16.07.31
新盆客誰彼のこと噂して 燕子(千葉)
上六になっています。尚、全体に漠然とした内容なのではっきり情景を思い浮べることが出来ませんでした。誰の新盆なのかですとか、噂してる人をもっと写生しませんと報告で終ってしまい読み手に感動を与えることが難しくなります。(
美伽)。
新緑の山モザイクや丹の鳥居 酔雪(岡崎)
「新緑の山モザイクや」が分かりそうで分かりません。新緑の山なのにモザイクになっているのですか?また「丹の鳥居」の置き方も乱暴な感じです。新緑の山と関わり合わせてください。「
新緑の山ふところに丹の鳥居」
梶の葉や先生の顔輝けり 奈緒(名古屋)
七夕の梶の葉でしょうが、「先生の顔輝けり」の措辞と「梶の葉」がどう関わるのかが分かりません。また、「や」「けり」と切れ字が二つあることによって、作者の感動の中心がどちらにあるかがわからなくなっています。「
梶の葉に描く先生の笑ひ顔」
16.07.28
全身へ夏の潮の香遊覧船 路子(富山)
感覚的で良いですね。「全身へ」が面白いです。ただ「夏の潮の香」と「の」「の」でつなぐとどうしても間延びした感じになります。「
遊覧船夏潮の香を全身に」
初孫や二百十日の明けし朝 たくみ(尾西)
二百十日の忌日過ぎにお生まれになったのでしょうね。ただ、この句だけでは初孫が生まれたのか、遊びに来たのか曖昧です。「
孫生るる二百十日の明けし朝」
16.07.27
鎮もれる白馬三山夏の月 燕子(千葉)
すっきりした情景は浮かびましたが、「鎮もれる」がやや安易な感じがしますのでもう少し白馬三山を丁寧に写生して下さい。そうしませんと、他の山々でも成り立ってしまいますし、季語も動く可能性が高くなると思います。(
美伽)
噴煙や牛が草食む夏野原 太一(東京)
情景はわかりますが、「噴煙」が感動のポイントだったのでしょうね、そこに切れ字をつけておられますが、中七〜下五との関係が離れてしまっています。「
火山灰降るや牛が草食む夏野原」(
美伽)
黒々と岩山聳ゆ夏銀河 勤(カナダ)
どういう岩山かが分かりませんが、おそらく日本で想像する以上の大きさの岩山なのでしょうね。「岩山」と無理にしなくても「山」ではいけないのでしょうか?「
黒々と山影聳ゆ夏銀河」夏銀河の置き方が良いですね。
梅雨明けし軍靴の音の遠のきぬ りょう(札幌)
戦争が遠のいたという重たい内容をうまく五七五に納めましたね。ただ、「梅雨明けし」と連体形ですと「梅雨が明けた軍靴」となってしまいます。ここは切りましょう。「梅雨明けや軍靴の音の遠のきぬ」
16.07.25
剣岳花野を分くる水の音 一灯(国立)
まだ登ったことのない山の句を読みますと、どんなすばらしい花野が広がっているか想像がふくらみますね。この句も色とりどりの花野を想像しました。この句で、「水の音」というと伏流水の音のようにも理解されますので、「花野を分くる」という表現が一寸分かりづらいと思いました。もう少し明確な表現を考えてみましょう。「
剣岳花野貫く水の音」(
隆生)
指先に潰し嗅ぎをり蛇苺 一灯(国立)
詩情が、(作者は、どんな感じがしたのか)伝わってきません。対象物への、優しい眼差しが、感じられると、良いですね。中七は、「潰す」か「嗅ぐ」か、どちらかに焦点を絞り、もう一歩深く感じ取られると、良いと思います。(
孝子)
荷馬車行く修道院の葡萄畑 たくみ(尾西)
情景としては見えて来ましたが、感動のポイントが曖昧です。ただ、荷馬車がいたことに感動されたのでしょうか?その荷馬車が何を積んでいるのか、葡萄畑とどう関わっているのかなど逆に分からないことも多くなってしまいました。「
修道院荷馬車に葡萄山積みに」「
荷馬車にて葡萄運べり修道院」
供華新た仏間に燈の影凉し 彩華(和歌山)
作者の言いたいことは「供華」が新しいことなのか、「影」が涼しそうなことなのか、曖昧になってしまいました。「燈の影凉し」も無理な気がします。
踊好き鼻緒矯めつつ隣町 奈緒(名古屋)
踊り好きが下駄の鼻緒を直しながら隣町まで踊りに行ったという説明をしているだけですね。表現も散文を575に無理に縮めた感じで無理があります。
16.07.24
朝焼けに池塘きらめき霧流る 茂(蒲郡)
非常にきれいな情景です。朝早い頂上近くの池塘は幻想的でしょうね。ただ「朝焼け」、「池塘」、「霧」と材料が多いので、印象が散漫になります。2つぐらいの材料で表現するとすっきりすると思います。また霧が流れる池塘がきらめくというのも実感として違和感を感じました。池塘がきらめくを言いたければ、「霧流る」は要りませんね。「朝焼けを映し池塘のきらめけり」(隆生)
雷や放り出されし一輪車 奈緒(名古屋)
面白い句ですね。がんばって練習していた一輪車も、雷の怖さには勝てないようで、放り出して家の中に逃げ込んだのでしょう。慌てる子どもの様子が見えるようです。
風知草風の生まるること知らせ 香風(芦屋)
面白い句なのですが、「知らせ」までは言い過ぎですね。理屈ぽくなってしまいます。「
風知草風の生まれてゐたりけり」「
風知草野原に風の生まれけり」
草いきれ川へ行く子の見えかくれ 健一(宮古)
川原一面に茂る草がぷーんとにおってくる中、背丈の高い草をかき分けて川に向かう子どもが見えてきました。季語がよく効いています。
炎昼や選挙候補者掲示板 光晴(横浜)
取り合わせが面白いですね。確かにあの掲示板は暑さを増幅させますね。
16.07.23
上げ潮の膨らむ磯や流れ昆布 一灯(国立)
納まりの良く、出来ている句と思います。ただ、あの大きな昆布が流れて来る海岸のイメージが沸いて来ません。上五に対し、「膨らむ」「磯」が、やや常套的と、思います。もう少し良く見て、的確な言葉を、探してみてください。特に、風土性のある句は、その場に立たないと出来ない様な句が、良いですね。直接見た事はありませんが、例えば「
上げ潮の膨らむ荒磯昆布拾ふ」(
孝子)
どよめきは輪唱となり大花火 奈緒(名古屋)
言っていることはよく分かりますが、分かりすぎてしまうと俳句は広がりがなくなってしまいます。「輪唱となり」が大げさ過ぎて実感を得ませんでした。「
どよめきの闇に広ごる大花火」
16.07.22
菅笠を日除に使ひ露天の湯 太一(東京)
お遍路などでかぶっていた菅笠を使ったのか、もともと露天湯に用意されていたのかわかりませんが、いずれにせよ、普通はありえないものがあり、それを日除に使って露天の湯に入ったということが読み手の関心を引く面白みのある句ですね。(
美伽)
百足打つ真夜に煌々灯を点けて 光晴(横浜)
説明でしかないように思います。日常の生活ぶりに「煌々灯を点けて」もやや大げさに感じました。「
百足打つ真夜の厨のあはき灯に」「
百足打つ真夜の厨を響かせて」
16.07.21
背ナの子の指差す彼方遠花火 寛(海老名)
よく分かりますよ。親子でしょうか、花火を見つめる二人の姿が目に浮かんできます。
新盆も日傘をさして梅を干す 美津(調布)
残念ながら季語ばかりの句となってしまいました。「盆」「日傘」「梅干す」みんな季語です。こういう句を「季重り」の句と言います。一句に季語は一つだけが原則です。「
梅を干す母の遺せし傘をさし」
パソコンのトラブル解消ラムネ抜く 奈緒(名古屋)
