無 心
河原地英武
会員の皆さんから『実作への手引(合本)―やすし俳句教室―』の注文が途切れず来ていることを大変心強く感じている。伊吹嶺がめざす俳句を基礎から学びたい人にとってまたとないテキストである。ぜひ手元に置き、折に触れて読み返してほしい。
わたしが指導者を務めている清流句会では、Zoom句会の最初に15分ほど「ミニ講話」をすることになっている。毎回新しい内容を盛り込もうと心がけて事前の準備をしているが、その際、いつも参照しているのがこの『実作への手引』である。ここには推敲上のポイントやスランプの脱し方など、種々の知恵が網羅されているが、全体を貫いている主題は1つ、即物具象という写生句の徹底である。
栗田先生は「私たちが目指す即物具象の写生句とは、混沌の状態の感動を『物』を核として結晶させ、結晶した感動を『物』を通すことによって定着させるものである(223頁)」と説いておられる。われわれは栗田先生や句会の指導者から、思いを物に托して述べることの重要性を事あるごとに習ってきたはずだ。しかしそれを実践するとなるとまことにむずかしい。そのむずかしい点を先生は、本書のなかで多くの例や先人の言葉を援用しつつ、いわば手を変え品を変えながら、分かりやすく説明してくださっている。
わけても現在のわたしの胸に刺さったのは、「小主観―芭蕉のいう『私意』―に狭くこり固まってしまって」はならないこと、「観念で句を作ってしまう」のでなく、「私意を捨て、柔軟に万物の変化に対応し」て作句すべきこと、そして「無心ということ」の大切さである。腕をあげると、ややもすれば功名心が芽生え、大向こうを唸らせるようなうまい表現を使いたくなる。意識が自分の内に向いてしまうのだ。己を忘れ、心を外に開くこと。それが無心であり、即物具象句を作るための基本姿勢なのではあるまいか。
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