、これは削除します。「藤の花」と「童話読む」とで句を仕立てればすっきりするでしょう。
(添削1  藤棚の下に寝そべり童話読む(添削2) 藤棚を見上ぐるベンチ童話読む


 (原句)  風光るゆったり白き風車かな
 「ゆつたり白き」はことばの無駄遣いです。「ゆつたり」か「白き」のどちらかは不要です。場合によっては両方とも不要かもしれません。いずれにせよ「ゆったり白き」で七音ありますので、ここで風車の写生をしっかりすることです。いろいろな描写が可能でしょう。
(添削1)  並び立つ白き風車や風薫る(添削2)夏空を切り裂き風車回りけり


(原句)逆光に八ヶ岳浮く朝霞
 「に」は説明になりがちですね。「浮く」という言葉も、読み手には大袈裟に感じるように思います。
(添削)逆光の八ヶ岳照る朝霞


(原句)安曇野の真ん中に居る花菜風
 「居る」よりも「居り」、さらに「をり」の表記のほうがいいですね。
(添削)安曇野の真ん中にをり花菜風


(原句)島々の小さな山も笑ひけり
 いい雰囲気の句だと思います。ただ、作者がどこで見ているかが曖昧な気がします。「山も」の「も」が何と比べているのかも曖昧かもしれませんね。本土の山か、島々の大きな山との比較なのか・・・。
(添削)見晴るかす島々の山笑ひけり


(原句)花冷えや癌の友より見舞ひ受く
 重い句ですね。このままでもできていると思いますが辛く暗い言葉が続くので、季語と語順を工夫なさっては如何でしょうか。
 (添削)癌を病む友に見舞はる花の昼


(原句) のどけしや里に墓所のある景色
 墓はふつう居住地域を離れたところ<墓地>にあるもの、それが家の近くにあることで、亡くなられた方をいつも身近に感じているいる里人の優しさにに触れられたのでしょうか。「墓所」はやゝ固い感じ「景色」はすわりが悪いと思いますので少し工夫してみてください。
(添削)のどけしや身近に墓のある暮し


(原句)はらからの訃に急く朝や植田澄む   
 「急く朝」が分かりませんでした。好意的に解釈すれば、急いで出かけるということでしょうか。具体的に表現した方が無難だと思いました。また訃報に対して「植田澄む」は明るすぎるような気がしました。「はらからの訃に急ぎたり植田道」。また「はらから」も単に友でよいと思いましたので、「友の訃に急ぎゆく朝(あした)植田道」なども考えられます。
(添削1)はらからの訃に急ぎたり植田道(添削2)友の訃に急ぎゆく朝(あした)植田道


(原句)行く春や夕日湛えし夫婦岩   
 夫婦岩の夕日に行く春を感じた様子が見えてきます。ただこの句は「湛えし」と過去形になっていますので、今は夕日が湛えていない情景になってしまい、迫力がないと思いました。現在の情景にして、「行く春や夕日湛ふる夫婦岩」とすれば臨場感が出てくると思いました。
(添削)行く春や夕日湛ふる夫婦岩


(原句)雛明り手斧削りの手摺かな   
 雛の日の雰囲気が出ていると思いましたが、「手斧削りの手摺」となっているのは何でしょうか。具体的な物が見えてきませんでした。また「雛明り」の具体的な場所は何処でしょうか。2つの疑問を解決するため、「雛の間手斧削りの床柱」などとすると場所がよく見えるような気がしました。
(添削)雛の間手斧削りの床柱



兼題俳句会
(4月より)

公園のふらここ揺るぐ人のなし
「揺るぐ」は、「揺らす」ではないでしょうか?ただ、この句は<揺らしている人がいません>という報告のように思います。詩的な感動を詠まれると良いですね。例えば、「公園のふらここ揺れゐて人気なし


畑はまだ人休ませぬ遅日かな
説明している句とも、取れますね。先ず、見たままを写生されて「山畑に人影見ゆる遅日かな


白蓮の淡き花蔭仔牛寝る

「白蓮」は、蓮の事で、木蓮の場合は、「はくれん」又は「白れん」と書くそうです。出来ていて良くわかる句ですが、<淡き><花> は、<白れん>だけで、十分イメージ出来ると思います。 言葉を少し整理して・・・ 仔牛眠る白木蓮の花の下

