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【添削コーナーの廃止について】

 長い間、添削コーナーにご投句いただきました皆様ありがとうございました。
 添削コーナーは終了しますが、これからも伊吹嶺HPを宜しくお願いいたします。



16.08.31

街路樹のすこやかなりし初嵐        奈緒(名古屋)

嵐のあとの安堵感がよく出ています。「すこやか」を具体的な様子で表現できるとさらに佳いと思います。街路樹を詠んでいますが、ご自分のご家族や生活が普段通りに行える安堵感なのかも知れませんね。

渡り鳥子等は水切り競ひをり        蒼天(奈良)

情景はよく浮かびましたが、季節にあわせて更にすみやすい土地へと流離う「渡り鳥」という季語と水切りに興じる子等との取り合わせの極意があまり汲み取れませんでした。(美伽


16.08.30

野分あと鉄路の錆の濡れゐたり       一灯(国立)

十分に句意の伝わる俳句です。視覚もよく効いています。もう少し欲を出していえば、「野分」と「濡れ」が近いように感じます。「野分」の持つイメージから少し離れた感性が感じられると、読み手は「オオッ!」と思うのです。「野分あと鉄路の錆の匂ひ立つ」「匂ひ立つ鉄路の錆や野分あと

病院のロビーに唄ふ赤とんぼ        梟(広島)

「病院で赤とんぼの歌を唄った」「赤とんぼが唄っている」「赤とんぼは季語とするとロビーに飛んでいるのか?」句意が曖昧に感じます。「産院に漏るる歌声赤とんぼ


16.08.28

鈴虫の羽の傷みやちぎれ雲         奈緒(名古屋)

以前の推敲句ですね。「嗄れ声」より「ちぎれ雲」の方が切れがあり、佳いですね。「傷み」ではどう傷んでいるのかやや曖昧です。「鈴虫の羽破れをりちぎれ雲

枕辺で猫咽喉鳴らす今朝の秋        栗主(松本)

「今朝の秋」のすがすがしさが出ていますね。「涼しくなったからいつまでも寝ていないで散歩に行こうよ」とでも猫は言っているのでしょうか。「で」は少しきつい感じです。「枕辺に猫咽喉鳴らす今朝の秋


16.08.27

鶏頭の貫禄みせる里帰り           奈緒(名古屋)

「貫禄」が分かりません。太いのなら太いで良いのではないでしょうか。言葉のおもしろさに頼っていると独りよがりな句に陥っていく危険性が高くなっていきます。「鶏頭の太きばかりや里帰り

豪商の通り土間なる秋灯           町子(神奈川)

豪商の通り土間なる寒灯、豪商の通り土間なる春灯、など季語が動く可能性を感じます。「豪商」という表現には詩情を感じませんでした。どんな(何の)豪商なのか、物で表してみて下さい。今までにお寄せになった句の三分の一位しか切れ字が活用しておられませんので、インパクトが弱い仕上がりになっています。(美伽

ジーンズの押されて入る踊りの輪      一灯(国立)

何となく様子はわかりますが、まだ説明の域を出ていないと思います。詩的な感動といったものも感じられませんでした。(美伽


16.08.26

賽銭の真黒に霧の恐山            太一(東京)

「賽銭が真黒」ということの意味するものがいまいちはっきり感じられません。尚、賽銭(近景)に取り合わせるものが「恐山」という固有名詞ですので賽銭との関わりが薄いまま終っています。(美伽

走り蕎麦挽く石臼の音擦れ          一灯(国立)

「まるで 音をこすっている様だ」と、作者の思いが、出てはいますが、「挽く音」だけの表現の方が、実感が出ると思います。ただ、季語の、走り蕎麦を挽く喜びがのようなものが、滲み出て来る表現にされると、良いと思います。(孝子

手花火の匂ひ残して家の中         香風(芦屋)

感覚的で良いですが、「家の中」に匂いを残したようですね。「手花火の匂ひ残れり庭の闇

友逝きぬ月下美人の咲きし時        越華(福井)

すっと読める句は佳いですね。ただ「時」は瞬間ですので、ちょっと大げさでしょう。「友逝きぬ月下美人の咲きし夜を


16.08.24

神々が棲む稜線や鱗雲            燕子(千葉)

神々が棲んでいると言われている山は沢山ある様ですね。季語の取り合わせは悪くはありませんが、「棲む稜線や」という詠みだけですので読み手にはどんな稜線なのかイメージが湧いてこないのです。よって稜線を修飾する様な季語をも御一考下さい。「初霞湖を抱いて神の嶺々」 金森柑子 という句がありますが神の嶺々が目に浮かんでくる様で
すね。(美伽

