冬の象
河原地英武
時折読み返したくなる作家が何人かいるけれど、その1人が武田百合子さんだ。一読者のわたしが、没後30年も経つ人を「さん」付で呼ぶのも変なものだが、特別の思い入れがあって、自分の「伯母さん」のように感じてしまうのである。ついでにいえば、わたしの文学上の「伯父さん」は、長谷川四郎と安岡章太郎である。安岡氏は今もそれなりに読み継がれているのに対し、長谷川氏がすっかり忘却されているのはかなしい……。
もう20数年まえのことだが、あるネット友達と、百合子さんの文章はなぜあんなにすごいのだろうと話したのがきっかけで、「武田百合子研究会」みたいなことを始め、『富士日記』のなかから好きな一節を抜き出しては、その表現の魅力について、あれこれとメールで意見交換していた。雑誌掲載のままになっている文章は、図書館でコピーして集め、いつか自分たちで本にまとめようと意気込んだ。古書店のサイトで直筆の書簡を見つけると、購入したりもした。この手紙文は、わたし以上の百合子さんファンである友人が今も持っているはずだ。もし百合子さんが俳句をやっていたら、どんな句を作っていただろうと、われわれは想像をふくらませた。
つい最近、書店で武田百合子著、武田花編『絵葉書のように』(中公文庫、2023年)を買って一気に読んだ(これは『あの頃 単行本未収録エッセイ集』中央公論新社、2017年のダイジェスト版で、こちらも持ってはいたが、ツンドク状態だったのだ)。そのなかの「冬の象」というエッセイに驚いた。百合子さんの俳句鑑賞文なのである。表題は、のちに夫となる武田泰淳氏が25歳のときに詠んだ〈菓子喰ひてやや喜びし冬の象〉からとったもの。回想のあとの「やや喜びし冬の象。――うんとは喜ばなかったのだな、と思う」という締め括りの一文にほろりとした。
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