ぶらんこを夫と並びて揺らしけり

「揺らし」の表現でもいいのですが、さらに勢いのある景が浮かぶようにされてもいいですね。「ぶらんこを夫と並びて漕ぎにけり


射す指の姉妹似てゐし花木蓮

「射す指」は「指す指」と表記します。また「ゐし」は過去ですので、今として表現されるとよいかもしれませんね。「指す指の姉妹似てをり花木蓮


木蓮の蕾みに力風吹けり
「蕾みに力」とありますが、「蕾み」のどこに「力」を感じたのかを写生するといいですね。「木蓮の蕾の尖り風吹けり


永き日や乗客一人のバスに乗る 
中8になっていますが、「バスに乗る」とありますから「乗客」といわなくてもわかりますね。「永き日や客の一人のバスに乗る


背広から赤ペンを抜く遅日かな

「背広から赤ペンを抜く」という一瞬の動作が、時間の経過を感じさせる季語「遅日」とどのような関連があるのかまったく分りません。そのあたりのことを考えて次のようにしてみました。赤ペンを弄びをる遅日かな


白蓮の散つて街角広くなる

多分勘違いと思いますが、原句の「白蓮」は「びゃくれん」または「しろはす」と読みまして、「蓮(はす)」のことになります。木蓮の花は紫色です。白木蓮は木蓮と近縁種で白い花を咲かせます。この白い木蓮のことを指す場合には、はっきりと「白木蓮」とするか、「白い蓮」と区別をするために、「はくれん」または「白れん」とする必要があります。これは誤りやすいことですので気を付けてください。はくれんの散つて街角広くなる


濡縁に不慣れなペンキ暮遅し

「不慣れなペンキ」とはどんなペンキなのかまったくわかりません。俳句では、一読して意味が分るということが大切なことです。状況をはっきりさせるために、塗ったペンキが夕方になってもなお乾ききっていないと考えて次のようにしてみました。濡縁のペンキ乾かぬ遅日かな


 はくれんの南病棟母見舞ふ
まとまった句ですがやゝインパクトが弱いように思います。思い切って「南病棟」を捨て、母とはくれんをもっと強調しては如何でしょうか。「母見舞ひ母と眺むる白木蓮」「母見舞ひ母とはくれん眺めをり

ふらここの形整う始業ベル
児童が立ち去ったあとのぶらんこの状態を詠まれたものですね。「形整う」という表現が少し気になります。「ふらここの揺れおさまりぬ始業ベル

夕映えの浜風ゆたに遅日かな
夕映え」「浜風」「遅日」と形のないものが並びます。何か一つ具象的なものが欲しいですね。例えば多くの人にわかる地名など入れられたらどうでしょうか。「江の島の浜風ゆたに遅日かな」「夕映えの浜妻と歩す遅日かな

ニ上山茜に染まり暮れかぬる

「暮れかぬる」の季語があまり生きていませんね。切れがなく散文的だからかも知れません。「暮れかぬる二上山の茜雲


農夫らの話し込む畦遅日かな
「かな」が最後に来る場合は、切れないですっと最後まで読み下した方が良いですね。「農夫らの畦に語らふ遅日かな

ぶらんこや身体真横になるほどに
「身体真横になるほどに」はただの説明で終わっています。ここに詩的な表現を持ってこないといけないでしょう。「ふらここや水平線と平行に


 故郷の荒ぶ無人寺白木蓮
惜しい句ですね。「荒ぶ」が写生では曖昧です。古里、無人寺と句材が多いので肝心の写生ができなくなるのです。「山門の朽ちたる寺や白木蓮




いぶきネット句会(4月より)

(原句)霾や空に銅鏡光らせて

 銅鏡は、太陽が黄砂に透けて見える事でしょうか?事実でしょうが、<霾>に光は強すぎると思います。

(添削)銅鏡のごとき太陽つちふる日


(原句)赤らめり芽吹きにけむる雑木林

 美しい光景ですが、<赤らむ>と<けむる>に感動が分かれてしまっています。言葉を整理されると良いですね。

(添削)雑木山芽吹きて赤くけむりたる  


(原句)深々と青年の辞儀さくら満つ 

 「深々と」がなにかわかるといいですね。

(添削)婚決めし青年の辞儀さくら満つ


(原句)断層の上とふ団地蝌蚪生る

 「とふ」が、わからなくて悩みましたが「古語」ですね。題材がわりと現代風ですので違和感を覚えました。まだ「てふ」のほうがいいのではないでしょうか。

(添削)断層の上てふ団地蝌蚪生る


(原句)野菜屑捨てし畑や月朧

 この句は「や」という切れ字の位置からすると、畑に作者の焦点があるわけですね。とすると、朧月では風景がぼうっとして、畑もよく見えないことになってしまいそうですね。よく畑が見えるように、「春の月」とされてはいかがでしょう。それから、「捨てし」の「し」は過去ですが、俳句は臨場感をもって作るのがよしとされますので、今現に捨てているのだ、という場面設定で作るといいかもしれません。

