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いぶきネット句会たより

    


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このページは2014年1月号〜2015年12月号を掲載しています。

 いぶきネット句会たより(2009年〜2013年)



結果せぬ西瓜の蔓の伸び放題 顛末記

市川克代 (北名古屋) 2015年11月号

 十年程前空き家となった隣を買って畑にし、夫が、野菜作りを始めた。直ぐに、じゃがいもや大根を始め苺などの収穫も楽しめる様になった。そこで三、四年前からあこがれの西瓜作りに挑戦。昨年は、種ありや種なしの西瓜がよく出来た。殊に黒っぽい皮の種なし西瓜はおいしくて、西瓜好きの母は無論のこと、西瓜の黒い種を嫌がる孫もよく食べ、皆に好評だった。

 自信を得た夫は今年はこの黒皮の種なし西瓜をもっとおいしく沢山作ろうと張り切って準備をした。土を耕し、継苗を五本買い、農協ではお勧めのちょっと高い肥料を購入した。苗は順調に育ち、教えに従って余分な蔓はカットし、水をやり、日よけを外し、肥料を足し、稲藁を敷くなど、手入れの甲斐あって、五本の苗はドンドン生長し、次々に花を咲かせた。

 さてここからが私の仕事。毎朝勝手口から畑に出て、雌花に受粉させる。今朝は何個受粉させたよなどと夫に報告、早く大きくなれと楽しみにしていた。

 ところが、西瓜の実(子房)は一向に大きくならない。変だなと思ったのが七月始め。その間も蔓は元気よく伸びて狭い畑からはみ出す勢いである。私は、野菜作りの本を見て連作障害ではないかと思ったが、夫は継苗だから大丈夫のはずだと言い、蔓が伸び過ぎて実に栄養が回らないのではとか、甘みを増すとかいう高い肥料が良くなかったのではとか、色々考えていたようだ。連作障害を疑った私は違う畑の雄花で受粉をしたらいいかもと思いついて、近所の畑のおじさんから雄花を貰い、冷蔵庫に入れておいて、毎朝受粉作業を続けた。そのうちに西瓜の実は何個か育ち始めたが、日照り続きで水やりが大変だった。夫が、その苗を買った苗屋で、「かくかくしかじか」と話すと、苗屋の婆さまに「そりゃあ、あんたさん、種なしの苗ばかりでは実が出来るはずがないわね」とあっさり断言された。私は内心雄花を貰って良かったと思った。

 しかしである。その後大きく育った西瓜を切ってみると、どれも水分不足のせいか、いわゆる棚落ち状態で、悔しさのあまり食べてはみたが、去年の西瓜の味にはとても及ばない。雄花が草臥れていたのか、日照りのせいか、ともかく今年の西瓜作りは終わった。

 友人にこの顛末を話すと「種なしの作物が増えているけど子供にはあまり食べさせない方がいいらしいよ」と西瓜作りから近頃の出生率の低下に話が及んだ。



俳句はじめ    新井 酔雪(岡崎) 2015年10月号 

     
 

 俳句に出会ったのは、丁度五十歳のときである。きっかけは、職場の上司が俳句をやっていたこと。特に勧められたわけではないが、趣味のなかったわたしは、自分も俳句をやってみようと思ったのである。

もう一人の上司は、休日になると電車に乗って出かけ、あちこちを散策していた。それならわたしは、あちこちを散策して俳句をつくろうと思った。つまり吟行である。しかし、当時はそんな言葉さえ知らなかった。

初めて出かけた場所は、名古屋市千種区の覚王山日泰寺とその周辺である。なぜその場所かといえば、「ふるさと あいちの散歩道」(愛知県教育振興会)の第一巻の一頁目に載っていた場所だからである。

散策は楽しかった。知らない土地を歩くのは楽しいし、自然、歴史、文化財などに触れるのも楽しい。しかし、俳句はさっぱりだった。一句もできなかった。たった十七音なのに一句もできないのである。

その日の帰り、本屋に立ち寄った。藤田湘子著「新20週俳句入門」(立風書房)が目に入り、すぐに購入した。「20週」というところに惹かれたのである。そして、この本の中で推薦していた「入門歳時記」(角川書店)を購入した。この二冊が初めて買った俳句の本である。

