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いぶきネットの四季


 いつも伊吹嶺HPを閲覧していただきありがとうございます。
 以前のこのコーナーは、わたしたち「伊吹嶺」の師である沢木欣一先生と細見綾子先生、そして「伊吹嶺」の顧問である栗田やすし先生の3名の俳句をテーマに、随筆風に書いた記事を掲載していました。

 令和3年1月からはその内容を改め、インターネット部員が行った吟行を俳句と写真を添えて紹介していきます。
 吟行は非日常のことです。そのために心が新たな気持ちになり、普段見慣れている物でも新鮮に感じられて句作につながります。このコーナーが皆様の良き吟行ガイドになり、吟行への誘いとなれば幸いです。

 沢木欣一先生と細見綾子先生、栗田やすし先生の俳句にちなんだ記事は、
下記の案内をクリックしてください。平成24年から29年の間連載され、俳句の鑑賞、思い出、あるいは季語にまつわる体験談などを俳句にちなむ写真を添えて書いてあります。

                       インターネット部長  新井酔雪

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令和4年10月

     京都貴船

 旅行好きの奈良の従妹と運転の上手な従妹が計画してくれて、7月下旬、1泊で滋賀と京都へ5人旅をした。
 1日目、まず滋賀県守山市近江妙蓮公園の滋賀県天然記念物の蓮を見た。慈覚大師が中国から持ち帰ったと伝えられる蓮で、近江妙蓮と呼ばれている。2000枚から5000枚の花びらをつけ、20日近く咲くそうだ。花弁がとても多く重なっており、ふちが紅く優美で、微かな香りも高貴な印象だった。

   
紅ほのか千弁蓮のほぐれ初む    範子

 次にびわ湖バレイへ向かった。ロープウェイでびわ湖テラスへ到着、琵琶湖の眺望を楽しんだ。しかしこのとき、京都では雷と大雨で、びわ湖バレイでも天気が急変、黒雲が湧いてきたため、職員から早くゴンドラで下の駅へ帰るようにと指示があった。大勢が乗り込み、何とかロープウェイの麓の駅に着いた。しかし傘も持たず車を停めた場所が遠かったので、屋根のある場所で1時間ほど雷と大雨が止むのを待った。当初は比叡山も行く予定だったが、京都の宿へ向かった。

   
萱草の黄や湖へなだれ咲く     範子

 2日目は貴船川床料理の店へ。貴船は道が狭いので、出町柳駅近くに駐車し、叡山電車に乗り、マイクロバスの迎えで到着。食事の予約時間まで貴船神社本殿を参拝し水占いをした。風鈴や風車が舞殿に飾り付けてあり、七夕竹も何本も立ててあった。奈良の従妹は貴船川床が好きで、毎年のように出かけて何軒もの料理を食べたとのこと。川床の席にも上下があるようで、料理の値段で決まるようだ。天然のクーラーともいえるような涼しさを感じ、水音と水しぶきを間近に、木漏れ日の下で初めての貴船川床料理に舌鼓をうった。料金が高いなと思ったが、涼しさと風景を込みの価格なのだなぁと思った。

   
涼しさや水音奔る貴船川      範子

 帰りは、マイクロバスの運転手に頼み鞍馬駅まで送ってもらい、ケーブルカーと徒歩で鞍馬寺を目指した。鞍馬寺は同じコースを15年程前に行った時は普通に登れた記憶なのに、この度は暑さと体力の衰えもあり、本当に辛くて後ろから来る人に追い越されてばかりだった。喘ぎながらも本堂に着くと、先に到着した従妹が気を利かせてご朱印を頂いてくれていた。パワースポットで比叡山方面を眺め、マイナスイオンを浴びたためか、下りはまずまず歩けた。それでも1日の合計7800歩程度であった。帰宅の途につき心配したコロナに誰も罹らず、そのことに一番ほっとした旅であった。
                        (吟行日R.4.7.27)(伊藤範子)


   
         貴船神社                   水占


令和4年9月

     御在所岳

 
暑さを逃れて、御在所岳にやって来た。御在所岳は、鈴鹿山脈の主峰をなす山で標高1212mである。地上は38℃、御在所岳山頂は25℃。期待は膨らむ。メンバーは、国枝隆生さん、安藤一紀さん、松原和嗣さん、新井酔雪の4人。

 世界的規模を誇るロープウエイに乗り、約12分間の空中散歩を楽しむ。56分もすると涼しくなってきた。
 周りは切り立った青嶺で、この御在所岳に集ってきている。ゴンドラは、その青嶺の谷に小さく影を落としていた。
 山肌は花崗岩で、所々に奇岩があり目を楽しませてくれる。聞くとロッククライミングができる所もあるそうだ。こんな岩ばかりの山にどうしてこんなにも樹木が覆い茂っているかと驚きである。
 御在所岳は、江戸時代は菰野山と呼ばれ、植物の豊富なことで知られていた。山麓には、日本各地の多種多様な植物が観察される珍しい自然環境にある。