(添削)野菜屑捨つる畑や春の月


(原句)城門に烏動かぬうららなり

 「動かぬうららなり」の調べがちょっと不自然です。また、烏にもっと動きがあったほうが春らしい気もします。

(添削1)うららかや烏はづめる城の門

(添削2)城門に烏跳ねをり春の昼


(原句)ふところにはがき一枚春の雨

 ただ一点、「春の雨」が気になりました。句全体から受ける感じは、なにかゆったりとした情景。春風駘蕩たる午後の時間に葉書でも出そうかと外出したというところ。むしろ、雨は降っていないほうが良いと思います。

(添削)ふところにはがき一枚花の下


 (原句)うぐひすの一声統べる谷の径

 「統べる」があいまいな表現です。「国を統べる」という使い方をしますので、その意味であることは分りますが、この動詞の主語は「うぐいすの一声」ですので、この動詞が適切であるかどうか。

(添削)うぐいすの声伸びやかに谷の径


(原句)銭湯の古き富士の絵花の昼

 第一感、「古き富士の絵」の「古き」が「富士」へかかるのかなと思ったのです。そのような誤解を与えそうなことばの並びです。よく読めば、富士が古いわけはないのですが。この句は形はしっかりしていますので、ここのところをうまく処理すれば良くなるでしょう。

(添削)銭湯の富士の絵古び花の昼 


(原句)段葛をスキップする子春の風

 上6が気になりました。あえて上6にして鶴岡八幡宮を表現しても、中7以降から鶴岡八幡宮であることが必要かどうか分かりませんでした。単に「石段をスキップする子春の風」で十分だと思いました。また段葛を使うのであれば、「春風にスキップする子段葛」と上6を避ける方法もあります。

(添削1)石段をスキップする子春の風

(添削2)春風にスキップする子段葛


(原句)夕暮れて青み帯びたる桜かな

 この句はよいと思い、私は採りました。桜が青み帯びるという感覚がよいと思いました。ただ「夕暮れて」という時間の経緯より、今の瞬間を捉えた方がよいかもしれませんね。

 (添削例)夕暮れに青み帯びたる桜かな


(原句) 山独活の石箕(いしみ)に盛られ道の駅

 この句は山独活がポイントだと思います。句はできていると思いますが、やや単調な感もあるので山独活をもう少し強調してみてはどうでしょうか。

(添削)泥つきの山独活籠に道の駅


(原句)廃校の庭隅に咲く花李

 中七の言葉はあまり機能していないように思います。もっと廃校らしさを伝えるものを置いてみては如何でしょうか。また漢字が多いと、見た目に硬く感じられることも考えられるので「花すもも」としてもよいかもしれませんね。

(添削1)廃校の尊徳像や花すもも

(添削2)廃校の庭の一隅花すもも


(原句)芦ノ湖の海賊船や水温む

 これもこれで出来てますが敢えて言えば 季語でしょうか、桜東風、初桜、花冷え と景を膨らませるような季語

(添削)芦の湖の海賊船や桜東風


(原句)辛夷咲く学舎に始む新生活

 新生活 をもう一歩突っ込んで具体的に場所も寮なのか教室なのか 絞りこむ

(添削)花辛夷窓開け放ち初講義



兼題俳句会(3月より)

村中の鳩が集まる卒業期
 <卒業期>により、時間の経過があり説明的な句になりませんか。その一場面を先ずは写生して、「村中の鳩集まり来卒業式
 


耳遠き母に指差す春の雷
 雷鳴が聞こえないので、指を差しましたと、言う事でしょうか?そう解釈しますと、説明の句になりますね。<母に指差す>が、わかり難いですね。「春雷の空を指差し母と居る
 


卒業やラーメン店の赤のれん
 言わんとされる事は、推測できますが、この句からですと、中七以下が季語に対してどうか関わるでしょう。思いと違うかもしれませんが、「卒業の日もくぐりたり赤のれん」では?飲み屋さんになってしまいますか?