「ラムネ抜く」が面白いですが、「トラブル解消」は具体性に欠けますね。「
パソコンがやつと繋がりラムネ抜く」
流星や伊那の七谷闇深し たくみ(尾西)
伊那谷の感じがよく出ています。伊那谷の深い闇夜に飛ぶ流れ星、きっと心にいつまでも残るでしょう。
16.07.17
冷麦に笹の葉浮ぶ京の昼 茂(蒲郡)
面白い句材ですがすっと言ってしまって説明的になっています。句に切れを入れましょう。「
冷麦に笹の葉浮かべ京の昼」
大の字に昼寝する青畳かな 燕子(千葉)
気持ちの良い昼寝が想像されます。青畳の匂いもいいですね。でも、リズムがやや破調ですね。「
大の字に夫(つま)の昼寝や青畳」
足早に青桐の花確かめり 奈緒(名古屋)
「足早に」が効いていませんね。どう「足早に」「確かめ」るでは日本語的にもおかしい気がします。「
起き抜けに青桐の花確かめり」
母の日に贈られしかな神戸の旅 越華(福井)
内容はよく分かりますが、リズムがすっきりしませんね。「
母の日に神戸の旅を贈られし」で良いのでは。
16.07015
葉桜の日の斑ゆらめく並木道 太一(東京)
瑞々しい美しさの葉桜が目に浮かびました。ただ、そこへ「並木道」が続きますと、大きな景は伝わりましたが、葉擦れの音やゆらめく日の斑から受ける詩情が薄らいでしまいました。「
葉桜の日の斑ゆらめく散歩道」良い例句でもないですが、日の斑ゆらめく葉桜に季節の移ろいを感じている作者が句中に存在しませんでしょうか。(
美伽)
一葉の濯ぎし井戸や吊忍 一灯(国立)
季語の取り合わせが離れ過ぎている感じがします。「〜井戸や」と足元に置かれた感動のポイントからいきなり軒や出窓の様な見上げる位置へ視線を移動させられました。また暮らしの苦しかった一葉を偲びつつ、吊忍という涼を呼ぶものをとりあわせた句意が掴めませんでした。(
美伽)
花鉢と並ぶとまとも赤くなり 奈緒(名古屋)
「花鉢と並ぶ」がこの句に必要なのかを考えると、あまり関係のない措辞に感じます。作者の感動はトマトが赤くなったことなのでしょうが、読み手にはそれは当たり前のことで、作者が感動した赤くなりかたを表現しないと共感されないでしょう。「とまとも」の「も」も気になります。やたら「も」を使いたがる人がいますが、「も」ほど曖昧な言葉はありません。「じゃあ、他に何が赤くなったのか」はっきり分からない訳ですね。ほとんどの場合「も」は必要ない場合が多いです。
炎天や煎餅を焼く炭の色 雨花(ハワイ)
しっかりものを捉えています。炎天に焼く煎餅、その作業の過酷さが伝わってきますが、座語を「炭の色」と抑えることによって、ただ暑さだけではなく一縷の安堵感を覚えました。
16.07.14
海かけて虹立つ五浦六角堂 一灯(国立)
まえがきにありましたが、岡倉天心が住んでいた五浦の六角堂の情景ですね。でもこの句で「五浦六角堂」という固有名詞がどの程度効いているか分かりませんでした。また虹が立っている状態を「海かけて」という描写で表現していますが、情景が具体的に目に浮かんできません。虹が具体的にどのように立っていたか、固有名詞に頼らないで写生してみて下さい。(
隆生)
16.07.12
札掛けて留守居の主昼寝中 太一(東京)
説明や報告といった範囲に留まっている様に思え、また感動はどういったことなのかがわかりません。この「主」とは作者自身のことなのか、それとももし別の人だとしたら作者はどこからこの光景をみていたのか、、など、色々な情景がわかりませんでした。(
美伽)
包丁の吸い込まれゆく西瓜かな 燕子(千葉)
大きく美味しそうな西瓜が想像できました。「吸い込まれゆく」が面白い把握ですね。「吸ひ込まれ」と表記します。「
包丁の吸ひ込まれゆく西瓜かな」
神宿る明神池の大岩魚 栗主(松本)
さぞ大きな岩魚が生息しているのだと思います。「釣りきち三平」でしたか、そういう漫画に出てきそうな場所ですね。この「神宿る」が「明神池」に係っているのか、「大岩魚」にまで係っているのかがやや曖昧です。作者はどちらに感じられたのでしょうか?
16.07.11
おおかぜの過ぎて出会えり揚羽蝶 奈緒(名古屋)
申し訳ありませんが、句意がはっきりつかめませんでした。出会ったのは揚羽蝶同士なのでしょうか?作者が揚羽蝶と出会ったということでしょうか?おそらく後者だと思いますが「出会えり」はいらないですね。また、「〜して〜」という表現方法はどうしても説明的、原因結果という因果関係の報告的になります。「
大風の過ぎし野原や揚羽蝶」
16.07.10
生えぬくや青き頭のつくづくし 酔雪(岡崎)
「生えぬくや」は観念ですので必要ない措辞です。土筆の様子を写生するだけで十分です。「
伸びきつて土筆の頭緑めく」
背鞄にてるてる坊主夏の雲 範子(名古屋)
「背鞄」という言葉は無いのではないでしょうか。字余りになっても「ランドセルに」などとはっきりすべきでしょう。「
ランドセルにてるてる坊主夏の雲」
16.07.09
日盛りやクレーン車首をたれしまま ともこ(西宮)
季語「日盛り」をよく表現しています。この暑さにクレーン車もまいってしまったのでしょう。
緑道にくちなしの香の白白と 奈緒(名古屋)
「緑」と「白」とちょっとねらいが見えすぎてしまいましたね。「緑道」という措辞自体普段あまり使いませんし、「香の白白と」はくちなしだからこういう表現を考えられたと思いますがいただけません。素直に対象と向かい合ってみてください。
16.07.08
島涼し藁で葺かれし能舞台 太一(東京)
季語とのとりあわせも良いですし、季語自体も良いですね。音読なさると気付くと思いますが、「し」が二箇所あるのが少し気になります。でも、どんなところだろうか、、と読み手が行ってみたくなる様な句です。(
美伽)
あらためて世界遺産の滝仰ぎ ロジー(アメリカ)
世界遺産になった那智の滝を仰ぎ見た情景を思い出しているのですね。作者の思いはそれなりにあると思いますが、「あらためて」が分かりませんでした。「世界遺産になった滝をあらためて仰ぎ見た」と言うことですか。そうであればこれは作者の気持ちが理屈として出てしまっています。もう少し客観的な表現を考えてみましょう。「
世界遺産と決まりて那智の滝仰ぐ」(
隆生)
マンションの小さき花壇油照 雨花(ハワイ)
そう言われてみればどこのマンションにも取って付けたように小さな花壇がありますね。「油照」が面白く置かれています。
蓮の花志功の菩薩胸豊か 蓬莱(島田)
棟方志功の版画の菩薩像でしょう。「胸豊か」の写生によって、見たことのない人にもその雰囲気が伝わっていきますね。「蓮の花」は菩薩にやや即きすぎる感もあります。
16.07.07
炎天やツイギーのやふな脚線美 燕子(千葉)
「炎天」と「脚線美」との取り合わせは新鮮ですね。作者はいったいどういう思いでこの女性を見られていたのか気になるところです。「涼しさや」などの季語なら単純に脚線美の美しさに感動しているのでしょうが、この「炎天」がなかなか曲者で、同姓へのジェラシーのようなものさえ読み手に感じさせるのです。「やふな」は「やうな」でしょう。「
炎天やツイギーのやうな脚線美」
手術にて女を捨てし夏休み 雨花(ハワイ)