 山頂に着く。ススシイ、すずしい、期待通りに涼しい。山頂は、広々とした公園になっていて、家族連れが多く、子供たちは捕虫網を持っていた。
 ロープウエイ山上公園駅を出て右側つまり東側の朝陽台広場に向かう。途中に3つの岩があり石仏が1体ずつ。手を合わせて通り過ぎる。
 朝陽台広場から伊勢湾・知多半島が見えるというが、晴れていたにもかかわらず霞んで見えなかった。
 今度は、西側の御在所岳頂上を目指す。朝陽台広場からは、下ってまた上る感じである。しかもかなり距離がある。リフトもあったが、皆さん歩くというので歩いた。
 下りきった所にございしょ自然学校あった。入り口に長机と赤マジックが用意されていて、1人の女性が捕虫網を持って案内に立っていた。何をしているのかと聞くと、「御在所岳の赤蜻蛉を捕まえて、翅にGと書いて放してもらう。そして、麓で赤蜻蛉を捕まえて、翅のマーキングを見て、連絡してもらう」とのこと。国枝さんの説明によると、赤蜻蛉は平地で生まれ、暑い夏は山で過ごし、秋になって戻ってくるとのこと。それで子供たちが捕虫網を持っているわけだ。
 御在所岳頂上に着く。山頂には、標高1,212mを表す標と三重県と滋賀県の県境を表す標、そして三角測量の際の基準となった一等三角点を表す標石が設置されている。ここで、記念写真と作句と昼食。
 頂上の近くにある山口誓子句碑を見に行く。大きな句碑で子供3人が上っていた。

   
雪嶺の大三角を鎌と呼ぶ    誓子

振り返ると三角に尖った鎌ヶ岳があった。
 さらに西へ2分ほど行くと、琵琶湖が見えるという望湖台につく。残念ながら琵琶湖は霞んで見えなかった。
 南に下って長者池に行く。清水が湧いており水は澄んでいる。真っ黒なお玉杓子がたくさんいた。そして、イモリを2匹見つけた。池には八大龍王を祀った祠があった。そして、銅鑼を代わる代わるに打った。
 帰途につく。ロープウエイで下りていくと、暑さが戻ってくる。そして、湯の山温泉に入り、桑名の駅前の居酒屋で句会。楽しい1日を過ごすことができた。
 (吟行日R4.8.3 新井酔雪)


   
夏惜しむ代わる代わるに銅鑼を打ち  隆生
  
 山頂に蜩の声透きとほる       一紀
   県境跨ぎて写真夏の山        和嗣
   ゴンドラの影は青嶺の谷の底     酔雪


    


令和4年8月

     戻り梅雨の多治見

 
HAGURUMA句会の有志で時々吟行に出かけます。今回は「盛夏の吟行」と銘打って、暑い街として全国的に有名な多治見吟行を計画。参加者は、矢野孝子さん、田嶋紅白さん、朝倉淳一さん、野村和甚さん、大島嘉秋さん、足立 満さん、そしてわたし加藤剛司。

 吟行のポイントは4つ・・・。
①古田織部と縁があり、明治から昭和にかけて美濃焼の町として栄え、その街並みを今に残す オリベストリート
②焼物と並ぶ多治見の名物 鰻の多治見屈指の名店 魚関
③多治見駅前からの昭和レトロな商店街 下街道
④沢木欣一先生の吟行地でもあり、ミサで使用するワイン用の葡萄を栽培している 多治見修道院

 吟行時の猛暑を想定し、経口補水液、日焼け止めなど熱中症対策万全で吟行にのぞみましたが、前日から激しい雨となりました。戻り梅雨ということでしょうか。幸い、汗をかくことは殆どありませんでした。
 オリベストリートは古い焼物屋の街並みが残り、またその古い建物をリノベーションし今は焼物だけでなく、雑貨を売るお洒落な店、カフェが並んでいます。当日、各建物の軒には美濃焼の風鈴が吊るされ、地元の小学生が願い事を書いた短冊が飾られていました。また、「吊るし西瓜」としてこれも各戸に西瓜の鉢が置かれ、小さな実をつけており、暑さをやわらげる演出に一役・・・という感じです。

 昼食は多治見名物の鰻。鰻の名店が多い多治見でも屈指の明治創業の名店「老鰻亭 魚関」でいただきました。櫃まぶし、長焼、白焼と皆さん、注文がわかれましたが、櫃まぶしは出汁でなく番茶でいただくスタイル。これは後味さっぱりで珍しい。白焼はポン酢であっさり。全員がとても美味しくいただき暑気払いとしました。