連翹や床上げの母と長電話
 明るさのある句で良いですね。リズムを整えられては?「連翹や癒えし母との長電話

春雷に浅き眠りを破らるる
 「に」は、どうしても説明的になります。「春雷や」と切れば「春の雷だなあ」というところが強調されて余情が生まれ「に」は気にならなくなると思います。「春雷や浅き眠りを破らるる
  
校門をまたふり返る卒業生
 下6になっていておさまりが悪い印象を受けますので「卒業子」ときちんと定型におさめますと、きりっとします。「校門をまたふり返る卒業子
 

矢絣に巾着下げて御卒業
 「御卒業」の「御」が気になりました。「御」をつけての言葉の使い方は難しいと思います。素直に「卒業す」でいいのではないでしょうか。「矢絣に巾着下げて卒業す

連翹の一叢(ひとむら)明るし夕映ゆる
 「明るし」と「夕映ゆる」は重複です。どちらか一方を活かすことを考えてみてください。連翹の状態か咲いている場所を詠んでみたほうが、景がはっきりします。「連翹の群れて明るしお堀端」「連翹の一叢揺れて夕映ゆる


春雷や発車遅らす始発駅
 「春雷」は夏の雷とは違っています。列車が動き出せないほどの激しいものではないと思います。「発車遅らす始発駅」を活かすとすれば、「春疾風」とか「春一番」などの風を初五に持ってきたほうが良いでしょう。「春疾風発車遅らす始発駅」となりますが、これでは初五と座五が共に名詞だけとなりますので、それを避けて「春荒れや発車遅らす始発駅」としましょう。


春雷や一人居の窓堅閉ざす
 しっかり出来ている句と思います。このままでもよいのですが「春雷に」と一気に詠み下した方が一人居の不安さがでると思います。春雷に一人居の窓堅閉ざす


春雷や読み合わせたる校正刷り
 中七は少し間延び、下五は窮屈でややリズム感に欠けるように思います。微妙な違いですが語順を変えてみます。また「合わせ」は「合はせ」です。読み合はす校正刷りや春の雷ゲラ刷りの校合さなか春の雷


卒業日夢へ踏み出す袴かな


 「夢へ踏み出す」が抽象的なのでその気持が伝わる動作・雰囲気を詠んでみてはどうでしょうか。また「袴かな」は安易に置かれていると思います。あまり良い例ではないかもしれませんが。華やげる袴姿や卒業す笑み絶えぬ袴姿の卒業子

帰らぬ犬もふりむくや春の雷
 リズムが悪すぎますね。まずしっかり五七五のリズムに乗せましょう。それに、帰らぬ犬が振り向いたかどうかは想像でしかありません。
 「春雷の鳴る中子犬戻り来し

空の色僅かに変り春の雷
 出来ていますが、この語順だと空の色が変わって春雷が鳴ったという説明調です。「春雷やにはかに変る空の色」とするとその一瞬を捉えたようになりますね。

連翹やタクトを揮ふ一枝あり

 「タクトを揮ふ」の発想が飛躍し過ぎに思います。もっと素直に連翹の一枝を写生しましょう。「連翹や風に一枝揺れやまず

いぶきネット句会(3月より)

(原句)若布干す日向分け合ふ浦四五戸
 景は見えますが、しらべが良くありません。それに、「合ふ」は四段活用の動詞ですので、終止形と連体形が同じです。「合ふ」が終止形と取られると、この句は三句切れの様相を呈しますので、「合ふ」は避けたほうが無難です。前後をひっくり返すと、しらべも良くなり、動詞の活用に煩わされることもなくなります。
(添削)浦四五戸日向分け合ひ若布干す


(原句)的を射る音の鋭さ冴返る
 「的を射る音」とはなんでしょうか。弓を射る時の弦の鳴る音なのでしょうか。あるいは、弓が的に突きささる音なのでしょうか。そのあたりがはっきりするとこの句は良い句になると思います。

(添削)的射抜く音の鋭さ冴返る


(原句)ちやんばらす卒業証書丸め持て

「丸め持て」がどうにも理解に苦しみます。「持ち」の誤りか、それとも「持て」という命令か。「丸め持て」まで言わなくても「丸めて」で充分でしょう。

(添削)卒業の証書丸めてちやんばらす


(原句) 蜂蜜と並べ蜂売る梅まつり

 着眼は良いですね。<梅まつり>で、で報告的な句になっています。もう少し写生にこだわって、場所を絞られると景色がもっと見えて来ると思います。

(添削)梅園の門蜂蜜と蜂を売る 

(原句)新聞に火星の大気春めきぬ

 句意が少しわかり難いですね。火星の大気のことを掲載した新聞記事について知っている方には何か感ずることもあるのでしょうが。でもこの句を鑑賞される多くの方はこの新聞記事をご存知ないのでは、と思います。もう少し工夫なさって下さいね。