いろいろ想像が膨らむ句ですね。子宮や乳房を取ってしまわないといけない病で、そういう女性の大事なものを取ってしまったことを言っているのか、もっと直截的に性転換手術をされた人を詠んだものか。気になりますね。私は前者の方だと思いますが。ただ、「夏休み」という季語では時季の説明だけでそこの思いが伝わってきませんね。
野いちごや吾は六十路を生きてをり 奈緒(名古屋)
おそらく作者は、目立たない場所ではあるけど、しっかり自己を主張している「野いちご」のようなご自分の人生を振り返られているのでしょう。大胆な詠みぶりがおもしろいですね。ただ、こういうご自分だけの句には読み手はなかなか共感しづらいことも確かです。
16.07.06
夏休み地図を片手に尋ね行き 雨花(ハワイ)
「尋ね行き」では夏休みが効きません。夏休みでなくても尋ね行くことは多くあります。夏休みらしさの出た句にしないといけませんね。季語が夏休みなのですから。「
夏休み地図を片手に子の旅行」
湧水に沈む茶店の心太 太一(東京)
湧水に浸してあるそうで美味しそうな感じが伝わってきましたが「沈む」はやや平凡です。もっと「色、掬った時の動き、感触」などなど心太を写生して下さい。「茶店」もそう必要ではありません。(
美伽)
16.07.05
夏休み今年は赤い靴を買ひ 雨花(ハワイ)
面白い取り合わせですが、説明調にならないように表現を変えてみましょう。「
赤き靴買つて始まる夏休み」
使はれぬ揚屋のかまど梅雨の闇 範子(名古屋)
「揚屋のかまど」と「梅雨の闇」の取り合わせは良いのですが、なぜ「使はれぬ」なのでしょうか?壊れたの?このままでは「使はれぬ」はいらない措辞に感じます。「
罅兆す揚屋のかまど梅雨の闇」
16.07.04
大道の剣玉捌き梅雨晴間 茂吉(千葉)
大道芸に見入る梅雨の晴間。気持ちの良い句ですね。剣玉のカチンカチンという音も聞こえてきます。
美しき虹を残して通り雨 康(東京)
きれいな句ですね。日常目にする光景ですが、こうやってあらためて言われるとその美しさが再確認されますね。
携帯をかけながら行く夏日傘 栗主(松本)
それだけの事柄なのです。これを詩に高めるためには驚き、発見というものが必要なのではないでしょうか。個人的な意見ですが「携帯」だけで「携帯電話」を表すには少し無理があるのではないかと思っています。「
携帯電話日傘の中に着信す」
16.07.03
汁飛ばしかぶりつきたるトマトかな 万愉(北九州)
トマトのおいしさがよく表現されています。ただ、俳句としてはここからどう読み手に感動を深めさせるかですね。「汁飛ばしかぶりつきたる」は万愉さんでなくても言えることですので、作者だけの捉えたトマトのおいしさ、瑞々しさを表現すべきです。
剥き出しの肩で入り来る夏暖簾 樹炎(前原)
最近の若い女性の姿でしょうか、面白く捉えられましたね。まるで夏暖簾が戸惑っているようにも感じさせます。
16.07.02
みんみんや鍵かけてある賽銭箱 町子(神奈川)
いいですね。パッと景が浮かびました。ただ「鍵かけてある」は説明で終わっていますので、その鍵がどうなのかを詠むべきでしょう。また座語の「賽銭箱」も六音で気になりました。「
みんみんや賽銭箱に錆びし鍵」
黒猫の微動だにせず油照り 苦瓜(東京)
油照りの感じがよく出ていますね。ただ「微動だにせず」がいかにも油照りの感じを出そうとしている措辞に思えます。もう少し具体的なものを持ってきた方が良いかもしれませんね。「
黒猫の足裏乾く油照り」
滝壷に冷やせし老いのたなごころ 寛(海老名)
すっきりできていて気持ちよさも伝わってくるのですが、「滝壺」では全身入らない限りたなごころ「掌」を冷やすことはできないのではないでしょうか?「掌」だけ浸けているのですよねえ?「
滝水に冷やせし老いのたなごころ」
京の路地打ち水の音下駄の音 樹炎(前原)
面白い句ですね。単純化されていて、しかも京都の雰囲気を十分出しています。最初に「京の路地」とすると仕掛けが見えてしまうようです。「
打ち水の音下駄の音京の路地」
16.07.01
海原に一筋の雨夏館 雨花(ハワイ)
海に面しているお屋敷を想像しましたが、「夏館」と「海原に一筋の雨」が離れすぎて季語が投げ出されるように置かれた感じが気になります。「
海原の雨を遠くに夏館」「
海原の雨が近づく夏館」
夏見舞一万尺の高地より 太一(東京)
すっきりできています。「一万尺の高地より」の措辞が気持ち良いですね。正に夏見舞らしい一句となりました。
病葉に短冊のせて野外句座 ロジー(アメリカ)
面白い句ですね。句材の面白さも俳句の大事な要素です。ただ、短冊を葉に乗せるという行為自体はよく意味が分かりませんでした。
夏河原水防訓練明日なるや 治彦(千葉)
ちゃくちゃくと準備の進められる河川敷の様子が目に浮かびました。日記代わりの句としては佳いと思いますが、あまり詩情は感じられませんでした。
星祭り猪みたき旅の夜 亜津子(東京)
「猪みたき」が分かりませんでした。何か言い伝えでもあるのでしょうか?ご教示ください。
友待ちて5度に冷やせり葛桜 万愉(北九州)
「5度に冷やせり」が効いているでしょうか。私には言い過ぎに感じます。「
遠来の友に冷たき葛桜」「
葛桜きりりと冷やし友待てり」
16.06.30
清流や素足の冷の身に伝ひ 雨花(ハワイ)
よく分かり実感できますが、この冷えは素足の冷えではなく、清流の冷えなのではないでしょうか?「
素足よりせせらぎの冷え身に伝ふ」
台風やダム放水の報せ鳴る 千元(久居)
句意としては分かるのですが、「台風」と中七下五の内容が近すぎて、「台風」が後の事柄の説明になってしまっています。まったく別の季語の方が良いでしょう。「
夏雲やダム放水の報せ鳴る」
16.06.29
蒲の穂や大きく揺れて雨近し 悠遊(日進)
感覚的で佳いですよ。ただ、大きく揺れるのは「蒲の穂」ですので、「や」で切ってしまわない方が良いでしょう。「
蒲の穂の大きく揺れて雨近し」
ささやかな風が通るや能登上布 雨花(ハワイ)
能登上布の軽やかさが出ていますね。きもちよい風を感じます。「
ささやかな風を通せり能登上布」
雲の峰ハワイアリゾナ記念館 蒼天(奈良)
真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの記念館。「雲の峰」が夏空を表現すると共に、作者のその夏空の暑さにも似た耐えられぬ気持ちを表現している。俳句はこの様に季語と物とだけでもその思いを伝えることができる。俳句はこのくらいものを言わない方がよいのかも知れない。
16.06.28
風知らす頬の涙や籐寝椅子 雨花(ハワイ)
句意は分かるのですが、なぜ頬に涙を流したかが分かりません。恐い夢でもみたのでしょうか?それでは詩情に欠けますが。
ラベンダーの花摘む子らの夏帽子 栗主(松本)
すっと読めますが、句の中心が子どもにあるのか、夏帽子にあるのか、曖昧な感じを受けました。「花摘む子らの」が説明ぽいのでしょうね。夏帽子に焦点を当てて詠んでみましょう。「
ラベンダーの香りまみれの夏帽子」
16.06.27
石垣の崩れし城址草茂る 太一(東京)
情景がよく浮かびましたし調べも良いですね。私も同じ様な句を沢山作りましたが類句がかなりあります。句としては出来ているのですが内容が平凡ですので、人が見ない様なところも丁寧に観察して新しい発見を詠んでいく様に心がけませんと、なかなか感動してもらえないかもしれません。(