数カ月の間、毎週のように出かけ、俳句をつくっていた。そうこうしているうちに、うまくなりたい、いい句をつくりたいと思うようになった。第一自分がつくった句が、いい句かどうか分からない。

上司に相談すると、句会に入るか、俳句結社に入るといいと言われた。いきなり句会は自信がないので、俳句結社に入ることにした。いずれ句会に入ろうと思っていたので、県内の結社をと考えた。

「伊吹嶺」は、即物具象を標榜しており、インターネットも充実していた。見本誌を求めると、栗田先生からお電話をいただいた。驚くやら、恐縮するやらで、これは「伊吹嶺」にお世話になるしかないと思い、入会となった。


 

鮒鮨の旬     浜野 秋麦 (彦根)      2015年9月号  

  鮒鮨や彦根の城に雲かかる

蕪村の有名な一句です。彦根が詠まれた句といえばこの句が浮かぶというのは、私だけではないでしょう。

 この句の情景は、季語「鮒鮨」が夏ですから当然、夏の真昼。湖畔の茶店で鮒鮨を賞味していると彼方の彦根城の上に一片の白雲が浮かんでいる。と云ったところでしょうか。

 しかし、鮒鮨を良く知っている「近江の人」の中には、ん?と思う人もあるかも知れません。夏が鮒鮨の旬とは考えられないからです。

 鮒鮨づくりは、春に捕れたニゴロブナ(琵琶湖の固有種で、この減少が価格の高騰に繋がっています)を塩漬けすることから始まります。鱗と、卵巣を除いた内臓すべてを取り、文字通り塩の中に漬け込みます(この工程を「塩切り」と云います)。

 夏の土用の頃に塩切りした鮒を取り出し、丁寧に水洗いし、一日くらい干してようやく飯漬けとなります。桶の中に飯と鮒を交互に詰め、落とし蓋、重石を乗せ、水を張ります。こうして漬け込んだ物は晩秋には食べられますが、正月のご馳走として食卓に供されることが多かったようです。鮒鮨の季節としては冬の方がピンと来るような気がします。

 鮒鮨が夏の季語となっているのは、「鮨」の副季語と位置づけられているからでしょう。「鮨」は当然「なれ鮨」で飯を使って乳酸発酵させる食品ですから夏に作るのが最適です。乳酸菌は高温下で優先的かつ急速に増殖するため良好な発酵が得られるのです。なれ鮨でも多くの物は数日で食べられるようになります。熟成に長期間を要する鮒鮨が例外であったのかも知れません。

 「鮒鮨」が秋とか冬の季語であったとしたら、蕪村の句の鑑賞もだいぶ違ったものになっていたことでしょう。でも、やっぱり彦根の城には夏雲の方が似合っていそうな気もします。


「俳句ってなあーに」  橋本 勝行(一宮) 2015年8月号    

               

 私の購読している「中日新聞」に平和の俳句を募集しており毎日朝刊に記載されています。選者は金子兜太氏といとうせいこう氏です。

七月四日の新聞には、「私の選んだ平和の俳句」のタイトルで有名人の三名が選ばれた俳句が記載されています。

その三句は

 シベリヤの捕虜六年で貝になる

   平和とは坂に置かれたガラス玉

  立ち止まり犬と平和の風を嗅ぐ

当日の一面には平和の俳句として次の句がありました。

一炊の夢の戦後か夏椿   鈴木まさゑ

 広辞苑で「俳句」の意味を調べると「季題や切字をよみ込むのをならいとする」と書いてありますし、俳句には季語が必要であると思います。

三名の選ばれた俳句には季語が無いと思います。上記四句の中では、鈴木さんの俳句が季語もあり佳句と思います。ネット句会では季語の無い俳句は選ばれません。

中日新聞の読者が五・七・五ならば季語がなくても俳句であると認識されると困ると思いつつ毎日紙面の平和の俳句を読んでいます。

  