 (添削)火星にも大気てふ記事春めきぬ

(原句) 礼状に今朝の初音を添へにけり

 初音を聞いたことを礼状に添える気配りって素敵ですね。ただ「礼状に初音を添える」は少し無理があると思います。

 (添削1) 礼状に寝覚めの初音聞きしこと
 (添削2) 礼状に初音を聞きしことを添へ

(原句)行商の乗り継ぐ支線こぶし咲く

言葉がごちゃごちゃしてませんか?まず、動詞を一つにしてみましょう。
また、「支線」というより、場所にするとイメージがわきませんか。

(添削)行商の乗り継ぐ駅や花こぶし
 
(原句)関取の大きく掴む年の豆

お相撲さんですから「大きく」は当然のような気がします。

(添削)関取の枡より掴む年の豆


いぶきネット句会(2月より)
((原句) 輝けり新年会のシャンデリア
    「シャンデリア」は輝いていますので特別な場合をのぞけば省略できますね。
  師の頭上新年会のシャンデリア

(原句) 風音や厨にひとり浅き春
    三句切のように思います。この大きい「や」の切れをなくして、中7で切れるようにしたらいかがでしょうか。そうしま    すと季語「浅き春」に思いがこもる気が致します。
  風音の厨にひとり浅き春

(原句) 茜さす雪嶺仰ぎバスを待つ
    この句には動詞が三つもあって、散文のような感じです。そこの所に手をいれれば、この句は良い    句になるでしょう。それは、この句からは、景が非常によく見えて、その景がまた美しいということで
   す。ですから、推敲によって生き返る句となります。一案として
「薄明の雪嶺仰ぎバスを待つ」としてみ    ました。


(原句) 面をとる剣士湯気立つ寒稽古
    この句は、剣士が湯気を立てるというように素直に読めるかどうかですが、何か句が切れ切れにな   っているような感じがして、句の調べが悪くなっています。それに「寒稽古」という季語が初五中七の説  明になっているような感じを受けてしまいます。「とる」「立つ」と、動詞が二つあるのも感心しません。そ  うしたことを考えた上で「面を脱ぐ剣士の湯気や寒稽古」としてみました。こうすれば納まりは良くなるで  しょう。


(原句) 師の逝きしこと一葉の寒見舞
    一句が二つに分かれており、少しごつごつした感があります。語順をかえ、中七に切れを入れると、寂しさがより強   調されるのではと思います。また、葉書の数え方は「葉」が正しいのかもしれませんが、「樋口一葉」と勘違いされそう   なので「枚」ではどうでしょうか。
  一枚の寒の見舞ひや師の訃知る

(原句) 蹲に淡き日集め寒椿
     蹲の小さな水面が冬の淡い日差しに光っているのですね。ただこの場合、「集め」はやや説明調なので終止形で   「集む」とされたほうがよいように思います。
  蹲に淡き日集む寒椿 

(原句) 薄明の海治まれる淑気かな
    この句の場合、「薄明の海」のイメージが「初明かり」を連想させるので、言葉のうえでは問題ないものの、イメージ的   には季重なりになっているようで、「淑気」の季感が削がれているように思います。「淑気」のめでたさを充分に感じるの   は人それぞれではあるけれども、いっそ明けきった日の光のほうが淑気に合うと思うのは私だけでしょうか。また「治まれ
   る」が若干説明っぽいと思います。
作者の意図と離れますが日を弾く朝の海や淑気満つ「朝」はあしたと読んでくださ   い。

 (原句) 寒梅の影を映せり野立傘
   良く出来た写生句です。中七を「影が揺れをり」とすると風を感じる句になり、句意が深まるように思います。。「野立」  は「野点」でしょうか。
  寒梅の影が揺れをり野点傘

(原句) 昭和天皇つまむ会釈や冬帽子
    つまむ会釈が? 帽子をつまんだんだと好意的に解釈できますが、、
  冬帽子つまみ会釈の陛下かな

(原句) 春うらら喉の奥まで見ゆる鯉
    鯉に喉があると認識したのが面白いと思いましたが、実際には鯉に喉があるのでしょうか。そして喉の奥というと何   にあたるのでしょうか。また下5のリズムに一寸違和感を感じました。〈春うらら奥まで見ゆる鯉の口〉でリズムもよく    なるし、単に口の奥の表現でよいと思います。

(原句) 草城忌白壁揺るる水面かな
    草城忌がどこまで効くか迷いますが、美しいく、出来ている句と思います。読んだ時の感じとして、「草城忌水面に    土壁の白揺るる」の方が、白く揺れている事に感動が絞られ、より美しくイメージ出来る句となります。
兼題俳句会(2月より)