美伽)
鬢付や力士吐き出す朱夏の駅 たくみ(尾西)
「鬢付や」と切っていますが、鬢付に一番感動された訳ではないでしょう。句意から言っても「鬢付の力士」とつなぐべきです。「
鬢付の力士吐き出す朱夏の駅」表現的には「吐き出す」も「朱夏の駅」も懲りすぎた感じがします。
青畳素足の影の深き青 雨花(ハワイ)
感覚的なのですが、少し懲りすぎて「深き青」まで言ってしまいました。そこは読み手に感じさせましょう。「
投げ出せる素足の影濃し青畳」
潮の香のオープンカフエやソーダ水 きぬ(茨城)
すっきりできていますが、「オープンカフエ」と「ソーダ水」が近すぎて詩情が広がりません。別の季語の斡旋も考えてみてください。「
潮の香のオープンカフエや梅雨晴間」
紫陽花や雨の重たさ見せており 香風(芦屋)
感覚的で面白い把握ですが、「雨の重たさ」をどう感じたのか、そこが表現できていません。「どのように見せていたか」もう一度推敲され表現してみてください。
16.06.24
鬢付や浴衣の力士降りし駅 たくみ(尾西)
夏場所を前に力士が来たのですね。その駅に鬢付油の匂いがしていたのでしょう。分かりますが、テレビを見ていても作れそうな俳句という感じもします。常識的なことがらでまとめているからでしょう。作者だけの発見が欲しいですね。
色放つ籠いっぱいの夏野菜 亜美(静岡)
トマト、茄子、キュウリ、美味しそうな夏野菜が目に浮かびますが、「色放つ」ではよく分かりませんね。どのようは色を放っているのかを読み手は知りたいところです。夏野菜と漠然とせずに、一番感動した野菜を詠まれていかがでしょうか。「
竹籠をはみ出し茄子の深き色」
雲の湧く山間に望む千枚田 茂(蒲郡)
すっきりしている句と思ったのですが、残念ながら季語がありません。また「望む」など省略できる動詞はできるだけ省略しましょう。「
夏雲や山間に青き千枚田」
16.06.23
上棟の升酒に蟻溺れをり 一灯(国立)
俳諧味があり、出来ている句と思いますが、「上棟の升酒」と言ってしまうと、説明っぽくなります。そして、どこかで切れがあると、リズムも良くなると思います。『
棟上げや升酒に蟻溺れをり』(
孝子)
羊歯たるる横穴群や夏蕨 町子(神奈川)
作者は、強い切れ字を用いて、「羊歯たるる横穴群や」っと言っているのに、全く別のもの(夏蕨)を取り合わせていますので、感動は何であったのかがわからなくなりました。尚、羊歯は新春の季語となっています。(
美伽)
梅雨めくや門扉閉ざせる異人墓地 太一(東京)
梅雨めく という表現ははじめて遭遇したのですが、実際に雨が降っているがまだ梅雨には入っていないということですね、そうしますと 走り梅雨 とか 迎え梅雨 前梅雨といった季語もありますので御確認ください。(
美伽)
16.06.22
君と逢う予知夢を見たり籐寝椅子 かな(神奈川)
若い句ですね。こういう句を作りたいですね。句意もよく分かり、思いも感じるのですが「夢」と言えば「見たり」は必要ないと思います。「
君と逢ふ予知夢あざやか籐寝椅子」
16.06.21
梅雨晴や嫁入り舟のゆく潮来 太一(東京)
美しい情景が浮かびましたが、絵葉書の様に美し過ぎて詩情を感じませんでした。地名は省き、「嫁入り舟」はもっと具体的に写生して下さい。(
美伽)
天窓に緑雨滴る森の宿 栗主(松本)
「天窓に」が面白いですね。緑雨がよく実感できると思いました。ただ、実感できるだけに「森の宿」まで言う必要はないかなとも感じました。緑雨が滴るのですから「森」のようなところは想像できますね。例えば「
天窓に緑雨滴る飛騨泊まり」などのようは表現もできますね。
風渡る渓流の底に水芭蕉 フク子(横浜)
何となく情景は分かるのですが、このまま詠むと水の中に水芭蕉が咲いているようです。「
風渡る水面に立てり水芭蕉」
16.06.20
ダムの水雄叫あげて田を満たす 樹炎(前原)
おそらく作者は「田水張る」のつもりなのでしょうが、これでは洪水で季語がなくなってしまいました。「雄叫あげて」は面白いと思いましたが、田水を張る感じではないですね。「
梅雨のダム雄叫あげて水落とす」
16.06.19
男子バレー思い伝わる夏の宵 越華(福井)
華さん、ご自分で川柳と仰っているように、こういう句材は俳句には難しいですね。「思い伝わる」とありますが、どういう思いかまったく読み手には伝わりません。
唐突に部屋暗くして蝿を打つ 寛(海老名)
ちょっと句意が理解できませんでした。なぜ唐突に部屋を暗くするのでしょうか?暗くしては蝿を見つけられないのではないでしょうか?
16.06.18
海底のポストに落とす夏見舞 太一(東京)
和歌山県すさみ町にあるそうですが、こんなところから投函された夏見舞がきたら涼感をよびますね。「落とす」という表現が効いています。特殊なハガキに書いて入れるそうですが、水中ではどんな感じで落ちていくのでしょうね。これからも新しい素材に挑戦なさって下さいね。(
美伽)
浜風に揺るる新樹のうねりかな 俊桂(横浜)
句の形としてはよくできていると思います。浜風に新樹の揺れている様子がよく見えてきます。特に「新樹のうねり」という表現の発見がよいと思います。ただそうすると「揺るる」という言葉がなくても分かりますから、もう少し詳しく写生が出来るのではないですか。「雨兆す風に新樹のうねりかな」(隆生)
緋牡丹の大き崩れや雨後の庭 健一(宮古)
情景が一読伝わってきました。「大き崩れや」の措辞が生きていますね。ただ下五の「雨後の庭」はせっかくの「大き崩れ」を説明しすぎてしまった感があります。
薫風や開聞岳を仰ぎ見る 越華(福井)
すっきりした句になりました。作者の「開聞岳」への挨拶でしょうね。「薫風」が気持ちよく伝わってきました。
16.06.17
植田道傘一列に通学す 樹炎(福岡)
情景がよく見えます。「傘一列に」としっかり写生されました。青田と色とりどりの傘、対象が面白いですね。
子どもらの汗が肥料の夏大根 万愉(北九州)
言いたいことは分かりますが、言い過ぎているようにも感じます。「汗が肥料の」は観念的です。「
子供らの汗を地が吸ふ夏大根」と即物的に言った方が佳いでしょう。
16.06.16
いつの間に川音消へし朴の花 町子(神奈川)
源流のあたりまで入っていった様な山奥が浮かびました。季語が良いですね。「消へし」は、「消えし」と表記。(動詞の活用表で御確認ください)(
美伽)
浜木綿や義姉の便りは毛筆書 ロジー(米国)
「浜木綿」が佳いですね。句意もよく分かりますが、ただ表現的には固い感じを受けます。「
浜木綿や毛筆で義姉のエアーメール」
首振らぬ島の湯宿の扇風機 匡克(大竹)
句意はよく分かります。おそらく銭湯などにあるような固定式の扇風機なのでしょうね。ひなびた感じを出しています。
キッチンに麦茶香りて茄子の花 万愉(北九州)
「麦茶」「茄子の花」の季重なりですね。たとえ季重なりに目をつむるとしても何を伝えたいかが曖昧です。キッチンの様子、麦茶の香り、茄子の花?漠然と物を置いた感じです。
16.06.15
下闇に刻字の深きはせを句碑 太一(東京)