 下街道のレトロな商店街には河童伝説の残る多治見のキャラクター 大きな美濃焼の河童が飾られています。古いパチンコ屋、骨董屋、学生服の店、うどん屋など見どころはあります。
 そして下街道のメインは「ヒラク本屋」。古い時計店の建物はそのままに、一部リノベ―ションし、お洒落な本屋とカフェに生まれ変わり、インスタ映えするということで全国的に有名なお店です。
 私もこちらの旧時計屋のエントランスにそのまま残されている壊れた世界時計を句材に、以前訪問時に俳句を作りました。

   
時計屋の世界時計の狂ふ首夏    剛司

 沢木欣一先生の吟行地である多治見修道院は多治見の中心街から山側に直ぐの場所にあります。昭和初期に建てられた中世ヨーロッパ建築を思わせる外観、ステンドガラスや壁画、天井画が美しい大聖堂。緑あふれる庭園。宣教師たちの眠る墓地・・・句材の宝庫です。
 また広大な修道院の敷地の中にはミサで使用するワインの原料を栽培するための葡萄園があります。こちらも「修道院ワイン」として全国的に有名です。青青とした葡萄園にはまだ小さいながらしっかりと青葡萄が育っておりました。そして吟行の締めとして、こちらの修道院の会議室をお借りし、句会を行いました。
指導者の矢野孝子さん、田嶋紅白さんからわかりやすい講評をいただき、句会を無事に終えることができました。

   
青蔦の張り出す路地やそぼろ雨   和甚 *矢野孝子特選
   濁流の飛沫を縫ひて夏燕 満
   梅雨晴間カフェの書棚にカフカの書 嘉秋
   瀬戸黒の茶碗のうねり夏座敷    淳一
   荒梅雨を来て三叉路の標石     剛司
   青胡桃唐三彩のカッパ像      紅白
   欠け甕に蓮を咲かせて骨董屋    孝子
 (吟行日R.4.7.10 加藤剛司記)

   



令和4年7月

   伏見桃山うろうろ

 俳句を作る目的だけで出かけるのが吟行とすれば、私はあまり吟行へ行かない方で、だいたい日常生活での作句です。でも締め切りが近くても句が無いときなど、普段出かけている場所をちょっと時間をかけて歩くことがあります。吟行ならぬ銀行へ行ったり、買い物に出かけたりしている伏見桃山の一部が、私のミニ吟行地、句作に困ったときうろうろする所です。
 伏見桃山の大手筋は名の通りかつての伏見城の大手門へ向かう大通りで、今どきのショッピングモールにも負けず頑張っている商店街です。冷暖房完備で省エネには逆行していますが、いつも大賑わいです。この通りを中心にどちらに歩いてもすぐ酒蔵が並んでいて、さすがに酒どころだと感心します。コロナの前には伏見酒造組合の企画で春に蔵開きのイベントがあり、各酒蔵を回って共通券で試飲したり、おつまみを食べたりできました。フラダンスや、酒蔵を提供しての中年ロックバンドの演奏も楽しく、来年こそ再開されるように願っています。
 大手筋から南に徒歩3分、月桂冠の大倉記念館があり、試飲や酒蔵見学ができます。今年やっと復活したのは十石舟による運河クルーズですが、その乗船所も記念館のすぐ近くです。伏見の運河は琵琶湖疏水の延長で、淀川に続いています。江戸時代伏見は幕府領となり、京都の外港として交通、輸送の中継点となりました。岸には白壁の酒蔵が並び、柳、桜、紅葉の季節はカメラマンが集まります。また両岸の遊歩道には四季の花を植えられていますが、ここに十数年前竜馬とおりょうさんのブロンズ像が建てられ、二人並んで空を仰いでいます。竜馬といえば、有名な寺田屋がすぐ近くですが、実物は鳥羽伏見の戦いの戦いで焼失しており、元の場所に再建されたものです。勿論文化財ではないので、見学も宿泊もできます。見学はともかく、宿泊はあまり快適ではなさそうですが。
 この辺りは戦いの弾痕の残る料亭や、秀吉時代の伏見城下の大名屋敷跡、島津藩ゆかりの寺など、日本史好きの方なら興味がありそうな場所には事欠きません。また、いわゆる御所を中心とした碁盤の目の京都から外れているせいか、気候も人情も大阪に近く、気取らない親しめる町です。(R.4.7 山田万里子)

   
板壁の木目に目鼻梅雨の月  万里子4句
   春の雪十石舟の舳先にも
   寺田屋の提灯縮む余寒かな
   太宰忌の雨に濁れる運河かな



令和4年6月

   桑名界隈

 秋晴れの下、桑名を5人で吟行した。メンバーは国枝隆生さん、松井徒歩さん、安藤一紀さん、松原和嗣さん、私新井酔雪。午後1時間30分に集合して、桑名駅を出発。吟行コースは次のとおり。距離にして5km。