早稲匂ふ田づらの風や水の音        一灯(国立)

俳句は感覚の詩だといっても、嗅覚と聴覚の二つを並べられると、果たして作者はどちらに感動したのかがはっきり分からなくなります。つまりこの句の場合は「水の音」が効かなくて余分に感じるのです。「水の音」はそれだけで一句を成すでしょう。「早稲匂ふ田づらの風や千枚田

玉砂利に百日紅降る茶房かな        奈緒(名古屋)

問題なくできています。ただ、このままではそういう茶房があったという説明に近いですので、「玉砂利に降る百日紅」だけに焦点を当てて、一句にされるともっと詩的なとらえ方もできるのではないでしょうか。「玉砂利にこぼれて吹かる百日紅

レガッタの夫の腕や雲の峰           範子(名古屋)

ご主人のたくましい腕が「雲の峰」とよく響き合っています。

独居の古りし窓辺や秋簾            路子(富山)

「秋簾」が佳いのですが、「窓辺」が「古りし」と言いますか?「独り居の窓辺に古りし秋簾



16.08.23

城山の葛の裏風さやぎをり          一灯(国立)

作者はどういったことから葛の裏に風がさやいでいると感じられたのでしょう。葛の葉の揺れている様子(裏返るさまや葉裏の白さなど)をじっくり写生なさり、さやぎ は読み手に感じさせてはいかがでしょうか。そうしませんとほかの植物でも成り立ってしまいそうです。尚「裏風」という言葉は無いと思いますのでおそらく「裏」でいったん切って「風さやぎ〜」と読むのでしょうね、そうしますと、今度は句跨りとなってリズムの乱れが少し気になりました。(美伽

飛騨に湧く霧這ひ登る西穂高        一灯(国立)

山の句はどうしても思い入れが強く、それが固有名詞の使用という形に現れます。この句も西穂高に登った時の感動が出たのだと思いますが、「飛騨」、「西穂高」と異質な固有名詞が2つ入りますと、どちらも強く感じ、焦点が定まりません。固有名詞は1つにするか、どうしても2つにしたいときは、対比的に使うのがよいと思います(例えば、「飛騨」と「信濃」など)。どちらかで再考してみて下さい。「夏霧の尾根這ひ登る西穂高」(隆生

心にもなきこと言へりサングラス       燕子(千葉)

「心にもなきこと」は、作者だけの観念であるため、読み手には何を言ったのかわからず、感動をもたらすことが出来ません。「サングラスはづし入国審査うく」三須虹秋  という句があります様にそのままを写生すること、季語が生きる様な内容を取り合わせることが大事です。(美伽

ビニールの赤き傘さす穂孕み田       一灯(国立)

一読して、感動が、即 伝わって来ると良いですね。この句は、いろいろ解釈出来ます。「傘」を、細かく写生し過ぎて、焦点が傘だけになった為でしょうか。「赤き傘さし穂孕みの田の中に」(孝子

鈴虫の羽の傷みや嗄れ声          奈緒(名古屋)

俳句の作り方として「や」で切った場合、句が展開する必要があります。この句「や」の前で詠んでいる「羽の傷み」と、「や」の後の「嗄れ声」も同じ鈴虫のことを言っていて句に展開がありません。つまり「鈴虫の羽の傷みと嗄れ声」と同じで、切れを作っている効果がないのです。下五をご再考ください。


16.08.22

宮の杜銀杏黄葉の際立てる          寛(海老名)

すっと読んで句意は伝わってくるのですが、「際立てる」という措辞が的確かどうかですね。ほかの樹木に比べて目立つということはわかりますが、どう際だっているのかが知りたいところです。


16.08.21

滝の水棒となり糸となりにけり         燕子(千葉)

中八になっているため、間延びして感じます。俳句は五七調・七五調のリズムを持つ定型です。「棒となり糸となりたる滝の水」(美伽

素手で捕るファウルのボール鰯雲       一灯(国立)

面白い句材ですね。素手で捕ったのですから観客のことでしょうが、やや曖昧な感じも受けます。「ファウルのボール」は普通ファウルボールと言いますね。「素手で捕るファールボールや鰯雲」または「鰯雲ファウルボールを素手で捕る

歎異抄読み返す日の極暑かな         栗主(松本)