我がふる里    西村 信子 (北名古屋) 2015年7月号    

 生まれも育ちも京都。

遊び場は清水寺。夏には音羽の滝壺が水泳場。水の冷たさに泳ぐと言うより足を浸す。

中学校の前は六波羅蜜寺。私達は「六波羅さん」と呼び、昔は荒れ果てたお寺でした。六波羅さんを取り囲む道は不思議な道が多く、行き止まりかと思えばL字の道や抜路地と子供心にも楽しい道でした。

その中でもっとも怖い道は「六道さん」と呼ぶ六道珍皇寺。怖いもの見たさで学校帰り、友と六道さんの鐘楼を覗く(幽霊の人形が置いてあった)。覗いてはキャアと走り六道を抜ける。あとは八坂の塔の横の急坂を登り家路へ。

子供の頃の二年坂界隈は静かで春、秋ぐらいは人出も多くなりますが、真夏ともなれば閑散として人一人通らず鎮まりかえる。

土曜の昼からは会社の寮から謡のお稽古が洩れ聞こえ昼寝の夢うつつに聞く。

六月に入ると旅館の一室から祇園囃しの練習の笛の音が夜風に乗って聞こえる。お囃子が聞こえだすと、「祇園祭や!」と心が弾み、我が家も「コンコンチキチンコンチキチン」と口遊み浮かれ立ちます。今では考えられない程、のどかな良き昭和時代。

結婚を機に転勤で転々とする。まさかこの地、北名古屋が終の住処になるとは思いもよりませんでしたが、自然豊かな町にも馴染み、良き友にも恵まれる。

俳句を嗜むようになり、あらためてふる里の好さを再確認しています。



万 年 筆    松井 徒歩 (名古屋) 2015年6月号

句会での筆記、普段のメモ、日記等、以前は鉛筆かボールペンだったが、今は万年筆を使っている。

高校の進学祝に万年筆を貰った記憶があるが、当時ビックのボールペンが流行りだしたので使うのをいつの間にかやめてしまった。

それが去年の秋、雑誌「サライ」付録の万年筆を使ってみたら中々の書き味で虜になってしまったのである。

それなりの万年筆が欲しいのだが、妻の目が気になるので千円から三千円の安価なものを数本買い求め、パイロットの露草、ペリカンのロイヤルブルー、パーカーのブルーブラックの三種のインクで楽しんでいる。

句会提出の短冊も、句の内容に応じてインクを使い分けている。
勿論清記の段階で第三者の筆跡に替わってしまうのであるが私のそれなりの儀式なのである。

いつの日か奥の細道のような私なりの紀行文を万年筆で認めてみたいと夢見るのは欲張りであろうか。



遍路装束の移り変わり
  宇都宮 えみ  (愛媛)
2015年5月号                           

脱ぎ捨てゝ冥土姿へ更衣    沢木欣一

掲出句は、沢木先生が昭和五十四年三月下旬、四国巡礼の旅で詠んだ「遍路」三十句の冒頭句である。菅笠・白衣・手甲・脚絆・頚から札ばさみ、数珠・頭陀袋を提げ、金剛杖を持つ遍路姿に変身したと沢木先生は、著書「俳句の基本 私の俳句吟行」で語っている。

愛媛県歴史文化博物館編集の、「四国へんろの旅 絵図・案内記と道標」の解説を借りるなら、遍路絵馬に描かれた遍路の姿として、瀬戸内海の野忽那島(松山市)宇佐八幡神社には、明治十七年の四国遍路絵馬が奉納されている。

絵馬には男性五名、女性十名、女児二名の計十七名の遍路の姿が鮮明に描かれている。それによると、当時の遍路衣装は、現代の白装束でなく、縞や格子柄、紺木綿などの着物を着ていることがわかる。また、遍路道具を見てみると、頭に菅笠を被り、首に「奉納四国中」と書かれた札鋏みをかけ、手甲で覆われた手には杖を持ち、脛に脚絆を付けている。全員の菅笠の前側に書かれた「い」の文字は、伊予国の遍路を意味する。下部には絵馬を奉納した十七名の願主の名前が記されている。

女性が多いのに驚かされる。松山周辺や島嶼部は、明治から昭和初期にかけて、通過儀礼として若者遍路の習俗が盛んな地域であった。娘遍路には母親や祖母が付き添い、見聞を広めて嫁に行ったという。