 
・桑名駅→海蔵寺(薩摩義士の墓)→本統寺(芭蕉句碑)
 →春日神社(誓子句碑)→九華公園→七里の渡し→住吉神社


 海蔵寺は、
木曽三川の工事に従事して自刃した薩摩藩士の墓石がある。その墓石にはワンカップの焼酎が供えられていた。そういえばこの出来事を劇にした『孤愁の岸』を名古屋の御園座で観劇したことがある。主演は森繁久彌と竹脇無我であった。竹脇無我が演じる家老平田靭負は、返す当てのない工事費を拝み倒して商人から借財する。工事が完成したとき、平田は、借財は藩とは関係なく、自分が勝手にしたこととして切腹した。

 本統寺の正式名称は、真宗大谷派桑名別院本統寺といい、地域の方々からは「桑名のご坊さん」と呼ばれ親しまれている。徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺であり、境内には、俳聖松尾芭蕉が貞享元年(1684)野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす はせを」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられている。

 
春日神社の正式名は桑名宗社といい、桑名神社と中臣神社の両社を合わせた神社で、古くから桑名の総鎮守として崇敬されてきた。永仁4年(1296)に、奈良から春日大明神を勧請して合祀したのでこの名がある。桑名神社は桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であるので、桑名の開祖として『繁栄の神様』と仰がれている。中臣神社の祭神は御祭神天日別命で、伊勢国造の遠祖として仰がれ『厄除けの神様』とされている。御社は繁栄の一途をたどり、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、歴代桑名城主から篤く崇敬された。

 九華公園は、桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた公園である。桑名城はかつて「扇城」と呼ばれていて、名城とたたえられた城の面影を残している。そして、桑名の藩主は徳川四天王の1人本多忠勝である。この公園にはたくさんの桜や躑躅、花菖蒲が植えられ、市民の憩いの場として親しまれている。濠には多くの小型のモーターボートがあった。中には捨て舟もあった。そして、鴨が水脈を引いていた。

 
桑名の七里の渡しは、ご存知のように熱田の渡しと繋がっている。東海道五十三次、唯一の海上の道である。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていた。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、今も伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。

 桑名は古くから、港町として栄えた。そして、航海の安全を祈るため、現大阪市の住吉神社から勧請して、この地に今の住吉神社を建立したのである。(吟行日H.30.10.15 新井酔雪)

   
壕水の潮の香ほのか鴨来る   酔雪
   城堀の繋船に落つ楝の実    和嗣
   秋雨や義士に供ふる芋焼酎   徒歩
   花街の辻にぬくもり秋桜    一紀
   船津屋の昼の灯しに木賊刈る  隆生


   


令和4年5月

    水郷潮来のあやめまつり

 私は現在千葉県に住んでいる。千葉は総(ふさ)の国であり、潮来は常陸国であり常州である。北利根川を挟んで南は佐原であり総の国と向かい合っている。
 潮来の位置関係が判らない人もいると思うが、場所はともかく、橋幸夫が歌った「潮来笠」はご存じだろう。
   潮来の伊太郎 ちょっと見なれば
   薄情そうな 渡り鳥
   それでいいのさ あの移り気な・・・ 

 利根川河口に近い農村であるが、古来より、伊勢、鹿島、香取の三神宮とされてた中の二神宮を近くに置き、江戸、上方とも船便が便利であったため宿場としても栄えていたようである。
 現在は素朴な艪漕ぎの小舟と穏やかな気候のもと、のんびりとした風情を楽しむ観光地として賑わっている。
 コロナ禍で中止していた、「潮来水郷あやめまつり」も今年は再開される。予定では五月二十日から六月十九日までだそうだ。あやめ(厳密には花菖蒲が大半だが)も運河のある景色と相俟って素晴らしい。
 コロナ以前の吟行ではあるが、その時の句で伊吹嶺遠峰集に掲載された句とその背景を記して見たい。

   
水郷の風むらさきに花菖蒲   光晴

 あまり混合う中は嫌だったので、平日に行ってみた。初夏の日差しは強かったが、時に吹き抜ける風は色彩を感じた。

   
八橋に独りたたずむ白日傘   光晴

 呼び物の1つである、花嫁舟は運航されない日であったが、それでも観光客は艪舟に乗って楽しんでいたが一人女性が菖蒲田の八橋に佇んでいた。近くの蓮池の白睡蓮の精とも思えた。