早春や蔵町に人あふれたる
   一読して、何故人が溢れているかイメージ出来ると良いですね。焦点を絞られると良いでしょう。先ずは「
早春 や酢蔵の町に人あふる」。

背なの子の寝顔やさしき針供養
  出来ている句と思いますが、自分に引きつけて実感を詠まれると、より思いの深い句になると思います。「
針  供養背なの赤子の深眠り

早春の牧場の広さ馬駆ける  
  <牧場><広さ><馬駆ける>で、同じような言葉が重なり、浅い句になってしまっています。その中の一つを深く写生されると良いですね。思いと違うかもしれませんが、例えば「早春や蝦夷の牧場を馬駆くる

早春や玻璃よく光る新社屋
  新社屋ですから「玻璃よく光る」は当然のような気がします。「光を返す」という表現にされてはどうでしょうか。 「早春や光返せる新社屋

早春の湖畔に爆竹轟けり
  中7の字余りは気になりますからなるべく避けるといいですね。「轟けり」と表現されていますので、「湖畔」と限 定されなくても、大きく「湖」とされたら如何でしょうか。「早春の湖に爆竹轟けり

早春の川面揺らせる鯉の影
  「川面揺らせる鯉」と認識されたなら、この場合「影」ではなくて、そのものを言葉にされたらどうでしょうか。   「早春の川面揺らせる鯉の群

笛の音やまろき豆腐の針供養
  笛の音の流れるなかでの厳かな針供養ですね。この句、まるい豆腐に針を刺して供養しているところの写生だと思うので 「まろき豆腐の針供養」では「豆腐の針供養」と取られかねません。問題の「の」を直して、、、笛の音やまろき豆腐に針供養」あるいは「笛の音や針を納むる丸豆腐

 公魚の籠盛求む老女かな
   この句、籠盛の公魚を買った老女に焦点があるように思います。句として問題があるわけではありませんが、兼題が「  公魚」ですから公魚に焦点を合わせ、仕立ててみてはどうでしょうか。「公魚を買ふや目笊を滴らせ」あるいは「籠盛りの 跳ぬる公魚求めけり

メリケンも木綿も有りて針供養
  この句「有りて」が説明。元句のリフレーンの面白さを生かして、、、「木綿針メリケン針も納めけり」あるは「木綿針メリケ ン針も供養せり


灯台に波のしぶきや春早し
   季語を一番前へ持ってきて、「早春や灯台を打つ波しぶき」でどうでしょうか。早春はまだまだ風が強い ので、それをはっきりとさせるために「灯台を打つ」としてみました。原句の「波のしぶき」は、どうも詩 的な緊張感のない表現のように思います。

早春やぽっかり浮ぶ白い雲
  「ぽっかり浮ぶ」はいかがなものかと思います。随分手垢のついた表現ではないでしょうか。春の空に出て いる白雲をもっと別の観点から詠んでみることです。春は風の強い季節でもあり、添削の域を越えてしまい ますが、私なら「白雲の流るる早さ春浅し」とでも詠んでみたい気がします。

がら空きの市電尻ふる早春賦
   がら空きの市電を後方から見ていると、尻を振って進んでいるように見える。がら空きだからいっそう面 白い。しかし、「早春賦」はどうなんでしょう。これが効いていると思えばこの句を採るし、効いていない と判断すれば採らないことになります。賛否の別れるところでしょうね。それにもう一つは切れがあいまい で、散文の切れ端のような感じがします。「がら空きの尻ふる市電」とでもすれば、切れははっきりします が、やはり「早春賦」は疑問のままです。

拭き込みし木の長椅子や春早し
  もので詠まれているのは良いですが、その写生と季語とがうまく結びついていません。もう一歩感性を働かせ てみましょう。「拭き込みし木椅子の艶や春早し

早春のクレーン空に大東京
  句材が多すぎて窮屈な感を受けます。大東京も必然性がなく効いていませんね。「早春や空にクレーンの腕  伸びる

畳針男もすなる針供養
  「男もすなる」で説明、観念的な句となってしまいました。「針」など、一句にできるだけ同じものは繰り返し使わ ない方が良いでしょう。「作業衣で畳屋の来る針供養



いぶきネット句会(1月より)