愛媛県内子町出身の地理学者・村上節太郎が、愛媛の人々の暮らしや産業、町の賑わいを中心に撮影した写真資料の中に、四国遍路の遍路道の風景も撮影されている。

昭和九年、畑野川(久万高原町下畑野川)の遍路宿の写真に見える遍路は、菅笠を被り、杖をつき、木綿の着物を着て、地下足袋をはいている。背中に運搬具を付け、白布で包まれた荷物を背負っている。

昭和三十三年、四国霊場六十一番札所香園寺の参道の入り口付近で撮影された、夫婦と思われる二人組の遍路は、ともに菅笠に白装束姿で頭陀袋をさげ、地下足袋をはいている。また、男性は首に納経帳ばさみをさげている。

昭和に一般化した白装束も、戦後の混乱期を経て、やがて遍路の服装として定着する。

最近では、「若者は白装束の遍路衣装に抵抗を感じているのでは」との考えから、デザインを学ぶ専門学校生らが、ピンクや青などカラフルな遍路衣装を考案したことも話題になっている。

先日、地元の若者と変わらない服装の、まだ少年のような「お遍路さん」とすれ違った。

人混みの中、二・三メート先の道を見つめ、歩き続ける。そのひたむきな眼差しに、心の中ではあったが、おもわず手を合わさずにはいられなかった。


いぶきネット句会に参加して 弓野スミ子 (静岡) 2015年4月号

ドキドキしながらいぶきネット句会に参加申し込みをしたのは、3年前。

国枝様からの加入紹介が終わったとたん、全国のいぶきネット句会の皆さまから歓迎のメールが受信欄にみるみる届き、びっくりするやら嬉しいやらでした。なるほどネットで繋がるとはこういうことかと思いました。

ネット句会の真骨頂はやはりチャットでした。それぞれの投句に疑問や質問、添削そして感嘆の声。いろいろ交わる全国からのご意見にいつもどきどきしながら参加。作品だけでなく添削にもそれぞれの方の色が出るのも楽しいものでした。残念だったのは、自分なりに添削したものを発信できなかったこと。自信をもって発言するには、やはりチャット予習にかける時間が十分でなかったと反省です。

俳句やチャットのメッセージでこんな人かなと想像していた方々にお会いできたのが、ネット句会オフ会でした。家庭の事情でなかなか参加できませんでしたが、やはり初めて参加した蒲郡豊橋のオフ会は新鮮な驚きでした。同じ場に身を置きながらこんなにも見るものがちがうことと、そして湧きあがった思いを五・七・五の言葉に収めこと、「即物具象」の一端に触れることのできた大事な時間となりました。

皆様にご指導添削を受けながら毎月五句投句するは楽しくもあり苦しくもありでした。不十分な句ではありますが、自分の中の過ぎた時間を俳句の中に込めることができたとも思います。

 福島を訪れて

瘤太きしだれ桜や地震(ない)の里  スミ子

娘の晴れの日をむかえて

春近し聖書を抱き婚約す   スミ子

 桜が咲き始め、娘も医療奉仕団の一員として連れ合いとアフリカに出発します。これからどんな時間が流れるか楽しみです。

いぶきネット句会は、皆様とご一緒に俳句の世界に浸かる豊かな時間です。


俳句の勉強    西居トンボ (草津) 2015年3月号       

 伊吹嶺に入会して一年になる。残念ながら、まだまだ俳句らしい句は作れていないが、句会のお陰で作句が楽しくなってきたことは確かである。

句材を探しに出かけることは多くなったし、用事などで出かけた時も句材がないかといろんなところが気になる。

さて、作句の勉強をいろんな教材でやっているが、添削例を教材にするのが一番効果があるように思う。

毎月の句会による添削例を初めとして、WEBや俳句雑誌、添削専門書などである。文法的なことに始まり、季語のこと、説明・報告になっていること、無駄な言葉、ふさわしい言葉、表現の順序などの指摘があり、結果としての添削例を示される。原句が俳句に様変わりしているのである。なるほどと感動するばかりである。