「刻字の深き」としっかり写生がなされています。季語も効いていますのでどこか鄙びたところにある様なはせを句碑を思い浮べました。(
美伽)
草取りの狭庭に風の鮮らしき 町子(神奈川)
「狭庭に」は効いていない気がします。これは「草取りと風」の句だと思うのですが、ただ「風の鮮らしき」と述べるのではなく、作者は何故風が鮮らしいと感じたのかが伝わる様にそのままを写生して詠むと良いですね。(
美伽)
窓すべて開け六月の風入れる 彩華(和歌山)
梅雨の晴れ間なのでしょうね。思い切り部屋中の窓を開けて、風を通されたのでしょう。句意はよく分かりますね。ただ句としては散文的に流れています。「
薫風や家中の窓開け放つ」または「
梅雨晴間家中の窓開け放つ」くらいで良いと思います。あまり説明しすぎないことですね。
16.06.14
早朝の伯父の訃報や走り梅雨 路子(富山)
「走り梅雨」が作者の心情を代弁して佳いですね。俳句はこういうふうに季語やものに心情を語らせる文芸ですね。ただ、「伯父」と言ったために作者だけの句になってしまいました。この句は訃報と走り梅雨の句ですね。それ以外のことはあまり必要ではありません。「
早朝に訃報がひとつ走り梅雨」
山々の緑ふくらみ梅雨に入る とも子(西宮)
「緑ふくらみ」が佳いですね。梅雨時期の森林の感じをよく出しています。こういう感覚的な句が佳いですね。
翡翠の一閃水を乱しけり あきこ(東京)
翡翠が魚を獲るために水に突入したその一瞬をよく捉えられました。欲を言えば「乱し」は言わなくても分かりますので、どう乱したかが表現できるとさらに佳いですね。
まくなぎに追いつ追われつ沢のぼる 俊桂(横浜)
おもしろいですね。しかし、実感もあります。あの鬱陶しいまくなぎの感じがよく出ています。「追ひつ追はれつ」と表記します。
16.06.10
緑陰に山車の飾りを装ひけり りょう(札幌)
なるほど山車の準備は緑陰で行うのですね。実感があります。下五は「装ひけり」では字余りですね。「
緑陰に山車の飾りを装へり」
16.06.09
万緑や岩場をしろき水走り 佑子(大阪)
清涼感のある流れを感じました。「万緑」の季語がうまく生かされています。「
万緑や岩場をしろき水走る」の方が力強さがでますね。
曳き売りの姉様冠り京薄暑 範子(名古屋)
「京薄暑」がよく効いていますね。京都の日常の一齣でしょうが、うまく捉えられました。
ピザ回す若き職人薔薇の昼 かな(神奈川)
あのピザ職人の芸は見ているだけでも楽しいものですね。きっと美味しいピザがいただけたことでしょう。ただ、「職人」までは言わなくても良いように感じます。説明ぽくなりますね。「
ピザ回す若き指先薔薇の昼」
16.06.08
鮎釣りの深みへ一歩踏み出せる 寛(海老名)
面白い句ですね。表現的には鮎釣りをしている人が、釣り場所を変えて深みの方へ踏み出したという句意でしょうが、私には、鮎釣りというものの奥深いところに踏み入って虜になりそうな作者が見えてしまいました。
木苺や日透け通り赤み増す 雅里(名古屋)
感覚的にはとても良いのですが、「日透け通り赤み増す」の措辞にやや無理があるように感じます。もう少し素直な表現にならないでしょうか。「
日に透けて木苺赤し杣の道」
16.06.07
旅にゐて雨読の一日濃紫陽花 太一(東京)
梅雨時の旅にはこういうこともあるだろうと感じさせてくれます。奥の細道の芭蕉も雨に数日逗留することが多かったようですね。
草刈の土手の向ふは俗世かな 治彦(千葉)
境内の草刈りでしょうか。お手伝いに出向いた作者が感じた素直な感想なのでしょう。草刈りが終われば、また俗世に戻る自分を意識されているようにも感じます。
百歳が花衣着て化粧して 燕子(千葉)
調ベもよく、お幸せそうな老女が浮かびました。ただ、これでもかこれでもかと目出度さを感じさせる言葉が並んでいますので、詩情という点ではどうかな、、と思いました。「事柄」の域をでていないと思います。(
美伽)
16.06.06
梅雨に入る日曜の午後ハーブティー 栗主(松本)
「梅雨に入る日曜の午後」までは説明で、「ハーブティー」がどう関わるのか分からないようにポンと置かれています。もう少し「梅雨入り」を実感できるように句を仕立てましょう。「
ハーブティ香る書斎や梅雨に入る」
16.06.05
四十雀聞こゆ団地の朝餉かな 俊桂(横浜)
よく四十雀を捉えられました。ただこの句の場合「聞こゆ」は余分で、その代わりに団地らしい朝餉の様子を写生すべきではないでしょうか。「
四十雀聞団地の朝餉窓開けて」
表具師も大工もごろ寝青葉影 蓬莱(島田)
建築中の一齣がよく活写されています。気持ちの良いお昼寝ですね。
16.06.04
消防のホース展げる梅雨晴間 町子(神奈川)
梅雨の晴れ間を利用して干す消防ホース。情景が印象明瞭に浮かんできます。「展げる」が面白いですね。まるで展示でもしているように並べられていたのでしょう。
雨上がり薔薇の小鉢を買い求む フク子(横浜)
いいですね。こういう日常が詩になるところが俳句の良さでしょう。雨上がりと薔薇の小鉢が妙に効いています。作者の落ち着いた生活ぶりが伺えますね。「買ひ」と表記します。
清澄の山に卯の花腐たしかな 燕子(千葉)
「清澄の山」が漠然として効いていません。もっと読み手の詩心をくすぐるような山を意識させるべきでしょう。「
茶の里の山に卯の花腐たしかな」「
墓山の墓に卯の花腐たしかな」
厨房の天井高し迷ひ蝿 範子(名古屋)
「迷ひ蝿」など言葉を無理に作ってはいけません。素直が一番です。「
厨房の高き天井蝿歩く」
16.06.03
研ぎ痩せし鎌のきらめく麦の秋 一灯(国立)
「鎌」と「麦の秋」の2物取り合せとしての句の形は出来ていると思います。ただいまひとつ感動が伝わってこないのは「研ぎ痩せし鎌のきらめく」という鎌の写生がやや平凡なためでしょうか。「鎌」のどういう状態が感動につながったのかもう少し深い写生を考えてみて下さい。(
隆生)
実梅落つぽろぽろぽろと別れ道 かな(神奈川)
「実梅落つ」と「別れ道」との取り合わせは良いと思いますが、やはり「ぽろぽろぽろと」の措辞はもったいないですね。「
実梅落つ音聞いてゐる別れかな」
嫁に聞く出産予定日夏薊 寛(海老名)
面白い句ですね。きっと作者は何度も何度も聞いてみえるのではないでしょうか。作者の待ち遠しい気持ちと、苦笑しながらも答えるお嫁さんの笑顔も見えますね。「夏薊」の明るさがいいですね。
松林上り下りして初蕨 燕子(千葉)
初蕨を採るのに、松林を上り下りしたという句ですが、要は蕨採りの説明にすぎません。蕨を採ったときの感動や上り下りした山道の様子が分かるといいですね。「
山坂の日のぬくみもつ初蕨」
16.06.02
苗と草知恵幼き子見分け刈る 万愉(北九州)
苗と草を幼い子がきちんと見分けて草を刈っているという句意でしょうが、これは俳句というより説明で、詩というより理屈の方が勝っていますね。俳句では、草を刈る幼き子の様子を写生すれば十分です。「
田草刈る幼き手足泥まみれ」
井戸水をたつぷり汲めり冷素麺 燕子(千葉)
美味しそうな冷素麺が目に浮かんできました。たっぷりの井戸水がいいですね。冷素麺と関わり合わせるなら「