ただ読み返した日が暑かったでは報告になってしまいます。切れを入れて内容をふくらます事が必要です。また、作者の伝えたい事が伝え切れていないように感じます。「歎異抄また読み返す極暑かな」「歎異抄読み進まざる極暑かな


16.08.20

鳥渡る前後左右に砂漠往く          ロジー(米国)

面白い句材なのですが、「砂漠往く」の主語がはっきりしません。作者なのか、渡っている鳥なのでしょうか?また、前後左右は何の前後左右なのでしょうか?鳥が砂漠を渡った方が面白いですね。「大砂漠一直線に鳥渡る

秋灯やかな文字ゆかし遺墨展        太一(東京)

季語との取り合わせは合っていますが、「ゆかし」という観念的な表現で結論を出した様に詠まないことが大事です。遺墨展の文字をもっと写生することに依り読み手に床しさを感じさせて下さい。(美伽

サングラス掛け大胆に歩きをり       燕子(千葉)

「大胆に」という言葉は作者が感じて出した結論であるため、読み手には情景が伝わってきません。観念的な表現で手早く結論づけて安心するのではなく、言葉に具象性を持たせてください。「サングラス掛け大股に歩きをり」(美伽


16.08.18

驟雨来て素足の白のまさりけり       雨花(ハワイ)

感覚的でよいのですが、どういうシチュエーションなのかよく分かりません。どんな状況で裸足でいるのか、どうして白さが増すように見えるのか、その背景が見えません。「渚行く素足の白さ驟雨来る


16.08.17

戒名は遊女売女やをみなめし        太一(東京)

をみなめし は漢字では俗に女郎花と書かれてはいますが、季語との取り合わせが近い、と感じさせない様に視覚的効果にも留意なされ、平仮名表記になさったので良いとおもいます。尚、女性らしい繊細な風姿は別名 粟花とも言われ、小さい黄色の花を粟の御飯に例えて「女飯」から「オミナエシ」になったという説もある様です。遊女等の生き様や彼女たちへの思いが季語によく託されています。尚、売女は「ばいた、ばいじょ、まいじょ」などの読み方がある様ですが、「遊女売女」と並べたことで悲しみがよく伝わってきました。(美伽

ノロかけの続く街並油照            雨花(ハワイ)

「ノロかけ」は塗装の特殊用語。句としての作り方は佳いのですが、こういう専門用語は使わない方が良いでしょう。例えばですが「土壁の続く街並油照」のように分かりやすい言葉で表現しましょう。

せせらぎや草の刈らるる墓参道        奈緒(名古屋)

いいたい景は伝わりますが、「墓参道」の措辞が固いですし、「草の刈らるる」がただの報告で終わっています。まず「せせらぎや草刈られたる墓の道」とします。次に草刈りとせせらぎの関係をはっきりさせてみましょう。「草刈つて水音近し墓の道

県分かつ尾根いっぱいに夕の虹        貢人(札幌)

面白い捉え方をされましたが、「いつぱいに」がどういっぱいなのか、よく分かりませんでした。それよりも虹が県を跨いだという方がより詩的ですね。「県分かつ尾根を跨げり夕の虹


16.08.15

せせらぎの岩の間の西瓜かな          雨花(ハワイ)

たぶん冷やしているのでしょうが、このままではよく分かりません。余分な言葉をできる限り省略してみましょう。「せせらぎの岩間に冷やす大西瓜

金メダル時の重さや汗光る            酒呑狸(東京)

まず、句が三つに切れています。「金メダル」「時の重さや」「汗光る」何が一番言いたいのかが分かりませんね。「時の重さ」は読み手に感じてもらいましょう。「汗光る首に重たき金メダル

山荘の門扉朽ちたり灸花             有紀(兵庫)

俳句の形がしっかりできていますね。「灸花」がうまく句をまとめています。ただ「門扉」の措辞は固いですね。「門」または「戸」「扉」で良いのではないでしょうか。「山荘の門のくずれや灸花」「山荘のとびら朽ちたり灸花


16.08.14

鈴なりの葡萄色付く車庫の屋根         たくみ(尾西)

よく分かります。美味しく色づく葡萄が想像できました。ただ、「車庫の屋根」では詩的な興味がやや薄れました。

静かさに蝉のぬけがら夕まぐれ         雨花(ハワイ)