だが、指摘されていることが作句に反映できていないのが現状であるが、続けていくことで少しでも改善することを願い、今日も作句に取り組んでいる。                


 合評会      野崎 雅子 (名古屋) 2015年2月号 


 毎月十五日、十六日午後九時ちょうどにパソコンの前に座り、チャットルームに入室する。パソコンの画面を凝視すると、進行係の方の「九時になりました。始めましょう。」と、書き込みがある。投句に付いている番号が出、その句に対する意見が次々と書き込まれる。それをわすれないように、投句一覧表の横にメモしていく。

そして、自分の句の番号が出ると、とても緊張する。「これは、どういう状況で詠まれたのですか」と、質問が書き込まれる事がある。キーボードを打つのが遅いので、単語で答えるのが精一杯の私。それを察知してくれ、そういう状況でしたらと、即座に添削した句を提示してくれる。拙句が直ちに佳句になる。すごいと感動していると、もう画面は次に移っている。

このように、一時間があっという間に過ぎる。投句一覧表のメモは、真っ黒になっている。それを見て、沢山の事を学べたと確認でき、充実感でいっぱいになる。

毎回、限られた時間に、投句された句の殆どを合評し、納得できるまで合評される。

これは、偏に部長はじめ同人の方々の、ご尽力のおかげと、感謝している。それと、会員の方々の俳句にたいする熱意ある姿勢にあるのではと思う。

私は、入会してまだ一年にも満たないが、もっと研鑽を積み、肩の力を抜いて参加できるようになりたいと思っている。


旅先での投句の愉しみ  梶田 遊子(名古屋)2015年1月号    

 私は、これまで転勤や出張、さらに大好きな旅や出歩くことで多くの地を訪れてきた。俳号である「遊子」の由来もそこにある。特に、数年前に俳句を始めてからは、出かける機会がさらに増えた。訪れた地の風物にじっくりと触れ、感動や発見を手帳に認め、俳句として詠むことを意識してみると、独り旅や独り吟行もなかなか面白い。

ここ三年ほど前から、訪れた地に投句ポストがあれば、推敲して投句することを心がけている。そんなことを継続しているうちに句歴の浅い私でも、選に入る機会が生まれてきた。望外の喜びを味わうとともに、俳句活動に対しても大きな励みにもなる。また、さらなる楽しみは記念の句集やホームページに掲載されたり、賞品が頂けることである。その賞品がその土地の名産品等であれば、より一層嬉しい。その土地との関わりがさらに深まったと実感できるからである。そんな訳で旅先での投句が最近愉しみになってきた。この一年で選に入った句をここで紹介したい。


トンネルを抜けて因幡の薄紅葉    

(岡山県津山市)

松島の小島眺めて夏深む       

(宮城県松島町)

秋扇旅の古城に忘れけり       

(愛媛県松山市)

 


柔らかな心    市川 克代 (北名古屋)2014年12月号
  

新聞の投稿俳壇で知人の句を見つけた。次の一句である。

   鶏頭のまだやはらかき朱色かな

選者の評は「この朱色がやがて秋の大気の中で鮮烈な色となってゆく変化を予想させる」とあった。

一読、鶏頭の触れてみたいような柔らかい感触を私は思い浮かべて、〈やはらかき〉がこの句の味わいと思った。   

選評の「やがて鮮烈な色となる変化を予想させる」ところまでは思い至らなかった。〈まだ〉は「時が来れば期待される状態になるが、今はそうでない」の意味がある。

長年俳句に親しんできたが、一向に進歩がない。対象物を客観的に描写しようとしているが、言葉だけで心が伴わない。どんな心で物を見ているかが大切と今頃気づいた。

掲句の作者を存じあげているだけに、彼女の柔らかな感性が、燃え立つような鶏頭ではなく「まだやはらかき」鶏頭の朱色に心惹かれたことと得心した。

文は人なりというが、わずか十七文字でもその中に人間性が表われる。素直な心で優しくありたいと思う



一ヶ月のサイクル    新井 酔雪 (岡崎)2014年11月号 

                   
 五日、十日、十五・十六日、二十四日。

種明かしをすれば、この日付は、いぶきネット句会の日取りです。五日=投句締め切り、十日=選句締め切り、十五・十六日=合評会、二十四日=句会報締め切り、となっています。普通、句会と言えば三時間程度で終了となりますが、インターネットで行うとこのような日取りとなります。そして、合評会と句会報締め切りの間には、同人の方による添削指導があります。合評会と添削指導は、人に自分の句を見てもらえるよい機会となっています。

