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2026年8月号
俳日和(103)
句会と推敲
河原地英武
俳句で一番大切なものは句会だと思っている。句会に参加せずして俳句の醍醐味を知ることはできないとすら考えている。俳句の真の楽しみ、ぞくぞくするような高揚感、そして上達のための究極の秘訣も、句会のなかにある。ただし1つ条件がある。自分の意欲作を持参することだ。今月はこんな思いがけない句ができてしまった。たしかな手ごたえを感じはするけれど、果たしてこれは本当に良句なのだろうか……。そんな自信と不安が入り混じった作品を携えて出かけるとき、句会はまことにスリリングな場所となる。
そして実際、自分の句にたくさん点が入れば言うことはないが、そうした僥倖がめったにないことは、ある程度年数を重ねてきた人なら覚えがあろう。自信作にかぎって点が入らないのは、句会における法則のようなものだといえば少しいいすぎか。こうして句会が始まる前の期待感は大概失意に変わるのである。しかし実のところ、自信作や意欲作にかぎって点が入らないのには理由がある。そのような句には必ずどこかに力みがあったり、思い入れが強すぎて、独りよがりな個所があったりするものなのだ。自分ではそれに気づけないのが俳句という文芸の摩訶不思議なところである。句会とは、その気づけないところを句友から教えてもらう場だと心得たい。
句会で高得点になると、つい嬉しくなって「わたしの句を選んでくれた皆さん、ありがとうございました」とお礼を言いたくなってしまうが、これはよろしくない。選ばなかった仲間も、選ばないという形でその句への評価を示してくれたのだから、もし感謝するなら全員にしなくてはなるまい。ところで、句会は俳句におけるゴールではなくプロセスである。ここで他者の目を通じて自分の句の感触をたしかめ、指導者や仲間のアドバイスを得て、推敲の糧とするのである。この推敲こそが勝負どころで、自分の句を鍛え直すことによって、今度こそ本当の秀句に変貌させるチャンスが到来するのである。