伝えたいことは分かるのですが、一つ一つの措辞がうまく関わり合っていません。「静かさに蝉のぬけがら」がどうなっているのでしょうか?「夕まぐれ」と「静けさ」と作者は蝉の抜け殻からどちらを言いたかったのでしょうか?例えば「静けさ」なら「静けさや空蝉吹かる草の先

赤とんばう旅の終わりの発車ベル       光晴(横浜)

旅を終えて列車で帰る折りの景ですね。赤とんぼの舞う田舎の駅が想像されました。表記上やや読みにくいですので
赤蜻蛉旅の終はりの発車ベル」とされてはいかがでしょうか。理屈ぽく言うと「終はり」と「発車」がややミスマッチな気がしました。

16.08.12

もぎたての南瓜にのこる陽の温み       町子(神奈川)

瞬間をよく捉えてあり、また平明な表現がとても良いです。陽の温みを感じた作者が句の中にきちんと存在しています。恩寵の温みの残る甘い南瓜が浮かびました。(美伽

安曇野や向日葵千本陽に向かふ       栗主(松本)

地名を使うということは、よほどその地名に関しての感動がないといけません。この句、安曇野でなくても感動の質は同じなのではないでしょうか。また、千本は面白いとしても向日葵が陽に向かうというのはいかにも観念的な捉え方のような気がします。知識をそのまま信じて俳句にしても面白みは半減します。

空蝉の葉裏にありて川の音          雨花(ハワイ)

情景は分かりますが、「川の音」が漠然としています。この句に川の音は必要でしょうか?「空蝉」の様子や空蝉がすがる葉の様子をもっと写生するべきなのではないでしょうか。「川の音」に感動したのなら「川の音」を中心に作句すべきです。「空蝉や葉裏に届く川の音


16.08.11

夏手袋夜会の肩の匂ひたち          蒼天(奈良)

匂いを感じられたのが「肩」であったという感性が素敵ですね。季語との取り合わせが効いています。どんな素敵な夜会にいかれたのか知りたくなる様な一句です。(美伽

甘酒に癒す疲れや峠茶屋           太一(東京)

私も初めの頃にこういった句を作りました。確かに自分では感動して作りましたし、調べも決して悪くはないと思いましたので、何故先生に○をいただけないのか不思議に思いました。でも月日を重ねていくうちに、俳句の感動とは日記の様に自分だけにわかる自己満足ではいけないのだとわかりました。この句を読みますと、「ああ、そうでしたか、それはよかったですね」としかいいいようがないのです。特に「癒す疲れ」は言わないで、読み手に「感じとってもらう」様に工夫してみてください。(美伽

煎餅の醤油の焦げや日の盛          雨花(ハワイ)

感覚的に煎餅を捉えようとしたところがいいですね。ただ「醤油の焦げ」は煎餅としては当たり前のことだと思います。「日の盛」と響きあうものを捉えたいですね。「煎餅の焦げる匂ひや日の盛

かなかなやほでりさめたる山の朝       健一(宮古)

「ほてり」が分かりませんでした。夜のほてりが朝にはさめたというのでしょうね。このほてりは誰のどんなほてり?それとも山のほてり?山のほてりとは?朝から鳴いている「かなかな」とどう関係があるのでしょうか?分かりませんでした。

蝉の穴数えていくつ草田男忌         あきこ(東京)

蝉の穴を数えていたときに今日が「草田男忌」であることに気づいたことは面白いですね。こういう草田男忌もあっても良いでしょう。ただ「いくつ」はいけません。何が言いたいのか分かりませんね。「蝉の穴数えてゐたり草田男忌

立ち枯れた大ひまわりに雨ぽつり      奈緒(名古屋)

まず、「立ち枯れた」は口語です。次に「雨ぽつり」はまったく陳腐です。俳句は韻文であることを忘れてはいけません。「立ち枯るる大ひまわりや雨兆す

母の作り給ひしスープ初南瓜         一枝(日進)

おそらくこのスープは南瓜のスープなのでしょうが、この句の形だとなんのスープか分かりません。つまり、俳句は切れますので、「母の作り給ひしスープ」と「初南瓜」は別のものであるべきなのです。「作り給ひし」も必要ないでしょう。「母のスープ」で十分です。「母作る南瓜のスープ涼新た

路線バス大夕立をぬけにけり         りょう(札幌)

素直に作られています。情景もすっと目に浮かびました。おそらく作者はこのバスに乗ってみえたのでしょうね。ほっとした安堵感も感じました。

蚊遣火や夜半も機音響く路地         たくみ(尾西)

