有言実行
河原地英武
中学生のころ、担任の先生に不言実行の大切さをならったけれど、意志薄弱なわたしには有言実行くらいのほうが都合がよさそうである。周囲の人に証人としての責任を負ってもらい、自分の意志の補強にしようというもくろみである。
さっそく実行に移すことにして、関西支部と愛知支部の新年俳句大会のあいさつで「毎日、平均五句作ります」と宣言した。「平均」というところがミソで、これならたとえば三日間さぼっても、四日目に二十句作れば帳尻は合う。こんなふうにして一ヶ月に百五十句、できれば二百句ほど句帳に書き留めることができればと望んでいる。
むやみに作っても感動がなければしょうがないとの声も聞こえてきそうだが、わたしが考えるに、多作には二つの意味がある。その一つは、何事も習熟するためには反復練習が不可欠だということである。スポーツ選手が朝練をするように、あるいは画家がデッサンを欠かさないように、俳人もまた五七五の感覚をにぶらせないための努力は必要だろう。柔軟体操をするような軽い気持ちで、日頃から俳句のリズム感を忘れないように努めたい。
もう一つは、会心の作はそう簡単にできるものではないということだ。自分の経験から言っても、吟行で作る最初の一句か二句はとりとめのないものだ。しかし気分が高まってくると、あちこちに句材が見つかるようになる。下手でもいいから、それらをどんどん五七五の形にして句帳に書き付ける。そのうちに、上手いとか下手とかいったことはどうでもよくなる。雑念が取り払われてゆくのだ。そんなとき、まさに天恵のようにして、自分でも驚くような句がひょっと現れることがある。
だが、肝心なのは雑念から解放されることである。いろいろな憂いを忘れ、あわよくば無我の境地に入れる。わたしはそんな境地を求めて俳句をやっている気がする。
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