井戸水をたつぷりそそぎ冷素麺」でしょうか。
リュック背に夫婦でくぐる茅の輪かな 茂吉(千葉)
この「リュック」が何かが分かれば面白い句になると思います。おそらく登山用のリュックでしょうね。ただリュックというとウォーキングのような感じもしますね。「
登山靴の夫婦くぐれる茅の輪かな」登山の途中で偶然出会った行事が目に浮かびます。
マンションの高層に老い金魚玉 康(東京)
作者像が見えてきました。「金魚玉」に「老い」をおおらかに受け入れるゆとりのようなものを感じました。
16.06.01
六月の夜の新宿百合かおる 亜津子(東京)
六月、百合の季重なりです。もう少し慎重に句を作ってください。「百合かほる」があれば「六月の」の措辞はいりませんね。「
新宿の夜の明るさや百合香る」
ヨセミテの岸壁直下登山宿 ロジー(米国)
「登山宿」の置き方が不親切です。これでは登山宿がヨセミテのどこにどうあるのか分かりません。「
登山宿よりヨセミテの崖仰ぐ」
16.05.31
青芝に焼物並べクラフト展 栗主(松本)
「青芝に並べ」たというのが面白いですが、表現は説明的です。「
青芝に並ぶ焼物クラフト展」クラフト展が取れるのなら「
青芝に手びねりの壺並べ売る」など、より具体的にしましょう。
16.05.30
麦秋や安曇野の空澄みわたり 栗主(松本)
きれいな景ですね。明るさがよく伝わってきます。ただ、「や」で切れていますので、最後は「たり」で切らないで流した方がよいでしょう。「
麦秋や安曇野の空澄みわたる」
郭公が白内障の景に入る すえなが(柏)
面白い捉え方ですね。さすがに若さを感じます。ただ「白内障の景」という措辞が少し乱暴に感じました。「
郭公が病みし瞳の奥よぎる」
黒竹の若竹ツンとまだ青し 樹炎(前原)
黒竹は文字通り幹の外側が黒いもの。その黒竹の若竹は青いというのは一つの発見ですね。ただ「ツンと」という措辞が気になりますし、「まだ」は若竹だからと句を理屈的にしています。「
黒竹の若竹青く尖りたる」
16.05.29
井戸水をたつぷり今朝の茄子の花 燕子(千葉)
あるがままを詠まれたこういう句が大好きです。ただ、多くの事を言い過ぎておられますので、読み手は作者の感動のポイントが絞れない気がします。「今朝の茄子の花」は「の」が続くこともあり、やや間延びした印象を受けました。季語は井戸水との関わりが薄いので動く可能性があります。(
美伽)
16.05.27
目刺焼く皺くちやの手や朝市女 燕子(千葉)
平明な表現で詠まれた句はいいですね、多くを言わず、焦点を一箇所に絞っておられます。季語も合っています。ついつい技法にとらわれ易い私も初心に還らせていただけました。(
美伽)
湧水の流れか細き木下闇 太一(東京)
チロチロと流れる様子がよく浮かびました。おとなしい句ですが、季語をよく生かしています。(
美伽)
菜の花や農道とおりお嫁入り 燕子(千葉)
良い景を見られましたね。「菜の花」が揺れる「農道」をお嫁入りする花嫁行列が見えてきました。ただ、「農道とおり」は説明的な表現ですね。「農道」という言葉も詩的ではないですね。「
菜の花や花嫁の行くたんぼ道」「
菜の花の畦花嫁とすれ違ふ」
登り来て耳にかすかな滝の音 フク子(横浜)
素直に作られていますね。まず、自分の感動が人に伝わるということが大切ですが、その点、素直に感動を伝えられています。ただ、句材としてはよくあることです。
16.05.26
囀れる仁右衛門島に真砂女句碑 燕子(千葉)
句意は分かりますが、「囀れる」ですといかにも仁右衛門島がさえずっているようです。「
囀や仁右衛門島に真砂女句碑」しかし、真砂女と仁右衛門島がどう響き合うのか、私には分かりませんでした。ただそこにあったでは説明で終わってしまいますね。
16.05.25
家事済まし萩焼で飲む新茶かな 万愉(北九州)
事柄の説明になってしまいました。「〜して〜が〜なった」という散文的な匂いがします。「
家事済むや新茶を注ぐ萩茶碗」
初夏の知覧の空に哀惜が 越華(福井)
「初夏の知覧の空」までは良かったのですが、「哀惜が」は言ってはいけません。せっかくの感動が陳腐になってしまいます。「哀惜」は読み手に感じて貰うことです。「
初夏や知覧の空のただ蒼し」
16.05.24
伸び競う松の緑や雨上がり 茂(蒲郡)
今頃は丁度松の成長の真っ盛りで松の緑が目にしみる時期になりました。句としての形はよいと思いますが、「伸び競う」という一種の擬人化がしっくり来ませんでした。また季語として「松の緑」もよいと思いますが、今の時期は「松の芯」がぴったりくると思います。「
雨上がり伸び放題の松の芯」(
隆生)
乳母車薔薇のアーチを潜りけり 香風(芦屋)
すっきりできています。「乳母車」というものが喜びを表し、薔薇の明るさにとてもよく響いていると思います。
16.05.23
蕎麦食べて南半球五月くる 亜津子(東京)
旅吟でしょうか、「蕎麦食べて」が面白いですね。南半球にも北半球にも五月は来るのですが、日本的な感覚から面白く感じられます。
女子バレー全力疾走五月晴れ 越華(福井)
確かに女子バレーの活躍は、国民に五月晴れのような爽快感をもたらしたでしょうが、俳句というより川柳・標語に近い感動でしょう。
16.05.22
それぞれの墓碑銘洗ふ走り梅雨 寛(海老名)
句意が二つ考えられます。一つは、それぞれのお墓をそれぞれの家族が洗っている梅雨先の光景。二つめは、墓碑を洗うように降っている梅雨の様子。おそらく後者と思いますが、少し表現を変えられた方が良いでしょう。また、「それぞれの」という措辞に力がなく、句を曖昧にしているようです。「
墓碑銘を指でなぞれり走り梅雨」
16.05.20
どくだみの中に身を入る湯浴みかな 町子(神奈川)
どくだみの中に、、という表現からしますとどこか湯治の温泉かも知れませんね。できましたら「中に身を入る」という表現に留まらず、どくだみの湯に浸かった実感(湯の色とか匂い、風、どんな肌さわりの湯か、肌が紅潮したとか、痛む足を揉んだなど)を伝える様具体的に写生ができますと季語も一層生きてきませんでしょうか。(
美伽)
夏炉焚く山家に遠き雨の音 天(大阪)
よく山家の感じを出していますね。「夏炉焚く」がうまくおさまっています。ただ、なぜ「遠き」なのでしょうか。ムードだけで「遠き」とした感じを受けました。「
夏炉焚く山家にほそき雨の音」「
夏炉焚く山家にしるき雨の音」など、最も実感できる措辞を考えてみてください。
つかみどこなき春天に呟ける すえなが(柏)
若々しい句ですね。何とも言えない若さの苛立ちを感じました。「つかみどこなき」は通常「つかみどころなき」と表現しますね。字余りになっても無理な言葉の使い方はしない方が良いと思います。「
つかみどころなき春天に呟ける」
薫風と掛けたる軸の古さかな よしえ(三重)
しっかり写生されようとしていて感心しましたが、まず「薫風と」の「と」が気になりました。このままでは「薫風」も掛け軸同様古くなってしまいます。また、「掛けたる軸の古さかな」が説明くさく間延びしています。もっと他の事も言えるような気がします。「
薫風や掛け軸古き母の家」
永観堂若葉の先の緑の雨 明美(静岡)