うまくできていますね。「 蚊遣火」が雰囲気をよく出しています。ただ「夜も」の「も」という必要はないでしょう。俳句は「も」と言う助詞を嫌います。「蚊遣火や機音響く夜半の路地


16.08.08

風通る城の廊下や百日紅           雨花(ハワイ)

情景は浮かびますが、「百日紅」の位置が曖昧です。まさか、城の廊下には咲いていないでしょう?つまり「百日紅」が動くと思います。例えば、「風通る城の矢狭間や百日紅」とすると城の庭に咲く百日紅と分かると思います。

夏の海藍色に染み波白し           越華(福井)

「藍色に染み」がよく分かりません。「夏海の藍を深めて波白し」でしょうか。

平和の灯水面にゆれて原爆忌        ともこ(西宮)

平和公園の様子が浮かびました。「て」止めが気になります。「平和の灯水面にゆるゝ原爆忌」ただ、あの平和の灯は原爆忌でなくても水面に揺れているのでは?

生涯を絣くくりに盆の父            きぬ(茨城)

正直で無口でまじめで、そんなお父様が想像できました。「盆の父」が動くようにも感じましたが、「盆」だから佳いのでしょうね。

夏山へ一礼五体の捻子を巻く         蓬莱(下田)

「五体の捻子を巻く」独りよがりな表現です。おそらく登山の前の様子でしょう。これから頑張って登ろうという意気込みを詠まれたのでしょうが、もっと素直に詠まれた方が佳いでしょう。ご自分や同行の人たちの昂ぶる様子を写生してください。

八ヶ岳近づいてくる雲の峰           奈緒(名古屋)

こういう句をサンドイッチ俳句といいますが、名詞と名詞に挟まれた「近づいてくる」という措辞が「八ヶ岳」のことを言っているのか、「雲の峰」のことを言っているのか、よく分かりません。「近づいてくる」も説明的で平凡です。

天高し薬いらざる日の来たり         万愉(北九州)

詳しくは分かりませんが、ご病気が治癒されたのでしょうか。「天高し」にその高ぶる気持ちを投影されようとする句の作り方は佳いですね。


16.08.07

朝顔の種何粒か盆客に            燕子(千葉)

お盆の客に朝顔の種をあげることがどう詩となるのか分かりません。何でも詩になるのではなく、作者の「ああっ!」という感動が無ければただの報告でしかありませんね。

校庭の蛇口みな空向けり夏          康(東京)

夏らしい景ですね。よく見られましたね。言葉のリズムが変わっていることで、「夏」が強調されました。


16.08.06

背を向けて銭勘定すトマト売り        樹炎(福岡)

句材は面白いのですが、「銭勘定す」が固いですね。「背を向けて」はよく捉えられました。「背を向けて釣銭数ふトマト売り

草笛に返す口笛千曲川            太一(東京)

面白い句ですね。静かに流れる千曲川が目に浮かんできました。対岸同士の、しかも見知らぬ同士の草笛と口笛に思いたいですね。でも、あの広い千曲川だと対岸には聞こえないでしょうね。

一筋の光の果てや花火咲く          茂吉(千葉)

よく分かります。ただ「咲く」はいらないと思います。「咲く」があることによって句が理屈ぽくなります。「一筋の光の果てや大花火

歳三のドラマ見終へし盆の月         奈緒(名古屋)

よく分かりません。「歳三のドラマ」と「盆の月」の間にどのような詩的な関係があるのでしょうか?作者の感動したことが分かりませんでした。


16.08.05

波打ち際神輿乱舞の夏祭り          かな(神奈川)

「夏祭り」と強く置かれていますので、「神輿」との季重なりはあまり苦になりませんが、「夏祭り」の措辞がなくても夏祭りであることは想像できますよね。言葉がもったいないので、季語は「神輿」だけにして「乱舞」の様子をもう少し詳しく描写してはどうでしょうか。「荒神輿波打ち際をうねり行く

昼顔やよちよち歩きの声弾み         奈緒(名古屋)

昼顔と赤ちゃんの取り合わせは面白いですが、「よちよち歩き」に感動があるのか「声」に感動があるのかよく分かりませんでした。焦点を絞ってみましょう。「昼顔やよちよち歩きの赤き靴

吾亦紅稜線しるき八ヶ岳            光晴(横浜)

近景と遠景をうまく捉えられました。うまくできていますが、「稜線しるき」はよく見かける措辞ですので、作者らしい目の利いた写生がほしいところです。

かわたれの瓜坊二匹草に入る         樹炎(福岡)

面白い句材ですね。なかなかこういう景は見られないでしょう。田舎の夕暮れ時が想像できました。ただ「かわたれ」は「かはたれ」と表記します。

鬼百合の深閑として日に赤し          せいち(城陽)

 一応句意は伝わってきましたが、「深閑として」「日に赤し」とやや大げさな言葉が気になります。「静けさや日に鬼百合のあかあかと」ということでしょうか?