「いぶきネット句会」の流れの中に、日々の作句、二週間に一度の独り吟行(県内散策)、月末の「伊吹嶺」への投句が入ってきます。ほぼ一ヶ月にわたる「いぶきネット句会」ですが、俳句のある生活のサイクルを生みだしています。自分にとって、大変ありがたい存在です。

俳句を止めることは、生涯ないと思います。これからも「いぶきネット句会」の一ヶ月のサイクルの下、俳句を学んでいきます。そして、いつの日か、何処かの句会に入れていただこうと考えています。いつまでも、俳句を楽しみ、週二度のお酒を楽しんでいきたいです。



出会い      野崎 雅子(名古屋)  2014年10月号       

 昨年の十月二十日に、伊吹嶺全国大会が静岡市であり、出席した。新幹線の中で、先生や句会の仲間に、最近なかなか句を作れない事、それとやっと作り推敲して出来た句より簡単に作った句の方が句会で採られたりして、わからなくなってきていると、悩みを相談した。それに対して、誰もが皆そういう経験はするという事、又多くの句にふれる事が大切であるというアドバイスを頂いた。

全国大会の第三部では楽しみにしていた河原地英武副主宰の講演があった。講話の中で、俳句を作るという事は、環境問題にも関わり、又歴史的仮名遣いの継承をしている事等により、俳句をやっているだけで、そうでない人よりはるかに大きな社会的役目を果たしている。その事に自負心をもっていいと言われた。それを聞き、今までの自分は無意識にいつも人と比較して、自分に自信が持てなかった。それでいて人に認められたいという自意識過剰の所があったという事に気付かされた。俳句を作る、俳句と向き合う、それだけでいいのだと、肩の力が抜けたのがわかった。

帰路、新幹線の中の私は、生涯やる事が出来る趣味に出会えた喜びに満たされていた。



 俳句の楽しさ       橋本 勝行(一宮)     2014年9月号

趣味として楽しんでいる俳句ですが、ネット句会に所属していますので投句、選句という作業があります。皆さんが苦労して作句された中から五句しか選べませんので苦労します。主宰と同じ句が選句できればと、いつも苦労していますが、一致しないことが多いようです。六月分の選句をしてから「伊吹嶺俳句教室」の「俳句推敲十箇条」を読み直して、再度選句しましたが一致しませんでした。

 今回「伊吹嶺俳句教室」の主宰の講義内容を読み直しましたが、忘れていたことばかりで再度勉強することにしました。俳句は言葉探しであり、単語を正確に理解することの重要なことが講義されています。俳句工房を持つことも勧められています。

 私の住まいは農村地帯で現在は田植が終わり、少し足を延ばせば雉の鳴き声も聞くことができます。大変贅沢な場所に住んでいると思います。

 「伊吹嶺俳句教室」は、三年分保存していますので、私の宝物として勉強して作句力を向上させて行きたいと思います。


 感 謝    西居 トンボ (滋賀) 2014年8月号 

                    
 私が俳句に興味(意識)を持ち出したのは、NHKのフォト5・7・5を見てからである。しかも、ほぼ毎回滋賀県の方が入選され、親近感を持ったのかもしれない。

で、昨年初めに通信教育で勉強を始めた。課題の投句をして添削を受けたが、もう一つ要領を得ない。自分の問題が何かが分かってこない。

これではダメとWebで俳句結社を調べている中で「伊吹嶺」を見つけた。紹介を読んでこれだと嬉しくなった。とにかく、すべてがネット上で済んでしまうことが何よりであり、添削の例をみて自分に合っているのではと即入会することに。

初回の投句をこの4月に行い評価をいただいたが、「俳句には程遠いと」いうことを思い知らされた。

指摘いただいた「即物具象」・「歴史仮名遣い」と「推敲に時間をかけること」を心がけ、毎月一句でも選句に入るように精進したい。そのためには、出不精だが、毎月の句材探しにウォーキングを兼ねて外へ出る機会を増やさないと。入会して二ヶ月だが、伊吹嶺に出会えたことに感謝している。


