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2026年6月号
俳日和(101)
俳句と固有名詞
河原地英武
ある句会で俳句に固有名詞を用いることの是非について問われた。俳句ではあまり固有名詞を使わないほうがいいのだろうかという質問であった。そのときのわたしの回答を改めて整理しておきたい。一口に固有名詞といっても、地名、人名、商品名など様々あるが、ここではとりあえず地名を念頭に置いて論じることにする。
固有名詞は季語に準じる言葉である。季語に
本意・本情があるように、固有名詞にもその語の歴史、由来、逸話などが重層的に付随している。それゆえ固有名詞を用いるということは、それに付随する諸要素を一句に取り込むことにほかならない。うまく用いれば、その一語だけで句に広がりや深い含蓄をもたらすことが可能である。別にそれを避ける必要はない。むしろ表現の幅を広げる一法として、果敢に試してもいいのではあるまいか。ただし、弊害についても留意したい。まず、その地名が一般に無名だったり、連想を引き出すほどの喚起力がなかったりするときは、そこだけが浮いて、しっくりこない句になってしまうだろう。逆に有名すぎて連想が固定されてしまう場合には、「銭湯の絵」ではないが、ステレオタイプで陳腐化した句になりがちだ。われわれが目指すのは清新で鮮度の高い句である。固有名詞がそれに寄与してくれるかどうかが肝心な点だろう。
たとえば松尾芭蕉の、
行春を近江の人とおしみける(猿蓑)
菊の香やならには古き仏達(芭蕉書簡)
は、地名の効果が絶大で、いまでも新鮮な印象をもたらす。他方、
古池や蛙飛こむ水のをと(春の日)
は、もし上五が固有名詞であれば、これほど長く論じ続けられることがなかったかもしれない。「古池」という普遍的な言葉がこの句に深みを与えたのだと感じる。