風ぬめり肌ぬめりけり夕立前          治彦(千葉)

捉えようとされているのが感覚的でとても佳いのですが、表現的にややくどい感じをうけます。「風」のぬめりだけで抑えた方が良いと思います。「海よりの風にぬめりや夕立前

甘い香の桃そつと手にそつと剥く      万愉(北九州)

全体に説明しすぎです。「そつと」のリフレインも作者は「できた!」つもりなのかも知れませんが、あまり効果的ではありません。「てのひらの桃を飽かずに眺めをり


16.08.03

泣き叫ぶ幼子背負う夏帽子         燕子(千葉)

このままでは報告に過ぎません。どう泣いているのか、どう背負っているのか、そこを読み手に感じさせないと詩にはなりません。見たものそのままですが、詩に昇華するまで見ていないのです。

海に向く高層ホテル鰯雲          範子(名古屋)

情景が伝わってきますね。青い海に白い雲、まさにバカンスという感じです。ただ「高層ホテル」が説明的です。「高層」がいるでしょうか。「海に向くホテルの出窓鰯雲

二人酒烏賊釣船の幾艘や         たくみ(尾西)

雰囲気のある句ですね。奥様との二人酒でしょうか、それとも友人とのお酒でしょうか、沖の烏賊釣り船を眺めながらのお酒、さぞ美味しかったと思われます。ただ、「幾艘や」では曖昧ですのでもっと即物的に写生してみましょう。「二人酒烏賊釣船の灯のあまた


16.08.02

脚たたむ牛の目細き夏野かな       太一(東京)

「牛の目細き」が写生でいいですすね。のんびりと横たわっている牛が浮かびました。ただ季語が合っていない感じがします。ご自分の思いを代弁してくれる様な季語を御一考下さい。(美伽

四つ角を行きつ戻りつ荒神輿        町子(神奈川)

情景が見えますね。ただ深い感動が伝わってこないのは「四つ角」という場の設定に問題があるのかも知れませんね。「四つ角」ではあまりに安易な気がします。「行きつ戻りつ」もよくある措辞です。

もぎ取りし葡萄の跡の青き空        蒼天(奈良)

うまく捉えられました。葡萄を採ったあとのスペースに広がる青空が見えてきました。

軽井沢くまがあばれる夏の夜        亜津子(東京)

ニュースでも見られて作られたのでしょうが、俳句というより報告です。ご自分の感性で捉えたものがないからです。

涼風や音は夕餉の支度らし         たくみ(尾西)

「音は夕餉の支度らし」がもったいつけた表現で感心しません。「音は」と言われてもどんな音なのでしょうか?例えばまな板を叩く音なら「支度らし」と「らし」をつける必要もないでしょう。「涼風や夕餉支度の○○音」「涼風や夕餉支度に○○叩く」などご推敲ください。

16.08.01

演奏の終わるや響く咳あまた        美智子(シドニー)

実感できますね。特にクラシックなどのコンサートでは、それまで我慢していた咳やくしゃみが、演奏が終わったとたんあちこちから聞こえてきます。句としては「終わる」「響く」と動詞が続くところをどうにかしたいですね。また、「終わる」は「終はる」と表記します。「演奏が終はりたちまち咳あまた

絶え間ない密入国者夏の月         ロジー(アメリカ)

こういう時事俳句は難しいですね。その点、すっきりとまとめられました。口語を文語表現に変えてみましょう。「絶え間なき密入国者夏の月

夫には見られたくなきサングラス      燕子(千葉)

なぜ見られたくないのでしょうか?まったく分かりません。「見られたくな」いと感情を述べるよりも、具体的な作者の行動を通して読み手に感じさせることが大切です。例えば「サングラス掛けて妻にも行くところ 緋奈夫」「サングラス人の妻たること隠す 克巳」「夫を子をすこし遠ざけサングラス 怜子」などのように。

夕雲の少し黄色き厄日かな        蒼天(奈良)

すっとできた感じで佳いですが「少し黄色き」は説明調です。「夕雲に少し黄の差す厄日かな