「緑の雨」を捉えた感性が瑞々しくて若い人の句だと感じさせますね。ただ、その為に字余りになってしまっています。「若葉の雨」とするだけで俳人なら「緑の雨」も感じることができるものですので、省略できる表現はできるだけ省略しましょう。「
永観堂若葉の先の雨雫」
ででむしや夜来の雨の上がりたる 光晴(横浜)
実にすっきりした句でよく分かるのですが、分かりすぎて物足りなさを感じてしまいました。「夜来の雨の上がりたる」が平凡でもう少し感動のポイントとなる描写が欲しいと思いました。「
ででむしや雨上がりたる異人墓地」「
ででむしや窯場に昨夜の雨上がる」など。
沖まるく潮岬の青葉風 健一(宮古)
「沖まるく」が実感できる句となっています。「青葉風」も爽やかでいいですね。ただ、句の切れが曖昧です。「沖まろし潮岬の青葉風」と切るか「沖まろき潮岬や青葉風」と切って焦点を絞った方が良いでしょう。
16.05.19
一叢の小波となる著莪の雨 れい(小平)
「小波」と捉えられたところに、詩を感じますが、「著莪の雨」が不安定で、 いろいろ解釈出来ます。先ず、一読して光景の浮かぶ句が、基本と思います。「
雨の来て小波のごと著莪の花」 (
孝子)
五月雨の上がりてやがて迷い蝶 フク子(横浜)
俳句は説明ではありませんので、原因結果を述べることを嫌います。この句、五月雨が上がったので蝶が飛んできたという説明で終わっています。五月雨をもっと捉えるか、蝶をもう少し写生しないと読み手は感動しないでしょう。「
五月雨の降り残したる蝶ひとつ」
夕空に野寺の鐘や九輪草 光晴(横浜)
俳句の基本・型がしっかりできている句ですね。情景が見えて、「九輪草」が野寺をよく象徴しています。
16.05.16
朝まだき日ざしに赤きバラの花 俊桂(横浜)
納まりの良い句ですが、薔薇のどこに、感動されたかを、詠まれると良いと思います。例えば、「
朝の日に雨粒光る赤き薔薇」(
孝子)
日系児蹴球とよぶ稲荷ずし ロジー(米国)
面白い句ですね。でも、何故いなり寿司が蹴球なのでしょうか?この場合の蹴球はサッカーではなくラグビーやアメフトなどのボールを意味しているかも知れませんね。
ひなけしやベンチに翁の居眠れる 光晴(横浜)
雛罌粟の咲く頃の気候が「ベンチに翁の居眠れる」に良く出ていますね。夏の暑さというより暖かさを感じます。
16.05.15
御持たせの空也最中や新茶汲み れい(小平)
「空也最中」で、生きた句になったと思います。下五は、「汲む」とした方が、納まりが良いでしょう。「
御持たせの空也最中や新茶汲む」(
孝子)
剪定の腰の定まる梯子かな 俊桂(横浜)
面白いところを見られましたが、「定まる」が観念的ですのでどう定まったか、またはその腰つきを写生されると更に面白くなると思います。
16.05.13
五月雨を掻き消すやうにビートルズ 久美子(大阪)
「五月雨」と「ビートルズ」の取り合わせが新鮮でした。「掻き消すやうに」まで言わなくても、ビートルズが聞こえてくれば五月雨は視覚だけのものになるでしょう。「
五月雨や小さきカフェにビートルズ」
その中に先生の声若楓 佑子(豊中)
遠足の光景でも良いし、吟行会の光景でも良いですね。把握が大胆で面白い句になりました。
目で辿る残雪の尾根青き空 一灯(国立)
確かにそうなのでしょうが「目で辿る」は説明です。読み手はそういう説明に感動するのではなく、この残雪の尾根の美しさと空の青さに感動するのですから、そちらの表現に力を入れるべきでしょう。「
眩しめる残雪の尾根青空に」
水芭蕉雨の先触れつれて来し 蒼天(奈良)
感性の効いた句なのですが、表現がよく分かりません。「雨の先触れつれて来し」の意味が分かりづらいのです。「雨の先触れ」と「つれて来し」に分かれるのでしょうか?そうすると「つれて来し」は何が何をつれて来たのか分かりません。一句で言いたい内容は一つにしぼりましょう。「
真つ先に雨のふれたる水芭蕉」
アルプスの水のささやくわさび沢 太一(東京)
美しい景色や水音が伝わってきました。ささやくという表現に創意を感じました。アルプスという固有名詞も効いています。(
美伽)
靴下の中より出でし山の蟻 町子(神奈川)
山蟻は、普通の蟻より大きい山の蟻です。様子はわかりましたが、どんな風に出てきたかをもう少し丁寧に写生しませんと読み手を「おや!」っと思わせることが難しいです。「
靴下を脱げばた走る山の蟻」(
美伽)
16.05.12
芍薬の日々ふくらみて病いゆ ともこ(西宮)
思いのある句ですね。よく気持ちが伝わってきます。ただ「〜て〜」という表現は説明的になります。「
芍薬の日々のふくらみ病癒ゆ」
二の腕に風の触れゆく衣替 路子(富山)
句材としてはよくあるのですが、風の心地よさがよく伝わってきますね。「二の腕に」としたことで成功しています。
水仙や碑に刻まれし開拓史 りょう(札幌)
すっと句意が伝わってきますね。俳句の型ができているからでしょう。しかし、句材としては読み手に感動を与える力に欠けます。
陶狸臍のばってんうららけし 千元(久居)
面白い句ですが、ぶつぶつと三句切れになっている感じを受けます。「
うららかや臍ばつてんの陶狸」
16.05.11
残雪やピッケルで指す遠穂高 一灯(国立)
句としてはよくできていると思います。遠くに穂高岳を見たときの実感が「ピッケルで指す」にこもっています。ただ「残雪や」は「遠穂高」のことを言っているのでしょうから、ここで切るとリズムに少し引っかかりを感じました。次に「遠穂高」でもよいと思いますが、穂高は独立峰でないので「穂高岳」とは言いにくいのでしょうね。リズムと「遠穂高」を考慮して「
ピッケルで指す残雪の奥穂高」としてみたらどうでしょうか。(
隆生)
ふらここの錆び音少し生家貸す 一夫(千葉)
「生家貸す」という思いを「錆び音少し」が代弁しているのでしょう。普通の家に「ふらここ」はあまり無いと思いますから、赤ちゃん用のカゴのようなぶらんこかも知れませんね。それとも近くの公園のぶらんこの音でしょうか。いずれにしても上五中七までに対して下五が少し唐突すぎる気もします。
雨上り濡れて一輪バラの花 卯月(広島)
気張りのない表現は好感が持てますね。「雨上り」ですので「濡れて」は言わずもがなです。それよりも薔薇の様子を言った方が読み手はよく分かります。「
一輪の薔薇の花落つ雨上り」
筍の力見せずに掘られけり 天(大阪)
句のどこに休符があるかが問題です。上五で切れているのならこの「力」は「筍の力」ではなく掘っている人の「力」になりますし、「見せずに」で切れているのなら「筍が力を見せなかった」となります。私にはどちらなのか分かりませんでした。
16.05.10
朝日浴ぶ紅葉映える部屋明かり 美智子(シドニー)
朝日がさして、紅葉が映えて、ちょっとごちゃごちゃして明るすぎる部屋明かりになってしまいました。「
朝の日に映える紅葉や格子窓」
豆植ゑる俄仕立の低き畝 範子(名古屋)
家庭菜園の畑なのでしょうか。「俄仕立」が面白く感じました。
古池や緑暮れゆく色浮かべ 俊桂(横浜)
「緑暮れゆく色」が佳いですね。川面に映る夕暮れの木々の色が見えてきました。またその色を「浮かべ」としたところもお手柄と思います。ただ「古池」は安易に感じました。
16.05.09
山吹の花の明りや木下闇 一灯(国立)