   
川風に睦み合ひたり花あやめ  光晴

 風が来れば、花びらが小さく揺れ、ささやき合っているようでもあった。

   
夏雲や灼け染み多き船頭笠   光晴

 
艪漕ぎの遊覧船に乗せて貰った。千葉県側の佐原、加藤洲十二橋の水郷めぐりは女船頭さんがエンジン船で操縦する舟であったが、ここは男の船頭さんばかりのようであった。
 笠は激務でシミだらけであった。何回出港するのか、手漕ぎ艪では女性では手に負えないだろうと思った。
 私は、この後香取神宮を参拝して帰った。神宮では夏越しの茅の輪を打っている最中であった。

 鹿島神宮と凸凹で対となる、要石という物が祀られているが、地震を起こす大鯰を押さえているとのこと。小さく見えるので心配ではあるが、今後の大地震の無いように、しっかりと押さえて欲しいものである。 吟行に行かれるのであれば、鹿島、香取両神宮。佐原の水郷と古い街並。銚子の屏風ヶ浦や漁港など、それ程遠くない場所にも良い吟行地があるので機会を作ってお出で頂ければと思います。  (吟行日
H30.6.5 武藤光晴)



令和3年8月

   テレ吟行


 関東支部はコロナ禍で句会を開くことが出来ず、今年3月からはzoomを使ったリモート句会をおこなっています。もちろん吟行句会も出来ないので、その代替として欅句会(指導者は橋本ジュンさん)では、テレ吟行もおこなっています。

 テレ吟行とはジュンさん曰く「テレワークならぬ、銘々が仲間と一緒にいるつもりで、自宅の近くで吟行して」投句、選句をし、リモート句会で合評会をするというものです。

 私の場合、昼間は自宅よりも仕事をしている墨田区にいる時間の方が長いので、専ら事務所から半径1キロメートル以内での下町吟行です。

 昼休み、徒歩3分のスカイツリーへ。見慣れているので特に感動もなく、初めて写真を撮ってみるとやはり634メートルは高いと感激。足下を流れる北十間川には遊歩道が整備され、合流する隅田川を渡って浅草まで続いています。途中、某ビール会社の巨大モニュメント(通称ウ○コ)が異様な景観を作っています。隅田川沿いの区役所広場には遙か外洋を指さす勝海舟の銅像が。勝海舟はここ墨田区本所の生まれだそうです。

 隅田川に架かる吾妻橋や言問橋、隅田川沿いの牛島神社や水戸徳川家下屋敷跡が江戸の雰囲気を残していますが、その全てを首都高速6号線が貫いて台無しにしています。残念なことです。ここで昼休みも残り少ないことに気づき、慌てて帰路へ。45分のテレ吟行でした。


   
海を指す勝海舟像夏の雲      切子

   下駄鳴らしスカイツリーへ生身魂  切子


(R.3.7.26 関根切子)



令和3年7月

     犬山城下

 犬山市においては、毎年月第1土曜日・日曜日の2日間の犬山まつりがある。
犬山まつりの前日には例年、犬山文化協会文芸部主催で内藤丈草を偲ぶ俳句大会が催される。しかし今年度と昨年度はコロナ禍において俳句大会は中止となり、2年続きの誌上大会となった。

 大会当日に城下を吟行した後、選者の先生方々に選をして頂くことを心待ちに参加している人たちには残念なことであった。
大会当日の吟行はほとんどの人が会場の場所柄、犬山城より本町通りを南下、もしくは犬山駅から本町通を北上して吟行される人が多い。

コロナ後には催会されるであろう俳句大会のために大まかなルート案内をすることにする。


  
犬山城 → 三光神社城とまちミュージアム・犬山からくりミュージアム

  ④内藤丈草生誕地(丈草産井跡)西連寺先聖寺

     
  丈草句碑(犬山城正門前)   三光神社          先聖寺・唐門

    
涼しさを見せてやうごく城の松  丈草  (犬山城正門前)
    ながれ木や篝火の空のほととぎす 丈草  (先聖寺)


◆平成31年度第24回内藤丈草を偲ぶ俳句大会当日吟行句

    
格子戸を拭きこみて待つ春祭   千賀子
    花散らす風や丈草座禅石     隆生
    軒低き城下の路地や燕来る    勝子
    紋白蝶出を待つ山車を祝いをり  妙好
    つばめ来る城下に古き写真館   とし子

                      (R.3.7 酒井とし子)



令和3年6月

     徳川園・名古屋城

 2010年11月6日土曜日、俳人協会愛知支部の俳句大会が名古屋城近くのウイルあいちで開催され、当日講演された小澤實先生の案内係の栗田先生に矢野さんと熊澤がお供をしました。

 朝、ホテルへお迎えに行きタクシーで徳川園へ、庭を散策後園内のレストランで昼食。その後名古屋城を案内して会場までお送りするというスケジュールでした。レストランからは鯉が泳ぐ庭や松の手入れの様子等も見られ、気さくにお話して下さる小澤先生と話が弾みました。

