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2026年9月号 俳日和(104)
 
  ぐうたら俳句術
                              河原地英武

 
ぐうたらなどといえば不謹慎なと感じる向きもあろうかと思うので予め断っておくと、これは昔インスタントコーヒーのCMで一世を風靡したあの「違いがわかる男」、遠藤周作氏の人気エッセイシリーズの表題にならったのである。

 
連日の猛暑で、このごろは戸外に出るのも難儀である。もう2カ月以上ろくに吟行もしていない。俳句のストックも底をついた感じだ。投句の締切は確実に来るのに、俳句のほうが間に合わない。こうなれば部屋にこもって作句するよりほかない。窮すれば通ずというのか、わたしが窮余の一策として編み出した創作法をこっそりお伝えしたい。

 最近、枕頭に『新版 角川俳句大歳時記 夏』と『角川季語別俳句集成 夏』が置いてある。だるさを覚えてごろりとベッドに横になったときなど(勤務先が夏休みに入ったので、日に何度かこんなことをしている)、サイドテーブルから交互にこの2冊を手に取って、適当にページを繰るのである。どちらも割と厚い本なので腕に少々負担はかかるけれど、季語と例句の数が類書に比べ圧倒的に多いので重宝しているのだ。

 夏だけでも自分が使ったことのない季語は無数にある。どうせならそのなかのいくつかを新規開拓してみたい。まずは例句に目を通し、その季語の本意・本情を把握する。ついで目を閉じ(眠気も兆しているのである)、季語と自分のかかわりを記憶の底から探ってみる。たとえば子供のころ、よく従弟の家へ出かけては(徒歩十分くらいのところにあった)、子供部屋で絵本を読んだり、従弟の家族と一緒に夕食を食べたりしたことがありありと脳裏に浮かんでくる。60余年もまえのことなのに、台所にぶら下がっていた蠅取リボンや食卓の蠅帳まで不思議なほどくっきりと思い出されるのだ。

 今月号に載せている「水貝」や「肌脱」の句がどこか懐かし気でレトロ調なのも、こんなふうにして古い記憶のなかから引き出した光景だからだろう。