河原地英武 広島に原爆が投下された8月6日、長崎に投下された8月9日には、メディアも大きく報じ、様々な特集を組むことは恒例になっているが、今年は例年以上にメディアが力を入れて報道していたように思われる。またネットなどを見ても、世論の関心がいつになく高まっていた印象を受ける。戦後80年という節目が1人1人の意識に大きな影を落としていることも理由の一つだろう。 わたしが参加する句会でも、原爆の日を詠んだ真摯な句がいくつも出されていた。言うまでもなく、どちらの原爆投下の日も季語となり、歳時記に載っている。8月7日頃が立秋に当たるので、それぞれの日を夏秋のいずれに分類するかは迷うところだが、『新版 角川俳句大歳時記』は両方を夏の季語として一本化し「原爆の日」という見出し語を掲げ、傍題として「原爆忌」「広島忌」「長崎忌」「浦上忌」「平和祭」「爆心地」を挙げている。 毎年、この時期に俳人が「原爆の日」の句を作るのは当然のことだろうが、今年は句友の作品の緊迫度が一段と増していると感じたのはわたしだけではあるまい。特に、われわれは今何をなすべきかを自問する句、黙祷の「60秒間」の重みを詠んだ句、「8時15分」を詠み込んだ句などが強く記憶に残っている。「8時15分」は広島に原爆が投下された時刻である。付言すれば、長崎に投下されたのは11時2分。今年はわたし自身も、改めて原爆投下の時刻までしっかりと記憶に刻み込んだ。 講評のなかで、わたしはこれらの句を取り上げ、「思いは深く、言葉は平易に」というどこかで学んだ標語を引きながら、その深刻な詠み方についてやや批判的なコメントをしたのだが、あとになって少し悔いている。句に込められた作者の思いをきちんと汲むことなしに、技術論で割り切ろうとしたきらいがなかったかと反省したのである。追悼の句は本当にむずかしいが、結局のところ素心で詠むにしくはない。