   
鯉泳ぐ池に乗り出し松手入    和代

 小澤先生が宇佐美魚目先生を尊敬しておられる事や、栗田先生から小澤先生は季題の名手であるということも教えて頂き、貴重な体験でした。

 名古屋城では清正石、隅櫓、乃木倉庫等を案内致しましたが、当日は北西の隅櫓や乃木倉庫が開放中で、櫓から堀を泳ぐ鴨を眺めたり、倉庫の中をじっくりと見て頂けてよかったです。 

   
隅櫓より見下ろしに鴨の陣    和代

 俳句大会では矢野さんの句が大会賞となり忘れられない大会となりました。

   
一本の茶杓観に行く神の留守   孝子

 先日写真を撮る為に名古屋城へ出かけましたが、緊急事態宣言の為人出は数える程で、緑滴る中ひっそりとたたずむ隅櫓や乃木倉庫は風情があって良かったです。

   
鯱の無き天守に鳴けり梅雨鴉   和代
    
(H.22.11.6 熊澤和代)



       

令和3年5月

     小さな庭の四季

 我が家の小さな庭には華やかな園芸種でなく、地味な野草を好んで植えている。

 春になると、草花の芽吹きを屈み込んでは眺めて楽しんでいる。真っ先に咲くのは二輪草で、これは10年ほど前に東京の句友Kさんから頂いたもので、毎年花の数をふやし、楽しませて頂いている。

  朝の日に傾ぎてひらく二輪草       洋子

 また娘が植えた破れ傘も白い生毛をつけた芽生えから緑が濃くなって、傘が広がっていくのを見るのも嬉しい。

  やぶれ傘雫まとひて立ち上がる     洋子

 春の庭には他に二人静、狐の提灯、立浪草、えびね欄、アマドコロ、チゴユリ、ヒメイズイ、菫など狭いところにひしめき合っている。また低木のしどみの花(草木瓜の花)は母が好んでいたこともあり、大切にしている。

 夏には蛍袋、河原撫子、ゆすら梅の実、紫陽花が梅雨空を明るくしてくれる。

  ゆすらの実摘むや夕日に手を伸ばし    洋子

  長続きせぬ青空や額の花         洋子

 夏から秋にかけては、女郎花が長い間、咲き継ぎ、この花にいつも蟷螂が来て獲物を待っているのを見るのも楽しい。

 秋にはアサギマダラが好むという藤袴を植えてみたら、本当に飛んできたのは嬉しい。あとで町のアサギマダラを守る会の方に聞いたら、ここはアサギマダラの渡りの通過点だそうだ。

 さらに吾亦紅や釣鐘人参等、丈の長い草花が小さな庭に賑わっている。

  吾亦紅ひとつ紅濃き綾子の忌       洋子

 冬になると、植えた覚えのない檀の実、万両、実南天等が庭を明るくしてくれる。

 何の手入れもせず自然に任せている小さな庭も四季を通して息づき、癒やされている日々である。
                        (R.3.5.1 国枝洋子)

 
二輪草
 
二人静
 
梅にメジロ
 
しどみの花(草木瓜)
 
破れ傘
 
 
紫陽花(下は山紫陽花)
 
狐の提灯(宝鐸草)
 
白蛍袋
 
河原撫子
 
吾亦紅
 
藤袴とアサギマダラ



令和3年4月

   春の小諸懐古園(長野県小諸市)

 2019年3月「しなの句会」発足。翌月4月13日、長野県小諸市の小諸懐古園のさくら祭へ出かけました。メンバーはしなの句会3名(当時)と関東支部からのゲスト6人。

 園内に入ると早速寄生木ののった欅がお出迎え。

   
寄生木のふはりと欅芽吹きかな    幸子

 懐古園は日本で唯一の穴城(城郭が城下町より低い)の小諸城址で、天守閣はもうないけれど野面積みの石垣は見どころの一つです。

   
春の空苔被ひたる野面積       清明

 この時期はまだ桜の開花はほんの一分ほど、当日は梅が見ごろでした。

   
見上ぐれば梅満開や懐古園      あきを

 弓道の実演や野点、ガールスカウトによる募金活動など行われ、好天の園内はなかなかの賑わい。

   
残雪の浅間へ一矢放ちけり      一灯
   声を張る募金の子らや花一分     ひろ子


 懐古園は島崎藤村の詩「小諸なる古城のほとり」の舞台でもあります。

   
さえずりや遊子の道の道標      眞人

 「小諸なる~古城のほーとりに~♪」と歌を口づさみつつ進んでいくと、
藤村記念館や1817年当時藩主であった牧野康長が建てた武器庫の復元された建物、
虚子の句碑や、藤村の詩碑も見つけました。

