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いぶきネット句会たより

    



 
いぶきネット句会は、毎月句会を行い、句会報を発行しています。この「いぶきネット句たより」は、会員が輪番で書いて句会報に載せている記事です。テーマは自由ですが、毎月面白い記事が寄せられます。ぜひお読みになって、興味を持たれた方はいぶきネット句会の仲間になりましょう。初心者大歓迎です。

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  荒川さんはどんな天の川を見たか  国枝隆生(員弁)  2023年3月

 この度、荒川英之さんは『沢木欣一・十七文字の燃焼』にて二〇二三年第三十七回俳人協会評論賞を受賞されました。「伊吹嶺」にとって誠にめでたいことで、栗田やすし先生の受賞以来の快挙です。もともと荒川さんはいぶきネット句会の入会をきっかけに「伊吹嶺」に入会されています。
 この受賞作は三一七ページに亘る大作で、とても一気に読めません。そこで環境問題に取り組んでいる私としては、以前伊吹嶺HPに書いたことがあり、興味のある「光害」に関連して、天の川の二句をからめて荒川さんはどんな天の川を見たかだけを述べてみたいと思います。

   荒海や佐渡に横たふ天河    松尾芭蕉
   天の川柱のごとく見て眠る   沢木欣一


 芭蕉の句は『奥の細道』の最高傑作と言ってもよい句で、芭蕉の心の昂ぶりが見える句である。というのもこの句が作られた出雲崎からは佐渡島に寄り添うように天の川が横たわって見えることはない。しかも芭蕉が過ごした夜は「曾良日記」にあるように雨が降っていた。そもそも夏の日本海は荒海にはほど遠い静かな海なのである。
 それでも芭蕉がこのように詠まざるを得なかったのは『奥の細道』を世に問うときの意気込みではないか。実はこの時、芭蕉は三百字程度の「銀河ノ序」を書いている。ここで芭蕉は天の川は「海の面十八里、滄波を隔て東西三十五里によこをりふしたり」と天の川は横たわっていると書いた。ただこの序は最終的には『奥の細道』に掲載されないで、許六編の「風俗文選」に載せられた。後の世代にこの句はいろいろな人から批評されてきたが。
 加藤楸邨は『奥の細道吟行』で『この句の発想のてがかりをつかんだと思われる出雲崎だけが「荒海」ではなく、心の風景もまた「荒海」だったものであり、佐渡の史上の悲歌、七夕の近い佐渡に対して天の川の「荒海」の感じを土台として呼び起こされ・・・日本海は芭蕉の「荒海」となった。』と芭蕉にとって「荒海」の必然性を分析している。
 また小澤實は『芭蕉の風景下』において主に「銀河ノ序」が『奥の細道』から消されたことに着目して
芭蕉はこの文章を入れることはなかった。散文での説明はすべて省いて・・・この一句だけにすべてを語らせようとする芭蕉の自信と信頼を感じるのだ。また銀河はこのように見えないことの批判があったことも踏まえて悪しき写生観がこの批判の底にある。現実は表現のきっかけの一つではあるが、表現は現実とは別、独立したものである。と芭蕉の意気込みを評価している。
 前がきが長くなってしまったが、そこで私は掲句の沢木先生の「天の川」の句を考え、荒川さんも考察されている。沢木先生は『昭和俳句の青春』で「天の川は陸から佐渡の方に向かって掛かっていた。佐渡の上に横たわっているのではないことを知ってちょっとがっかりしたが、陸から佐渡の方向へ横たわったと解釈しておかしいことはない。・・・陸も海も佐渡も含めて天地に柱のごとく突っ立っているように感じた。」と素直な印象を述べて、掲句を詠まれた。
 そして荒川さんはまず『沢木欣一の百句』で、次のように解説している。(なお一部分かりづらいところがあったので、荒川さんに確認した真意の言葉を括弧で入れてある。)
 『天の川を立体的に捉えることで、芭蕉の「荒海や」の句を念頭に、佐渡の空に横たわる(と芭蕉が詠んだ)天の川のイメージを覆す(つまり横たわっているのではなく直立している)光の柱は幻想的であるが、(その華やぐ幻想に対して)座五「見て眠る」が旅寝のわびしさを感じさせる。』と「柱のごとく」を詠んだ経緯を解釈している。
 そして受賞作の『沢木欣一』では、『後に欣一は「闇に直立している光の柱は大げさに言うと、そういう感じであった。天の川は芭蕉の句から想像されるように佐渡の上空に、横たわっていない。陸から空を距てては佐渡へなだれ延びていた。」と記す。』のように解説している。ここに控え目な荒川さんの態度が見える。
 以上芭蕉の『奥の細道』、「銀河ノ序」から荒川さんの『沢木欣一』までの天の川の解釈の変遷を一部見てきたが、この本を執筆するにあたり、荒川さんは全編に亘って出典を明らかにしてから解説、解釈しており、受賞も諾なるかやである。そこに荒川さんの心情が控え目に覗いている。改めて荒川さんは『沢木欣一』を執筆するにあたり、天の川をどのように見て、この受賞作を執筆したのだろうかと思い至る。
 いぶきネット句会の皆さんも是非受賞作『沢木欣一』を購読して頂きたいと思います。


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