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いぶきネットの四季


 いつも伊吹嶺HPを閲覧していただきありがとうございます。

 このコーナーは、令和3年1月からインターネット部員が行った吟行を俳句と写真を添えて紹介してきました。
 令和6年からはそれを改め、いぶきネット句会員の吟行や俳句の周辺、自由な話題を文章にしたものを掲載していきます。皆様、閲覧をよろしくお願いいたします。閲覧していただいて、俳句への興味関心がさらに高まるならば幸いです。   インターネット部長  新井酔雪

・令和6年~:いぶきネット句会員の吟行記や随筆
・令和3年~5年:インターネット部員の吟行記
・平成24年~29年:伊吹嶺の師である沢木欣一先生と細見綾子先生
           伊吹嶺創刊者である栗田やすし先生の3名の俳句に関する随筆


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令和6年2月

  一年を振り返って

 俳句と出会ったのは小学校の授業だったかと記憶している。高校では古典文学を学習したのであるが、全く授業についていけず赤座布団が定位置だった。ラグビーボールを追いかけてグランドを走り回り、語学的・文学的素養とは無縁の毎日を送っていたのである。時は流れ所帯を持ったのを契機に、飛騨高山に地縁を得た。妻の実家である。書棚には能村登四郎全句集、林翔「光年」、歳時記などの俳句に関わる書物が並んでいた。母が俳壇「沖」の会員として俳句に親しんでいたのである。一人居となった母の様子を伺いつつ月一のペースで高山に通ううちに、私は自ずとこれらの俳句本をつまみ読みするようになっていた。文才の乏しい私にとって俳句は意味難解の短詩なのだが時間潰しにはなった。そんな私でも母の残した句帳を紐解けば沁み入るように胸に迫るのである。母の性格や飛騨の冬路を老身一つで生きる暮らし振りを知っているからであろうか。心中の襞を推し量り目頭が熱くなった。自分もいつの日か枯淡の境地を詠う俳句を作れるようになりたいと思うようになったのである。母の俳句をここに紹介する。
   初夢や亡夫との旅のつづきをり    美知
   ひとつづつ灯の消へゆきて虫の国   美知
   風邪ひくなはなれ住む子の便りかな  美知
   深々と北向く窓の雪明り       美知


 俳句を始めるに際し、伊吹嶺を選んだ理由は、中部地区に拠点があり、句会が多彩で、インターネット部が存在したこと。余生の過ごし方を模索しながら、ボケ防止にも役立つと思い令和5年1月に入会し、いぶきインターネット句会に所属した。70の手習いである。入会に際しては瀬戸市の矢野孝子さんに随分世話になり、この場を借りてお礼申し上げる。
 まず、俳句の「俳」について調べてみた。「たわむれ・わざおぎ。道化・曲芸」とある。ならば肩肘を張らず、気楽に言葉に遊ぶことが俳句の本意だと早合点。適当に言葉を選び組み合わせ、1つ季語を入れて完成させるものと、安直に考えてしまった。当初は三段切れ、「や切れ」と「けり」の併用、文語文法の誤用などミスの連続だった。ネット句会においてミスはコメント欄に文字で指摘訂正され、それを目視できるのが良い。俳句初心者には最良のシステムだと思う。俳句にも野球やマージャンのように一定のルールが存在する。ルールをわきまえなければ、「俳」に成らないのだ。俳句の基本は新井酔雪部長から4か月に渡り丁寧にご指導していただいた。それが少しずつ骨格、礎と成りつつあるのではないかと思っている。心から感謝を申し上げる。
 11月に八丁味噌蔵と岡崎公園のオフ句会に出席させていただき、新井部長やネットの皆様に初めてお会いでき、河原地主宰や栗田先生にも面通しができ、とても有意義な1日となった。河原地主宰の冒頭の挨拶の中に句の評価ポイントとして「物事をしっかりと写生できているか、その中に如何に気持ちを乗せているか」という言葉が有った。作句上の核心を突く言葉だと思いました。「即物具象」は概念として捉えてみるが、禅問答のようで、難解である。河原地主宰の言葉は「即物具象」をかみ砕いて解りやすく言い換えられた言葉だと思えるのだが、間違いだろうか。客観写生の中にどうやって気持ちを注入するか。ハードルは高い。近々の後期高齢者に乞うご指導!(兼松啓広)

  高山を少し紹介。

  
  飛騨国分寺大銀杏:国の天然記念物 樹齢:約1250年以上 樹高:約28m 樹周:約10

   匂ひたつ千古の銀杏千々散らふ  啓広
   黄落の音やはらかや大銀杏    啓広

        藤匂ふ町家ゆかしき飛騨格子  啓
  高山上三之町 久田屋:郷土料理店 軒庇の藤蔓


令和6年1月

  憧れの地 吉野

 夏休みの終り頃、妻が友達と2泊3日の旅行に行くというので、私も一人旅をしようと思い立った。頭に浮かんだのは憧れの地、吉野。吉野と言えば、歴史のある聖地、修験道、役行者、金峯山寺、大海人皇子、後醍醐天皇、千本桜、吉野葛。

 名古屋から近鉄に乗り吉野へ。目指すは金峯山寺。
 近鉄吉野線は吉野川沿いを走る。車窓から吉野川を見ると多くの鮎釣りがいた。時々釣り人が竿を立てて、釣った鮎を寄せる姿が見られた。ふと父を思い出した。父は鮎釣りが好きだった。「お前にも鮎釣りを教えてやる」と言っていたが、その約束は果たせず、今は鬼籍に入っている。

   囮鮎流す糸の張り吉野川  酔雪2句
   
釣竿の撓る光や鮎の川

 吉野駅を降りて南へ200m。ロープウェイに乗る。下を見ると、ゴンドラの小さな影が青い山に張り付き、滑るように斜面を上っていた。春なら下は山桜でいっぱいであっただろう。もっと景色を楽しみたかったが、5分もしないうちに吉野山駅に着いてしまった。

 降りるとミンミンゼミの声がした。岡崎にはミンミンゼミはいない。もう一度聞こうと立ち止まっていたが、声はなかった。金峯山寺に向かって歩く。案内図を見ると600mほどだ。

 吉野山駅を出てしばらく歩くと金峯山寺の総門である黒門があり、そこから旅館、飲食店、みやげ物店などの並ぶ上り坂の参道を行くと、途中に大きな銅鳥居(かねのとりい)があった。扁額には発心門と書いてあり重々しく迫力があった。この鳥居をくぐる者の覚悟を問うているような感じがした。

 そして、吉野山駅から10分ほどのところに仁王門。残念なことにその仁王門は修理中。その先の小高くなった敷地に本堂(蔵王堂)が建っていた。蔵王堂の前に立つと、その大きさに圧倒された。東大寺の大仏殿に次ぐ大きさだとか。

 蔵王堂の中に入る。中は涼しく香の匂いが立ち込めていた。内陣にはご本尊の金剛蔵王大権現3体を納めた厨子があった。本尊は秘仏で、決められた日にしか公開されない。しかし、脇に本尊の写真が掲示してあった。青い肌をした怖い顔の仏様で、高さは7mぐらい。実物はかなりの迫力だろう。

 蔵王堂を出ると、ミンミンゼミの声。見晴らしの良い所に移り、周りの山々を見る。ミンミンゼミの声は山の中腹あたりからしていた。(新井酔雪)


   本殿が我に被さる蝉の声    酔雪2句
   みんみんの峪の深さや蔵王堂


     

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