   
たんぽぽや武器庫に褪せし木の大砲  一成

 そして急に開けた景色となりました。展望台から眼下に千曲川を臨むことができます。

   
雪解水湛へて千曲川(ちくま)耀へり      とみお
   花の城青き千曲川(ちくま)を見下しに     ゆう


 雄大な景観に息をのむ一同でした。(R.1.4.13 奥山ひろ子)


     
       千曲川          藤村詩碑         虚子句碑

令和3年3月

  武蔵野の早春  ~深大寺と神代植物公園~

 栗田やすし先生が句集『海光』で俳人協会賞を受賞され、平成22年2月23日、京王プラザホテルで授賞式が行われた。翌日、先生ご夫妻と有志は前関東支部長の中野一灯さんと関東支部の方々の案内で20名ほど深大寺と神代植物公園を吟行した。
 調布駅前に集合し、バスに15分ほど乗り深大寺に着いた。まずせせらぎの流れている水車小屋を見学。未央柳、蕗の薹など早春の花が咲いていた。芹の清楚な緑色と小川の水とが光り合い小さな蛇が泳いでいた。蕗の薹を見たつけ時には、真先に細見綾子先生の句が浮かんだ。

   
蕗の薹食べる空気をよごさずに  綾子

 清らかで不思議な花、蕗の薹。心のきれいな人でないとこのようには詠めないのではないか、そんなことを思いながら蕗の薹を写真に収めた。皆心躍らせながら深大寺の早春を満喫した。深大寺境内には句碑がたくさんある。高浜虚子の句碑、中村草田男の句碑、石田波郷と星野麥
丘人の師弟句碑、波郷の墓など見どころも多い。

   
波郷句碑までの坂道落椿     隆生
   梅が香に声の華やぐ深大寺    洋子

 そして神代植物公園へ。広い園内をボランティアガイドの説明を受けながらの散策であった。福寿草が満開で栗田先生の受賞をお祝いしているかのように思えた。黄色の明るい輝きを見つける度に、大地にこぼれている幸せの微笑みを見つけたようで嬉しくなった。

   
福寿草かくも群れ咲く苑に来し  やすし
   武蔵野の光あふれし福寿草    一古


 ここにも、あそこにも、と福寿草を見つけ、金縷梅をはじめとする樹々の間を縫い梅林へ。当時100種、180本の梅が自然の起伏を活かした園内に伸びやかに美しく綻んでいた。
 調布の街へ戻り、一灯さんお薦めのレストラン貸し切りで食事会と句会が行われた。
 この記事の抄出句は平成22年5月号の伊吹嶺誌に掲載されている。
 そしてコロナ禍の今、沢木・細見両先生がお住まいだった武蔵野、両先生がこよなく愛した武蔵野とその一帯をまた訪ねてみたいと切に思う。
                 (H.22.2.24 伊藤範子)

   
武蔵野にひとつ見つけし蕗の薹  範子

 句碑の句  萬緑の中や吾子の歯生え初むる   草田男
       吹起る秋風鶴を歩ましむ      波郷
       草や木や十一月の深大寺      麥丘人


  


令和3年2月

瀧山寺鬼まつり

 岡崎市滝町に鎌倉時代から800年に渡り続けられている天下泰平、五穀豊穣の火祭り。岡崎に居住し「瀧山寺鬼まつり」に詳しい新井酔雪さんの案内を受けて吟行する。

 参加者は国枝隆生さん、新井酔雪さん、松原和嗣さん、それに私安藤一紀の4人。

 初めての火まつりを現地で吟行、直会付きの夜吟で何時もと違った高ぶる気持ち。
厚着して午後3時に名鉄東岡崎駅バス乗り場に集合する。同所から米河内(よなごうち)行きの名鉄路線バスに乗車、臨時バスも出るがほぼ満員のバスに約30分で瀧山寺に到着。
徒歩の3分で仁王像(運慶快慶の作)のある吉祥陀羅尼山 薬樹王院 瀧山寺(天台宗)の三門に着く。
 すでに「松明行列」の出発を待つ十二人衆、孫鬼の子役と提灯に紋付き袴で帯刀姿の名主、白法被姿の祭り衆4~50人を取り囲んで見物の人出があり祭機運が盛り上がっている。程なく和太鼓の触れを合図に境内まで1kmの街道を「松明行列」が出発する。


→松明を運ぶ行列は境内へ 祭の幕開だ!  ほら貝、半鐘太鼓を「ほらーほい」の掛け声に合わせかき鳴らし参道を上がる 孫鬼面の子役さんから追儺飴を頂く…  → 境内での太鼓奉納 → 仏前法要 → お札振り → 鬼塚供養 → 豆まき → 庭まつり → 火まつり のスケジュール、途中で直会の精進料理を頂き、その場の庫裏で句会を行った。