ひとりごと    宇都宮 えみ (愛媛) 2014年7月号                              

 俳句と殆ど縁の無かった私にも、「ネット句会」との偶然の出会いがあり、愛媛から参加して半年ほどになる。

一回目の添削のご指導で、「選句された句は、どうして選ばれたのか考えなさい。」とのご指摘をいただいた。今は分からないが分かりたいと思った私は、俳句を知るため本屋、図書館へ通うようになった。ところが、読むほどに分からなくなり、今は闇の中に落ち込み、バタバタしている。

 また、「多くを作り、多くを捨てろ」と書かれた入門書に疑問をもった。せっかく作句したものを、捨てるなんて! でも、最近なんとなく、余計なことを考えなくなったような、目の前が明るくなったような気がする。「捨てるのは、雑念なのかも!」俳句を詠むことで心が解放され、浄化されているのかもしれない。

 そういえば移り変わる季節に敏感になり、自然と向き合い、自然がより身近に感じられるようになった。闇の中にいても、自然も微笑んでくれている。

 俳句の道は、遙か彼方に見えるが、いや、暗闇では見えないはず。今は見えないでいる自由を楽しむことに・・・。


灯がともる   西村 信子(北名古屋)  2014年6月号

             
 母の忌に妹が色紙に母の句を書いて来ました。
 その句を読んだ時に涙が溢れ、俳句でこんな事も詠んでいいの〜との思いから、俳句を詠みたくなりました。まず「通信講座」を受け始めその中で俳句のイ・ロ・ハ・を教えて頂きました。

 五年目に入り「文法」「切れ」「リズム」などが解らない事ばかりで、教えて頂ける方も無く、そんな時に「伊吹嶺」へ入会、縁あってネット句会に出会う。本格的な句会を知らない私には、チャットでのご意見や丁寧なアドバイスに感謝です、文法の事も飛び交い解らなかった事も少しずつ理解できる様になり、一言も見落とさない様に必至でパソコンに見入っています。

 もう一つの楽しみは九州、東京、長野と郷土色豊かな俳句に巡り合え、お祭・神事などのお話しが話題にのぼり、是非足を運んでみたくなります。

家に居て句会に参加出来る喜び、ネット句会ならではです。伊吹嶺の「即物具象」「平明」の難しさに苦労していますが、ご指導のお陰で遠くに灯りが見えて来ました。俳句を力に元気を頂いています。



伊吹嶺賞    松井 徒歩 (名古屋)  2014年5月号      

                    
 昨年の一月半ばに訪ねてきた友人が一冊の本を置いていった。このエピソードから一句出来上がったのだが、この句を眺めているうちに「日脚伸ぶ」から「夏来る」まで句を作って「伊吹嶺賞」に応募しようと急に思い立った。

 前回の「いぶきネットたより」で書いた「普通の街なかの句を作ってみたい」という願望を生業の句を混ぜながら実践してみようと思ったのである。

 何せ初めての経験なのでとにかく外を歩き回り、理容業の自分の店を観察し、思い立つままに句を作りはじめた。十句ぐらい句が集まると、ここに梅の句ここに桜の句と、全体像がおぼろげながら見えてきて、手ごたえが掴めかけてきたのである。結果的には「初仕事」から始まることとなり、十句、十二句、十五句と増えていく句を毎日眺めながら、新しい句と入れ替えたり、並べ替えたり、推敲したりと、満足にはとても届かないのだが、すこしづつは良くなってきているという実感はあり、今思い返せばとても楽しい体験であった。

 もちろん今年も「伊吹嶺賞」に挑戦するつもりである。


即物非情    荒川 英之(半田)    2014年4月号 

  かりかりと蟷螂蜂の皃を食む    誓子

 山口誓子の代表句である掲句について、沢木欣一先生は著書『日々の俳句』(求龍堂 昭581)に、

「かりかり」という擬音が絶妙。もちろん音などするはずもなく虚音であるが、即物非情の感覚が従来にない新しさを示す。

と述べられ、〈かりかり〉を「虚音である」と断定された。

 ところが、昨年の夏に六歳の息子が、オオカマキリを捕らえ、生きたバッタを餌として与えたところ、まさしくカリカリと乾いた音を立ててカマキリはバッタの脚を食べはじめたのだ。私はしばしその音に聞き入った。生き餌を与えるのは残酷だと感じる人もいるかもしれない。しかし、沢木先生が述べられた「即物非情」を感受した上で、捕食者と被食者の生命をいとおしむ情をもつことは、わが子の成長にとって大切なことではなかろうかと思った。