(原句) 俥屋の赤き膝掛け銀世界

   赤い膝掛けのある俥屋というと、一面雪の京都の情景を彷彿とさせますね。こういう情景に対して「銀世界」という季  語が最適かどうかですね。インターネットでよく調べれば、「銀世界」という季語があるかもしれませんが、もう少し分か  り易い季語だったら、共感を得たかもしれません。例えば「俥屋の赤き膝掛け雪日和」など。

(添削)
 俥屋の赤き膝掛け雪日和


(原句) 広縁の高さにそろふ水仙花

  きちっと出来ている句と思います。もう少し景をはっきりさせるなら、「濡縁の高さにそろふ水仙花 」でしょうか。
  水仙の花の雰囲気を少しだけ加えるとしたら、「水仙花縁の高さに咲きそろふ」

(添削) 
水仙花縁の高さに咲きそろふ

(原句) 声援が涙に変はる寒の入

   純粋な写生句ではないので季語の斡旋も難しいですね。どの季語をもってきても良さそうです。たまたま「寒の入り」  だったから、というのであれば良い時もあるし、悪い時もありますね。


(原句) ごみ一つ出してみつけり除夜の月

   まず「みつける」というのは、自分で「見た」行為ですのでこの場合、必ずしも必要な言葉ではないように思います。
  ごみが、どんなだったかを写生してください。例=除夜の月固結びたるごみ一つ 「ごみ」というのも「芥」(あくた)という  言葉がありますし又、具体的に「野菜屑」などでもいいですね。これも推敲の余地がありそうです。

(添削) 
除夜の月固結びたるごみ一つ


(原句) 幼子の手水覚えし初詣
   「手水覚えし」が説明になっていると思います。やすし先生が日頃言われている「句から絵が描けることが大切」を思い  出しました。手水をする幼子の様子の写生して、、、 

(添削) 初詣手水に濡らす児の袂

(原句) コーヒーの香を運ぶ風寒の街
   コーヒーの香りに対して「寒の街」という設定が大まか過ぎるのではないでしょうか。また寒の町の風には「寒風、空   風」など厳しいイメージがあります。ここにこの風を配しては、コーヒーの香りなど吹っ飛んでしまうように思います。元   句と少しニュアンスが変わってしまうかもしれませんが、コーヒーの香りのほっとするような雰囲気を大切にして、、、

(添削) 
寒ゆるぶ路地にコーヒー匂ひくる

(原句)賀状来る市に合併の離島より

  「市に合併の離島」は事実の説明になっていますね。「合併」とまで言う必要はないでしょう。説明を避け よというのは、句にふくらみがなくなるからです。全部言ってしまえば、それだけで終りです。あっさりと、「市となりし離島より来る年賀状」でどうでしょうか。

(添削) 市となりし離島より来る年賀状


(原句)湯煙に滲む柚子の香色もまた

 「色もまた」はなにか取って付けたような感じがします。香も色も滲んでいるということで、着想は確かに 良いのですが、表現が巧くないということになりますか。いっそのこと、「湯煙に滲む柚子の香柚子の色」 と、柚子を二回使うのはどうでしょうか。繰り返すことによって強調の効果は出てくると思います。

(添削) 湯煙に滲む柚子の香柚子の色


(原句) 少年野球チーム揃うて初詣

   少し窮屈な感じがします。このままでも良いと思いますが、季語を上に置いてみると効果的になることもあります。

(添削) 初詣野球少年打ち揃ひ

(原句) たふたふと利根の流れや初日の出

   堂々とした作品ですね。語順を変えてみるとさらに情景が広がるのではと思います。

(添削) 大利根の流れたふたふ初日の出

(原句) 小さき手海に突き出す寒稽古

   とても佳い句です 少し気になるのはサンドイッチ俳句になってることです。上五と下五を反対にして「寒稽古海に    突き出す小さき手」 もあり得る。この場合は助詞を省略しないで「小さき手を海に突き出す寒稽古」としてみてはいか   がでしょうか

(添削) 小さき手を海に突き出す寒稽古



兼題俳句会
(1月より)


冬深しレンジの牛乳ふきこぼす
  <レンジの牛乳>が、状況の表現としても、詩としても、味気ない気がしませんでしょうか?
  「冬深し小鍋の牛乳ふきこぼす

独りでに鶴折る指や冬深し
  しみじみとした感じが想像出来て、良い句ですが、<独りでに鶴折る指>の表現が解りにくいですし、<指>より<折る> 事を強調された方が、より詩的ではないでしょうか?「冬深し独りでに鶴折つてゐる

食む鳩を横目遠巻き寒雀
  <食む鳩>の表現が、舌足らずの感じがします。雀に対して<横目>は、写生が細か過ぎないでしょうか?何を食べているか、 解ると良いですが、文字に限りが有りますね。先ずは、啄ばみゐる鳩遠巻きに寒雀」でしょうか?