 
地元消防団の放水で、本堂の屋根はもちろんずぶ濡れ、火災、延焼防止の措置“準備万端”です。
大迫力の「火まつり」は、是非とも現地で味わって下さい。
(吟行日 R.2.2.1 安藤一紀)


    むつまじや孫鬼の撒く追儺飴     一紀
    本堂の床踏み鳴らす鬼やらひ     和嗣
    長刀の空を切りたる会陽かな     酔雪
    下萌に松明据ゑて祭待つ       隆生


R3年の「鬼まつり」一般観覧は中止


      


令和3年1月

  熱田神宮界隈

 初詣を兼ねて熱田神宮界隈を吟行した。メンバーは国枝隆生さん、安藤一紀さん、松井徒歩さん、松原和嗣さん、そしてわたし新井酔雪である。
 
行程は地図上で約4kmであるが、実際には13000歩強歩いているので9km近い。

   
・西高蔵駅(地下鉄)→高蔵公園→青大悲寺→段夫山古墳・白鳥古墳
     →白鳥庭園→宮の渡し公園→熱田神宮→名鉄神宮前駅


 西高蔵駅を出発し、高蔵公園を通って青大悲寺(せいだいひじ)に向かう。駅から500mほどで青大悲寺という尼寺に着く。この寺は如来教といって、この地の「きの」という女性が、享和2年(1802)に神懸かりになって開いた新興宗教である。原罪という概念を持ち、開祖の説法は御教様と呼ばれ名古屋弁である。この寺には室町時代に鋳造された鉄地蔵がある。県の指定文化財でありほぼ等身大である。
 
境内に入ると、金毘羅堂の前の盛り砂に松の枝が挿してあった。
「これは何?門松がわり?季語は松飾?」
「それは鳥総松といって、門松の後に門松の松を挿すんだ」と誰かが言った。
 まだまだ知らないことが多い。勉強になった。皆さん熱心に句帳に書き込んでいたが、わたしは1句も作れなかった。

 
次の断夫山古墳(だんぷさんこふん)は、青大悲寺のすぐ近くで熱田神宮の北側にある。柵がめぐらしてあり、一周してみる。雑木がこんもりと茂っている。東海地方最大の前方後円墳で国史跡指定である。
 250mほど南の白鳥古墳は熱田神宮の西側にある。この古墳は白鳥となってこの地に戻った日本武尊の伝説の墓である。一般には白鳥御陵とも呼ばれている。県内で最初に造られた大型前方後円墳であり、県下第3位の規模を誇る。古墳の隅のあちこちが宅地造成で削り取られていて残念に思った。

 白鳥古墳の西隣の白鳥庭園は、平成元年開催された世界デザイン博覧会のパビリオンの庭園として整備され、平成3年に完成・オープンした。 大きな池を中心に配置した池泉回遊式の日本庭園で、都市公園内の庭園としては東海地方随一の規模を誇る。
 池には錦鯉がいたが、冬なので動きは鈍い。そして、池の底は緑の絨毯を敷き詰めたように苔のような水草生えていて、そこに鯉の影がくっきりと映っていた。
「こんなに影がくっきりと。きれいだな」
「本当だ。緑に影がくっきりと。初めて見た」
徒歩さんは句帳を手に相槌を打った。
 庭園の松には雪吊がしてあった。
「名古屋はさほど雪が降らないのに、雪吊なんか必要ないのでは」
「観光用だよ。兼六園なんかの真似だね」
国枝さんがペンで雪吊の松を指した。
 ここは1年中楽しめる庭園で、吟行地としてなかなか良いと思った。休憩と句作を兼ねて汐入(しおいり)亭で抹茶を楽しんだ。

 白鳥庭園を後にし、南へ1kmほど行くと宮の渡し公園に着く。ここは「宮の渡し」「熱田の渡し」「七里の渡し」とも言って、東海道唯一の海路である。
 ここで1句と思ったが詠めなかった。吟行に来たかぎり1か所1句以上と思っているが、なかなか思うようにいかない。

 1500m歩北に進むと最後の吟行地熱田神宮に着く。人々からは、「熱田さま」「宮」と呼ばれ、日本武尊の草薙神剣が奉納されている。
 参道にはテントが張ってあり4斗入りの酒樽が山積みとなっていた。参拝客は思いのほか少ない。境内には「宮きしめん」の店があり繁盛していた。(H.31.1.14 新井酔雪)

  
金毘羅に砂盛り上げて鳥総松   徒歩  青大悲寺
  寒鯉の水底の影相寄れり     酔雪  白鳥庭園
  松手入れ池に梯子をしかと立て  和嗣  白鳥庭園
  金泥の鰹木照らす冬夕焼     一紀  熱田神宮
  バラ銭を残らず投げて初詣    隆生  熱田神宮


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