 カマキリはバッタを食い尽くしたかのように見えたが、あとに二枚のだけがきれいに残されていた。妻は、「カマキリも不味いところは残すのね」と笑った。

  ばつた食ふ蟷螂翅をあましたり    英之



伊吹嶺の句会     東口 哲半 (京都)  2014年3月号
 

 
これを書いておりますのは十二月も中旬を過ぎた頃、街の様子もずいぶん慌しく感じられてきました。多くの方がそうかもしれませんが、私は毎年この時期になると、月日のたつ早さを嘆いては、今年の俳句生活がどうだったのかを自身に問い掛けています。

私のなかでは、今年、京都に句会が出来るという大きな動きがありました。俳句は『いまわれ ここ』を詠むものといわれていますが、毎月の句会でメンバーと顔を合わせていますと、句作のそれとは別に、今日の場がそれぞれの人生の『今』で成り立っていることに気持ちが昂ります。顧みれば各々に色々とあったはずですが、野暮なことには触れず、ただ限りなく心を静めた先に見えるものを詠み、また、それを遠慮なく批評し合う空気感に高まるのです。

私が聞くところ、伊吹嶺のどの句会も変わらぬ熱心さで、そんな様子を、俳句をしている母に告げると、「あなた恵まれているわよ。それだけ熱心な方が周りにいることは、そう無いと思うわ。」と羨ましがります。

そんな信頼の置ける伊吹嶺会員との出会いに思いを馳せ、良い勉強を重ねていきたいと思っています。



季語がやって来る    阪本 弘子 (瀬戸) 2014年2月号 

 俳句を始めてから「知らない事が多すぎる」ことに愕然とします。言葉は言うまでもなく樹木、花、昆虫など「都会の子だから・・・」と訳のわからない言い訳をしています。季語も多く難しい。

先日、アサギマダラを教えていただきました。何と我が家の藤袴にも来ているではありませんか。美しい蝶で海を渡ると知ると愛おしさでいっぱいになりました。

俳句を始めて間のない友達と庭の花を眺めている時に、このアサギマダラが「待ってました〜」とばかりに藤袴に止まってくれました。その数時間後にその友達から三句の俳句がメールで届き、とても嬉しかった。私は友達や俳句仲間と俳句の交換をしたいと思っています。感動を共有できることは素晴しい。

「感動した時に季語が向こうからやって来る」と誰かが言っていました。どうしたらやって来てくれるのでしょうか。その日を楽しみに待ちながら、毎日の暮らしを大事にして俳句を続けていきます。

「早く来ないかなぁ・・・」。その時には俳句をせっせと送ります。



 作句あれこれ   森田もきち (千葉)      2014年1月号

 いぶきネット句会のチャットに参加していて、句についての受け止め方の様々ある事に感心します。これまでの経験、感受性の相違など考えれば当然かもしれません。ゴルフ場に行く途中には未だラジオの受信状況が悪い場所があり、終戦の日の雑音のひどいラジオを思い出して句に詠んでも、分かる人が少なくなりました。また私は酒を詠んだ句はあまり好きではありません。

句会で誰にも採っていただけない時は淋しいものです。一句でも採っていただけないものかと、そのためには皆さんにわかっていただけて、かつ共感を感じる句の必要があると私は思います。しかし迎合の句であってはならないし、さりとて自分の考え中心の独りよがりになってもいけないと思います。幸いネット句会では同人の懇切な添削があり、大変勉強になります。自選句二句を会報に出す時、出すのは自作句か添削句か迷いますが、先生のご指導を尊重して添削句を出しています。しかし発想の原点が私と異なる場合は、申し訳ありませんが自作句を出させていただいております。何年経っても迷いは尽きません。


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