高層のビル窓明かし初明り
  「明かし」「初明り」が重複してもったいないと思いました。又、ビルといえば高いイメージがありますので、この句の場  合、「高層」を省略し、「窓明し」に焦点を絞ってもいいですね。
 「高層のビル窓ごとの初明り」「ビルの窓一枚づつの初明り」など。

楮搗く音のひびけり冬深し
  「楮搗く」も季語ですが、この場合は「冬深し」が季語ですね。「冬深し」は思いの深い季語ですが「楮搗く音のひびけり」 ですでにその思いが出ている気がいたします。場所、身体など具体的な「もの」に「ひびけり」としたほうが良いかと思い ます。ぜひ季語をご一考ください。

廃校はいま千年湯寒雀
  「千年湯」とは、今流行りのスーパー銭湯の名称でしょうか。わかるようでわかりにくい言葉ですね。「千年」が仰りたい 言葉かもしれませんが、誰もがわかる素直な言葉が大切だと思います。
 「廃校はいま共同湯寒雀」「廃校に温泉が湧く寒雀」など。

足早き僧の消えゆく暮の冬
  歳時記を見ると「暮の春」「暮の秋」はありますが「暮の冬」と言う季語は見当たりません。若干ニュアンスは違いますが、同じよう な意味合いの季語に「冬終わる」あるいは「春隣」があります。それぞれの季節の違いを大切にして、歳時記に即した季語の使い 方が出来ればと思います。「足早き僧の消え行く」の言い回しも解らなくはないのですが、少し平明な言葉に直して、、、
 
足早に僧の去り行く春隣」あるいは僧の姿をもっと具体的にして「足早の托鉢僧や春隣

木洩れ日の斑(まだら)啄ばむ寒雀
  上五中七の写生で厳しい冬を生き抜く雀が見える佳句だと思います。只、木漏れ日が斑なのは、皆が知っていることなので
 「斑」は省略可能ですね。
木漏れ日を啄ばむばかり寒雀

川底の露わとなるや冬深し
  冬旱の川の景色ですね。この句「露となるや」に具体的な写生があれば、イメージし易くなると思います。例えば「川底の石の乾 きや冬深し」あるいは「川底に罅の走りて冬深し」俳句は一読して、イメージが描けることが大切と習いました。

存念のありて耐へけり寒雀
 寒さに耐えている雀に作者の姿を仮託した句なのでしょうか。しかし、「存念」と云われても、それが何のことなのか読み手にはわかりません。読み手にわからない句では、共感も感動もできません。作者の日記に残される句なら問題はないでしょう。作者に分っていればよいのですから。ここでは、寒雀の写生に徹すべきです。そうでなければ、読み手は作者の感動を追体験することは出来ません。


 寒雀庭ひつそりと白々と
  「ひつそりと白々と」と重ねるのは、ことばの無駄使いではないでしょうか。どちらか片方だけにして、庭 の有り様を描写することです。「白々と明け初むる庭寒雀」でどうでしょうか。


灯台の頭より始むる初明り
  「頭」は「づ」と読むのでしょうか。特殊な読み方ですので、私なら避けます。それに「灯台の頭」という 表現はいささか無理と思います。専門用語では「塔頂」と言うらしいのですが、なじみはありませんね。「 尖塔、塔の先、頂(いただき)」などでどうでしょうか。「灯台の尖塔よりの初明り」

電線にふくら雀のひと並び
  電線に雀が並んでいるというのは手垢のついた表現で感心しません。もっと別のところへ目を向けてくださ い。どのように並んでいたのか、あるいはその電線が何か特殊なものであるのか。
 「暁闇のテレビアンテナ寒雀」とすれば添削の域は越えてしまいますが。


向かひ家と会釈を交はす初明り
  お隣さんと新年最初の挨拶でしょうね。目出度さも感じますが、「交はす」ことに感動していますから、会釈を中心にもっ てきてはいかがでしょうか。「向かひ家と交はす会釈や初明り

人影に群れの飛びちる寒雀
 情景はよく分かりますが、「群れの飛びちる」はややオーバーな表現ではないでしょうか。「人影に群れごと翔てり寒雀

寒雀反りの険しき寺の屋根
  寺の屋根と寒雀の取り合わせ、情景が目に浮かびますね。ただ、「険しき」は屋根の反りの表現としていかがでしょう  か。「寺屋根の反りの強さよ寒雀

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