感動はよく伝わってきましたが、「山吹」といえば「花の明りや」は省略も可能です。季語が二つあります。(
美伽)
木の芽和え越に帰農の友と酌む 一灯(国立)
木の芽和の雰囲気と、友と酌むは、合っていますが、中七 下五の材料が、多すぎて、ごちゃごちゃしています。越の友でしょうか?越で酌んだのでしょうか?どちらにも解釈できます。一番言いたい事は、「
木の芽和農夫となりし友と酌む」でしょうか?(
孝子)
野の花を摘みけふ母の日とおもふ れい(小平)
「野の花」で、母への優しい思いが、出ていて、良い句ですね。ただ、今日が母の日だから、思われた訳ですから、「けふ」は、省いたほうが、良いでしょう。「
野の花を摘み母の日と思ひけり」(
孝子)
父机置かれてありぬ夏座敷 越華(福井)
亡くなられたお父様のお机でしょうか。思いは伝わりますが、「父机」は無理がありますね。「
片隅に亡父(ちち)の小机夏座敷」
草刈の鎌の先咲く姫女苑 万愉(北九州)
様子は伝わってきますが、「先咲く」が表現上固いですね。「先咲く」の「先」も曖昧ですので、いっそ言わなくても良いのではないでしょうか。「
草刈の鎌の光りや姫女苑」
水ほとり日の溢れゐる二輪草 一灯(国立)
日が溢れているのは「水ほとり」なのか「二輪草」なのか曖昧です。「日の溢る水のほとりや二輪草」ということでしょうか。作者らしい発見・把握というものが欲しいですね。
16.05.08
秋蒔の土より出る子の玩具 美智子(シドニー)
面白い句材を見つけられたと思いましたが、「秋蒔の土」という言い方に引っかかりました。「秋蒔の種」なら分かるのですが、「秋蒔の土」では土を蒔くようですね。「
大根蒔く土の中より子の玩具」または「
秋耕の土の中より子の玩具」
16.05.07
山笑ふすぐに躓く一才児 太一(東京)
危なっかしい歩きの幼児が目に浮かびました。ただ、すぐに躓く(ので)山笑ふ、、といった因果的な印象を受けました。季語との取り合わせの距離をもう少し離してください。(
美伽)
甲斐駒をかなたに林檎の花摘めり 一灯(国立)
様子はわかりましたが、このままですと甲斐駒とのつながりが薄いので、単なるアクセサリー的な存在だと思えます。「
甲斐駒を間近かに林檎の花摘めり」花摘み作業の行われる様な山里の様子が伝わりませんでしょうか。中八になっていますのも御一考下さい。(
美伽)
蛍の火とまりし草のうすみどり 蒼天(奈良)
蛍がとまった草がうすみどり色に照らされていた、、という発見ですね。平明な表現で且つ美しい詠みです。ただ、小さな蛍ですので、草のその箇所だけを小さく照らした、、という事が伝われば蛍の繊細さをもっと表現できると思います。(
美伽)
風光る白きチョゴリと会釈せし せいち(城陽)
韓国の方と会釈を交わされたのでしょうが、白いチョゴリが印象的ですね。「せし」で止めると説明的ですね。「
風光る白きチョゴリと会釈して」
窯材に屋号くつきり鴨足草 範子(名古屋)
面白い句材なのですが、「窯材」と言ってもいろいろあり、ピンときません。「くつきり」とが面白いのではなく、窯材に屋号が残っていることが面白いのではないでしょうか。「
蹴轆轤に残る屋号や鴨足草」
16.05.06
磯の香の手繰り寄せたる昆布かな 治彦(千葉)
感覚的で佳いですね。昆布採りの一齣をうまく詩的にまとめられました。ただ「磯の香を」でしょう。「
磯の香を手繰り寄せたる昆布かな」
天龍寺御堂を包む若楓 悠遊(日進)
分かりますが「天龍寺」と「御堂」が同じ事を言っていますね。「御堂を包む」が説明的ですので、そこを詩的に表現すべきです。「
天龍寺の空を狭めり若楓」
首すわり紙の冑をかぶる吾子 万愉(北九州)
親の情が伝わりますね。言いたいことは分かるのですが、切れもなく全体に説明的になっています。また残念ながら「冑」だけでは季語になりません。「冑飾る」「武具飾る」などとする必要がありますね。「
紙冑かぶりし吾子やこどもの日」「
首すはる吾子の冑を飾りけり」
甲斐犬の高き遠吠ゑ夏に入る 町子(神奈川)
何に夏を感じるかは作者作者の感性によるものです。こういう立夏もあってもいいですね。犬も感じたのでしょうか。「吠ゑ」は「吠え」ですね。
蛙声の四方に広がる満水田 寛(海老名)
「蛙声」は「あせい」と読ませるのなら字足らずになりますね。普通に「蛙の声」とした方が良いと思います。季語としては「蛙」をとるのか「田水張る」をとるのかも曖昧に思います。「
峡の田の四方に蛙の声満てり」
16.05.05
谷底に消ゆる古道や若葉風 蓬莱(静岡)
句としてはできていますが、「若葉風」の爽やかさが合っていないように感じました。「
谷底に消ゆる古道や青葉冷」
山笑ふ丸太造りの喫茶店 太一(東京)
すっきりできました。ただ「山笑ふ」は動く気もします。「コスモスや丸太造りの喫茶店」とどんな季語も合いそうです。何を持って来ても一句になる句は佳いとは言えませんね。
薫風やボールは空を突き裂きて 茂吉(千葉)
「空を突き裂きて」がいかにも大げさで読み手は引いてしまいます。薫風と白いボールだけを詠めば十分爽快感が伝わってきます。俳句は言い過ぎないことです。「
薫風や空へと白きボール投ぐ」
幼児の確かな歩みや風光る 茂(蒲郡)
分かりますが、よくありますね。「よくある句」と言われないためには「確かな」の部分を作者だけの把握で表現しないといけないでしょう。写生俳句が面白くないと誤解されるのは、この段階で句にしてしまい、同じような句がたくさん作られるからです。本当の写生句は作者だけの感性のフィルターを通して生まれるのです。
初節句詣でる宮に花菖蒲 らっきょ(鈴鹿)
「初節句」と「宮」を言えば「詣でる」は必要なくなります。宮のどこにどのように菖蒲が咲いていたのかなど、もっと言うべきことはあるはずです。「
神苑に菖蒲匂へり初節句」
夏つばめ間口二間の乾物屋 あきこ(東京)
俳句の型というものがキチッとできていますね。「間口二間」と把握されたことで情景がすっと浮かびました。
海桐咲く別荘の軒朽ちかけて 彩華(和歌山)
ご自分の別荘なのか見た別荘なのか分かりませんが、「別荘」まで言う必要が感じられません。それよりも軒がどう朽ちかけているのか、また、海桐がどう軒に関わっているのかなどを写生してください。
遍路旅了る讃岐の白牡丹 はるか(三木)
「白牡丹」に焦点を当てて佳い句になりました。作者の思いを白牡丹が代弁してくれています。ただ「遍路旅」の旅は説明ぽくなりますから普通に「遍路終ゆ」で良いのではないでしょうか。「
遍路終ゆ讃岐の寺の白牡丹」
竹落葉どこまで続く築地塀 康(東京)
「どこまで続く」と読み手に投げかけられても困りますね。詠み手の方で断定すべきことでしょう。「
どこまでも続く土塀や竹の秋」
三叉路の信号待ちに売る苺 ロジー(米国)
面白い句材ですが「信号待ちに売る」は文法的におかしいでしょう。「信号待ちの人に売る」のでしょうね。「
三叉路の信号下に苺売」
夜の海函館とうき聖五月 亜津子(東京)
いつも書くことですが「夜の海」「函館とうき(とおき)」「聖五月」と句がバラバラです。五月でなくても函館は遠いのではないでしょうか。
※帰省の為、添削の返信が遅くなりました。お詫び致します。